69 異変の兆候
「Eゾーン拡大の恐れだって?」
速報という特有の音と共に居間のテレビに表示された地域の情報を見て、ソファに座って闇切丸の手入れをしていた楓は、その手を止めて声を上げた。
もごもごと、楓の心に闇切丸の不満の声が聞こえて来たが、それを無視してリモコンを操作し詳細情報を呼び出す。
そこには、岩戸市の隣接地域の時空振動の発生数の急増を示す情報が表示されていた、簡単な解説を見るとDゾーンの外周付近への来訪者の出現と、撃破数の減少のため危険度が増しているという状況だ。
画面上の日付を見ると聖典旅団との激闘をした日から、既に1週間が経過していた。
3日間の出撃停止を経て、楓達は特殊遊撃室の地盤を固めている日々が続いている。
美夏と美冬は休養と治療に集中した結果、魔力枯渇から回復をしつつあるので楓が一安心をしていたところに速報が入った形だ。
視線を感じると、台所で洗い物などをしていた美夏と美冬も画面を見つめている。
「2人ともそっちが片付いたら来てくれ」
来訪者が出現してから国際基準として決められている、地域安全度評価(通称ESA)で、来訪者の出現頻度、残留来訪者の数によって決められる基準に照らし合わせると人の住める地域はA~Dゾーンとされている、特にEゾーンからは時空振動の発生確率が多く住民がそこから離れた結果、来訪者の跋扈を許してしまっている結果になっている。
その地域が広がるという事は隣接している地域の治安の不安定化に繋がるため、3人が敏感になる事が習慣になっている。
手早く闇切丸の手入れを終わらせ、PCを起動して少し悩んだ後にブレイカーギルドのサイトを開いて目当ての情報を探す。
「楓、状況はどう?」
美夏と美夏が楓の両隣に来てちょこんと座る。
「ESAの情報をギルド経由で見つけたが、変化は急だったみたいだ。俺達のいる岩戸市は埼玉県の中央部に位置している、北西方面の地域のうち、EゾーンをDゾーンで囲んでいる神川市、吾妻市の境界部分での来訪者の出現が活発化、地元の防衛組織が防衛ラインを下げた結果その箇所への来訪者の流入が増えているらしい。典型的に平押しで劣勢になったと見えるな」
その説明を狭いPC画面上で行っていたことに気が付いた楓は、ケーブルをつないでTVへと出力する。
60インチの画面にミラーリングされたPCの画面が映り、キーをいくつか叩くとブレイカーギルドの公開している情報が見やすくなる。
「鹿谷市と岩戸市のブレイカーギルドが共同してドローンを飛ばしているのね。これはかなり重要視している証拠ね」
「偵察の結果はまだ限られているな。エーテル濃度の上昇、通常カメラとサーモカメラの観測だとそれなりの数の来訪者が討伐されないでこの地域に居る感じだろう」
「エーテルが増えているなら、魔法は使いやすいけどミスをすると被害を受けるから気を付けないとだねー」
「そうだな、美夏ねえと美冬はここに行くことになったら、魔法の使用時のは気を付けてくれ。それで、神川市が来訪者の圧力を引き受けている状態だな。ここに居る防衛組織は県立高校の組織が対抗しているようだが、これ以上支えるのは厳しいと俺は思う」
防衛ラインの変遷の図を見て楓が分析をする。
「そうね、ここが抜かれると鹿谷市との連絡に影響が出るかもしれないわ。HSSは介入するのかしら」
美夏は自分のタブレットを起動して、HSSからの連絡が無いかを確認をしている。
「さっきの速報については情報が転記されているわね、ただ夜だからほとんどの団員は動いていないから“待機”の指示だけが出ているわね」
「まあ、今から動いても夜間戦闘になるだろうし、仕方ないんじゃないかなー」
慣れてる者でも、被害を受けやすいのが夜間戦闘の怖い所だ、神代団長は血気に逸った団員の動きを止めたのだろうか?と楓は思う。
「Eゾーンに近い状態か…うん」
「美夏ねえ、どうしたの?」
「旅団との戦闘で、あたし達の魔道具や魔石が消耗したからこの地域に行ければ、新しいものを手に入れるかも。あたしも美冬もそろそろ魔力は全快、バイクも届いたから第1捜査室みたいに遠征できるかを団長に聞いてみましょ」
「そうだな、ホブゴブリンから手に入れた魔剣は俺に合わないし、破損した魔剣の修復も金額的に厳しいから、稼げるなら稼いでおきたい」
そう言って、楓が口を閉ざして何かを考える。
「楓にい、どうしたの?」
「ああ、まだザイツェフとの戦闘の事情聴取が各方面からあるから、すぐに行けるか微妙かなと思っただけだよ」
前回の戦闘で、第二捜査室を預かっている室長のもとかが瀕死の重傷を負い、その原因となった相手を追いつめた事はHSSや学園内のみならずブレイカーギルドや県警までも話を聞きたがっている。
隠蔽工作が上手く行ったので、3人の力を合わせて強敵を退けてもとかを助けた事は疑いというより、純粋に戦術や魔法技術に対して、それを知識にしたいといったプラス方面の興味を引き付けてしまった結果だ。
その聴取がひっきりなしに来ているので、通常任務に支障が出た段階でそれらを学園上層部がシャットアウトをしてくれている状態になっている。
「そろそろ、楓の銃器ライセンス試験も近いし。それの支障にならないように調整をしておきましょ。HSSとして遠征するなら、兵站班と話をしておいたほうがいいわね」
そう美夏が言ったと時、風呂が沸いた音声が台所から響いて来る。
「ま、今日のところはしっかりと勉強をしてから休みましょ?楓も日向神社の稽古はほどほどにして、銃器ライセンス試験に集中したらどう?」
「ああ、そうするよ。俺は後で入るから先に入っていてくれ」
「そう?それじゃ、お言葉に甘えて…美冬、どっちが先に入る?」
「うーん、ちょっと魔法理論1の予習をしたいから、美夏ねえが先にどうぞー」
「ありがと、それじゃ出たら声を掛けるわね」
美夏が風呂に向かったのを見送って、美冬は楓居間で訓練用のエアーソフトガンを取り出して銃器ライセンス試験の訓練を始めた傍で魔法理論の勉強を始めたのだった。
深夜3時・岩戸市
闇に沈む岩戸市外縁付近の街区を、それに沈むような黒い巫女服を着た影が疾走する。
Eゾーンとの境界にあたるこの場所は、来訪者の襲撃に慣れている岩戸市民でもなかなか定住がしにくい場所と知られている。
その結果、討ち漏らしの来訪者などが集まりやすいポイントとなってしまっている。
「百合の言っていたのはここか?」
チタン製のボディに、紙垂をプリントした携帯端末の地図アプリを見ながら目の前の公園…の廃墟と言った方がいい草木が伸び放題になっている場所を睨みつける。
気配を探るとザワザワッとした気配が茂みの中から漂って来るのを感知した霞は、腰に差した神剣「蒼速」(魔剣と同義だが、神道系ではこう呼称する事が多い)を引き抜く。
次に古風な作りの肩掛けバッグからグラス型のナイトビジョンを取り出して目に装着をする。
正式なナイトビジョンより性能は落ちるが、夜目が効く霞にはちょうどいい。
草に覆われてほとんど獣道と化している公園の通路に駆け込むと、まず5体のオーガが姿を現す。
遠目に見て巨人系や大型タイプと呼ばれる大きさの来訪者は確認できなかったため、ここに潜む来訪者のサイズはこれが最大だと見定める。
「グォォォ!!」
「ガァァッ!!」
その図体に似合わず知性があるのだろう、オーガは霞を囲むように展開した後に手に持った大剣や棍棒を振るう。
「チッ!」
それらを直角的な動きで回避をして、リーダー格と見た個体に肉薄し神剣を振るう。
「ギャァァァァ!」
がら空きの腹を深々と切り裂き、臓物を吹き出す様子を気にせず次のオーガへと回避と攻撃を織り交ぜて斬撃を送り込む。
「はぁっ!」
崩れ落ちた2体目の個体の背を蹴って、3体目と4体目のオーガを切り伏せて行く。
5匹目は、その時点で逃げようと背を向けるが霞が容赦なく繰り出した連続突きを食らって地に沈む。
「ふっう…」
息を整えていると、ゴブリンの群れが姿を現す。
見たところ30体はいるようだ、1体1体は弱くても集団となったゴブリンの脅威と残虐さは、来訪者の出現後のこの世界では広く知られた知識になっている。
その群れの奥に、大柄なゴブリンが指揮をしているような様子が見えるがそれはホブゴブリンと言ったゴブリンの上級種と違った印象を覚えた。
「やはり、ここのゴブリンは変異しているのだな」
油断無くその群れを見つつ、ナイトビジョンに付属されたカメラでその姿を撮影する。
「これ以上、結界にダメージを与えて百合を苦しませるわけにはいかない。悪しき物の怪達よ、消え去れ」
「ギャッギャッ!」
「クルルルッ」
そういった威嚇の怒号がゴブリン達から発せられ、霞を包み込もうとするが。
「ちぇいああああぁ!!」
霞の気合でそれらが一瞬にして消え去ると、霞が黒い颶風になり群れの中に飛び込んで荒れ狂う。
時折キラリ、キラリと見える刃の光がその場で見られる唯一の光源になり、それが収まった後には3体の取り巻きに守られた大柄なゴブリンの姿があった。
「逃がさん。全て斃す」
全身をオーガ、ゴブリンの体液で染めた霞が凄絶な笑みを浮かべてゆらりと肉薄する。
「ギャッギャッ!ガァァッ!」
ボスのゴブリンが取り巻きの1体の背中を蹴りつけて前に押しやって、勇敢にも自らもこの世界の大型のノコギリを振るって霞を迎撃する。
「シャァ!」
1匹目のゴブリンの首に致命傷を与え、2匹目には蹴りを入れた後に袈裟懸けにする。
「次っ!」
ひるんだ3匹目を突きで沈め、ボスのゴブリンのノコギリを回避してその横を抜けつつ振り向きざまに回転切りをお見舞いする。
「ヒッ…アブッ」
悲鳴と断末魔を上げて、ほぼ上下真っ二つに斬られたボスのゴブリンが倒れ伏す。
「次はいるか…?」
残心をしながら周囲の気配を探り、ナイトビジョンを併用し索敵をするがどうやら今ので最後だったらしい。
「ふう、穢れに穢れまくってしまったな。神社にこのまま戻れるだろうか?」
戦闘状態から、通常に戻った霞の心が自分の姿を冷静に見つめる。
いくら役目とは言え、50体に近い来訪者を倒しのだ「穢れ」はかなり自分に纏わりついている事だろう。
「どうするかな。このナリで銭湯は厳しいだろうし…」
どうしても身を清めないといけない場合は、神社の外にある泉でそれが出来るが晩春の今でも相当に冷たい思いをする。
ビュッと神剣を振るって、来訪者の血を吹き飛ばして鞘に仕舞い肩掛けバッグに入れていた携帯端末を取り出す。
「斎戒局か?こちらは日向神社の黒巫女だ、50体程度の来訪者を倒したので、残りの戦利品の回収を頼む。私はいくつかを持ち帰るが、残りは日向神社に届けてくれ」
そう神道業界での「回収業者」を呼び、回収しきれなかった魔石などの回収を依頼する。
来訪者の死体は穢れではあるが、そこから取れる素材や魔石は重要な資金源ではある、色々あって当初は忌避していたが今ではしっかりと回収・販売を行うようになった神道業界だった。
「ふーむ…。こんな時間だが、如月楓君を頼れるかな?」
既に時間は午前3時を過ぎている、一瞬躊躇ったが霞は楓の携帯端末の連絡先を呼び出して通話ボタンをプッシュする。
「まあ、百合を守るためと言えば…大丈夫かな」
まだ深い宵闇に、黒巫女のつぶやきが溶けて消えて行ったのだった。




