62 それぞれの夜2
楓は自宅マンションの屋上へ上がっていた。
闇切丸を抜き身にして、自分の流派の神明狭霧流の型を繰り返していた、その脳裏に今日の戦いが浮かんで自分がもっとうまくやれていなかったのか、上手くやるとしたらどうすれば良かったのかを繰り返し、繰り返しシミュレーションをしていた。
徐々に刃筋や振りが乱れるが、自分が何をすればもとかを犠牲にしなくて良かったのか…それより、美夏と美冬に相当の負担をかける蘇生魔法を使わせる事態にしなくて良かったかを、ずっと考え続けている。
(マスター。これ以上は刃筋に変な癖が出る。少し休め)
闇切丸がいつもより強い口調で言って来る。
「はっ!はぁぁっ!」
大上段から大振りに闇切丸を振り下ろして、コンクリートの屋根に寸止めをして止める。
ぽた、ぽた…と止めどなく汗が、俯いたままの楓からコンクリートに落ちて水たまりを作っていく。
「くそっ!」
そのまま、荒々しい仕草でそこに座り込んで荒い息をつく。
(焦り過ぎだ。今日の事はあれ以上の事は出来なかっただろう)
「それじゃダメなんだ、俺はあの2人を守ると父さんと約束したんだ。今日はあの秘密の漏洩に繋がる事になってしまった。俺が2人をこの世の全てから守るには何をしたらいいんだ!」
いつも、姉と妹には見せない焦りは自分1人の時にだけ、そして闇切丸だけに話す事でバランスを取っている、そしてその姿は絶対に2人に見せないようにしている。
(そうだな、我が言える事はもっと力をつける事だな)
「それは当然だろう?そして、今日は今までつけて来た力が足りなかった」
(そうだろうか?マスターが付けて来た力がもっと低かったら、奴らには勝てなかっただろう)
「…」
(我にも色々な主人、マスターが居た。その多くは同じような悩みを抱えていたさ。だが、最後に彼ら彼女らは望む結末に向かって全力で走っていった。力の大小は関係なく全力で強くなっていった)
「…だから?」
(マスター。焦った者は目的を達したが、自分も含めて少なくない犠牲を払ったものも居た。急ぐことは良いが焦ってはいけない、そしてマスターは学生という立場だろう?きちんと学と武を修めろ、それは父と会う時に必要となる)
「そうか、お前にしては言葉が多いな」
(我に似合わない事は分かっている、だから言うな)
少し照れたような思念を感じる。
「焦ってはいけないが、急がなくちゃ…か。今日の事で足りなかったものは、剣術もそうだが体術も…そして銃器の用意だ。HSSの訓練と今日のザイツェフが使ったあの変化も気になるから、その分析と対策は必要だろうな。あの金属の手ごたえ…いわゆるサイボーグだとしたら、この地球上のどの国も認めていない技術になるだろう」
闇切丸の喝が効いた楓は、どんどんと考えを纏めて行く。
(答えは出たか?)
「ああ、助かる。これを美夏ねえに話して行動指針に修正を加えてみよう」
そう言って、闇切丸を握り直す。
(おいおい、まだするつもりなのか?)
「いや、残心を忘れていた」
そう言って、残心の構えを取る…その時間はいつもより長い。
その様子に闇切丸がもう一度声を掛けようとすると、楓が空を見上げる。
楓の感覚に空中から何かが落ちて来るのを感知する、それはちょうど楓の直上から来るようだ。
「なんだ?」
手を上げると、空を飛んできたそれは簡単にその手のひらに収まる。
「これは?」
その手に収まっていたのは真っ二つになった聖典旅団の聖印だった。その表面にはマジックで文字が書かれている。
「“これを持っていた奴は滅びた、安心してくれ”だって?」
そう文字を読み終えるとその聖印はどんどんと分解していく、その様子はその場にいる事が許されないモノのようにだ。
「これを姉さんに見せれば良かったかもしれないが、無理だな」
もうそこに聖印があった痕跡すら無くなった手のひらを見て、諦観とともに手を握りしめる。
「誰かが、俺達に何かを伝えようとした…それは2人に教えておくか。しかし、一体誰が?」
そう考えている楓の背後でエレベーターの駆動音がしてドアが開く。
そこには、まだ濡れ髪で部屋着の上に魔法使いのローブとMLPを携えた美冬がタオルを持って上がって来ていた。
「楓にい、もう終わりにしたら?お風呂も空いたよ」
屋上の明かりに照らされた美冬は、控えめな性格の美冬がいつも浮かべている微笑みが浮かんでいる。
夕食の時は、沈み気味だったので気になっていたが入浴でリラックスできたのだろうか?
「ああ、すまなかったな美冬。助かるよ」
タオルを受け取って汗を拭く。
「楓にい、今日は何をやっていたの?」
「いつもの型だよ。師匠からまだ全部の型を伝授されていないが、いい加減に中伝の技を使いこなさないとな。それに、今日の事を考えるために身体を動かしたかったんだ」
「もう、今日は十分に動いたでしょ?ね、少し診断していい?」
「ああ、いいぞ」
少しうつむき気味に楓の腕を掴んだ美冬は、ほんの少しの魔力を流して楓の体調を診断する。
「両腕と右わき腹の筋肉か軽い断裂、ふくらはぎはかなり筋肉が傷んでいるよ。ね、もう休んでね」
そう言って楓を見上げる美冬の瞳が潤んでいるのを見て楓は言葉を失う。
「無理をして心配をかけたな悪かった、ごめんな」
楓が言うと、美冬は楓の胸板に額を頭に預けて呟く。
「ううん、大丈夫、あたしは大丈夫だから、楓にいは自分のやりたい事をやればいいんだよ?」
その髪に楓は左手をあてて軽く撫でて答える。
「俺がやりたいのは美冬と美夏を守る事だ」
「ううー…それじゃあ、楓にいが私達のためだけに生きるみたいじゃない」
「気持ちは嬉しいよ、だが俺は自分の愛する姉と妹を守る事が存在意義なんだ、これから先もそうだろう。気にするなとは言わないよ、ありがとな」
楓は涙をこぼしている美冬にタオルを差し出そうとしたが、汗に濡れているので躊躇う。
それでも、強引に美冬が奪い取って自分の顔に当てるのを見て、何故かさっきまでの焦りが消えているのを感じる楓。
(そうか、俺は姉と妹との今の関係が好きなんだな。2人の未来がもし絶望の運命とやらになるのであれば、全てのその可能性を排除してやる)
美冬がタオルから顔を上げた時、楓の表情が和らいでいるのを見てほっとする。
「それじゃ、戻るか」
「うん、楓にい」
「なんだ?」
「ありがとね」
「気にするな、俺はお前の兄だからな」
くしゃっと美冬の髪を撫でて楓は笑みを見せる。
そう兄妹の会話をしながら、2人はエレベーターへと消えて行った。




