02
ゆらゆらと、体が揺れる感覚だけが残る。
痛みも、叫びも、何も無くなって、水の音だけが耳の奥に響いていた。
ふわふわと漂っていて、指先ひとつ、瞼すらも動かす気も起きなくて、このまま眠ってしまったら、すごく気持ちよさそうだ。
「――――」
誰かの声が、遠くに聞こえた。
知っているような、知らないような、でも、そんなことはどうでもよくて、今はこのふわふわとした感覚のまま、眠ってしまいたかった。
さっきまで、痛かったもん。すごく、すごく我慢したもん。
少しくらい眠っても、きっと、許してくれるよね。
誰が怒るかも忘れちゃったけど、きっと許してくれる。
うん。そうだよ。
きっと、そうだ。
だから、また少しだけ、この水の中で、眠ってしまおう。
うっすらと開きかけた瞼を、またゆっくりと閉じた。
「―― Pっ!! P03!!」
その時、手が、痛いくらいに掴まれた。
「P……! 起きたか……!? 大丈夫か……!?」
目が合ったその人は、ひどく焦った顔をしていた。
「まぁ、きの…………」
不思議と、その人の顔を見たら、勝手に口が、その言葉を紡いでいた。
あぁ、そうだ。マキノだ。
私の顔を見て、安心して、泣きそうな顔で微笑んでいるのは。
「あ、つい、よ……まき、のの、て……」
マキノに掴まれた手が、すごく熱くて、火傷してしまいそうだ。
「は……? あぁ、こんなに冷たくなってりゃ、熱いか……」
P03の言葉に、牧野は、少しだけ不思議そうな表情をしたが、すぐに納得したように声を漏らした。
生きているとは思えないほど、ひどく冷え切ったP03の腕。それは、牧野にとっても、覚えのある体温だった。
ひどく疲れた表情で、それでも、困ったように、でも恥ずかしそうに笑うP03に、牧野は自分の首元へ手を伸ばす。
「悪いな。今はこんなのしかないが、ないよりはマシだろ」
そして、自分の首に巻いていたスヌードを外すと、P03の首へ巻いた。
「……ふふっ」
おかしそうに笑うP03に、牧野は困ったように眉を下げると、少し汗ばんでいるP03の頭を優しく撫でた。
*****
「なにか、弁明はあるか?」
久留米は、目の前に立つ涼しい顔をした橋口を見上げる。
「ありません。間違ったことをしたつもりはありません」
あの後、橋口は拘束され、事件の全てを素直に語った。
P03の髄液に、感染力のあるアポリュオンウイルスが残存している可能性と、それを無毒化する方法。
人道的とは言い難い方法ではある、だが、人類を守るためとして、それを許可した上層部の人間がいる。
かつて、それは平然と行われていたことだ。故に、現在を生きている人間が、それを否定はできない。
その結果、今回の立涌や橋口の行動は、連絡の行き違いによる”不慮の事故”であったと結論付けられた。
「歴史は、華やかな名が残る偉人ばかりだけではないのです。名もない科学者たちが、基礎を固め、少しずつ技術を進めてきた。
私は、ただの名もない科学者というだけです」
つまり、不問である。
だが、不慮の事故とはいえ、人的被害が出たことは事実。全ての責任を不問にすることはできない。
「短い間でしたが、お世話になりました。少尉」
P03に対し、アポリュオンウイルスの無毒化を試みた橋口は、別の駐屯地の研究部隊へ異動となった。
「まだ向こうでの研究内容については聞いていませんが、私の専門は、遺伝子研究ですから、また協力できることがあれば、その時は是非」
「あぁ、君のその知識と技術は目を見張るものだったよ。実に助けられた。だが、人道を無視するのであれば、協力することはできない。今後ともな」
「あら、振られてしまいましたか」
静かに、橋口を睨む久留米に、橋口は頬に手を当て、困ったように微笑むと、小さく頭を下げた。
「では、失礼致します」
そう言って、部屋を出ようとした橋口は、ドアノブに手を掛けると、ふと動きを止める。
「少尉」
そして、何か言い忘れてたことでもあったかのように、声を上げた。
「これだけは、訂正していただけますか?」
少し振り返った橋口は、微笑みこそ変わらないが、冷たく、強い意思のこもった視線を向けながら、表情を押し殺している久留米に告げた。
「彼らは人間ではありません」
―――― ヴェノリュシオン
「人間に限りなく近い、別の種族です」




