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治癒魔法使いアレスタ  作者: 一天草莽
第三章 そして取り戻すべき日常

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41 平和へと続く道

 その日、どこまでも青々と澄み渡る快晴の中で行われたターミナル駅の開通式は、豪華な衣装に身を包むベアマーク領主の挨拶によって幕を開けた。

 ありきたりな式次第に従って、次から次へとお偉方の長々しい挨拶が続き、イベントを盛り上げる出し物があり、ベアマーク騎士団の代表としてニックの妹であるサラのヴァイオリンの演奏があるなどして、多数の市民が駆けつけた盛大な式典はつつがなく進行した。

 いよいよ終盤、式典のクライマックスであるテープカット。魔法でカラフルに彩られたテープがターミナル駅の路線をまたぐように張り巡らされており、それを魔法で生み出された巨大な刃物で切り離す。

 ばっさりと切り落とされたテープは瞬時に無数の紙片となり、一つ一つが赤から紫まで様々な色をした光となって、蝶の群れのように空へと舞い上がった。

 式典中には懸念されていたテロはなく、窃盗やら迷子やら口喧嘩など、老若男女が集まる人混みにありがちなちょっとしたトラブルばかりが舞い込んだ。その対処に当たることになったイリシアやニックたちはせわしなかったが、何かあった場合の治癒魔法要員として控えるだけのアレスタは暇を持て余していた。

 式典会場の警備と言っても、実際は目を光らせて周囲を警戒しながら立っているだけだ。何事もなければそれが一番いいが、同時にアレスタがやるべき仕事もない。

 そこへ、同じく暇を持て余したらしい一人の女性が近づいてくる。

 来賓として式典に呼ばれたナツミだ。


「やっぱりこちらの世界はずいぶんと平和で豊かに見えるわね。もっとも、あなたたちが警備の任についていることから察するに、ここも絶対に安全だとは言い切れないみたいだけれど」


「そうですね。特に最近は反魔法連盟の動きも活発になっているようなので、楽しくて和やかな雰囲気だからといって、気は抜けないのが実際のところです」


「お疲れ様。それでもこれだけの人が集まって楽しそうに笑顔を浮かべているのだから、マフィアに牛耳られていた私たち異界の人間からすると天国みたいなところよ。……まあ、一方的な幻想を何かに押し付けて憧れているだけじゃ、目の前に立ちはだかっている現実はいつまでも私たちのために微笑んでくれないけどね」


 ふふっと微笑したナツミはアレスタに向かって爽やかな風を流す。日増しに暑くなりがちな季節柄、警備のため立ち続けているアレスタを気遣ってくれているのだろう。

 炎天下を避けて涼しげな日陰に隠れてはいるものの、気温の高さから身体中にじっとりと汗をにじませており、いい加減じっと立っているのにも疲れていたアレスタにはありがたかった。

 だから礼を言う。


「ありがとうございます。ですけど、おそらくこれから一番大変なのは、アヴェルレスをまとめていかなければならないナツミさんのほうだと思いますが……」


「そうね。大変も大変、とんでもなく大変な一大事業よ。でも無慈悲な殺し合いをするのに比べたらね。マフィアとかいう邪魔でしかない厄介者もいなくなって、今は頼もしい仲間もたくさんいるから」


「頼もしい仲間、か……」


 感慨深げにつぶやいて、アレスタは彼女の仲間となる人々に思いを馳せる。

 マギルマと市民革命団を中核としたアヴェルレスの新政府は間もなく初の選挙を控えており、まさに改革の真っ最中であるという。暫定的な処置で市長に就任しているナツミのもと、彼女のサポートをするのがマギルマで参謀を務めていたブリーダルだ。

 家族であり恋人でもあったファンズがいなくなり、身を切るような激しい消失感に捕らわれていたナツミだが、ボスの消滅からいち早く立ち直ったブリーダルに励まされる形で、彼女は自分のやるべきことを再確認した。

 アヴェルレスを平和にすることだ。

 それには新しく結成されたユーゲニア騎士団も積極的に協力してくれている。もともとはファンズが団長を務めていた新設騎士団だが、いなくなった彼の後を継ぐ形で団長になったのはナルブレイドであった。古くからの騎士団員の中には当然これに反発する者が続出したものの、オドレイヤの存命中にマフィアと戦った功績と勇気を持ち出されては、年を取っただけで手柄を一つも持たない臆病者たちの誰も反対することができなかった。

 これと同時に騎士団の顧問を依頼されたのはスウォラだが、彼はさらなる修行や鍛錬が必要だと言って辞退した。オドレイヤ邸への総攻撃の際、秘密の地下通路で襲ってきた魔獣やブラッドヴァンの構成員たちと戦った彼だが、その技術や精神は何度となく一緒に戦ったナルブレイドが受け継ぐ部分もあるだろう。

 さて、地下通路で戦ったと言えばエッゲルト・シーもだ。彼が相手をしたのは西部マフィアのボスであったジャン・ジャルジャンだが、その泥水の魔法をエッゲルトはいともたやすく攻略した。

 方法は簡単だ。何もない空中へと水平に倒した魔法剣を出現させ、それを足場にして移動したのだ。あとはジャン・ジャルジャンに近づいて、残りの魔法剣でめった刺しにする。こうなると先にどちらの魔法が力尽きるかの単純な力勝負となり、泥水の補充が間に合わなかったジャン・ジャルジャンが敗れたのであった。

 エッゲルト・シーは元マフィアのボスということもあり、直接的にも間接的にも関わってきた悪事は多いので、すべてが無罪放免となって許されているわけではない。しかし最終的にはオドレイヤの討伐に協力したため、今では騎士団の一部隊を任され、異次元世界ユーゲニアの辺境探索やマフィアの残党狩りのために頑張っているらしい。

 いつまた反旗を翻さないとも限らないものの、そのときは新しく設置される公正な裁判所によって罪を裁かれるだろう。

 ちなみにオドレイヤ邸への総攻撃の時は橋の上で湖から飛び出してきた魔獣と戦っていたキルニアだが、偶然のいきさつから一緒に戦うことになったニックともに何とか生き延びた彼は、今ではナツミの秘書として働き始めたという。最初のうちは何か適した役職がないかと色々な仕事を与えてみたけれど、自他ともに認めるアホの彼は何一つうまくできないので、結果的にナツミが世話を見る羽目になったようだ。

 なんだかニックを思い出す。そんなところも彼らがひかれあった理由かもしれない。

 悪の支配者であるオドレイヤがいなくなり、下部組織を含めて完全にブラッドヴァンが解体されたことで、名目上はすべてのマフィアがアヴェルレスから駆逐された。もちろん現実は言葉で言うほど単純にできているわけではなく、陰に潜み、再起を狙うマフィアの残党が少なくとも百人規模でいると推測されている。

 アヴェルレスの血生臭い歴史を考えれば、最悪の場合はもっとだ。

 街の浄化、すなわち街に完全なる平和を取り戻すためには、これから多くの障害が待ち受けているだろう。

 なにも敵はマフィアだけではない。

 悪い魔法使いだけが世界を不幸に陥れるわけではないのだ。

 それでもナツミたちは未来のために努力し続けるに違いない。

 いつかアヴェルレスに本物の平和が訪れるまで。


「それで、あの子は今どこに?」


「あの子というのはカズハのことですよね? たぶん今はどこかを見回りに行っていると思いますけど……。あの、もしよかったら探してきましょうか?」


「いえ、いいわ。頑張っているなら、それで」


「はい、ばっちり頑張ってます」


 今、カズハは開通式の警備の手伝いをしている。なぜそんなことをしているかといえば、カズハはアレスタたちのギルドに見習いとして入ったからである。お世話になった恩返しの意味もあるのだろうが、それよりも強い彼女の本心としては、外の世界について見聞を広めたいらしい。

 これからしばらくは政府関係の仕事でナツミは忙しくなるので、まだ十分に安全とは言い切れないアヴェルレスで一人暮らしをさせるわけにもいかず、かといって彼女の他に身寄りのないカズハは行く当てがないという。

 そこでアレスタたちにカズハを預かってもらえないかとの話が来たのだ。


「あなたもあの子になつかれてかわいそうね」


「正直になったらどうですか?」


「わかったわ。正直すごくうらやましい」


 そうなのだ。元気いっぱいな彼女になつかれて困ることはない。

 たまに年相応に生意気なのがちょっと傷だが、そういうのは甘えてきたかと思えば爪で引っかいてくる気分屋な猫の相手で慣れているアレスタである。

 おんぶや肩車をせがまれるのも意外と悪くない気分だ。


「でもやっぱりカズハが一番好きなのはナツミさんだと思いますよ。素直になれないから口にはしないけど」


「もしそうなら一度くらい言ってくれればいいのにね。そしたら私も心置きなくアヴェルレスの問題に集中できるのに」


 不満そうに口をすぼめるナツミ。

 まさか今は集中できずに片手間でやっているのだろうか。


「大丈夫。ほんとは姉貴のこと好きだよ」


「えっ?」


 いきなり聞こえてきた少女の声にナツミは驚いて文字通り飛び上がった。無意識に魔法を発動してしまったのか、周囲で風がふわふわと巻き起こる。まるで水に浮いているみたいだ。

 さすがにいつまでも浮かれているわけにもいかず、ゆっくりと地面に降りてきた彼女はアレスタに近寄ってきてその肩に手を乗せる。


「ね、今カズハの声がしなかった?」


「しましたね……」


 肩に手を乗せたまま同意を求めてくるナツミの顔にはすごみがあるので、まさか違うとも言えずアレスタは頷いた。

 とはいえ、空気を読んで適当なことを答えたのではない。アレスタとナツミの聞き間違いでなければ、魔法によって姿を隠したカズハは二人のすぐ近くにまで来ていて、本当は姉貴のことが好きとか言っていた。

 つまり彼女はナツミに好きだと伝えたことになる。

 わざわざ自分から言いに来てくれたということだ。

 頑張って冷静さを装おうとしているものの、嬉しさと驚きが勝っているナツミはそわそわを隠せない。


「なんで隠れているのかしら?」


「恥ずかしいからでしょう」


「もう一度言ってくれないかしら?」


「たぶん言った直後に照れ臭くなって、魔法で隠れたままどこかに行っちゃいましたよ。姿は見えませんでしたが、遠ざかっていく足音だけは聞こえたので」


「ふうん。でも、まさかあの子がねえ……。ふふ、私のことを好きとか言うなんて。そっか、ふふふ」


「えっと、はい。よだれ出てますが……」


 ナツミはこれからしばらく、より正確に言えば彼女の代わりとなる新しいリーダーが決定するまではアヴェルレスを引っ張っていかなければならない存在なのだが、ふにゃりとしている顔を見ていると本当に大丈夫なのだろうかとアレスタは心配になった。

 これはいろんな意味でナツミからカズハを遠ざけるのは正解だったのかもしれない。

 妹想いなのはいいが、妹を大切にするあまり、大事な判断を誤ってしまっては大ごとだ。

 遅ればせながら自分の姿に恥ずかしさを覚えたのか、ぴしゃりと頬を叩いて表情を引き締めるナツミ。

 今さら感はあるものの、アレスタの前で頼れるリーダーを演じ始める。


「とにかく、そうね。いつかカズハが大人になってアヴェルレスに帰ってきたときに、彼女がずっと住んでいたいと思えるような街にしなければね」


「直接的には何もできませんが、もし俺たちの力が必要になったときは遠慮せずに言ってください。できる限りの協力はさせていただきますから」


「ありがたく気持ちだけ受け取っておくわ。こちらの問題はこちらの力で解決できるようにならないと、いつまでも私たちの街に明るい未来は訪れない気がするから。もっとも、本当に困ったときは遠慮なく、あなたたちを頼らせてもらうかもしれないけれどね」


「はい。お互い頑張りましょう」


 言われなくてもナツミは頑張るだろう。それがファンズとの約束でもあり、いつか帰ってくるかもしれないカズハのためにもなることだから。

 むしろ頑張らなければならないのはアレスタの方だ。これからは見習いとなったカズハの責任も取らねばならないし、おそらく今まで以上に大変な依頼を請け負うことだってある。

 実績を重ねて有名になるにつれ、世間からは感謝や称賛だけでなく、嫉妬や敵意を浴びせられるリスクも高まる。

 様々な依頼を請け負うギルドの一員として、改めて気を引き締めるアレスタ。そんな彼の覚悟を知ってか知らずか、それじゃあと言って彼女はアレスタのもとを去った。今までずっと出られなかった異次元世界から出てきたのをいい機会に、物見遊山や勉強もかねてナツミはこちらの世界の人々とたくさん話をしておきたいらしい。

 彼女を見送るアレスタは仕事なので自由には動けず、またしばらく一人で警備のため立ち尽くすこととなる。

 とはいえ、こうしてアレスタが暇を持て余しているのは治癒魔法を必要とする事件や事故が発生していない証拠だ。

 何も起こらぬ平穏な日常を感謝すべきだろう。


「ふぉっふぉっふぉ、今は暇をしておるのかな?」


「えっ?」


 その年老いた声は背後から聞こえてきた。

 ナツミが去ってからは周囲に誰もいないと決めつけて油断していたアレスタはびっくりして背筋を伸ばす。

 足音もなく忍び寄ってきた老人。最悪の場合を想定するなら背後からの奇襲かと思ったが、それなら律儀に声をかけずに問答無用で切りかかってくるだろう。

 それに、なんだか聞き覚えのある声だ。

 一体どこの誰だったかな……と思って振り返ると、そこにいたのは意外な人物だった。


「驚きました。あのとき死んだものとばかり思っていましたが、生きていたんですか?」


「うむ。生きておったのじゃ」


 初めてカズハと会った時に彼女と一緒にいた老人、アヴェルレス出身のカロンである。

 しかし彼はギルドに魔物が襲撃してきた際、無残にも殺されてしまったのではなかったか。彼の死体を直接見たわけではなかったものの、あの時の状況から判断して、まさか生きているとは思えなかった。

 こうして姿を現した彼の正体を疑うわけではなく、今も生きていることを純粋に疑問に思ったアレスタは若干失礼な言い方になるかもしれないと思いつつも、素直に聞いてみることにした。


「あの、どうやって生きていたんですか?」


「まるで死んでなくちゃいかんような言い草じゃな。さすがに悲しくなるわい。……が、簡単な話じゃよ」


「簡単、とは?」


「魔法じゃ」


 そう言ってカロンはアレスタにもよく見えるように自分の右腕を前に出すと、目には見えない精神果樹園を開いて魔法を使った。

 すると、その手が指先から白い煙になって消えていくではないか。

 そのまま肩のあたりまで消えてしまったところで、左腕だけの片腕状態となったカロンが得意げに鼻を鳴らした。


「これがわしの得意技、一時的に煙となって身を隠す魔法じゃ。こうやって身体の一部分だけを消すこともできるし、やろうと思えば全身を消してしまうこともできる。便利じゃろ?」


 カッカッカッと元気な老人らしく高笑いするカロン。しばらく笑っているうちに、魔法で煙となっていた右腕も元に戻って出現した。

 これなら確かに魔物の襲撃を逃れて生きていてもおかしくはない。

 魔法のことを知らない相手ならば、爆発などに乗じて死んだふりをして騙すこともできるだろう。


「すごいですね……」


 などと感心して終わりそうになったけれど、アレスタはふと気にかかった。


「カズハはこのことを知っているんですか?」


 いや、知っているとするとおかしい。アレスタの記憶が確かなら、カロンが死んだと思われたときには彼女も一緒になって怒ったり悲しんだりしていたはずだ。いたずらが好きでも素直な性格のカズハのことだから、あれがアレスタを騙すための演技だったとも思えない。

 痛いところを尋ねられたのか、ぴたりと笑い声がやんだ。


「いいや、知らん。わしが生きていたことも、わしが煙になって消える魔法を使えることも知らんはずじゃ。なにしろカズハには教えておらんからの。……少しよいか? 実はそのことで話があってきた」


「なにやら真剣な話のようですね。でしたら、ちゃんと聞きますよ。カズハのためにも聞いたほうがいいでしょうから」


 ただの雑談ではなく重要な話であれば、それを知らないままでいるのは不都合のほうが大きいだろう。

 万が一にも聞く意味がない話だったとして、どうせ暇なのだ。

 一応は領主に頼まれた仕事なので周囲への警戒も忘れずに、何かあった場合にいつでも動き出せるように意識しながらアレスタはカロンに話を促す。

 やや話しにくそうにしながらも、自分から言い出したことだからとカロンは口を開いた。


「うむ。では、まずは驚かずに聞いてくれ。カズハの母親のことじゃが、わしらと同じような普通の人間ではない。彼女は天孫アマツギという、異界に暮らす一族の娘だったのじゃ。すでに廃れてしまった古い宗教においては、異次元のさらに先にある異次元、その名も天界アマノベに住む天使と呼ばれ、人間よりも魔法に特化した人種だという」


「……それ、驚かずに聞くのは難しくないですか?」


「うーむ。わしもそう思うんじゃが、あんまり驚いとるようには見えんのう」


「まあ、いろいろあったので」


 着実に対応力がついてきたアレスタである。

 もっとも、この話を聞かされたアレスタが驚かないのにはちゃんとした理由がある。オドレイヤとの最終決戦において、ハクウノツルギを構えた瞬間、白い翼を生やして不思議な力を使ったカズハの姿を見ていたので、きっと彼女には何か隠された事情があるのだろうと察しがついていたからだ。

 彼の話が事実であるとするならば、あのとき、天孫の血を引いたカズハの血がハクウノツルギと反応して、彼女に眠る力が覚醒したのかもしれない。

 そうであるならば、魔界生まれの悪霊だと名乗ったフーリーを次元の彼方に封じ込めた彼女の力にも納得できるというものだ。


「話が早くて助かるわい。その母親の名はサユリというのじゃが、彼女は若き日のオドレイヤがハクウノツルギを使って開いたゲートを通ってアヴェルレスに迷い込んできたのじゃ。そのあまりの美しさにオドレイヤは夢中となり、誰にも渡さぬと言い張って彼女を愛人として屋敷に閉じ込めたものの、結局は相思相愛にはなれんかった」


「相思相愛にはなれたかった……。つまり、カズハの父親はオドレイヤではない、と?」


「そうじゃな。カズハの父親はオドレイヤではなく、奴の部下だった。じゃが、サユリと恋仲になった彼はオドレイヤの怒りを買って殺された。しかしのう、その時すでに彼女のお腹には赤子がおったのじゃ。それこそが他でもないカズハなのじゃが、彼女を出産した後、まだ小さかった娘の身を案じた彼女はオドレイヤのもとを逃げ出して、わしと出会った。じゃがな……」


 いつも陽気でとらえどころのないカロンだが、彼に似合わず深刻な様子で、いったん言葉を区切って表情に暗い影を落とす。

 それから、口にするのもつらいというような声色で続ける。


「その際、彼女はオドレイヤの追手に殺された。わしは彼女を助けることもできず、ただカズハを連れて逃げることしかできなかったのじゃよ」


「そうだったんですか……」


 アレスタはそれ以上言葉を続けられなかった。気のきいたセリフが思い付けばよかったが、何一つとして出てきてくれはしなかった。

 彼女を助けられなかったカロンの気持ちはもちろん、母を殺されたカズハの境遇に今さらながら身をつまされた。

 彼の治癒魔法は万能ではない。死者を蘇らせることはできないからだ。

 そして傷ついた人の心を癒すことも。

 ひょっとすると、いつも陽気そうに振る舞っているカロンも虚勢を張っているだけなのかもしれない。悲しいことばかりが積み重なったアヴェルレスで生まれ育った人間だから、やはり誰だって不幸や悲しみを胸に秘めているのだ。


「あの悪逆非道なオドレイヤが、かつて自分が愛したサユリの娘であるカズハの存在に気づいていたのかどうかは知らん。もし気づいていたとしても、わしにカズハのことは任せていたのかもしれんのう。外の世界への潜入任務や交渉役を任されることもあって、魔力を吸収する術式を受けておらんかったから、普通のマフィアと違って組織を簡単に抜け出すことができたとはいえ、わしは盗みや暗殺の技量を買われてブラッドヴァンの幹部の一員として奴のために働いたものじゃったからな」


 今となっては消えたオドレイヤの心の内を知る者はいない。

 無理に知ろうとする必要もないのかもしれない。

 若いころはマフィアの人間としてブラッドヴァンに所属しており、絶対的なボスであるオドレイヤのために働いていたというカロンの、少なくない後悔や罪悪感を抱えているであろう胸中も。

 あえて彼自身が閉ざしているとするのなら……。


「わしからのお願いじゃ。カズハを頼むよ」


「それはもちろん。……ですが、あなたはどうするんです?」


 アレスタがカロンに尋ねると、しばらく思い悩んだような表情を見せてから彼は口を開いた。


「そうじゃな、わしはしばらく身を隠そう。もともとはマフィアの人間で、ずっと昔に脱退してからもマフィアを相手に盗みをやっていたような人間じゃ。これからのアヴェルレスにも、今のカズハにも、わしの力はいらぬ。どうか、どちらにも輝ける未来を手につかんでほしいのじゃ。じゃから……」


 カロンはアレスタに向かって頭を下げた。

 そして、大切な孫を想う祖父のように懸命な愛情をこめて声を絞り出す。


「頼む。あの子を幸せにしてやってくれ」


「任せてください」


 アレスタの答えは決まっていた。難しく考えるまでもなかった。

 不幸な生い立ちであるにせよ、これからのカズハには幸せになる権利がある。もちろんカズハだけではなく、今まで理不尽な不幸を押し付けられてきたアヴェルレスに暮らす人々にも。

 幸せも、平和も、それはこれから取り戻さなければならない。

 しかし、それらは努力することなしに無条件で与えられるものではないだろう。

 それを望む自らが勝ち取っていくものだ。

 奪い合うのではなく、協力して作り上げていく。


「そうか、ありがとう……」


 そう言い残して、何か返事をしようとしたアレスタが気付いた時にはすでにカロンの姿は消えていた。

 煙となって立ち去ったのだろう。


「ありがとう、か……」


 その言葉を受け取るには、まだまだ早い気がした。

 すべてはこれからの頑張り次第だ。

 ひとまず今日は、警備の仕事を全うして、それから――。

 決意を改めるアレスタは、いつかたどり着く幸せな明日を夢見るのだった。

第三章 そして取り戻すべき日常 <完>

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