38 総攻撃
議会を解散させ街の支配者に名乗りを上げたブラッドヴァンではあったが、その後に続いたオドレイヤの不在期間により、実質的に無政府状態となっていたアヴェルレス。市民にとっては頼りなくとも頼みの綱であった防衛騎士団も市民革命団もすでに倒れ、互いに争い合って全滅するのを待つ以外には、もはやマフィア同士の抗争を止めるものはないかに思われた。
しかし、東部マフィアのボスであるエッゲルト・シーが組織を挙げてオドレイヤへの反旗を翻したことで、情勢は一気にマギルマ陣営へと有利に傾いた。ただでさえ主要な幹部を失っているブラッドヴァンにとって、さらなる衝撃を与える出来事である。
ただし、結局はマフィア同士の抗争だ。これまでと何も変わらず、最後の最後で足並みが乱れればオドレイヤを利することになる。かろうじてまとまりつつあるマギルマ勢力を一致団結させなければ、たとえ多数派であっても戦力的な意味がない。
そこでマギルマの参謀ブリーダルは一つの計画を立て、それを即日のもとに実行した。
マギルマによる臨時政府の誕生である。
当然、これは非常事態における形式的なものだ。市民革命団をはじめとする民間人の勇士も入っているとはいえ、暴力組織であるマフィアが直接的に街を支配するわけにはいかない。
とはいえ、状況が状況だ。
この急造の臨時政府が、対マフィアを謳う新生騎士団の創設と、非常事態の終結後に初の民主的な選挙を実施することを宣言した。
新設された騎士団はマギルマの戦闘部隊と防衛騎士団の生き残りを中心に組織され、東部マフィアなどの元マフィアの人間たちを騎士団員として雇用している。もはや彼らは非合法組織のマフィアではなく、責任ある騎士団員の一員として、残るマフィア、すなわちオドレイヤの打倒を命じられたのだ。
その騎士団をまとめる団長に就任したのが、マギルマのボスでもあったファンズである。彼は自身の手でマギルマを解体したうえで、政府に政治家や官僚として参画する人員と、騎士団に戦闘部隊として合流する人員との二つに分けて、さらには組織が所有する魔道具の管理なども徹底した。
そして彼は責任ある騎士団長として、残るマフィアに旗色を問う。
オドレイヤ打倒作戦に協力するのならば今までのすべての罪を見逃す、敵対するのならば一人残らず逮捕か処刑が待ち受けるであろうと。
アヴェルレスを政治的にまとめる臨時政府の議長には、ひとまずナツミが任命された。もちろんこれは対外的なもので、実質的にはファンズやブリーダルが取り仕切っている。これが本当に一つの政府としてマギルマから独立して機能し始めるのは、ブラッドヴァンを壊滅させ、街に平和が訪れた時だ。
現時点ではナツミが市民の前に立ってマフィアの打倒を訴えているので、一応は外面のいい彼女は平和を求める市民の支持を一身に集めているようだが、それもオドレイヤを打ち倒せなければ意味がない。
理念と理想はいつだって現実的な力の前に無力である。
だからこそ人々は勇気を持って立ち上がらなければならないのだが、敵が強大であればあるほどそれも困難になる。
マギルマの参謀として暗躍したブリーダルの交渉と根回しなどにより、今やマフィアだけでなく、街そのものをまとめるリーダーとなったファンズ。オドレイヤに対抗できる実質的な戦力のすべてが彼の肩にかかっていると言っても過言ではない。
そんな彼に聞こえるようにか、老齢ながら若々しくもあるブリーダルが感情を読ませない硬い表情と声色でつぶやいた。
「万が一にも、ここで私が裏切れば……」
様々な思いが頭を巡ったのか、その先は言葉が続かない。
ファンズとともにオドレイヤを裏切ってブラッドヴァンを離れたブリーダルだが、その真意は今の今まで誰にも語られたことはなかった。もし彼がオドレイヤに劣らぬ野心家で、今こそ街を乗っ取る好機と見たのなら、ファンズを後ろから刺すことも不可能ではなかったろう。
そのブリーダルに差し出されたパープルティーをいつものように一息で飲み込んで、彼を疑うことを知らないファンズはふふんと鼻を鳴らした。
「裏切るのがあなたなら、私は幸せだ」
「なぜです?」
「あとのことをすべて任せられる」
それだけ言って空のカップを掲げる。冗談なのか本気なのかはともかく、全幅の信頼を寄せてくる彼の言葉を聞いたブリーダルは首を振ってファンズからカップを受け取った。
二杯目のパープルティーをなみなみと注いでテーブルの上に置く。
「それでは自分の手に得られる利益よりも、背負わされる重責のほうが多そうで大変ですな。裏切るよりも、あなたに任せたほうがよさそうだ」
「ふふん、ぜひとも任せてくれたまえ。我々に残された大仕事は、街に巣食う害虫であるオドレイヤを退治することだけだ」
実際、残った敵はオドレイヤのみと言ってよい。
だからこそ、一刻も早く平和を実現するためにも、臨時政府による最初で最大の仕事として、オドレイヤ邸への総攻撃が準備されていた。
その計画を主導するファンズは焦りこそ見せていないものの、何かに急き立てられるように口走った。
「袋のネズミとなりつつあるオドレイヤのことだ。今頃はパープルティー・ヒルにあった魔力吸収システムを、自分が立てこもる屋敷の内部に作ろうと試みているのかもしれない。それが完成する前に攻め込まなければ……」
「魔力吸収システムを屋敷の内部に作るって、そんなことできるの?」
そう聞いたのは、二人のそばで心配そうな顔をするナツミだ。あんなに大変な思いをして破壊した幻想樹なのに、また作られてはたまったものではない。
もしそうなれば、今はおとなしくなっているオドレイヤも再び最強の名を取り戻すだろう。
不安をにじませる彼女の疑問に対して、ファンズは「できる」と、確信をもって答える。
「そもそも私がオドレイヤのもとを去ったのは、奴が市民を対象にした強力な魔力吸収システムを発動させようとしていることを知ったからだ。魔法使いと違って、己の精神果樹園を開くことさえできない市民が対象となれば、魔力ではなく生命力を吸収されて死んでしまう。そう思った私は即座にそれを破壊したのち、ブリーダルなどを引き連れてマギルマを結成した。オドレイヤが倒すべき悪であることを改めて痛感したのさ」
「そうだったの……」
そう言って口では納得するナツミだが、同時に新たなる疑問と、隠しきれない不満を抱いた。
それが事実なら、なぜ今まで隠していたのか。
むしろ大々的に公表して、オドレイヤの悪事を世に知らしめるべきではなかったのか。
しかし今はファンズに詰め寄っている場合ではないし、教えてくれなかったことを責めている状況でもない。これからの戦いに備えて、足並みを乱すようなことは避けるべきだ。
きっと彼なりに黙っていた理由があるのだろうと自分を落ち着かせるための納得を深めて、ナツミは彼を信頼することにした。
一方、孤立したオドレイヤは自身の屋敷に身を潜めていた。包囲網が形成されつつある状況を考えれば、閉じ込められていると表現してもいいだろう。
ただし、弱体化しているといっても優秀な魔法使いであることには変わらないオドレイヤの場合は籠城であって、攻め入るのも簡単なことではない。
オドレイヤの居住する屋敷は要塞じみた堅牢な邸宅である。アヴェルレスの北部、よどんだ湖に浮かぶ小島の上に建っており、表立った通路は正面にかけられた石橋だけだ。
とはいえ有事に備えて地下施設や隠し通路も充実しているので、その地図さえ知っていれば潜入するルートに制限はない。
そしてファンズはブラッドヴァンの元幹部であり、かつては都市計画の担当者であったブリーダルとともに、オドレイヤ邸周辺の地形や隠された通路も熟知している。彼らが組織を離反して以降、用心のためにオドレイヤが地下の構造を作り変えている可能性もなくはないが、心のどこかでは直接対決を望んでいるらしいオドレイヤは地下通路を作り変えることなく、ファンズたちが自分のもとへたどり着くことを誘っているようにも思われた。
数日後、実際に当時のまま残されていた隠し通路を利用して、アレスタたち精鋭チームはカズハの使うヘブンリィ・ローブの魔法を駆使しながら、オドレイヤ邸への潜入作戦を実行することとなった。
臨時政府の命令により、新設された騎士団をあげてのオドレイヤ邸への総攻撃が開始されたのだ。
マギルマの構成員や東部マフィアなどの人間を寄せ集めて作られた新生騎士団の団員たちは、しっかりと隊列を組んで正面からオドレイヤの屋敷を目指す。依然としてブラッドヴァンに残るマフィアたちとの戦闘が各所で始まり、いよいよ最終決戦といった趣だ。
槍や剣など普通の武器の他に魔道具を支給され、数においても士気においても勝る騎士団は有象無象のマフィアを蹴散らしながら進んでいく。
やがて屋敷を取り囲む湖に差し掛かり、そのまま幅の広い石橋へと足を踏み入れる騎士たち。
それは頑丈な作りの石橋で、並大抵の攻撃魔法が直撃しても壊れそうにはない。
したがって遠慮なく魔法を発動させながら前進を続ける彼らであったが、長い石橋を中ほどまで突き進んだところで立ち止まった。
これまでとは違う敵が立ちはだかったのだ。
「うふふふふっ。これ以上先へは行かせない。ここで私が足止めさせてもらうわ。あなたたちに絶望と恐怖を与えてあげる」
混乱と抗争を愛する女。オドレイヤの側室とも噂されるフーリーである。
ブラッドヴァンに所属する女性の幹部の最後の一人だ。
騎士団を前に恐れる様子がないところを見てわかるように、彼女も人一倍優れた魔法使いである。その姿を目にした騎士団員たちは死と隣り合わせの激闘を予感して息をのんだ。
優秀な魔法使いが相手では、数の有利はあまり関係がない。強力な魔法が飛んでくれば、たった一人を相手に百人を超す犠牲者が出ることだってある。
「と言っても、すぐに殺すんじゃ意味がないわ。さんざんいたぶって地獄を見せてあげる」
嗜虐的に笑ったフーリーは両手を広げると魔法を発動した。
彼女の手から放たれた怪しい光が湖を満たす。
オドレイヤ邸を取り囲む湖には、一目でそうとわかる凶暴な水生動物が住んでいる。それらがフーリーの魔法によって大量の魔力を与えられると、ウロコに包まれた足が生え、骨格が変貌し、陸上でも行動できる魔獣に変化させられた。
水しぶきを上げて、石橋の上に飛び出してくる魔獣たち。
ピラニア、サメ、ワニ、カミツキガメ、毒蛇、毒ガエルなどなど……。
フーリーの魔力に反応して元の姿がわからないほどに巨大化し、人間を餌とみなして襲い掛かる怪物。その姿はまさしく魔獣軍団だが、アヴェルレスの血生臭い抗争に慣れ切った騎士団たちも今さら魔獣程度に恐れはせず、逃げ出すことなく立ち向かう。
瞬く間に石橋は激しい戦闘の舞台となった。
「さぁて、いつまで私を楽しませてくれるのかしら?」
魔獣には最初に簡単な指示を出すだけで、以降は観察者と化したフーリー。
刺激的で楽しい演劇を期待する彼女は魔力の風を帯びて空に浮かび、戦場を優雅に恍惚とした表情で見下ろした。
飛び散る血の香りに酔いしれるように。
少数の精鋭チームを組んで秘密の地下通路を進むアレスタたちも、進路を妨害する敵と全くすれ違わなかったわけではない。
まず彼らの足を鈍らせたのは、ねばりつくように床を満たす泥水だった。
「なるほど、西部マフィアのジャン・ジャルジャンか。ならばここは私が相手をしよう」
そう言って進み出たのは、東部マフィアのボスであったエッゲルト・シーだ。彼の得意とする十本の魔法剣は、すでにいたるところで出現する泥人形たちを順番につぶし始めている。
東部マフィアと西部マフィアのボス同士、かねてから対抗心を燃やし合っていた二人である。戦えるチャンスがあるとなれば、お互いに他の敵よりも優先して狙い合う因縁の相手だ。
濁りに濁った汚い泥水に隠れて姿こそ見せないものの、ジャン・ジャルジャンも戦うべき敵を見定めたらしい。自ら名乗り出たエッゲルトのおかげで、まとわりついていた泥水はすべて彼に引き寄せられるように道を開けた。
「貴様らは先に行け。私は一人で気ままにやれるほうが戦いやすいのだ」
「ふふん、ならお任せしよう」
エッゲルトはこれに、己の魔法剣を打ち鳴らすことで返答する。視線はすでに泥水の流れ出る通路の奥に向いており、二人の戦闘が始まっていることをうかがわせた。
元マフィアのボス同士が繰り広げる戦いは、おそらく激しいものになるだろう。二人の魔法の特性から考えて、ぐずぐずしていると戦闘に巻き込まれかねない。
とにかくここは彼に任せることにして、自分たちはオドレイヤのもとを目指すべきだと先を急ぐアレスタたちだったが、すぐに再び邪魔者の姿が現れた。彼らが進む地下通路へと左右から合流する別の通路から、獲物を求める魔獣の群れやブラッドヴァンのマフィアたちがやってきたのだ。
あえて尋ねるまでもなく相手の敵意は明らかなので、さすがに無視をしていくわけにもいかない。逃げたとして背後から追いつかれると危険だ。
とはいえ、全員で相手をするとなると不必要に時間を取られてしまう。
向かってくる敵の姿を見据えて、一歩進み出たスウォラが肩を鳴らす。
「ここは私が止めよう。さすがに今の不完全な状態ではオドレイヤと相対するのは厳しいが、雑魚が相手であれば問題ない」
「ならば私も助太刀しよう。あなた一人を残していくわけにもいかない」
続いて名乗りを上げたのは、元防衛騎士団のナルブレイドだ。今は新生騎士団の幹部団員として、この潜入部隊に同行している彼である。本来はオドレイヤの首を自分の手で討ち取る覚悟で同行していたが、スウォラとはパープルティー・ヒルの戦闘でも一時は背を預け合ったので、彼とともにここで奮闘する決意を固めたのだろう。
追手たちから通路をふさぐようにして、二人で横に並ぶ。
実力差はあるだろうが、スウォラも彼を信頼してはいるようだ。
「ここは二人でいい。他の者はオドレイヤを頼む」
「わかりました。あなたたちも気を付けて」
「ああ」
健闘を祈るファンズに後ろ手で返事をして、スウォラとナルブレイドは敵の来襲に備える。
直後、背後で戦闘が始まった彼らの活躍に期待と感謝を残して、残るメンバーは前を向いて先を急ぐ。
具体的にはアレスタ、イリシア、ニック、カズハの四人と、ファンズ、ブリーダル、ナツミの三人を加えた七名だ。
幸運にも以降は敵と遭遇することもなく、複雑な地下の構造を完璧に熟知しているブリーダルの案内で、道に迷うこともなく地下通路を先へ先へと進んでいく。
そろそろ目的地に着くという時、カズハを背負いながら走っていたアレスタが振り向いた。
「そう言えばニックは?」
「え! ごめん! たぶんどっかではぐれちゃってる!」
答えたイリシアは顔を上げて左右をきょろきょろと見渡している。今頃になって気づいたけれど、ついてきていたはずのニックの姿が見当たらない。スウォラやナルブレイドたちと一緒に、敵の足止めのため残ったというわけではない。
あの後、どこかの通路ではぐれてしまったのだ。
「さすがにニックを置いてはいけない。探しに戻ろう」
そう提案したアレスタだったが、それは厳しい顔つきを見せるファンズによって制止された。
「待ちたまえ、その時間と余裕はないようだ。治癒魔法要員はカズハの魔法で姿を隠せ」
彼らが足を止めたのは、長く続いた隠し通路の終着点。
厳重に閉ざされていた最後の扉がひとりでに開かれて、ようやくたどり着いたオドレイヤ邸。
その豪華絢爛なる大広間の最奥にて、彼らを笑顔で出迎えた存在があった。
「なっはっは! 待ちかねていたよ、侵入者ども! 今度こそ正真正銘の殺し合いといこうではないか!」
最強最悪と呼ばれた魔法使い。
マフィアたちを牛耳るブラッドヴァンの首領。
現時点における街の支配者、ダンス・オドレイヤである。
ハァッ! と叫んだ彼が片腕を振り下ろすと、アレスタたちの背後で魔法が炸裂した。
それは魔力的な爆発だ。威力が制限されていたのか爆撃による直接的な被害は出なかったが、衝撃とともに音を立てて、六人が通ってきたばかりの通路が崩壊する。
退路をふさがれたのだ。
これでは、もはやニックを探しに戻ることなどできない。それどころか、この状況ではオドレイヤに背を向けることさえ危険だ。一瞬の油断や隙が命取りになりかねないのだから。
覚悟を決めたファンズが薄くなった魔導書を開きながら声を響かせる。
「全員、総力を挙げて奴と戦え! これが本当の最終決戦だ!」
カズハの魔法によって姿を隠したアレスタとブリーダルを背後に、ファンズをかばうようにイリシアとナツミの二人が前に出る。
そして六人とオドレイヤとの戦闘が始まった。
アレスタたちから一人はぐれたニックは複雑に入り組んだ地下通路を迷いながらも突き進み、目の前に現れた細い梯子を上った先で、ようやく一つの出口を見つけた。
なんだか外が騒がしいなと思いながら重い扉を開くと、そこは巨大な石橋の上で、まさに魔獣と騎士団員の戦う戦場であった。
「なんてこった、道を間違えたんだ!」
「ちょうどよかったじゃねぇか、お前も一緒に戦え!」
顔を見るなりそう呼びかけてきたのは、オドレイヤ邸へと正面から進軍する騎士団の部隊の隊長を任されているキルニアだ。人手不足と劣勢を否定できないこともあって、多大なる責任感を背負ったキルニアは顔なじみであるニックの姿を見つけると、へっぴり腰な彼の腕を引いて強引に前線に立たせた。
ここまでされては臆病者を自認するニックといえど、いつまでも恐れているばかりではいられない。
「こう見えても僕は騎士だったんだ。市民を苦しめる敵を前にして、怖いからって一人だけ逃げ出すわけにはいかない!」
剣を握る手は震えているが、その決意は固い。
こうしてそれぞれの場所でそれぞれの戦いが始まり、アヴェルレスの未来は彼らの勝敗に託されたのである。




