37 決闘
多数の作戦に従事してきた主要な幹部の一人であるボスボローを失うに至って、急速にオドレイヤの求心力は低下した。
オビリア、メイナに続いて、ほんの短期間で弱体化していくブラッドヴァン。これまで最強であることを疑わなかった組織の内部にも、少なくない動揺が広がる。
自信と確信の消滅、それは無視できない亀裂である。
アヴェルレスにあって、マフィアの敵はマフィアである。一般市民ではない。もともと仲間意識で結成されている組織でもないので、大なり小なり自尊心と野心だけは高いマフィアには裏切りを考える人間が多いのだ。
あるいは同族嫌悪ゆえか、多少のリスクがあっても相手を出し抜けるとなれば、組織の大義よりも個人的な目先の利益に飛びつく。
組織の内外を問わず、敵と味方の区別が消滅しつつあるマフィア同士は衝突を激しくした。襲撃を恐れず堂々と出歩く人間こそ強者の証であると、出会い頭にあいさつではなく、先制攻撃を食らわせるのが最近の彼らの流儀である。
実を言えば、ブラッドヴァンにおける大半の構成員たちは、誰かがオドレイヤを倒してくれないかと期待して、敵対組織との戦闘では意図的に手を抜いていた部分もあった。
そういう意味でも最初からオドレイヤにとっての真の味方はフーリーのみで、彼女以外の存在など、所詮は都合のいい手ごまでしかない。
「裏切るならそれまでだ」
などと割り切ってしまえるほどに。
街の有力者や市民革命家、それだけでなく同じマフィアの襲撃……。
私怨も含めた殺し合いや乱闘が街の各所で頻発して、さらなる報復を誘発する。アヴェルレスにおける血で血を洗う抗争が激化して街全体が混乱するも、休養のため表舞台から身を引いているオドレイヤは高みの見物と決め込んでいた。
負の情念が渦巻く悪夢こそ、マフィアにとっては居心地の良い世界だと微笑んで。
「悪の親玉であるオドレイヤが動かないなら都合がいい。今のうちに我々の勝利への道筋を整えさせてもらおう」
もちろんマギルマはこの機を逃さない。同士討ちさえ厭わない愚かなマフィアたちの抗争を傍観しているばかりではなかった。魔獣やマフィアとの戦闘だけでなく、ファンズとブリーダルが直々に出向いて交渉や奇襲作戦を続けていく。
打倒オドレイヤのため、戦力の増強を必要とするマギルマ。組織への忠誠心に乏しいマフィアたちを、一時的であれ仲間に引き入れるべく動き回っていたのだ。
ナツミも部下を率いて交渉と駆け引きを続けて、ブラッドヴァンの裏切り者をそそのかす。
その結果、一つの思惑が見えてきた。
オドレイヤに忠実なジャン・ジャルジャンをボスとする西部マフィアと違い、どうやら東部マフィアは意識的にブラッドヴァンと距離を取っているらしい。特にボスであるエッゲルト・シー以外の構成員たちは、ほとんどすべてが残虐非道で言動の読めないオドレイヤから離反したがっているようなのだ。
遠隔乱舞刀剣の魔法を得意とするエッゲルトは強くなりすぎた。重要な作戦なども部下には任せず自分でやりたがる独裁者タイプであるが故に、東部マフィアはボスであるエッゲルト・シーよりも下の人間が育っていないのだ。
したがってエッゲルトさえ倒してしまえば、ボスを失った東部マフィアは組織を維持することができずに瓦解するだろう。
かろうじて組織を維持できたとしても、役立たずだと判断されればオドレイヤにつぶされてしまう運命だ。
おそらく、エッゲルトを打ち負かしてマギルマに下ることを誓わせることができれば、裏切り者を許さぬオドレイヤに抵抗して生き残るため、東部マフィアの残党はマギルマに合流せざるを得ないだろう。
「オドレイヤ……。しかし、今のオドレイヤに以前ほどの力があるのか?」
さて、そのエッゲルト・シーといえば、揺らぎつつある自分の立ち位置を見つめ直していた。
激戦となったパープルティー・ヒルに居合わせた彼は疑念を抱いていたのだ。
無敵と思われていたオドレイヤも負けることがあるのではないのか? という、自分の秘めた野心に都合のいい疑念である。
もし噂通りにオドレイヤが弱体化しているのなら、これはもうピンチではなく絶好のチャンスである。ブラッドヴァンを裏切るなら今を置いて他はない。この流れに乗って、自分がアヴェルレスの支配者に名乗りを上げるのだ。
しかし彼はいまいち踏ん切りがつかなかった。
オドレイヤの弱体化や魔力吸収システムの破壊など、これらの情報の出どころはマギルマである。オドレイヤに面従腹背しているエッゲルト・シーだが、それは自分が死にたくないからだ。慎重派というよりも臆病者である彼は、本音のところではオドレイヤとファンズの同士討ちを願っている。
すなわち漁夫の利を狙っているのだ。こちらから利用するならともかく、やみくもにマギルマを信用するわけにもいかない。
これからの動きを決定するためにも、何よりも彼は詳しい情報を欲していた。
そこで目を付けたのがマギルマの用心棒である。
「良き話がしたい。我が盟友、スウォラ氏を一人でよこされたし」
丁寧な字でそう書いた書状を一枚、下っ端の人間を経由してファンズへと送り届けた。
渋い顔をしたブリーダルと二人で達筆なのか下手なのかよくわからない字の書状を読み終えたファンズは、ふふんと鼻を鳴らしてスウォラに尋ねる。
「いつ盟友になられたので?」
「なったつもりもないが、馬鹿正直に宿敵と書くわけにもいかなかったのだろう」
テーブルを挟んで向かい合う椅子に腰かけているファンズとスウォラの二人にパープルティーを提供しながら、落ち着いた所作でブリーダルがふむと頷く。
「なるほど。マフィアという人間は無駄にプライドだけは高いですから、こういうところでも見栄を張りたがるのでしょう」
耐魔格闘術を極める魔法拳使いとして旅をしていたスウォラは異次元世界ユーゲニアに来た当初、たまたま遭遇したエッゲルトに喧嘩を売られ、腕試しと称した戦いに勝った。その後に彼はマギルマに誘われて用心棒となったのであるが、一方で負けたエッゲルトは必要以上にスウォラを敵視しており、いつかは倒すべき宿敵だと警戒しているらしい。
正々堂々と戦って一度は負けた相手だ。東部マフィアのボスである彼は己のプライドを守るためにも、できれば一人でスウォラを倒したいと考えているという。
だからこれは罠に違いない。
一度は負けた相手に対して正攻法で挑んでくるわけがないのだ。
「こんな見え見えの罠に我々が引っかかるとでも思っているのだろうか?」
グイグイとパープルティーを一息に飲み干したファンズが首を傾げれば、パープルティーを香りだけ楽しんで一口も飲もうとしないスウォラは顎に手を当てて思案する。
「引っかかったつもりで利用する手もあるか……。エッゲルトとは正々堂々と戦って一度は勝利しているし、こうして名指しされる程度には面識がある。あちらからの誘いに乗って私が一人で行けば相手は油断するだろう」
「まだ万全の状態ではないのでは?」
「だからこそ、ちょうどいいハンデになる。それに、どれほど卑劣な罠が待ち受けていたとしても、対話ができるかもしれないチャンスをみすみす見逃すわけにもいかない」
「ふむ……おっしゃる通りだが、さて」
ファンズは困ったように眉をゆがませる。すでにスウォラはマギルマにとって貴重な戦力となっている。危険とわかっていて彼を敵の策中に送り込むなど、いくら本人が望んでいても気軽に実行できる案ではない。
苦悶するボスの姿を見かねたのか、参謀を務めるブリーダルは助言する。
「ここはぜひ行ってもらいましょう。彼は魔力の流れを読むことに長けた魔法拳の達人です。エッゲルトにも後れを取りますまい」
「ふふん、頼れる参謀がそう言ってくださるなら、私はそれを決断するとしよう」
そして彼らはエッゲルトの誘いに乗ることになったのだった。
アヴェルレスでも東部地域の入り組んだ奥地にある、とげのある針葉樹とやせ衰えて枯れた木のまばらに生えた森。死に際の悲鳴にも聞こえるギィギィという不気味な鳥の鳴き声が木々の間を乱反射して響き渡る、人気のない森。
小魚や虫だけでなく、水の中に落ちてくれば人間さえ食べるという肉食魚が生息する川は深く、幅も広い。
その川には一本の橋がかけられていた。石造りの古めかしい橋だ。
その橋の中央に、注意深く左右を窺うスウォラが立っていた。
ここが待ち合わせの場所なのである。
「さて、エッゲルトは素直に姿を現してくれるかな?」
スウォラの危惧はもっともである。なにしろ待ち合わせの相手は遠距離攻撃が得意な魔法使いだ。これが罠なら、わざわざ姿を見せる必要もない。エッゲルトはマフィアの中でも特にプライドが高いタイプの人間だが、勝つためなら卑怯な手段もためらいなく使ってくるだろう。
マフィアにとっての正々堂々とは、一般的な人間の考える正攻法とは一致しない特殊なものなのだから。
ひときわ強い風が吹いて、森に生えている木の枝が揺れたのか、休んでいた鳥たちが一斉に羽ばたいた。雲がたなびいてユーゲニアの赤い夕陽を覆い隠すと、分厚い幕を下ろすように一段と暗闇が深さを増した。
それを合図として、音もなく突然の来訪者がスウォラの四方八方を取り囲む。
浮かぶのは六つの影。エッゲルトの魔法剣だ。
いかにもマフィアらしい奇襲攻撃である。
「しかしそれは読んでいた!」
武器もなく、素手と足蹴りで剣を打ち消すスウォラは危なげなく冷静に対処した。魔人化した影響が長引いていて万全の状態ではないが、それを一切感じさせない軽快な動きだ。
さすが達人といったところであり、一度は直接対決で勝っている相手だけに、攻略法も熟知しているのだろう。
次々と打ち払われ、一つ消えるたびに新しい剣が死角を突くように出現して襲い掛かる。普通なら傷の一つも受けそうなものだったが、それさえも着実に対処して見せるスウォラ。
戦いは彼が優勢に見える。
しかし、実際のところエッゲルトが劣勢とまでは言い切れない。なにしろ彼はどこか別の場所に姿を隠しており、どんなに魔法剣をいなされてもスウォラからの反撃を恐れる必要がないのだ。このままスウォラが対処に失敗するまで魔法剣による攻撃を何度でも繰り返し、彼自身は安全圏に隠れ続けていればいい。
もちろん続けざまに魔法剣を使っているエッゲルトの魔力にも限度はあるので、あまり無駄撃ちはできない。
なるべく早く勝負を決めようと的確に死角を狙っていくが……。
「そこ! 次はそこ!」
スウォラは魔力の流れを読むことで、エッゲルトの魔法剣が次にどこから出てくるかを察知することができていた。
しかも驚くべきことに防御に徹するスウォラは両目を閉じている。
視覚情報に頼っていないのだ。
「恐ろしい奴だ! 私が負けたのも頷ける! だが、これならどうだ!」
六本の魔法剣がスウォラの周囲をぐるりと取り囲む。奇襲時の一撃と同じ配置だ。わずかにタイミングをずらしたのはスウォラの呼吸を乱すためだろう。
けれど、その程度の策では彼を倒すこともかなわない。
先ほどと同じようにすべての剣を弾き飛ばされてしまった。
しかし――。
「それで終わるなら私も再戦を願わんよ!」
姿を隠し続けるエッゲルトの声が届いたかどうかはともかく――。
新しく出現した四本の剣がスウォラを四方から狙っていた。まだ最初の六本は消え切っていない。
すなわち同時に十本の魔法剣を出しているということだ。
六本の剣の位置と動きを完璧に把握して、それですべてと満足して慢心していたスウォラは初めて意表を突かれ、焦ったようにのけぞった。踏み込んで打ち払うのではなく、後ろへの回避の動き。視界でとらえた三本目までは上手くいったが、四本目が背後から彼の足をかすめた。
立っていられなくなるほどの深手ではない。
けれど戦闘のリズムと迎撃への構えが大きく乱れ、次の攻撃に対する防御と回避が間に合わなくなってしまう。
「もらった!」
今までのように六本ではなく、最大で十本に増えた魔法剣が次々とスウォラに切りかかる。
いくら一度は見切った技とはいえ、一人で相手にするにはさすがに手数が多い。
しかも切り札の魔人化は使えない。反撃するにも肝心の姿が見えない。狭い橋の上では逃げ道らしい逃げ道もない。
腕、足、腰、背中、そして顔……。
全身のいたるところへと斬りかかり、突き刺さり、その度ごとに消えては新しい魔法剣が現れる。
きりがなく、容赦もなく、一方的な殺戮だ。
ついにスウォラは地に倒れた。無数に開いた彼の傷口から流れ出る血が石橋の上に薄く広がって、その匂いが凶暴で欲深い野生の鳥や魚たちを興奮させる。
唯一の救いがあるとすれば、エッゲルトは攻撃するにあたって致命傷を避けていたことだ。
少なくとも今は殺すことが目的ではなかったらしい。
勝負に勝つこと、自分が勝ったと確信できることが何よりも大事だ。
ついでに情報も聞き出せればもっといい。
「一対一の勝負で私が勝利した! つまり汚名はそそがれ、私の名誉は挽回されたのだ!」
もはやスウォラからの反撃もないと見て、ついに姿を現したエッゲルト・シー。
決闘の舞台となった橋から離れた場所に立っている古木の根元にある小さな穴を這い出てくると、身体にまとわりついた土を払って、深呼吸でたっぷりの息を吸い込んだ。
狭い穴倉に隠れている間は決してスウォラに見つかるまいと、可能な限り息を止めて身を潜めていたのだ。
「ずいぶん卑怯な一対一もあったものだな……」
「なんとでも言ってくれたまえ。あなたに勝利した今は気分がよいのでな。罵倒でもなんでも、すべてが私を称える盛大なファンファーレに聞こえてくる」
石橋に倒れ伏すスウォラの前まで歩み寄ったエッゲルトは喜色満面で勝ち誇っている。
経緯はどうあれ、一人でスウォラを倒せたことが嬉しくて仕方がないのだ。
指をぱちりと鳴らしたスウォラはこれ見よがしに十本の魔法剣を空中に出現させて見せつけた。意味もなく輪を描いて、くるくる回っている。
「なぜかは知らないが――」
魔法剣同士をぶつけ合って、耳障りな甲高い音を立てる。すぐに消えてしまうが、その度に新しく魔法剣を出しては次から次へと刃先を衝突させ合うので、下手くそな拍手みたいな音が鳴り響く。
じっとしていられないほど、とにかく彼は機嫌がいいのだ。
「パープルティー・ヒルでの戦い以降、精神果樹園に蓄えられた魔力の調子がいいのか、私の魔法剣が最大で十本まで出せるようになったではないか。理由はともかく私は強くなり、それで再戦を願いたくなったのだよ。……だが、やはり奥の手は最後まで隠しておいてこそだな。それでこそ油断を引き出せる。最初から全力で挑んでいれば、一度は私を倒してくれたあなたのことだから、すぐに対応されたことだろう」
ふっ、と短く息を吐きだすと、ろうそくの火が消えるようにすべての魔法剣が消え去った。
勝負に勝って浮かれていた気持ちを落ち着かせて、真剣な目つきをしてスウォラを見下ろすエッゲルト。
「さあ、あなたが知っていることをすべて教えていただこう。魔力吸収システムというのは実在していたものなのか? またそれは本当に破壊されたのか? それに伴ってオドレイヤが弱体化したのは事実なのか? そしてファンズやマギルマが戦力を増強させつつある点について何か意見は? さあさあ、出血多量でお亡くなりになる前に答えてもらいたい。そのために殺さなかったのだし、あえて肺と喉は傷つけなかったのだ」
言いながら、エッゲルトは自分の胸と喉元を右手の親指でなぞる。挑発的な仕草に見えるが、まさに彼は挑発してスウォラの反応を引き出そうとしているのだ。
答えるつもりがないなら殺してしまうぞ、という脅しも兼ねている。
スウォラは一度じっくりと目を閉じて、呼吸を整えてから、ゆっくりと目を開いた。
「逆に私から問いたいのだが――」
「ほう、何かね?」
「負けを認める気はないか?」
それを聞いた途端、パッと口を開いて白い歯をのぞかせたエッゲルトは大いに胸をそらせて思い切りのけぞった。
「はっ! 負け! 私がそれを、この状況で認めるとでも思っておられるのか!」
怒りに任せて、エッゲルトはさらなる魔法剣を出現させてスウォラに振り下ろした。両手両足の四本に、二本ずつの魔法剣を突き立てる。それら八本の剣はすぐに消えてしまったが、できたばかりの傷口からは栓が抜かれたように血が噴き出してくる。
放っておけば間違いなく失血死するだろう。
「さぁ、答えたまえ!」
怒気をにじませて詰め寄るエッゲルト。相手への慈悲はない。
しかし彼はふと目を細めた。
「ん? その小さな妖精はなんだね? もしかしてペットか?」
苦しみ悶えて身をひねり、石橋の上で仰向けになったエッゲルトの胸元から、ひょっこりと手のひらサイズの小さな妖精が顔を出していたのだ。
その顔はあどけない少女そのものだ。攻撃してくる様子はなく、危険な雰囲気はない。血を流して負傷しているスウォラを心配しているらしく、そっと身を寄せているだけのような小さな存在である。
残虐非道なマフィアである彼も一瞬あっけにとられて、スウォラに対する殺意と敵意を忘れてしまった。
だが、そのわずかな隙が彼にとっては致命的となった。
「な、なんだっ!」
その小さな妖精が消えた瞬間、スウォラの全身が淡い光に包まれると――。
「もう一度、同じ問いかけをしよう。負けを認める気はないか?」
二度と立ち上がれないくらいに満身創痍であったスウォラの傷がすべて消え去り、決闘をする前の状態に戻った彼は自分の足で立ち上がったではないか。
一瞬だけ姿を見せた小さな妖精とはテレシィであり、すなわち彼を救ったのはアレスタの治癒魔法だ。
カズハの魔法によって姿を隠すアレスタが、二人の決闘を遠く離れて見守っていたのである。
「ば、ば、馬鹿な……!」
ありえない光景を目にしたエッゲルトは唖然として言葉が続かない。
完全に復活したスウォラは先ほどの勝負などなかったように、平気そうに立っている。
ここからは治癒魔法を前提とした「負ける演技」も必要ない。スウォラが瀕死の状態であると思い込んだエッゲルトは自ら姿をさらけ出してくれたのだから。
「異次元世界に来て最初の決闘は私が勝った。そして先ほどの決闘は君が勝った。……さあ、これから三本勝負の三戦目と行こうじゃないか」
ふーっと息を長く吐いたスウォラが腰を落としてエッゲルトを睨み据える。
片方の手はこぶしを作り、もう片方の手は開いたまま手のひらの側面を正面に向けている。
戦闘の構えだ。
「……はっ? いや、待て! 待ってくれ! 勝負は仕切り直しだ! そうだ、せめて場所と期日を変えよう! こんな至近距離から向き合った状態で戦闘を始めるなんてフェアじゃない!」
それは十分フェアなのでは? と、森に響くエッゲルトの叫び声が聞こえてきて、遠くに隠れ潜んでいるアレスタとカズハは思ったが、それを二人に伝える手段はない。
もしここでアレスタたちが姿を出せば、魔法剣のターゲットにされてスウォラの足手まといになりかねないのだ。もしもの場合に備えて、治癒魔法に専念しているほうがいいだろう。
エッゲルト自身も無茶を承知で言っていることを理解しているのか、スウォラからの返事を待たずに身を翻して逃げ出そうとする。ただ背を向けるだけではなく、十本の魔法剣を障害物のように出現させることも忘れない。
ここを逃げきれれば、遠距離戦を得意とする彼にもまだ勝機はある。
「問答無用!」
魔力をまとった腕で打ち払い、立て続けに襲ってくる剣による障害をものともしないスウォラは一気に距離を詰めてきた。もともと離れていない二人であったから、ものの数歩で肉薄してしまう。
慌てて新しい魔法剣を出すよりも、スウォラのこぶしが届くほうが速かった。
骨折、打撲、魔力の枯渇。
表層的な負傷だけでなく身体の内部までダメージを与えられ、運動機能だけでなく魔法の発動さえ制限させられたエッゲルトはなすすべなく痛めつけられた。
「や、やめてくれ。認める。もはや私の負け、だ……」
くずおれたエッゲルト・シーは青息吐息で首を垂れて、潔く自分の負けを認めた。こうなっては抵抗しても無駄なことを本能的に理解していた。
かろうじて一命をとりとめているという状況である。
ほぼ無傷の状態で戦闘を終えて、息だけを少し荒くさせているスウォラはようやく構えを解いた。
「その言葉を聞きたかった。せっかくだから、もう一声いただこう。東部マフィアごとブラッドヴァンを離反し、我々とともにオドレイヤと戦うと誓え」
「……た、戦う。どのみちオドレイヤを倒さねば私は生きられない。しかしこんな状態になってしまっては、オドレイヤと戦うなど到底無理だ……」
口から血反吐を吐き出して顔ごと地面に身を伏せると、これでおしまいとばかりにエッゲルトは目を閉じる。
「もう、いいのだ……。貴様らでオドレイヤを殺してくれ。私はそれまでおとなしく眠らせてもらう。戦場からの脱落こそ、私のような敗者にはふさわしい……」
いつになく自信のない口ぶりで、完全に負けを認めて戦意を喪失してしまったらしい。
ところがスウォラはここでも彼が逃げ出すことを許さなかった。
「いや、君にも戦ってもらうぞ、エッゲルト。仮にも指導力のあったボスを失えば残された東部マフィアは烏合の衆となり、我々の手に負えなくなる」
「し、しかし……」
「これならどうだ?」
そう言って右手を掲げたスウォラが合図を出すと、彼の精神果樹園を飛び出したテレシィが今度はエッゲルトの精神果樹園の中へと潜り込む。それから淡い光がエッゲルトの全身を包み込むと、暖かい熱とともに彼の傷を回復させていく。
アレスタの治癒魔法である。
すでに失っている魔力までは回復しなかったものの、たちまち全身の傷と痛みが消えたエッゲルトは驚愕に目を丸くしながら膝立ちになった。
「な、なんと。敵である私を助けてくれるのか」
「そうだ。助けるのではなく責任を取らせる。東部マフィアを率いて我々とともに戦え。いよいよオドレイヤを倒す時が来たのだからな」
「オドレイヤを……」
もちろん彼は何度となくそれを考えてきた。オドレイヤを裏切って打ち倒し、自分がトップの座に上り詰める妄想は毎夜の楽しみでもあった。
だが今までは、実行しようにも現実的には勝ち目がなかったために、不満を抱えつつも結局はオドレイヤに唯々諾々と従うしかなかったのだ。
オドレイヤにいきなり襲撃されたこともあり、その後もオドレイヤの手先として何度戦わされてきたことか。
東部マフィアのボスとして君臨して以来、あれもこれも自分で何でもやりたがり、誰よりもプライドが高いようでいて、実際は強者に翻弄されるだけの人生だったエッゲルト。
有能のつもりでいて、実は何も上手くいっていない。思い出すだに情けなくなってくる。
ところがどうだ。今は一矢報いる絶好のチャンスではないか。
彼にとって脅威であったオビリアもメイナも死に、オドレイヤが弱体化しているという話が事実であり、さらにマギルマがともに戦ってくれるというのなら。
ふつふつと希望の湧いてきた彼は、謎の闘志に胸を燃え上がらせていた。
「よかろう、戦ってやる! もはやオドレイヤを殺せるのならなんでもいい! 私は私の生存のため、最も勢いのあるであろう勝ち馬に乗る!」
そしてこの日、エッゲルト率いる東部マフィアは打倒オドレイヤのため、マギルマと共同戦線を張ることとなったのだった。もちろん、協力を取り付けた彼らとて、裏切るのが日常茶飯事であるマフィアの人間を本心から信頼しているわけではない。
ただ、利用できるものはすべて利用することがオドレイヤを追い詰めることにつながるのだと、マギルマだけでなく、街の人々でさえみんなそう思っていた。
オドレイヤさえいなくなれば、この街に倒せない悪はいなくなるのだと信じて。




