08 領主、ヴェイルード
その後、薄暗い地下通路を進んで無事に出口を見つけたイリシアは応援の騎士を呼び、捕縛した誘拐犯たちの対処と助け出した人質の対応などを彼らに任せた。
内側から魔法的な鍵をかけられていた地下アジトはベアマークの領主が住むという城からそう離れておらず、今回の件の報告などのためにイリシアとアレスタは城へ向かうこととなった。
ベアマークの中心街を少し離れた場所。緩やかにカーブを描いて流れる川に囲まれた小高い丘には巨大な城があり、石橋でつながる正門前には門番らしい若い男性騎士が立っていた。
比較的新人の騎士なのか、立派な鎧を身にまとう姿は初々しい。
イリシアが彼に取次ぎを頼むと、しばらく待ってから領主との面会が許された。
「けど、このまま部外者の俺も城に入っていいのかな? ここへは今日来たばかりで街の人間でもないんですけど」
「いいと言いますか、あなたを連れて来たんです」
「俺を?」
「はい。あなたを、です。……ですが、詳しい話は領主様に会ってからにしましょう」
「あ、はい。わかりました」
そして城に入ったアレスタとイリシア。向かう先は、いくつかあるうちで最も奥にあるという、重要度が高い来客用の応接室だ。
すれ違う人間はきちんとした身なりの騎士や役人ばかりで、田舎者の自分がいるのは場違いな気がしたアレスタは身を小さくして、目立たぬように足を進める。
「これほど大きな街を治める領主って忙しいんじゃないのかな。俺が読んだ本では一日中いろんな仕事に追われていて、急な来客に会う暇なんて全然なさそうだったけど」
「普通はそうかもしれませんが、ここはベアマークなので。それに、いつもなら休息も兼ねている昼食の時間を私たちとの面会に合わせてくださったんです」
「それだけで領主に会えるものなんですか?」
「まあ、それだけではないんですが……」
歯切れの悪いイリシア。
どうやら先ほどから何か隠している事情があるようだが、詳しい話をここでするつもりもないらしく、やや気難しい顔をするばかりだ。追及されるのを避けるように顔を背けたイリシアは口をつぐんでしまっている。
もっとも、ここで彼女を問い詰める必要はないだろう。
何があるにしても、それらは領主に会えばわかることかもしれないからだ。
今のアレスタにとって彼女の様子よりも一番気がかりなのは、これから顔を合わせることになる領主の人間性だ。絶大な権力を持つとされる帝国の皇帝ほどではないが、領主と言えば街の支配者と呼べる偉い立場の人間である。庶民を軽視して無駄に威張っているような近寄りがたい人物だったら、一方的に無理難題を押し付けられて大変な目に会いかねない。
まさか無礼者と判断されて打ち首などはないだろうが、それでも最悪な場合を想像しつつ、あまり気が乗らないままアレスタは応接室へと向かった。
帰ってもいいのなら帰りたい気分だ。
「念のために言っておきますが、領主様の前では決して失礼のないように」
「もちろん俺なりに善処はしますけど、万が一にも無礼があったらサポートをお願いします」
「それはまあ、もちろん」
何を隠そう世間知らずのアレスタである。公的な場における礼儀作法どころか、普通の人が共有している常識すらも満足に知らない可能性がなくはない。その結果として何をしでかすのか、実を言うと自分でもわからない。
さすがに不安がるイリシアだったが、そこまで深刻な心配をしているわけでもなさそうだ。短い時間を確保して最低限のマナーや常識をアレスタに教えることもなく、そのままの足で二人は応接室に入った。
「領主様、失礼します。客人をお連れしました」
やや広い部屋の中心には長方形のテーブルがあり、向こう正面には四十代くらいの男性が一人で座っている。焼いた肉や魚に、付け合わせの野菜が盛られた皿を見るに食事中だったようだが、どうやらあの人物が領主らしい。
ベアマーク伯、ヴェイルード。
街の行政を仕切る領主だが、服装は質素で顔立ちは柔和な印象がある。
危惧していた傲慢な雰囲気は一切感じられない。
扉が開いたことに気づいた瞬間ナイフとフォークを置き、笑顔を浮かべた彼は穏やかな声でアレスタとイリシアを歓迎する。
「やあ、よく来てくれたね。さあさあ二人とも、ひとまず好きな席に座ってくれ」
あまり礼儀やしきたりを重視する人間ではなさそうだ。幸いなことに、庶民を下に見る尊大な感じの人間でもない。
客人用の椅子と食事は、正面から見て左右に一つずつ用意されている。ぱっと見る限り料理の内容は全く同じようなので、どちらを選んでも変わり映えはしない。
立っていた場所に近いからと、それだけの理由でアレスタは右側の椅子に座る。連れ添ってきたイリシアは彼と反対側に座り、アレスタと向き合う形になった。
わざわざ広めの応接室を選んだようだが、大きなテーブルがあっても席についているのは領主とアレスタとイリシアの三人だけで、ほかには誰もいない。こんな状態で警備は大丈夫なのかと心配にもなるアレスタだが、領主本人はあまり気にしていないようだ。
家族や友人が集まったような和やかな雰囲気で会食が始まる。
「イリシアちゃんも元気そうでよかったよ。最近あまり会ってくれないから寂しかったんだ」
「領主様、客人の前です」
「いいじゃないか。今は職務中じゃなくて、休憩を兼ねたランチタイムなんだ。リラックスして話をしよう。昔のようにヴェイルおじさんと呼んでくれてもいいんだよ」
「領主様!」
年齢も権力もはるかに上の相手であるにも関わらず、少し耳を赤くしたイリシアは不服そうに領主を見た。
感情を抑えるようにしたのか、普段よりも声が低い。
「はっはっは、まるで反抗期の娘を持った気分だな。役人たちはみんな真面目で優秀だから冗談も通じにくくてね、イリシアちゃんみたいな反応が来ると嬉しいよ」
「では、次からは役人のように振る舞うよう気を付けます」
「やめてくれ、イリシアちゃん。からかってすまない。久し振りに会えて嬉しかったんだ。……ところで、そちらにおとなしく座っている君はなんと呼べばいいのかな?」
そう尋ねた領主の視線の先にいるのはアレスタだ。
問いかける声は穏やかで表情は笑っているものの、値踏みするような領主の目がアレスタを射抜く。特別に疑惑の目を向けているという感じはなく、初対面の相手には誰にでもそうするという程度の警戒感。
殊更に敵意があるというわけでもなさそうなので、多少は緊張しているアレスタも顔をそらさずに答える。
「どう呼べばいいのかというと、聞いているのは俺の名前ですよね? それならアレスタです」
「そうか、アレスタか。いい名だな」
「ありがとうございます」
「そう畏まらないでくれるかな。こんな状況でリラックスしてくれというのも難しいかもしれないけれど、あんまり堅苦しいとせっかくの料理が楽しめなくなる。さあ、二人とも遠慮なく食べてくれ」
二人分の食事を用意してくれていた領主から許可が出たので、お腹が空き始めていたアレスタは遠慮しつつもナイフとフォークを手に取った。
そして昼食をごちそうになる。
しばらくはイリシアと領主の間で無難な世間話などが続いていたが、会話が途切れて、領主の矛先が一人で黙々と食を進めていたアレスタに向けられた。
趣味は? 特技は? 将来の夢は?
などなど、どうでもいいような世間話を適当に続けて、ふと気になったアレスタは肉を頬張りながら尋ねる。
「しかし、こんなふうにのんびりしていて大丈夫なのでしょうか。領主というのは忙しいのではないのですか?」
「君の疑問はもっともだな。確かに他の街の領主はみんな忙しそうだったよ。ただし、私の場合はそうでもないんだ。なぜなら仕事に魔道具を活用しているからね」
「魔道具を?」
「ああ。いくつもある中で一番便利なのは、私の代理で勝手に署名してくれる装置かな。領主という仕事をやっていると毎日のように大量の書類が上がってくるんだけど、高度な魔法で作成された自動人形が私の精神性や理性、知識や経験を忠実に再現してくれていて、私の代わりに書類仕事を次々と処理してくれるのさ。自動人形と私は一部の記憶や認識を共有しているから、これがまあ便利なんだよ。今もせっせと働いてくれている」
「へえ……」
「あと、これは自動人形ではないが、私の代理で裁判をしてくれる装置もある。これまでの判例や法律を参考に公正な判決を出す魔法式が運用されていて、それでもなかなか判断がつかない重要なもののみ私に回ってくるんだ」
「な、なるほど……」
「他にもたくさんあるんだけど、聞いていくかい?」
「い、いえ……」
話が長くなりそうだったのでアレスタは遠慮したものの、説明したくてたまらないのか、それから領主はぺらぺらと休む暇もなく教えてくれた。
この街で利用されている魔法や魔道具。
またはこれから運用される予定の魔法などなど。
早口で一方的に説明されたのでアレスタの頭では理解も追いつかなかったが、なかなか興味深い話であるのは事実だ。もしかしたら治癒魔法のことも聞けるかもしれない。
そう思い、食事を口に運びながら、おとなしく相槌を打つことにする。
ただ、先にしびれを切らしたのはイリシアだった。急いでいるわけではないにせよ、このままでは領主の独演会で昼食の時間が終わってしまう。
「領主様、そろそろ……」
「おっと、そうだね。つい興が乗って一人でしゃべりすぎてしまったようだ。それでイリシアちゃん、このアレスタ君がどうしたって? 何か報告したいことがあるから私のところまで連れて来たんだろう?」
「……はい」
ようやく領主から話を振られ、いち早く食事を終えていたイリシアは姿勢を正した。
ちらりとアレスタを横目で確認した後、彼女は口を開く。
「アレスタさんは治癒魔法を使える可能性があります」
きっと、その報告には色々な思いが込められていたのだろう。
可能性を伝えたイリシアの声色は喜怒哀楽や期待が不安が複雑に混じり合っているようで、その感情すべてを正しく読み取ることは出来なかった。
「なるほど、治癒魔法か。それは厄介だな……」
ため息をついた領主は大げさな仕草で腕を組み、何か重大な問題に直面したかのように、深刻な様子で目を閉じた。
おそらく考えているのはアレスタのことだ。
他でもない自分のことなので、気になった彼は我慢できずに口を挟む。
「何が厄介なのですか?」
「ふむ……。いや、もちろんそれは説明しておく必要があるとは思うけどね、その前に事実を確認しておきたい。アレスタ君、治癒魔法が使えるというのは本当のことで間違いないのだね?」
「……どうなのでしょうか。おそらく治癒魔法だとは思うのですが、魔法のことを誰かに教えられたわけでもないので、使っている自分でも実はよくわかりません。なので、今の俺には治癒魔法だと断言することはできません」
そうだ。おそらく治癒魔法である、ということ以外は何もわからない。
絶対に違うと否定する理由もないが、積極的に肯定するには根拠も乏しく、ここで嘘をついても仕方がない。下手に誤魔化すと隠し事があるのではないかと疑われかねないため、見栄も張らずにアレスタは正直に答えた。
当然ながら要領を得ないらしく、困った顔をする領主はイリシアに助けを求めた。
「イリシアちゃんは彼が治癒魔法を使うところを近くで見ていたんだろう? どんな感じだったのかな?」
「……デッシュという男に剣で斬られた左腕の傷ですが、その深い傷を彼は自分の右手をかざしただけで治してしまいました。あの光、あの輝き、私には魔法の力だと思えてなりません」
事務的に報告しようと努めているのか、淡々と答える口調は冷静さを保っていたものの、心では必死に訴えるあまり、自覚もないままイリシアはテーブルに身を乗り出していた。胸元に添えられたこぶしは力強く握られている。
単なる談笑とは思えないほど表情は真剣だ。
どことなく緊張しているのか、わかりにくい程度に声は震えている。
前のめりになった彼女をなだめるように、落ち着いた声で領主は言った。
「治癒魔法以外の可能性はあるかい?」
「それはもちろんあるのでしょうが、今のところ私には思い当たりません」
「ふうむ……」
うなるように背もたれへと体重を預けた領主は腕を組み替えて考え込む。
熟考だ。
「あの、すみません。治癒魔法だったら何か問題あるんですか?」
先ほどからその事が気になっていたアレスタは申し訳なさそうに尋ねた。
二人の話を聞いている限り、どうやら彼が城まで連れてこられた理由は治癒魔法にあるらしい。
しかしながら、彼らが治癒魔法を危険視する理由がアレスタには思い当たらないのだ。
少し悩んだ後、あえて隠すことでもないと判断した領主は頷く。
「そうだな、治癒魔法が使える可能性のある君には教えておくべきだろう。そもそも治癒魔法はとても珍しい魔法なんだ。特に上級クラスの治癒魔法は別格で、歴史上でもたった一人しか使えなかった。魔法学がどれほど発展しようと、魔法の素質ある人間がどれだけ修行を積もうと、その人物以外には上級治癒魔法が使えたという記録は存在しないんだ」
「歴史上でたった一人しかいない、上級の治癒魔法使い? その人物とは一体誰なんです?」
「……かつての英雄だよ」
そう告げる領主の声は深く沈んでいた。とても英雄について語る口調ではない。
目を閉じて、少しだけ沈黙を挟んでから、領主はゆっくりと目を開いた。
「世界を旅して困窮した人々を助けて回り、多くの人々から感謝されるとともに敬愛された英雄。自らが民衆の先頭に立ち、もう二度と誰も苦しまないで済む永遠の楽園を作ろうと奮闘した伝説の治癒魔法使い。その名もネスティアスだ」
「ネスティアス……。初めて聞く名前ですが、もし本当にあらゆる怪我や病気を治してしまう完璧な治癒魔法を使えたのなら、彼は多くの人々から必要とされたのでしょう。そして、それだけに感謝もされたはず」
「その通りだ。けれど悲しいかな、彼は最後には世界の平和を脅かす魔王に変わり果ててしまった。治癒魔法によって不死化した兵士を集めて最強の軍隊を作り上げ、自らが指導者となった魔導国家の領土を度重なる侵略戦争によって拡大し、急激な世界征服を着々と進めていったのだ」
「なんですって?」
希望に満ちていた話が突如として暗いものへと変わり、思わずアレスタは聞き返した。
……英雄が、一転して魔王になった?
……人々を救う力を持った治癒魔法の使い手が、世界征服を狙った侵略戦争を引き起こした?
それらの疑問には答えず、領主は話を続ける。
「世界は英雄の変貌に震え上がった。しかし魔王ネスティアスは世界征服を成し遂げる直前、当時の帝国が主導した強大な世界魔法によって封印されたのだ。結果、今も魔王は世界の果てに隔離された魔大陸エーデルに、不死の軍団を有する魔導国家ごと封印されたままなのだよ」
……現在も魔王ネスティアスは封印されたまま?
一度にすべてを理解するには頭が追いつかず、最低限の相槌すら忘れたアレスタは黙り込むしかなかった。
「その出来事があって以来、人々の間では一つの伝説が広まった。治癒魔法を使える人間は、その力によって英雄になりえる人間だと。死者さえも蘇らせてしまう上級治癒魔法を使えるのならば、その人間には世界を救うだけの力があるはずだと」
「でもそれは、それだけで終わらない」
領主の言葉に合わせるように、イリシアは切なそうに目を伏せた。
「そう、とどまらない。それは英雄であると同時に、世界を変えてしまうほどの力を持つ魔王であることも意味する」
「……英雄であり、魔王」
「あくまでも治癒魔法は人々を救うための力であり、平和を脅かすような魔王になるとは限らないと、普通は信じられているがね。それでも一部の者には危険な存在だと強く認識されているのだ」
「一部の者……」
たとえば、魔法を危険視する反魔法連盟の人間などだろうか。
あるいは、もしかすると帝国軍の特務部隊に命を狙われたのもアレスタが治癒魔法を使えることが原因だったかもしれない。大々的に指名手配されているわけではないらしく、領主やイリシアたちは知らない様子だが、そうだとすればカーターとともに帝国の特務部隊に狙われていたことは二人に隠していたほうがいいだろう。
身の上話をしたことで彼らが全面的に協力してくれるなら心強いが、余計なことを言えば藪蛇となる可能性もある。
少なくとも、すべての事情を打ち明ける前にサツキには相談する必要があるだろう。
そう判断したアレスタは聞き役に徹した。
「まあ、本当のことを言えば治癒魔法使いだけが危険視されているというわけでもないんだけどね。なんたって、人を傷つける魔法なんて世の中にはたくさんあるから。……とはいえ、本当に君が治癒魔法を使えるのなら驚くべき大発見だ。あるいは憂慮すべき最悪の事態かもしれない。かつて出現した治癒魔法使いが世界にどれほどの影響を与えたのかを鑑みれば、このまま君を放っておくわけにもいかない」
「ならば、やはり彼の行動に制限を?」
多くのことを憂慮するイリシアは感情を抑えた口ぶりで、つとめて事務的にそう言った。
それを聞いて抗議に出ようとしたアレスタの気持ちを汲んでくれたのか、冷静な領主が先走るイリシアを諭す。
「いや、どうかな? もし彼が本物の治癒魔法使いで上級魔法も使えるのならば特別な対処もやむをえないけど、現時点では治癒魔法だという確証もない。彼を幽閉した後に間違いだったと判明した場合、世界にあらぬ動揺を与えたとして、我々は白い目で見られることになるだろう。そもそもそう簡単に治癒魔法使いが現れるとも思えないんだ。昔から自分が治癒魔法使いだと偽って目立とうとする輩は存在するもので、そういう話題が必ずしも人々にいい影響を与えるとは限らないしね」
「ですが、だからといって……」
言っていることの大筋には同意しつつも、イリシアは迷うような表情を見せた。
やけに心配している彼女を安心させるように、穏やかな口調で領主が言う。
「危険な魔法使いを例外なく監視すべきだという意見もあるが、いくら世の中の秩序を守るためとはいえ、魔法使いにも与えられるべき自由と権利を無差別に奪うわけにはいかない。魔法使いを含めたすべての人々の自由と安全な社会、どちらが大事かと言えば、どちらも大事だ。我々は失敗と成功を重ねながら妥協点を探っていくしかない。犯罪者でもなければ行動を制限するわけにはいかないよ」
犯罪者、という言葉にアレスタはひそかに反応した。法律を破った犯罪行為に身の覚えはないけれど、事情もわからず帝国軍の特務部隊に追われたことは記憶に新しい。サツキによれば特務部隊の狙いは反魔法連盟の主義者たちであって、アレスタが追われたのは誤解らしいが……。
実際はともかく、もしアレスタが何らかの形で犯罪にかかわっていると判断されれば、今は穏やかな彼らも遠慮なくアレスタを拘束しようとするだろう。
どこまで事情を察しているのか、少なくとも領主はアレスタを犯罪者として疑っている様子は一切ない。
それを裏付けるように告げる。
「街の入口に設置された魔法式ゲートを無事にくぐった時点で、よそ者の行商人や旅人であれ、一時的な市民として最低限の権利を得る。犯罪歴のある指名手配者や危険度の高い魔法の使用者は感知されるから、それに反応がなかったアレスタ君を理由もなく拘束するわけにもいかない」
「そうだったんですか……」
街に入る手続きを簡略化していたゲートにはそんな意味もあったらしい。おかげで無罪を証明できた気分だが、逆に言うと一度でも危険人物だと疑われてしまえば今後は軽々しく街を出入りすることもできなくなりそうだ。
ひとまず事態が落ち着くまでは目立つ行動を控えたほうがいいかもしれない。
すでにこうして街の最高権力者に目を付けられている点を考慮すれば、なるべく従順に対応したほうが向こうの印象もよくなるだろう。
「ただし、あくまでも個人的な意見を言わせてもらえれば、治癒魔法使いであるかもしれない君を街にとどめておきたい気持ちはあるけれどね」
「……え?」
しかし、これに従順に対応するのはどうなのだろう。
もっとも、現時点で他に行く当てのないアレスタにとって、このまま街に滞在しておくほうが安心なのかもしれない。ここまでアレスタを連れてきてくれたサツキがどう考えているかにもよるが、なんにせよ彼とは今後の方針についてよく話し合っておく必要がある。
いつまでも彼に甘えてばかりもいられない。
「アレスタ君が治癒魔法を使えるかどうか、あるいは使えたとして、死者の蘇生などの上級魔法を使えるほどの才能があるのか。現時点では不明なことが多いけれども、かといってこのまま見逃すわけにもいかないんだ。治癒魔法使いとしての噂が広まれば反魔法連盟に目を付けられるだけではなく、様々なトラブルに巻き込まれかねないからね。自由な行動を制限するわけじゃないけれど、君には護衛と監視が必要だろう」
「いや、ですが……」
「アレスタ君、これは半分は君を守るためだけど、半分は領主として街を守るためでもあるんだ。もっと強引な手段をとろうと思えばいくらでも選択肢があるけれど、まずは騎士の同行を許してほしい。わかってくれるね?」
「……はい。わかりました」
自分が疑われているようで不満がないわけではないものの、ここで領主と対立するのは避けた方がいい。監視や護衛として騎士が同行してくるのを受け入れればいいだけなら、さほど困難な条件でもないのだ。
悩みつつもアレスタが頷いたのを見て、ひとまず領主は満足そうに頷き返した。
「イリシアちゃん、ひとまず君は通常の任務に戻りたまえ。アレスタ君には騎士団の中から一人、監視役を兼ねた護衛をつけることにしよう」
「それはいい考えだと思いますけれど、私では駄目なのですか?」
「つい先ほどイリシアちゃんが捕まえてくれた誘拐犯たちのように、最近は大小さまざまな事件が街で多発しているからね。君みたいに有能な人間を護衛役につけてしまうのはもったいない。なにせ一日の大半を彼と過ごすことになり、任務が終わるまで自由時間はなくなるのだから」
「ならば、一体誰が彼の護衛をするのです?」
うむ、と頷いた領主は腕を組んで答える。
「前々からずっと騎士団とは別の組織の必要性を考えていたんだ。街の治安を守るだけでなく、市民の悩みを解消するためのね。そのために準備させていたというわけではないけれど、ちょうど他の任務には適さない人間が余っているじゃないか。警備でも書類仕事でも失敗を重ねて、その懲罰として城内を余すところなく掃除して回ることが主任務となってしまった騎士がね」
「本人のやる気とは裏腹に、何をやらせても空回りしがちな彼……失敗続きのニックを監視役に?」
イリシアは不安そうな顔を見せる。何をやらせても空回りしがちで失敗続きというのが本当なら、彼女が心配するのも無理はない。
アレスタも不安だ。
「今日はいくつかある中で一番使われていない武器庫の掃除を言いつけておいたはずだ。早速ニックを呼びつけよう」
そう言って、懐から小さな鈴を取り出した領主はそれを肩の高さまで持ち上げてリンリンと鳴らした。
原理はわからないが、あれも魔道具らしく、城内にいるニックという騎士を呼んだらしい。
しばらく待っていると、ドタバタと足音が響いた後で扉が大きな音を立てて開く。
「領主様! この僕をお呼びでしょうか!」
颯爽と現れて深々と一礼したのは、ブロンドの長髪をたなびかせた好青年だ。
想像していたのとは違って頼りない印象はなく、どちらかと言えば仕事ができそうな感じがある。
「ニック、君に頼みたい任務がある。……今度ばかりは失敗もないだろうしね」
領主は不安そうに言ったが、その任務というのはアレスタの監視と護衛だ。アレスタはそれほど活動的でもないので、そばで見張っているだけなら難しくはないだろう。
それに街の騎士が一人でも近くにいてくれれば、一度は引き下がってくれた帝国軍の特務部隊に襲われた時、とりなしてくれるかもしれない。
「当然ながら僕も失敗するつもりはありませんが、どんなに簡単な任務であろうと、絶対にうまくやれるとは約束できませんよ? 今日だって、武器庫の掃除で壊したものが一つ二つじゃなくていくつもありまして……」
「はっはっは、安心したまえ。今までもこれからも、私が君に何かを頼むときは失敗する可能性があることを前提に考えているんだ」
「それなら安心です」
それでいいのか。
「というわけで、君にはそこにいる少年の護衛と監視を頼みたい。護衛と監視と言っても、君に頼むからには難しいことをする必要はないんだ。できる限り彼の側にいて、定期的に報告をくれればいい」
「……そこにいる少年の護衛と監視ですか? 別に構いませんが、そうする理由は何かあるのですか?」
ニックが問うて、領主は答える。
「彼、アレスタ君は治癒魔法を使える可能性があるんだ」
「ほほう、なるほど……」
アレスタに向けられたニックの視線には、怪しいものを見るような色合いが滲んでいた。どうやら領主が説明してくれたことは事実だったらしく、今の世界に治癒魔法を使うことのできる人間はほとんど存在しないらしい。
つまり、それを名乗るアレスタは嘘つきの詐欺師か狂言者というわけだ。
まるで信じていなさそうな彼には気を払わず、パチンと手を打った領主はアレスタに告げる。
「ではアレスタ君、少なくとも街に滞在する間は護衛と監視としてニックの同行を受け入れてもらおうか。何事もなければ君を悪いようにはしない。だけど、もし何か悪いことがあったとすれば、そのときは少しばかり面倒なことになる」
「まあ、この街で悪さをするつもりはありませんから、騎士が一人でも側にいてくれるのは助かります」
不安や不満が全くないわけではないけれど、いつしかアレスタもすっかり開き直っていた。
応接室を出た二人の姿が見えなくなって、やはり不安に思うイリシアが領主に尋ねた。
「本当に彼に任せてよかったのですか?」
「本音を言えば誰でもよかったんだ。彼の動向を定期的に報告してくれさえすればね。何しろアレスタ君と一緒に街に入ったのは辺境魔法師なのだから」
「辺境魔法師?」
「情報が制限されていて、一般にはあまり知られていないようだけど……。とにかく、帝国政府に鎖をつながれた彼が一緒にいてくれるなら、我々に敵対するようなこともないだろうさ。もちろん、その辺の悪党や魔物に簡単に殺されるようなこともね」