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治癒魔法使いアレスタ  作者: 一天草莽
第三章 そして取り戻すべき日常

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32 香り立つ紫の丘で(2)

 オドレイヤとファンズ。

 敵対する彼らの間に楽しい歓談の時間など待ち構えていなかったし、挨拶すら必要なかった。

 この場にいた誰より早く動いたファンズは、即座に取り出した魔導書のページを切り取って呪文を唱える。


「ゴ・ゴーディエ・ゾルナンデ!」


 ふわりと空中に浮かんだページが血に染まるように朱色に輝くと、それは霧状に広がって彼らの頭上を覆った。

 そこから直後、しとしとと赤い雨が降り出した。

 視界全体に薄い幕を下ろしたような激しい霧雨。

 空が血しぶきを上げたように、毒々しく周囲を満たす。


「なっ、私の炎が!」


 まずは前方へ向かって一斉放射だと、魔導書を使用したファンズに対抗して魔法を発動させたオビリアの炎の勢いが、明らかに以前よりも弱まっていた。

 原因はファンズの魔導書にある。丘へと降りしきる赤い雨は、炎系統の魔法の威力を抑え込んでしまう効果があったのだ。オビリアが発動する炎魔法の対策として、かねてから用意されていた環境型魔法である。

 一度使ってしまえば失われてしまう魔導書のページ。本来はオビリアを確実に追い込めるタイミングで使う予定だったものの、ファンズはここが使い時であると判断したのだ。


「ナツミは私を援護しろ! キルニアはあちらの二人を!」


「ええ、任せて!」


「了解っす!」


 新しく呪文を唱えるにしても、次の魔法が発動するまでファンズには短くない隙が生じてしまう。その無防備で致命的な隙を少しでも埋めるべく、数歩分のスペースを空けて隣に立ったナツミは風魔法を展開して、目の前に発生した暴風を壁にする。

 それとは別にキルニアがオビリアとメイナのもとへ走り出し、まだまだ油断できない魔女二人の目を引き付ける。

 そんな頼れる仲間二人の行動を尻目にしながら、ファンズは二枚目のページを破る。

 狙う相手はオドレイヤ。残り少ない切り札を惜しんでいられる戦いでもなければ、こちらには一切の妥協も油断も許されない。


「ア・ゴンドーレ・ペペテンチア!」


 呪文を唱え終わると、魔導書から切り離されたページがひとりでに動き始める。注がれた魔力に反応して膨らむように巨大化すると、たちまち身の丈三倍はあろうかという、紙でできた一体の人形が組み上がった。

 それは即席の巨人。魔力で動く古代の戦闘人形だ。


「ほほう、面白いダンス相手ではないか!」


 ただならぬ敵を前にして歓喜の声を上げ、見るからに破壊力のある「魔力の渦」を両腕にまとったオドレイヤ。幾重にも紙を束ねた分厚い腕を振り下ろすという、大ぶりで単純な攻撃を繰り出す巨人を相手に華麗なるダンスで翻弄する。

 腕にまとわりついた魔力の渦が、直接触れずとも近づいただけで巨人の身体を鋭い刃物のように切り刻む。

 だが、さすがに古代魔法で作られた紙人形も一筋縄ではいかない。一方的にやられているように見えて、ダメージを負うごとに自動的に修復されてるのだ。

 穴が開こうが、破れようが、その都度てきぱきと元の状態に戻される。

 攻撃がやや単調なのは我慢するしかない。持久戦に特化した兵士なのだ。


「これでしばらくはオドレイヤを足止めしてくれるはずだがね!」


「心配はいらないわ、私も加勢するから!」


 魔道具のボウガンで矢を放つファンズに続けて、ナツミも風魔法で作り出した刃を武器にオドレイヤへと挑みかかる。

 魔導書の巨人も含めて、同時に三人を相手にすることになったオドレイヤ。最強最悪の魔法使いと呼ばれるだけあって、苦戦というほど手こずっているようにも見えない。

 けれどもファンズとナツミが声を掛け合って攻撃を繰り返しているおかげもあり、その動きを制しつつ、危険な敵の足止めをすることには成功しているといえた。

 一方、キルニアはオドレイヤとファンズの戦う地点を離れて、赤い雨のおかげで炎魔法が万全の状態ではなくなったオビリアを最大限に警戒しつつ、まずはメイナのもとへ向かった。

 スライム女の彼女とは先日、協力関係まではいかずとも、ある種の不戦協定を結べたはずの間柄だ。お互いに攻撃し合う演技をして、それとなく建設的な会話ができれば、ここで殺し合うことなく、なんとか無難にやり過ごせるかもしれない。

 そう思ったキルニアだったが、期待して声をかけてみればメイナはすげなく答える。


「オビリア様にオドレイヤ、ここには血気盛んな二人がいるんだから、さすがに私も手を抜けないわ」


「けど、この前は……っ!」


「ま、がんばって!」


 そう言うと、先日の話など存在しなかったかのように彼女はスライム状態へと変身し、遠慮なくキルニアを殺そうと本気で襲って来る。彼女の魔法は全身をスライム化させるだけではなく、腕や足など身体の一部分だけを粘着性のあるスライムに変えて、その部分を振り回して攻撃することも可能なのだ。

 右腕を「スライムを硬化させたハンマー」にして、左腕は「スライムを薄く伸ばしたムチ」にすると、それぞれを巧みに扱ってキルニアをしとめようとする。

 まるで顔に飛んでくる厄介な羽虫扱いだ。


「くそったれ、マフィアを信じようとした俺が馬鹿だった! あいつらは信用ならない!」


 幸いなことに、ここは左右前後ともに広い場所。とにかく狭かった通路での戦闘と違って、動きの俊敏なキルニアに有利である。戦闘経験や実力に差こそあれ、そう簡単には動きを止められるものでもない。

 そうこうしているうちに、赤い雨による魔法の不調に戸惑っていたオビリアも攻撃のための行動を開始した。万全ではないにせよ、低級の炎魔法なら問題なく使えると踏んだらしい。

 いつもの無茶はできないまでも、メイナと同じく彼女もキルニアを狙って下級ながら容赦なき炎魔法を飛ばしてくる。


「畜生! 時間稼ぎがやっとだ!」


 二人に狙われれば反撃などしようもなく、逃げ惑うしかないキルニア。

 あえなく彼は自分の力で敵を倒すことを諦めて、オドレイヤと戦うファンズたちの活躍に期待を託した。

 ところがそのファンズも苦戦を免れない。


「でかしたぞ、エッゲルト!」


「お任せくださいオドレイヤ様!」


 オドレイヤを釘づけにしていた紙の巨人だったが、エッゲルトの六本もの魔法剣が巨人を立て続けに切り刻んでいた。修復する端から新しい傷をつけるので、さしもの巨人も攻守に伴う動きが極端に遅くなった。

 その時間を大いに活用して、オドレイヤは標的をファンズとナツミの二人に切り替える。


「この雨を晴らしてみたくなったがなぁ!」


 叫んだオドレイヤの顔の前でいくつかの光が出現した。それは球形に丸められた魔力だ。さらに魔力を込められた光は赤色に輝いて発火すると、それが一つずつ順番に放物線を描いて前方に発射されていく。

 尾を引く火炎弾は赤い雨に触れても威力が弱まることがなく、ぶつかれば地面を大きく穿ってドロドロに溶かす。


「なんて威力! あれに当たったらまずいわね!」


 上から降ってくる赤色の雨を右に左になびかせながら、身体を浮かすほどの強い風をまとってオドレイヤの攻撃魔法を回避するナツミ。

 しばらくはそれでもいいが、時間が経つとともに攻撃の積み重ねで足元が凸凹に破壊されてしまい、自由な移動ができなくなってきた。


「なんとか反撃して攻撃の手を緩めさせるんだ!」


「私もあなたにそう言いたいところだったけど、なんか攻撃の手が増えてるわ!」


 そう言ったナツミを狙って、空中から目の前に飛び出てきた一本の剣が振り回される。反射的に風の刃で受け止めるとそれは消えてなくなったが、直後に二本目が切りかかってきた。

 単調な動きが弱点だった巨人を相手取るのに慣れてきたのか、最初のころよりも余裕の出てきたらしいエッゲルトの魔法剣だ。巨人を足止めしている片手間とはいえ、意外にも的確にファンズやナツミを狙って放たれる。

 死角からの不意打ちでさえなければ一撃はそれほど驚異的ではないものの、とにかく手数が多く、無視はできない。

 これでは劣勢だ。

 勝ち筋は薄く、もはや絶望に身を屈したくなるが……。

 けれど、ここではオドレイヤを倒すことが彼らの目的ではないのだ。


「ナーベス・ア・ゲーレン!」


 一瞬の隙をついて、吐き出すように短く早口で呪文を唱えたファンズ。

 その手に抱えた魔導書から極大の光が放たれる。

 それはオドレイヤではなく、丘の頂上、彼の背後に遠く佇む幻想樹を狙った攻撃だ。


 ――あれさえ破壊できれば、この勝負は我々の勝ちだ!


 しかし、それは期待した効果をもたらさなかった。

 直撃したかと思った瞬間、たちまち魔力に返還された大量のエネルギーが幻想樹に吸収されたのである。


「やはり魔法対策はされていたか! こうなれば近づいて直接ぶった切るしかない!」


 だが三人だけでは圧倒的に人手が足りない。

 ついには撤退も視野に入れ始めたその時だ。


「すみません、魔物の相手が忙しくて遅れました!」


「へへ、アタシたちが来てやったぜ!」


 モグラワニとの戦闘が終わったアレスタたちがようやく戦場に到着したのだ。

 その人数は四人。手数が欲しかったので加勢は嬉しいが、残念ながら戦況を詳しく説明する暇はない。

 オドレイヤの相手をしながらファンズが短く指示を飛ばす。


「そこにいるオビリアをしとめろ! 今の彼女は魔法の力が弱っている!」


 それを聞いた彼らは素早く行動に移った。

 高速化魔法をかけたイリシアが二刀流の構えで突撃する。勇ましい彼女に比べれば及び腰だが、負けじとニックがそのあとを追いかける。アレスタとカズハは少し後ろに下がって、戦場全体を見渡しながら治癒魔法の準備だ。

 魔法で獣化したキルニアだけを相手にするならば、赤い雨のせいで弱体化したオビリアや、スライムを武器とするメイナにも余裕があった。しかし一目で難敵とわかるイリシアたちを相手にするとなると、今の二人だけではきっと苦戦する。

 さすがに余裕が消え失せたらしく、焦り始めたメイナは動きが鈍い。

 はっきりと言葉を交わさずとも、なんとなく目と目で通じ合って手を組んだニックとキルニアがスライム状の腕を振り回していたメイナを取り囲む。

 イリシアは単身、オビリアへ躍りかかる。

 炎の力が弱まっているオビリアは魔法で対抗するが、高速化魔法で切り抜けてくるイリシアを止めるには及ばない。


「覚悟!」


 このまま行けばオビリアとメイナは負ける。

 けれど、そこへ彼女たちを援護する攻撃があった。


「背後に魔法剣だ! イリシア、危ない!」


「なっ! 空中から!」


 それはエッゲルト・シーの遠隔乱舞刀剣である。

 とっさに身をひねったイリシアはそれを剣で打ち払う。それで一つ目は弾き飛ばしたが、二つ目、三つ目と、エッゲルトによる魔法の剣は次々と空中に現れては彼女へ襲い掛かった。

 これもイリシアが左右の剣を使って華麗に対処してみせるものの、対応している間は足を止められてしまう。


「彼女らの助けをするのはしゃくだが、なにしろこの前の借りがある……!」


 防衛騎士団を襲撃した際、エッゲルト・シーは手柄を焦ってメイナを攻撃した。これは逆に彼女の部下による反撃でやられてしまったのだが、その「邪魔」を彼女に責められた彼は立場的に弱いのだ。

 メイナを攻撃した――すなわちそれは「ブラッドヴァンに対する裏切り行為」としてオドレイヤに報告すると脅されていたので、今の彼は彼女を援護するしかない。

 いっそ敵にメイナたちがやられてしまえばいいとさえ思うが、それはできない。最悪なことにオドレイヤがすぐそこにいるのだ。戦闘の合間であっても、無能な部下を処刑することなど片手間にやれてしまうオドレイヤが。

 さて、そういう事情で邪魔をされることになったイリシアたちにとっては不運だったが、これは同時に、エッゲルトの攻撃がファンズとナツミから引き下げられることも意味した。これで最初よりは余裕が生まれたと思いたいところだったが、そこはさすがのオドレイヤ。

 新しい邪魔者が来たとなれば、いつまでも遊んでもいられない。

 ナツミの風魔法と、魔導書の紙できた巨人の攻撃をかいくぐって急接近する。

 打ち出されるボウガンもものともせず、たった数歩でファンズの鼻先へと至る。


「貴様の死体はかわいがってやる! ここで死ぬのだな!」


「なんのこれしき!」


 ファンズは顔の前で腕をクロスしてオドレイヤの近距離攻撃を防ぐ。

 発生した防護障壁がかろうじて攻撃を弾く。

 すぐに体勢を立て直したオドレイヤは二撃目に魔力を込める。


「なんのそれしき!」


 さらに接近して、さらに強力な一撃が襲い掛かった。

 これには魔力を幾重にも束ねたアンチマジックの障壁も耐えられず、直撃を食らったファンズの体が炸裂した。

 内側から破裂するようにファンズは粉々になり、はじけ飛ぶように消え去ってしまったのだ。

 ファンズの死。

 それはマギルマの敗北を意味する。

 ところが攻撃を仕掛けたオドレイヤは己の勝利を確信できなかったし、風魔法で反撃を試みるナツミも彼の死を悲しんでいるようには見えなかった。


「手ごたえがないのは気に食わぬ!」


「殺されるわけにもいかんのでね!」


 そこには何食わぬ顔で立つ無傷のファンズがいた。

 瞬間、彼の身代わりになった魔導書のページが消滅する。

 たった一度だけ発動する、窮地脱出用の自動発動魔法だ。


「面白い! しかし二度目はないようだな!」


 ぱらぱらと魔導書のページが破れ去ったのを目ざとく発見したオドレイヤはそれを確信した。まさしく事実であったのでファンズも苦々しく思うしかない。

 魔法の効果を減衰させるアンチマジック体質のせいか、どうやら彼にはアレスタの治癒魔法も通用しないのだ。

 時間をかけすぎれば不利になる。

 劣勢を打開するには魔力吸収システムをどうにかするしかないのだが……。


「我々を忘れてもらっては困る!」


 度重なる窮地に勇ましく駆けつけたのは、大量に集まってきたポチブルの相手をしていたナルブレイドとスウォラだ。わずかに呼吸を乱したのみで立っているスウォラはともかく、肩で息をするナルブレイドは傷だらけでボロボロの姿だが、それだけ頑張ったということだろう。

 たちまちテレシィが飛びついて精神果樹園の中へと入り、即座にアレスタの治癒魔法が彼を出迎えた。

 これで全員そろった。仕掛けるなら今を置いて他にない。

 チャンスと見たファンズはすかさず魔導書を開く。


「マイマルミーア・リンスビィ・シャロット!」


 呪文に応じて光と化した一枚のページがファンズの足元に突き刺さり、勢いよく地面に潜り込む。

 そこを始点にして、真っ直ぐ大地を走って伸びていく輝く魔力線がオドレイヤの足元で円形に広がり、そこに異空間へとつながる『穴』を作る。


「ディ・エーデ!」


 その声を合図にして強烈な力が発生し、魔術的に作られた穴の中へとオドレイヤの体が引きずり込まれていく。

 あっという間に全身が穴の中に消えると、その穴が蓋を閉ざすようにふさがった。

 これはオドレイヤを異空間に閉じ込める魔法だ。もちろん永遠にそうできるわけではなく、魔力の豊富なオドレイヤならば、いくらでも脱出の手段を編み出してくるだろう。

 だが、わずか一瞬だろうとオドレイヤを拘束して、こちらが自由に行動できる時間を作れればそれでいい。

 その一瞬でけりをつけるのだ。


「キルニア、あの木をへし折れ! オドレイヤを倒すには、あれをなんとかするしかない!」


「ウガアアアァッ!」


 言葉ではなく雄叫びで答えたキルニアはほとんど理性を捨てて、完全に獣化して突進する。


「させないわ!」


 それを見たメイナがとっさにスライムの腕を伸ばして彼を捕まえようとする。

 しかしその瞬間、彼女の眼前に突如として小さな刃先が出現した。

 エッゲルトの遠隔乱舞刀剣か、あいつまた邪魔しやがって――そう思ったメイナだが、それは違う。

 よく見れば剣ではなくナイフだ。

 ヘブンリィ・ローブの魔法で姿を隠して人知れずメイナに接近していたカズハが、死角から彼女に不意打ちを食らわせたのだ。


「姿の見えない敵がいる! それも小柄の……! さっきの少女ね!」


 彼女は敵の正体を見抜いたが、ヘブンリィ・ローブで姿はおろか気配まで消しているカズハを正確に追うことはできない。いつの間にか接近して死角からナイフを突き出してくる少女を相手に、斬撃をスライム化してやり過ごすしかない。

 どちらも決定打を与えられない二人。

 それは計画された時間稼ぎでもあった。

 おかげで今度という今度はメイナに邪魔されることなく、すんなりと幻想樹のもとへたどり着いたキルニア。

 ここが大事な場面だと気合を入れた彼は手にした魔道具を思い切りぶち当てる。


「うらぁっ!」


 ところが魔道具の草刈り鎌では力が足りないのか幻想樹はびくともしなかった。

 よほど丈夫にできているのか、表面には傷さえついていない。

 こうなれば全力の体当たりで物理的にへし折るしかないだろう。

 そう考えたキルニアは短絡的に突撃したが……。


「ウガッ!」


 いざ肩から体当たりして触れようとした瞬間、彼の魔力が幻想樹によって吸い取られた。それと同時に獣化が解除され、その余波を受けて吹き飛ばされるようにキルニアは倒れる。

 かろうじて意識こそ失わなかったものの、力が抜けてしまっており、すぐには立ち上がることができない。

 仰向けになった彼の顔には容赦なく赤い雨が降り注いでいる。


「それは魔力を吸い取るようだ! 人の身には触れられぬ!」


 ナルブレイドと二人がかりでエッゲルトの攻撃を抑え込んでいたスウォラが、いつの間にやら幻想樹のそばにまで近づいてきていた。彼が言う通りなら、もはや残された手段はない。

 幻想樹には魔法が通じず、物理的に破壊しようにも人間には近づけないのだ。

 ここまで来て、むざむざと諦めるしかないのか……。

 マギルマ陣営の誰もがそう思った時、不敵な笑みを浮かべたスウォラが奥義を解放した。


「人間の体では、な!」


 やや離れた場所に立っている彼を中心にして、大量の瘴気が周囲へと吐き出される。

 上手く言葉にはできないものの、そうすることで途端に空気が変わった。

 一時的に全員の目がスウォラの姿に引き寄せられる。

 あれは……いったい何が起きている?

 真っ先に見当をつけたのはオビリアだ。


「魔力を吸って瘴気を吐き出す、それは一種の魔獣そのもの! つまりあれは魔人化! あいつ、人間の域を脱しようとしている!」


 それはまさしく、その通りであった。

 彼の奥義とは、ずばり魔人化である。

 魔力やその流れを読むことに長けたスウォラ。彼は魔法拳使いとしての術を極めた結果、意図的に魔力を瘴気に変換して、自身の体を魔に染めることができるのだ。

 骨格は歪み、髪は逆立ち、体格が倍になる。

 それに伴い、筋力も魔法能力も上昇する。

 淀んだ魔力が悪しき瘴気と変化しやすい異次元世界では、特に魔人化しやすい環境にある。

 たちまち達成された彼の奥義の発動を止められるものは何もなかった。


「あまり……時間はないのでな……!」


 当然、今まで奥義を出し渋っていたことからわかるように、それは万能でもなければ無敵でもない。彼の魔人化には時間制限があるのだ。

 限られた時間を無駄にはせず、一瞬でけりをつけようとして、スウォラは指先から放出した鋭い瘴気の一撃で幻想樹の枝を切り落とすと、それを手に取った。


「幻想樹による魔力の吸収とは、やりようによっては相手の魔力を一時的に封印する力にも転じられる。その一撃、受けてもらうぞ」


 魔人と化した全身のバネや筋力を使い、大きく振りかぶって、幻想樹の枝で作られた槍を投擲したスウォラ。

 狙うのは、ファンズの魔導書によって閉じ込められていた魔術的な穴から脱出してきたばかりのオドレイヤだ。


「こんな枝ごときで私を!」


 これは片手で防がれた……が。


「もちろん本命はこちらだ!」


 自分に向かって飛んでくる枝にオドレイヤが気を取られている隙を狙って、スウォラは全身全霊の力を込めて魔人の腕で太い幹をつかむと、人並み外れた膂力りょりょくによって根ごと幻想樹を引き抜いた。

 それを荒れ狂う瘴気の力で特大の槍に成形する。

 すべての力を使い果たす覚悟で投擲。

 今度は魔力と瘴気、どちらにもよって加速する。

 先ほど投げられた小ぶりの枝とは段違いの迫力が全員を圧倒した。魔力と瘴気をまとって地面をえぐりながら直進する特大の槍は、すさまじい音を立てて空を切り裂いた。

 さすがに緊迫した様子のオドレイヤも両足を踏ん張って両腕を突き出す。

 つかみ取ることはかなわない。弾き飛ばすことも不可能だ。

 全力の魔力で壁を作り槍の突破を阻んでいるが、先に力尽きたのは、なんと最強最悪で知られるオドレイヤだった。

 ほとんど失速することなく壁を突破した槍はオドレイヤを通過して、それでも勢いがとどまらず、背後の丘をきれいに薙ぎ払って消滅した。


「な、は、は……。やってくれたね」


 力なく笑うオドレイヤの右腕がもげていた。

 ぼたぼたと血を滴らせる左手も皮膚がえぐれ、見るからに傷だらけだ。

 幻想樹が引き抜かれ、これまでオドレイヤに力を与え続けていたとされるアヴェルレスの魔力吸収システムが破壊された結果である。

 ファンズが魔導書を抱えなおした。


「どうやら我々の勝利が近づいてくれたようだな」


「気を抜いては駄目よ! まだ何を隠し持っているか知れたもんじゃないんだから!」


 膨大な魔力の恩恵を受けられなくなったとしても、多種多様な魔法に通じるオドレイヤは魔法使いとして純粋に優秀な男であるには違いない。

 弱体化したのが事実としても油断は大敵である。

 距離を置いて出方をうかがっている面々を前にして、顔を空に向けた満身創痍のオドレイヤが大きく息を吸い込んだ。

 何をするかと思えば、ここにはいないフーリーに向かって叫ぶ。


「フーリー! 我々を転移しろ!」


 転移魔法を求め、逃げに転じるオドレイヤだった。初めての敗走と言っても過言ではない。

 今までとは違い、確実にオドレイヤを追い詰めているのだ。

 それほどまでに弱ったところをみすみす逃がしてなるものかと、すぐさま身を乗り出して追撃に移る一行だったが、それを横から制する声がある。


「待て!」


 あの一撃で魔力も瘴気も尽き果てて、奥義である魔人化も解除されたスウォラだったが、周囲の乱れる魔力に反応したのだ。

 いつも冷静な彼らしくなく、相当に慌てた様子で全員に向かって叫ぶ。


「まずい、爆発だ! それも桁外れに大きい! ここら一帯が吹き飛ぶぞ!」


「なんだって!」


 これは誰とも知れぬ反応であったが、誰もが同じような驚きを共有していたに違いない。

 巨大な爆発が起きるという彼の忠告を嘘や間違いかもしれないと疑う理由も余裕もないと見て、ただちにスウォラの判断を信頼したファンズは素早く決断した。


「よし、我々も帰還する! 死にたくなければ転移魔法に乗り遅れないでくれたまえ!」


 それを止める声は彼のすぐ脇で起こった。

 ナツミである。


「待って、カズハが!」


 その言葉の通り、彼女の視線の先ではカズハがメイナに捕まっていた。

 ヘブンリィ・ローブの魔法でメイナを翻弄していたカズハだったが、いつまでも優位というわけではなかった。蜘蛛の巣のように薄く広がったスライムに変身することで、姿の見えない彼女をメイナが捕らえていたのだ。

 まとわりつくスライム状態のメイナに捕縛され、どうあがいても自力では抜け出せそうにない。このままではカズハが彼女たちに連れ去られてしまう。

 残虐非道なマフィアが相手では、一度でも連れ去られてしまえば無事では済まないだろう。

 しかし周囲に満ちる青い光は彼女たちを包みつつあり、転移魔法の発動は直前だ。

 パープルティー・ヒルに吹き荒れる魔力もうなりを上げており、爆発も時間の問題。

 もはや彼女を助けに行く時間はない。


「なら――っ!」


 普通に走ったところで間に合わないと判断したナツミは強力な風魔法を発動させ、自らの体を前方に向かって吹き飛ばした。

 強引にも思える体当たりで、カズハをスライムの網から突き飛ばすようにして助け出す。

 ところがスライムの吸着力は想像以上に強かったため、かえってナツミが捕らえられた。

 無事に助け出されたと思われたカズハも、実際には糸のように伸びたスライムにつながれ自由を奪われたままである。これでは二人とも相手の転移魔法に巻き込まれてしまいかねない。


「カズハ!」


 そこで動いたのはアレスタだ。

 たまたま近くにいた彼は急いでカズハのもとに駆け寄って両腕に抱え込むと、強引にスライムの糸を引きちぎった。捕まりながらも乱発する風魔法で身を切り刻もうとするナツミの対処に精一杯で、スライム化したメイナもカズハをつかんだままではいられなかった。


 ――よし、これで無事に逃げられる。


 そう思われたものの、土壇場で撤退は失敗した。

 身を翻して敵から離れようとしたアレスタの右足が、粘着性のあるスライムにつかまって抑え込まれたのだ。それは彼を逃がすまいとするメイナの意地である。

 引き抜こうとしてもうまくいかず、むしろ両足をからめとられた。


「アレスタ!」


 今度は血相を変えたイリシアが駆け寄ってくる。


「カズハを頼む!」


 走りこんでくる彼女を見て、なんとか膝立ち状態になったアレスタは腕に抱えていたカズハをイリシアに向かって放り投げた。火事場の馬鹿力といったところか、体重が軽いこともあってカズハは空高く放物線を描くように投げられる。

 目の前の地面に飛び込むように滑り込んで、お尻から落下するぎりぎりで、ふわりと宙に舞う彼女を両腕で抱きかかえるようにキャッチするイリシア。

 あとわずか、間近に迫ったアレスタにも手を伸ばそうとして――。


「ダメ、間に合わない!」


 両者を包み込む、それぞれ別種の帰還魔法が発動した。

 ナツミとアレスタの二人をメイナに捕らわれたまま、それぞれはそれぞれの拠点に転移する。

 直後、アレスタたちのいなくなったパープルティー・ヒルは地面深くに穴が開くほどの大爆発に見舞われた。

 こうして香り立つ紫の丘での戦闘は幕を閉じたのだった。

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