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治癒魔法使いアレスタ  作者: 一天草莽
第三章 そして取り戻すべき日常
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28 防衛騎士団の落日(2)

 外部に救援を求めるべく通信室を目指したナルブレイドがエッゲルト・シーの魔法に襲われていたそのころ、彼とは正反対の方向を目指したキルニアは無事に会議室を離れることができていた。

 完全なる不意打ちであった遠隔乱舞刀剣の脅威。その襲撃からひとまず難を逃れた彼は反撃するでもなく、このまま一人で安全に脱出することを目指している。

 現実問題として、これほど一方的に攻撃されてしまっては防衛騎士団の勝利は絶望的である。あえて比べるまでもなく彼我の差は歴然であり、まともに戦おうとすれば絶対に生き残れないだろう。

 このまま負けるにしても、いい負け方と悪い負け方がある。

 勝算のない戦いに挑んで意味もなく死ぬのは、おおよそ最悪の負け方だ。

 彼が所属しているマギルマのためならばともかく、マフィアの操り人形とも揶揄される防衛騎士団とともに死んでしまうのは馬鹿馬鹿しい。


「そうだ! 一刻も早く逃げ出さなくちゃなんねぇな!」


 組織としての実態はさておき、書類の上では百人以上の人間が所属している防衛騎士団。そんな彼らが寝起きする住居としての機能も備えている本部施設は無駄に巨大である。

 建物の最奥に設置されていた会議室からでは、出口まで行くにも一苦労だ。

 それでもここは闇夜に包まれた森の中でもないのだから、まっすぐに進んでいればいつかは必ずゴールが見えるはず。

 ところが彼は出口に達する前に足を止めた。

 すぐに脱出せねばならないと焦る心とは裏腹に、強引に止めさせられたのだ。


「あら、ごきげんよう。……あなた、防衛騎士団じゃなくってマギルマの人間ね? うんうん、そうそう、間違いないわ。かろうじて見覚えがあるもの!」


 出口につながる通路の途中、まるで待ち合わせていたみたいに壁に寄りかかって彼を待ち構えていたのは、スライム女として悪名高いブラッドヴァンのメイナであった。他にも敵がいるのかと思えば、目に見える範囲では彼女が一人いるだけだ。

 だが、たった一人であっても相手はマフィアの幹部。

 脱出を邪魔するというなら無視できない敵だ。


 ――くそったれ! なんでこんな時に!


 出口へ向かって走るのに一生懸命だったせいもあり、全く身構えていなかったキルニアは思わずつんのめった。足がもつれそうになるのを懸命にこらえて、不格好な姿勢で急停止する。

 ここが戦場なら、自分でもわかるくらいに隙だらけの危険な状況だ。

 ところが彼女はそれを見て鼻で笑った程度で、不意打ちの攻撃を試みて彼を痛めつけることもしなかった。好戦的なマフィアの人間にしては珍しく、出会い頭に問答無用で襲いかかってくるわけでもないらしい。

 ひょっとすると彼女は「見かけた敵を殺す」という以外の、とびきり冴えた考えを持っているのかもしれない。

 だとすれば、ここで彼女と戦わずに済む展開もあり得る。相手と話が通じるかもしれない可能性を期待して、こちらに戦意がないことを示すようにキルニアは両方の手のひらを広げた。

 あまり卑屈になりすぎないよう気をつけながら、相手の出方をうかがいながら問いかける。


「マギルマの人間か、だって? もしも俺が『違う』と言ったら?」


「言った瞬間に遠慮なく殺すわ。だって、あなたがマギルマの人間でなければ生かしておく価値がないもの」


 喜怒哀楽といった感情の感じられない淡々とした口ぶりから察するに、どうやら彼女は防衛騎士団に所属する人間を皆殺しにするつもりらしい。

 おぞましさと恐怖によって背筋を冷やしたキルニアは感情的には反応せず、やれやれといった感じに小さく溜息を漏らす。

 もちろんそれは余裕を見せるための演技だ。

 本心のところでは、彼は緊張によって胃を締め上げられている。


「……マギルマさ。マギルマの一員だよ、俺は。ここの人間じゃない。今はマギルマからの使者として防衛騎士団を訪れているだけだぜ」


「あらあら、やっぱりそうだったのね。私の勘違いじゃなくてよかったわ」


「……なあ、おそらく襲撃の目的は防衛騎士団だろ? ブラッドヴァンとマギルマは水と油のように反発して憎しみ合う敵とはいえ、下っ端に過ぎない俺は弱くて殺すほどの価値もないし、今回ばかりは廊下ですれ違っただけだ。あんたに優しさと余裕があるなら、ここは見逃してくれねぇか?」


「ふうん? そうしてあげたいのもやまやまだけれど、残念なことが一つあるわ。あいにくオドレイヤ様が来ているのよね」


「へえ、あのオドレイヤが。こんな街の外れまで、わざわざ足を運んできたってか。そいつは俺にとって間違いなく不幸だぜ。あいつは好戦的で、敵の生き残りを許さないからなぁ……。俺みたいな無力のアホが相手でも、な?」


「そういうこと。私もオドレイヤ様に怒られちゃうのはたまんないのよ。なんたって、下手をすれば処刑だもの。だからね、たとえ取るに足らない下っ端の人間とはいえ、意味もなくあなたを見逃すわけにもいかないわ」


 そう言ったメイナは実に偉そうな態度で腰に手を当てて、囚人や奴隷を見るような冷たい目をして挑発的に微笑みかけた。

 するとそれが無言の合図になったのか、あたかも従順な機械仕掛けの兵士であるかのようにして、彼女の背後から四つの人影が歩き出てくる。

 統制のとれた動きから察するに、敵の手駒か。


「な、お前らは!」


 そう叫んでキルニアが驚くのも無理はない。

 敵として現れた四人の人間とは、すでに生気を失っているキルニアの部下たちだったのである。自分たちの意志で敵に寝返ったとは思えないので、きっとオドレイヤの魔法によって死後の身体を操られているのだろう。

 オドレイヤが操る死体は動く爆弾にもなる危険な存在であり、あれに捕まってしまえば死は免れない。

 もし敵がスライムに変身する能力しかないメイナだけであったなら、逃げるしか能のないキルニアにも何とかなったかもしれない。けれど、すでに状況は五対一の劣勢である。

 戦うと見せかけて逃げることも難しそうだ。


 ――しかし、ここで戦うといっても、どうやって?


 一歩ずつ後ずさりながら対策を考えるキルニア。しかしどれほど頭をひねっても名案が出てくる気配はなかった。

 逃げるにしたって、出口につながる道は敵が塞いでいる。体の向きを変えて反対側へ走ったところで出口は遠くなるだけだし、最悪あのエッゲルトに再び狙われることにもなりかねない。

 あっけなく万事休すである。


 ――あきらめるしかない、か……。


 あっさりと自分の死を覚悟したところで、おそらく無意識ではあるのだろうが、キルニアの頭の中で過去の回想が始まった。人はそれを「走馬灯が走る」というのだが、意外にも彼はそのことを楽しんだ。敵を目前にして死にかけているくせに、のんきなものである。

 それもこれもすべて、この危機的状況で思い出す出来事が、彼にとって他の何よりも大切なナツミとの記憶であったからであろう。

 彼は現実逃避してしまうくらいに深く彼女に惚れているのだ。

 これは……そう、それほど遠くはない昔のことだ。

 かつてマギルマで、魔道具を使った戦闘訓練をしていたときのこと。周囲の状況に流されるままマギルマに参加したキルニアは当時、新入りであった彼を指導していたナツミを不注意による魔道具の暴発で殺しかけて激怒させたことがある。

 それ以来、「敵よりも仲間を傷つけかねない」という理由でキルニアは魔道具を持たせてもらえないでいた。

 それどころか普通の武器でさえ所持を禁じられている徹底ぶりである。

 つまるところキルニアという人間は、人手を欲しているマギルマにあってさえ、純粋な戦力としては期待されていないというわけだ。

 たまに与えられる数少ない重要任務といえば、人型の動く避雷針としての働きだ。

 すなわち、早い話が戦場で盾になれということであった。


「あんたはとにかく生き延びることにかけては才能があるみたいだから、その特技をのばしなさいな」


「生き延びる才能? ナツミさんの身代わりになって死ぬっていうのが、俺に期待されている唯一の役割じゃあ……?」


「馬鹿ねぇ。なにかと死に急ぐ人間っていうものは、結局は周りの人間を巻き込んじゃうものなのよ。向こう見ずな蛮勇って、大抵は失敗して誰かに尻拭いを求めるものだから。常識にとらわれない柔軟な思考で、あの手この手を駆使しても生き残ること。そういうしぶとさが、結果的に仲間を救うこともあるんじゃない? 隣で死なれると寝覚め悪いし」


「おお……感動しちゃうぜ」


「こんな安っぽい言葉で涙ぐまないで。けど、あんたみたいに単純なのも嫌いじゃないわ」


 そう言ってナツミは笑ったものだ。

 半分以上はあきれていただけかもしれないが、ちょっとくらいは本当に「嫌いじゃなかった」のかもしれない。期待されていないようでいて、ちゃんと仲間の一人に数えられていたのかもしれない。

 だからキルニアは彼女の言葉を改めて噛み締めた。


 ……なんとしても生き残ること。


 交渉が通じる相手ではない。戦って勝てる相手でもない。

 ならば、ここは逃げて生き延びるしかないではないか。

 選択肢など、そもそも他には必要ない。


「う、ぐああああ……」


 うなりながら前屈みになった彼は、だらりと下げた両手を床に押し付けた。

 そして獣のように四つん這いの姿勢になった彼は力強い雄叫びを発する。

 理性なき魔獣のように、雄々しくメイナへ威嚇するように。


「あああああっ!」


 これはキルニアが扱える唯一無二の魔法、己の身体能力を野性的に向上させる「獣化」である。

 思考能力が著しく低下するという欠点もある。ただでさえアホのキルニアにとっては致命的だ。

 しかし、この場から「命がけで逃げる」という、たった一つの単純明快な目的のためなら。

 この土壇場で、もはや小賢しい程度の知性は必要ない。

 少なくとも、本能で生きがちな彼にとっては不要なものだ。


「逃がしはしないってね!」


 ただならぬキルニアの変貌ぶりを目にした瞬間、即座にスライム状態へと変身したメイナ。

 そして本体であるスライムの塊から長い触手を伸ばす。

 粘着性の強いスライムの触手、それは飛び回る獲物を捕食するように長く伸びる腕だ。

 これに野性的な直感のみで対応するキルニア。回避すべく狭い通路を縦横無尽に跳躍するが、それを追うメイナは実戦経験も豊富で、魔法使いとして一枚も二枚も上手である。

 あいにく二人が相対する戦場も彼にとって不利な逃げ場の少ない狭い廊下であった。

 彼なりに死力を尽くしたであろうが、健闘むなしく最後にはメイナの「手」に捕まった。

 いくら魔法で獣化して身体能力が強化されているとはいえ、ブラッドヴァンの優秀な魔法使いであるメイナに勝てるほど俊敏にはなれなかった。

 とはいえ捕まった彼も最後のあがきを忘れない。ひっくり返されたまま、束縛からの脱出を狙って手足をばたつかせて暴れ続ける。

 だが、びっちり粘り着いたスライムは彼の身体を逃さない。

 もともと豊富でない魔力も尽き始めたのか、ゆっくりとキルニアの獣化が解けていく。

 ところがこのとき、少しずつキルニアに理性が戻ってくるのに合わせて、どたどたと慌ただしい足音が響いてきた。


「よくわからんが、そこにいるネバネバの怪物は敵か! それに捕まっているのは、つまり敵の敵に違いない! おそらく味方だ、助けるぞ!」


 その勇ましい声を耳にして、動きを封じられているキルニアは安堵した。

 どうやら彼らは騒ぎを聞きつけて駆けつけた騎士団員のようだ。

 直後、スライムに捕まっているキルニアを挟んだ通路の反対側からも同様に、これまた数人の騎士たちが駆けつけてくる。

 偶然にも、前後からの挟撃が可能な位置関係だ。


「あらあら、残念ね」


 素直に負けを認めるつもりではないだろうが、援軍の存在を確認したメイナは魔法を解いて人間の姿に戻った。言葉ほどには残念がっていない表情が彼女の余裕を感じさせる。

 しかし彼女は人間の姿に戻ってもキルニアの拘束を解かなかった。

 きっちりと背後からキルニアを羽交い締めにしたまま、身体の自由を奪った彼をずるずると引きずるようにして廊下の壁際に下がる。

 そして耳元でつぶやくのだ。


「あなたには価値がある。ここに来るときに遭遇した、入り口に立っていた四人の見張り……あなたの部下としてついて来たマギルマの人間は、本物の下っ端。けれどあなたは、マギルマでも信頼された下っ端。だから生かしておかないこともないわ」


「だったら今すぐにでも解放してもらいたいんだが……」


「彼らの頑張り次第によっては、ね」


 思わせぶりに微笑むメイナ。熱っぽい吐息がキルニアの首筋をくすぐる。

 何を考えているのかわからない彼女の思惑などキルニアには想像することもできないが、それでも彼女の挑戦的な口ぶりから、どうやら自分は必ずしも殺されてしまうわけではないらしいと彼は考えた。

 それに、こうして拘束されてはいるものの、援軍として駆けつけた彼らを足止めするための人質というわけでもないらしい。


「こっちはいい! そいつらを倒してくれ!」


 羽交い締めにされているキルニアは自分のことを無視するようにと、隊長不在で指示待ち状態となっていた騎士団員たちに言葉を飛ばした。

 どこか遠くの場所から、オドレイヤが操っているであろう死体人形は四体。

 対する防衛騎士団の援軍は、隊長クラスではないが十人を超えている。

 実戦経験の少なさから練度は低い彼らだが、最低限の武器として槍や剣を装備した騎士団は一概に雑魚と言い切ってしまえるほど弱くはない。

 死体人形の魔力的爆発によって犠牲者は出たが、それでも死者が三名、負傷者が五名と、最悪の予想よりは遥かにすばらしい結果に終わった。オドレイヤに歯向かえば全滅するのが当たり前のご時世にあって、この戦果は上々である。

 ……あるいは、ただ単に、魔法で死体人形を操るオドレイヤが本気を出していなかっただけかもしれない。

 しかしそれは敵側の事情、あるいは慢心だ。少なくとも彼らにとって勝ちは勝ちである。

 当然、こちらが勝つとき、あちらが負けている。

 それも格下の相手と戦っての敗北である。

 ところが、むしろメイナは晴れ晴れとした嬉しそうな表情を浮かべていた。

 そしてこんなことを言うのだ。


「私を見張っていたオドレイヤの死体人形がなくなったみたいね。やればできるじゃない。さーて、と。だったらもう、こんな茶番はおしまいよ!」


 きつく羽交い締めにされていたキルニアは突き飛ばされるように解放された。

 大事な手駒を倒されたにもかかわらず、不自然に上機嫌なメイナである。


「オドレイヤは魔法で操っている死体人形を通して、離れた場所の情報を見聞きすることができるの。だから今までは私たちのいるこの場所もオドレイヤの監視下にあった。けれど、今はあなたたちの努力のおかげで邪魔でしかなかった監視の目がなくなったのよ」


「監視の目が邪魔でしかないって……。えーと、お前はオドレイヤの部下じゃないのか?」


 あっけにとられたキルニアが問いかけると、ゆっくりと目を細めたメイナは思わせぶりに微笑んだ。ころころと楽しそうに笑いながら、くるくると踊るように壁際を離れると、目を閉じて、噛み締めるように心の愉快さを表現する。

 うっすら開いた目をキルニアに向けて、ある程度は腹を割ることにしたらしい彼女は一転して落ち着いた声で語る。


「実のところ私って、あなたたちマギルマには徹底してブラッドヴァンと戦ってほしいの。これでもかと徹底的に攻撃してもらって、少しでもいいからオドレイヤを弱らせてほしいのよ」


「面白い話だなぁ。……でも、なぜだ?」


「なぜって? それはもちろん、ブラッドヴァンなんていう悪趣味で低俗な組織を破壊して、私が個人的に敬愛するオビリア様をアヴェルレスの次なる支配者にしちゃうためよ。オドレイヤなんて大嫌い。あいつは野蛮なだけで、私とオビリア様の理想郷には邪魔だもの。言葉を選ばずに言えば、さっさと死んでほしい」


「なんというか、それは実にマフィアらしい話だな。最強の組織といえど、必ずしも一枚岩とは限らないってことか」


「あまりにも圧倒的過ぎちゃって、興味や関心が他の組織よりも内側に向きがちなのよ。つまり、ブラッドヴァンにおけるトップの座の奪い合いね。……けれど、やっぱりオドレイヤが強すぎて駄目ね。ブラッドヴァンの人間でさえ手が出せない。……直接的には、ね」


「ふーん、そこで俺たちの出番と。あわよくばオドレイヤが死んでくれればいいってわけか。組織内におけるトップ争いっつうことは、結局のところマフィアの内乱か。どうせなら身内でつぶし合って、そのまま自壊してくんねぇかな」


「それはそれで私も構わないわ。そんなにうまくいけばね。……まあ、悪女らしく圧倒的な悪に憧れるオビリア様は本心からオドレイヤを慕っているみたいだけど。あれが理想的なボスだなんて、オビリア様ってば本当に歪んでるわ。そこが素敵なんだけど……趣味は悪いわよね。心の底からオビリア様のことだけを慕っている私の気も知らないで、ブラッドヴァンの幹部だなんて役職を喜んでやっているんだもの」


 だがこのとき、本気を出さぬまま戦闘を切り上げたメイナとキルニアのやり取りは、とある人物の特殊な遠視能力によって目撃されていた。

 遠隔乱舞刀剣で防衛騎士団を襲っていたエッゲルトである。

 当然といえば当然の結果だが、敵であるキルニアと仲良く会話しているように見えるメイナを怪しんだエッゲルトは、その浅はかな頭で瞬間的に一つの結論を導き出した。

 キルニアを見逃す素振りを見せた彼女をブラッドヴァンの裏切り者であると決めつけたのである。

 そう考えるに至った彼は具体的な行動に出るのも速い。

 なんとか手柄を立てたいという一心で、裏切り者と決めつけたメイナに奇襲をかけることにしたのだ。裏切りの証拠など、彼女を殺してしまってからでっち上げればいいと楽天的に考えてのことである。

 どうやら見逃してもらえるようだと油断していたキルニアの目の前で、唐突にメイナを取り囲むように六本の剣が出現した。

 直後、一切の逃げ場なく六方向から一斉に彼女を貫く。

 しかし彼女はとっさにスライムへと変身して、これを回避した。

 スライム状態になった彼女は切断や打撃といった攻撃を無効化することができるのである。

 最初の一撃をしのいだことを確認すると、彼女は魔法を解いて人間の姿に戻る。


「いきなり何かと思えばエッゲルトの魔法か……。まったく、今の攻撃は絶対に私を狙ったわよね。いったい何を考えているのやら、うぬぼれやがっちゃって……気に食わない! たかだか下部マフィアのボスごときが、街の支配者であるブラッドヴァンの人間に手を出しちゃうって、とっても非常識よね!」


 上下関係をわきまえない無礼な急襲を受けたメイナは悔しさと腹立たしさに歯ぎしりし、虚空を睨みつけるようにしてエッゲルトへの激怒を隠さない。

 にじみ出て来た殺意の影響からか、自然と言葉は荒くなる。


「つまり仕返しに殺されたっていいということ! あのクズ! この私が何の策もなく一人で乗り込んだとでも思っているのかしら。だとしたら笑っちゃう!」


 無法地帯ともいえるアヴェルレスに暮らしているマフィアたちは、誰しも自分の護身にだけは熱心だ。そうしなければ不意をつかれて死んでしまいかねないからであるが、とかく普段から目立ちがちな組織の上に立つ人間であればあるほど、もしものときに備えて身を守るための手を打っていることが多い。

 もちろんブラッドヴァンの幹部であるメイナもその一人だ。

 彼女の部下は、特殊な粘着弾を操る少女部隊。

 こうなることを正確に見通していたわけではないが、襲撃のずっと前から物陰に隠れてエッゲルトを見張っていた少女部隊に対してメイナが連絡用の魔道具を通して攻撃を命じる。

 すると間もなく、メイナの部下たちがエッゲルトに向かっておびただしい粘着弾を浴びせかけたらしく、一時的ではあるが彼を行動不能にした。

 ふーっとため息をこぼしたメイナはそれで気が済んだのか、少しだけ表情を緩めると、びっくりして腰が引けているキルニアに顔を向ける。


「おとなしく今すぐに出て行くのなら……そうね、ここは見逃してあげる」


「ここにいる全員を、か?」


「……ええ、特別にあなたたち全員を逃がしてあげるの。そしてあなたのボスに伝えなさい。徹底的に戦って戦って、最後には刺し合う形でオドレイヤと心中するようにって。そうしたら私の敵は両方とも勝手につぶし合って消えてくれるもの」


「伝えてはおくさ。伝えた結果として、その通りに実行するかどうかはともかく」


「なら。……結果が楽しみね」


 そう言い残したメイナは優雅に歩き去った。

 一方、その場に残されたキルニアは同じく置き去りにされて残された防衛騎士団の団員たちを見渡す。

 この状況では襲撃者に対して無意味に戦いを挑んで全滅するよりは、たとえ少人数でも、生き残った彼らを無事にマギルマまで連れ帰った方がいいだろう。

 どのみち今の戦力では頼りなく、いかような作戦を立てたところで最強最悪の魔法使いであるオドレイヤを倒せるわけがない。


「さてと、これからの運命を選んでもらおうか」


 おどおどと顔色をうかがうような騎士団員たちの反応を一応は待って、しかし場の空気を読まない性質のキルニアはあっけらかんといった口調で続ける。


「今ここで沈み行く防衛騎士団とともに意味もなく命を散らすか、あるいはここから逃げ出し、今後はマギルマの一員として打倒マフィアのため命を捧げるか……。あんたらが俺みたいにアホでもなければ、考えるまでもなく即答できると思うがね」


 今度は騎士団員の反応を待つまでもなく、キルニアはなんでもないことのように言ってのける。


「なんたって、頷くだけだ。ここを抜け出して、俺についてくるってな」


 無視できない程度のためらいはあったが、最終的な結論として、キルニアに誘われた彼らは全員がマギルマに参加することを決意して、襲撃を受けた防衛騎士団の本部を抜け出すことにしたのだった。

 それをマギルマにとっての戦果と言い切ってしまうには、まだまだアヴェルレスの情勢が先行き不透明ではあったけれど。

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