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治癒魔法使いアレスタ  作者: 一天草莽
第一章 治癒の英雄、あるいは不死者の王
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07 地下のアジト

 そこは薄暗い地下通路だった。

 ほとんど利用者がいないのか、きれいに片付いている快適な通路ではない。乱雑にゴミや資材が散らばっていて物陰も多く、どこから魔物や悪党が出てきてもおかしくない。

 かろうじて等間隔に設置されている魔術灯の光が周囲を照らしているものの、数が足りないのか見通しがいいというには程遠い。

 どれほどの規模かはわからないが、地下へと続く入り口の前には「進入禁止」の立て札が置かれていてもおかしくはない。


「ここは……?」


「具体的な場所はわかりませんが、どうやら街の地下に転移させられてしまったようですね。ベアマークも意外と歴史のある街ですから、かつて使われていた地下街や地下通路がいくつか残っているんです」


「なるほど」


 床に落ちた衝撃で魔法が発動した宝玉の光に包まれて、地上にあった雑貨屋から地下の空間に転移してきたらしいアレスタとイリシア。

 先ほどオーガンが語っていた話が事実なら、ここは誘拐犯のアジトに近い場所かもしれない。もしそうであるならば、誘拐されて閉じ込められているはずの被害者の救出に向かいたい二人だったが、敵が何人潜んでいるかわからないので無理はしないほうがいいだろう。

 そう考えたアレスタたちは慎重に、まずは安全な出口を探して歩き始めた。

 と、しばらく歩くと通路の壁に扉が見えた。

 少しだけ歩調を速めて先頭に出たイリシアが扉の前で立ち止まり、声を潜めて振り返る。


「内側から人の気配がします。もしかしたら誘拐された人質が閉じ込められているかもしれません」


「じゃあ、えっと……」


 どうするんだろうとアレスタが考えていると、頭の中で彼が答えを出すより早くイリシアが答えた。


「もちろん助けますよ。どこから敵の援軍がやってくるかもわからないので、のんびりと作戦を立てるよりも、今すぐ突入することにします。おそらく誘拐犯たちは街の騎士がアジトを発見できるとは考えていないでしょうから。相手の隙を狙うなら今です」


「言っていることはわかります。でも、まさか俺たち二人でですか?」


「いいえ、ご心配なく。私一人で、です」


「え、でも……」


 さすがに一人で突入するのは危険じゃないのか。

 そう言おうとしたアレスタだったが、彼女は微笑んだ。


「私には魔法がありますから」


 そう言いながら精神果樹園を開いて魔法を使用したのか、地下通路には風もないのに髪がたなびき、彼女の全身が淡く輝くオーラのようなものに包まれた。


「自分の速度を上昇させる魔法が、ね」


 短い説明を付け加えた直後、彼女はためらいなく扉を開ける。

 ドアノブを握った手とは逆の手に剣を構えているのは、すでに戦う覚悟ができているからに違いない。


「なんだ、お前らは!」


 扉の先、魔術灯の明かりを抑えている薄暗い部屋の中には五人の男女がいた。

 困惑した表情を浮かべる彼らの中心にある古びた木製のテーブルの上には数十枚のカードが並べられており、ひょっとすると暇つぶしに遊んでいたのかもしれない。

 部屋の奥には誘拐された人質なのか、乱暴に縄で縛られた少年の姿も見える。


「では、ここは私に任せてください」


「えっ?」


 強さがわからないものの敵は一人ではなく五人もいるのだ。役に立てないとしても微力ながら加勢しようと思ったアレスタだったが、その決意は無駄に終わった。

 遠慮なく部屋に踏み入ったイリシアによって、内側から扉が閉められたのだ。

 どうやら足手まといだと判断されたらしい。武器もなく、攻撃魔法も使えず、ろくに戦闘経験もないアレスタなので、身の安全を守るために部屋を追い出されるのは仕方ない。

 冷静に考えれば、戦闘に慣れている様子だった彼女にとっても目の前の敵に集中できる環境の方がやりやすいだろう。

 ただ、そうは言っても彼には治癒魔法がある。

 朝に試した時はサツキに効果がなかったように、果たして彼女に治癒魔法の効果があるのかわからないが、それでも何かあったときに自分の身を守ることはできるのだ。危険を顧みずに彼女が命がけで戦っている間、安全な部屋の外で自分だけが楽をしているわけにもいくまい。

 やはり助太刀しようと思って慌てて扉に手をかけたアレスタだったが、そこへ敵意を感じさせる低い声が響いた。


「待てよ。何をしようってんだ、お前は?」


 間違いない。背後からアレスタに声をかけてきたのは悪党の一味であろう男だ。

 仲間を引き連れず、たった一人でこの場に姿を現したようだが、このまま彼を部屋の中に入らせるわけにはいかない。すでに五人の誘拐犯グループを相手に一人で戦っているイリシアが不利になるからだ。

 可能なら、ここはちょっとの間でも足止めしておきたい。

 まずは敵意を隠して、穏やかな会話を試みる。


「すみません、実は道に迷ってしまって」


 何も知らない振りをして答えたアレスタだったが、閉ざされた部屋の内側から、激しい怒号や物音が響いてくる。

 楽しい宴会の音ではない。どちらが優勢なのかいまいちわかりにくいが、きっとイリシアが悪漢たちと戦っているのだろう。

 さすがに誤魔化すのは難しそうだ。


「こんなところで道に? ……まあ、バカな子供を相手に言いたいことはたくさんあるが別にいいだろう。お前がどこの誰であろうと、今すぐ立ち去るのならば手は出さん。さあ、そこをどいて俺に道をあけろ」


 どこまで事態を理解しているのか、迷いのない男はアレスタに向かってゆっくりと歩いてくる。

 このままアレスタが扉の前で立ちふさがれば、中に入るために力ずくでも排除しようとするだろう。

 幸いにも男は武器らしい武器を持っていない。なので、素手の殴り合いで戦って勝つことが難しくとも、治癒魔法が使えるアレスタなら時間稼ぎくらいはできるかもしれない。

 戦いの作法も知らぬまま、本能的に腰を低くして身構えたアレスタの姿を見て、その意思を感じ取ったのか男も戦闘態勢に移る。


「へえ、ただの臆病者ってわけじゃなさそうだな。逃げずに立ち向かってくるっていうのかい? それじゃあ俺も遠慮なくやらせてもらうぜ」


 そう言って足を止めた男はこぶしを握り締めた両手を前に突き出した。

 そして手のひらを上向きにしたまま、五本の指を一本ずつ開いていく。

 ほぼ同時に、目には見えない精神果樹園が開いた気配がした。

 直後に男の両手が白く輝き始め、火の粉のように舞い散った光の粒子が彼の両手に吸い寄せられて収束していく。

 段々と濃く、段々と明確に。

 それは出来上がってみれば二本の剣となった。

 右手に一本、左手に一本。男は両手に剣を握り締めている。

 事前に装備していたものではない。彼は虚空から白銀に輝く剣を生み出したのだ。


「何をするかと思えば、武器を出現させる魔法か!」


「びっくりしてくれてありがとう! けどな、まだまだだ!」


 両手に一本ずつの剣を握った男はそれでも足りないのか、さらに気合を込める。

 精神果樹園を開いたまま雄叫びを響かせると、今度は彼の周囲でいくつもの白い光の玉が出現した。それらも先ほどと同じように複数の地点で収束すると、やがて物質としての形を獲得し、結果として六本もの新しい剣が生み出された。

 それと同時に、男の身体も様変わりする。

 両肩、脇の下、さらに脇腹から新しい腕が内側から延びるように出現する。あらかじめ備わっていた二本の腕とは別に、六本もの腕が追加されたのである。

 白く研ぎ澄まされた六本の剣は、半透明に輝く六本の腕にそれぞれ握り締められる。


「……でよう、道に迷った馬鹿な少年君? やっぱり逃げるってんなら今のうちだぜ?」


 反り返るほどに胸を張ってアレスタを見下す男は、もともとの腕とは別に六本の腕を魔法で出現させており、それが結果的に八本の剣を同時に構えることを可能にしている。

 その姿はまさしく八刀流。

 八本の剣は魔法であり、六本の腕も魔法である。

 実際問題、治癒魔法の他には使える武器がないアレスタには勝てる気がしない。おとなしく逃げたほうが賢明だろう。

 しかし彼は屈しなかった。


「いや、なおさら部屋の中に入らせちゃいけないと思えたよ。ここは俺が足止めする」


「き、貴様……!」


 八本の腕を全部まとめて頭上へ掲げ、ぶるぶると震わせて怒りをあらわにする男。

 同時に八本の剣も高く掲げられているので、さすがに迫力がある。


「いいだろう! 邪魔なお前を斬り殺して部屋の中に入らせてもらう!」


 顔を赤くした男は八本の剣をうまく構え直して、まっすぐにアレスタへと襲い掛かってくる。少しずつ角度を変えて上を向く八本の剣先は歩くたびにゆらゆらと揺れ、その姿は正面から見ると新種の魔物みたいだ。

 一度は立ち向かうことを決心したアレスタだったが、目の前の相手は強敵だ。足止めを狙う決意はそのまま、まずは生き延びるための手段を探すことに専念した。

 武器がないまま、徒手空拳で八刀流の相手にどう戦えばいいのか。そもそもアレスタなんて剣が一本しかない相手でも勝負にならないのだ。それが八つとなれば、男が繰り出す攻撃を避けるのさえ至難の業だろう。

 治癒魔法はある、だがこれは最後の手段だ。使う余裕もなく息の根を止められ、治癒魔法を使うことすらできない可能性だってある。

 今ここで己の治癒魔法に期待するには圧倒的に経験が足りない。

 ここはとりあえず致命傷を避けつつ、ゆっくりと反撃の機会を狙うべきだ。

 アレスタはそう判断した。


「おりゃあ!」


 殺戮を楽しむような男の嬉々とした叫び声。続いて、剣を振り下ろす際に生じたらしい風を切る音が立て続けに八つも響き渡った。

 どうやら男の腕は一本ずつ自由自在に動かせるらしく、八回連続で、あらゆる方向から剣で斬りつけてきたのである。驚いたアレスタは体勢を崩しながらも背後に下がり、男から距離をとることでかろうじて避けた。

 だが、こんな偶然が何度も続けられるわけもない。


「まずい! このままだと本当にまずい! 何かないか!」


 ひりつくような死の危険を感じたアレスタ。ひとまず安全な距離まで遠ざかることに成功したものの、目的は男から逃げることではない。

 自分の手で倒すことは不可能でも、せめて足止めくらいしておきたい。

 八本腕の相手に有効な対抗手段はないかと思って周囲を確認すると、手に持つのにちょうどいい大きさの角材が地面に転がっていることに気がついた。こんなものが剣を相手に意味があるか自信もないが、いつまでも素手でいるより遥かにましだ。

 なるべく優雅さを装って腰を曲げたアレスタは落ちていた角材を手に取った。


「ははは! そんな棒切れで何ができる!」


 不安がっているアレスタの胸中を敵が代弁してくれるので、ものすごく格好悪い。


「何ができるかはわからない。けれど、これで一応は逃げずに立ち向かえる」


 それなりに重さがあり、長さはアレスタの身長の半分くらい。これを振り回せば最低限の武器にはなりそうだ。

 角材を両手できつく握り締めると、男を視界の正面に捉えて構えた。

 攻撃魔法など使えなくても、これで戦えると信じて立ち向かう。


「そうかい、それは楽しみだ! まずはこれを食らえっ!」


「そう簡単にやられるものか!」


 恐怖を飲み込むべく歯を食いしばったアレスタは手にした角材で男の一撃目を受け止める。

 至近距離の真正面、すぐ真上からやってくる垂直な剣の振り下ろし。

 その攻撃をアレスタは正面から角材で受け止めた。右手と左手でそれぞれ反対側の端を持って、地面と平行になるよう水平に倒した角材で。

 いや、確かに受け止めたつもりだった。


 ――ストン。


 けれど男が振り下ろした剣は角材に当たっても止まらず地下通路の床すれすれまで落ち、その通過点でアレスタの鼻先を掠めた。受け止めたはずの手応えはまるで感じられず、あっけない音を立てて角材は綺麗に真ん中から切断されていた。

 ちょうど半分ずつ、さらに短くなった二本の角材が誕生するのみだ。


「……やっぱり切れ味いいなぁ!」


 いい木材だ。

 二つに割れて両手に残った角材も、どうせ簡単に切断されてしまうだろう。せめてもの武器として大事に持っていたところで邪魔になるだけだ。

 もう使い道がないと判断したアレスタはためらいなく投げ捨てた。

 再び素手になったアレスタに対抗手段がなくなったとみて、男は満足そうな様子を見せる。

 次の一撃をどの腕のどの剣でお見舞いしてやろうかと、無抵抗な獲物を前にして楽しみながら選んでいるようにも見えた。


「これで終わりだな!」


 本当にこれで終わらせるつもりなのか、男は八本の腕をほとんど同時に振り下ろす。それでよく絡まらないものだとアレスタは不思議に思ったが、あのうち六本は魔法の腕なのだ。そういう物理的な理屈も通じないのだろう。

 上下左右から交差するように襲ってくる男の剣は八本。それを受けるアレスタには、自分の腕の他に武器はない。

 もはや逃げるのも間に合いそうにはなかった。

 このまま自分は八本の剣で九つに分割されて死ぬのだと、せめて顔だけは綺麗なまま残して欲しいものだが難しそうだと、そんな後ろ向きなことを考えながら目を閉じてアレスタが観念したときだった。


「待ちなさい!」


 男のすぐ脇にあった扉が開け放たれ、凛と張り詰めた女性の声が響いたのだ。

 そのままどれか一本の剣でも振り抜いていればアレスタの命も終わっていただろうに、突然の乱入者の声に気を取られたのか、すべての剣と腕をひっこめた男は背後にジャンプして大きく距離をとった。


「くそったれ、まさか部屋の中で暴れていたのが騎士だったとはな!」


 驚いた男が叫んだ通り、そこには一人の騎士の姿があった。

 この短時間で五人の悪党たちをすべて退治して、無傷の勝利者として部屋から出てきたイリシアだ。


「部屋の中にいた彼らは全員無力化して拘束しました。その好戦的な様子から判断すると、おそらくあなたも仲間でしょう。おとなしく武器を捨てて投降しなさい。でなければ痛い目を見ることになりますよ」


 淡々と告げられたイリシアの言葉で男は自尊心を傷つけられたのか、仲間をやられた怒りと驚きも合わさって肩を震わせる。


「痛い目を見るだと! 笑わせる! 騎士とはいえ、俺が女ごときに遅れを取るものか!」


「……素直に投降する気はありませんか。仕方ありませんね。ですが、はじめに断言しておきます。抵抗するなら手加減はしませんよ」


 優しく微笑んだイリシアは顔を斜めに傾け、申し訳なさそうに肩をすくめる。その姿はまるで駄々をこねた子供をあやす母親のようで、それを目にした男はますます怒りをあらわにしてしまう。

 八本の剣が彼女へと突き出され、すべての剣先がそろえられた。

 きっと威嚇のつもりだろう。


「貴様ぁ! それはこの俺が反魔法連盟ベアマーク支部の幹部である、八本腕のデッシュと知っての狼藉か!」


「あなたのことは知りませんでしたが、わざわざ自己紹介していただけて助かります。悪人ならば私も容赦なく戦えますので」


「何が容赦なく戦える、だ! もういい! 今、ここで、格の違いを思い知らせてやる!」


「ぜひ思い知ってください」


 イリシアはそれだけつぶやくと、二本の剣を鞘から同時に引き抜いた。

 右と左に一本ずつ、合わせて二刀流である。

 さすがに魔法で八刀流を可能にしたデッシュと比べてしまうと物足りない印象が拭い去れないものの、それも彼女が実際に動き出すまでの杞憂だった。


「はあっ!」


 短く吐き出した掛け声とともに、イリシアは目にも留まらぬ速度でデッシュに左右から斬りかかる。

 キンキンと響き渡った剣と剣がぶつかる音は降り注ぐあられのごとく、一度鳴り始めればとどまることを知らず、何度となく繰り返される。

 激しく続く、剣の交差。

 一瞬を競い合う攻防。

 八本もの剣を持つデッシュを相手にしながら、たった二本の剣で挑む彼女。さすがに苦戦するかと思ったが、太刀筋の数的な不利をものともせず果敢に立ち向かい、怒涛の剣さばきによってデッシュを圧倒していた。

 むしろ八本もの武器を同時に使いこなさなければならないデッシュこそ、身に余る数となった剣の扱いに苦戦しているようにも見える。使える武器が六本も多いという圧倒的に有利な状況を、なかなか攻撃に生かすことが出来ていない。


「くそ、こいつ、意外とやるな!」


 自然な動きで風が流れるように、しかし凡人には予測不能な動きで不規則的に襲い掛かってくるイリシアの攻撃をかろうじて受け流し続けるデッシュではあったが、それは傍目から見ていても劣勢に他ならなかった。

 イリシアの二刀流。その片割れである、たった一本の剣の動きを食い止めるためにさえ、防御に徹するデッシュは四本の剣をフル稼働させなければ対処できていなかった。

 足を下げ、身を引く。

 剣を振るい、距離をとる。

 一歩ずつ後ずさり、徐々に壁際へと追い込まれていく。

 魔法によって生み出した剣の八本すべてが、たった二本の剣を止めるためだけに動いていた。イリシアに苦戦して追い込まれていくデッシュは防戦一方であり、数ある剣の一本たりとて明確な反撃に転じられない。

 おそらく、戦っている二人の力量が違いすぎるのだろう。

 洗練された騎士であるイリシアの動きと比べて、デッシュには見るからに余裕がない。あらゆる意識が剣の動きだけに集中してしまっているのだ。

 目の前の戦いに集中するデッシュは素人目にも隙だらけであった。


「……よし」


 そのことに気が付いたアレスタは先ほど捨てた二本の角材を両手に取った。

 そしてアレスタは合計して十本もの剣でやりあっている二人のそばへ、そっと足音を殺して壁側から近づいていく。

 もちろん狙うのは彼に背を向けるデッシュである。両手に持った角材の射程圏内までデッシュの背中側から近づくと、そのまま二本同時にデッシュの後頭部めがけて振り下ろす。


「食らえ、これが俺の二刀流だ!」


 気合を入れて叫ぶや否や、狙い通りデッシュの後頭部にアレスタの角材は直撃した。

 そのまま意識を失うかと思ったデッシュだが、最後の力を振り絞ってアレスタのいる背後を振り返る。


「ふざけんな! 俺のほうが六本多いんだよおっ!」 


 よくわからない負け惜しみとともに、デッシュは振り向きざま左腕を横になぎ払う。

 左腕といえど総数は四本あり、その先には四つの剣がある。

 それらは的確にアレスタの左腕を服の袖ごと切り裂いて、薄暗い地下通路に傷口から噴き出した赤い鮮血が飛び散った。

 およそ一日振りに嗅いだ自分の血の匂いはアレスタにとって懐かしさを感じるものだ。どうやら骨まで達したらしい四筋の深い斬り傷が、燃えるような激痛を走らせてアレスタの胸に危機感を思い起こさせた。

 死ぬかもしれない。

 死なずとも、左腕は使い物にならないだろう。

 だらりと下がった左腕。その指先から滴る赤々とした血液は通路の床に広がり、痛みと恐怖に青ざめるアレスタの顔は生気を失いつつあった。

 反撃に成功したデッシュは不敵に顔をゆがめて笑い、そのまま意識を失って今度こそ地面へと倒れこむ。

 それを見たアレスタは勝利を確信して安心すると同時、我慢ならない左腕の鋭い痛みにたまらず顔をしかめた。


「だ、大丈夫ですか? 血が出ていますよ!」


 地面に倒れたデッシュが本当に気を失ったかどうかを確認した後、周囲に敵の気配がなくなったことを確信して剣をしまったイリシアが血相を変えてアレスタのもとへ駆け寄ってくる。

 おそらく負傷したアレスタのことを心配してくれているのだろう。

 その事実は確かにアレスタにとって嬉しかったが、無闇に彼女を不安がらせるわけにはいかない。急いで無事を知らせる必要がある。


「大丈夫です、イリシアさん。ちょっと油断して斬られただけですよ」


 しかし現実的には十分な深手だ。苦笑して答えるのがやっとなくらいに傷が痛む。

 当たり前の話だが、何度となく繰り返されても痛みには慣れない。慣れるのは心が死んだときだろう。

 とめどなく大量に血が流れ出せば、恐怖と不安に背筋は凍る。

 やがて意識は遠のき、死が覗く。

 いつしかアレスタはふらついていた。


「ちょっと! 何を言ってるんですか! 大丈夫じゃないですって! どばどば血が出ていますから! 待ってください、今すぐ止血しますので!」


 そう言ってイリシアは懐から折りたたまれたハンカチを取り出した。

 ハンカチは騎士のたしなみとでもいうのだろうか。律儀なものである。

 おそらく腕に巻き付けて止血してくれるのだろうが、それは受け取れない。彼女のハンカチを血で汚すわけにもいかぬ。


「いや、本当に大丈夫なんです。しばらく待っていてください。自分でやってみます」


 まずは静かに目を閉じて、心を落ち着かせると同時に呼吸を整える。

 それから意識の奥にある精神果樹園の扉を開き、魔力の塊である淡緑色のブドウを握りつぶす。

 ほぼ同時に現実の右手が魔力的な力を持ち、それを実感してから左腕の傷口に押し当てる。

 熱を持った右手から、淡く鮮やかな光が放たれた次の瞬間、左腕の痛みはすっかり消えてなくなった。


「うん、治った。成功だ」


 アレスタの治癒魔法である。

 無事に治った左腕をぐるぐる回して、きちんと動くかどうかを確かめる。

 どこにも痛みらしい痛みはない。傷跡も完璧に消えている。


「そん、な……。今の傷を、魔法で、一瞬で?」


「え?」


「……まさか、じゃあ、それは治癒魔法?」


「えっと、あのう、たぶんそうだと思いますが……。とにかくこれで傷もふさがったみたいなので大丈夫ですよ。わざわざ心配してくださってありがとうございます」


「いや、でも、まさか! 治癒魔法だなんて!」


「……イリシアさん?」


 襲い掛かってきたデッシュを倒し、治癒魔法のおかげでアレスタの怪我も治って万事解決のはずなのに、何故かイリシアは混乱しているらしい。

 しっかりした人だと思っていたのに、この変貌振りはなんだろう。

 しばらく待っていると、ようやく頭の整理がついてきたらしいイリシア。

 ぎこちなく、かしこまった表情でアレスタに尋ねてくる。


「失礼ながらお尋ねしますが、あなたは治癒魔法を使えるのですか?」


「そうだと思いますが、違うんでしょうか?」


 改まって質問されると、絶対にそうだと言い切れる自信も確証もない。自分では治癒魔法だと思っているけれど、実際には違う可能性も否定できない。自信がないというか、そもそもアレスタは魔法のことについて何も知らないのだ。

 考えてみれば治癒魔法だけでなく、魔法そのものについてほとんど知識がない。これまでずっと田舎暮らしだったので、一般常識にも欠けているものが多々あるだろう。本を読んでいろんなことを勉強していたとはいえ、それだってカーターが選んで買いそろえていた本だけなので、どうしたって限定的な知識である。

 実のところ、魔法の力で傷が治ったから治癒魔法だと判断しているに過ぎないのだ。

 もしかしたら本当は治癒魔法とは違うのかもしれない。使っている自分でもよくわかっていないアレスタなので、何か知っているのなら逆に教えてほしいくらいだった。


「違うんでしょうかって、それはいったいどういうことですか? もしかして誤魔化しているつもりですか? ですけど今、私は確かに見ましたよ! 魔法の力であなたの傷が治ったじゃないですか!」


 わなわなと震える右手の人差し指がアレスタの左腕に突きつけられる。

 彼女が指摘するとおり、左腕にあったアレスタの傷は治っている。

 すごい剣幕で叫ばれてしまったためか、責められた気がしたアレスタは思わず身がすくんでしまった。

 何を答えれば正解なのかわからず、びくびくしながら答える。


「だとしたら、やっぱり治癒魔法かもしれません」


「だとしたらとか、やっぱりとか、どうして自分のことなのに自信を持って答えられないのですか!」


「いや、それが……。実はですね、この前やっと魔法を使えるようになったばかりでして……」


 うっすらと照れ笑いを浮かべるアレスタは決まりが悪そうに頭をかいて、少しだけ申し訳なさそうにする。

 深刻な問題にしたくはなく、雑談をするような軽い気持ちで答えたアレスタに対して、難しく考えているのかイリシアは腕を組んで思案顔になる。


「……なにやら、あなたをこのまま放置しておくと大変なことになってしまいそうな気がします。ご同行を願えますか?」


 断って立ち去ることもできたが、この街の騎士との間で遺恨を残したくはない。

 素直にうなずいたアレスタの本日の予定が決まった。

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