25 ティータイム
一夜が明けるころには、オドレイヤによって街に放たれた魔獣の群れはほとんどが消え失せた。
もちろん何もしないまま勝手に自然消滅したわけではなく、アレスタたちが所属する市民革命団やユーゲニアの防衛騎士団、それからマギルマが率先して対処に当たったおかげである。
命をかけて討伐に参加した彼らがいなければ、アヴェルレスには今も無数の魔獣が跋扈していたことであろう。そうなれば市民の生活はことごとく破壊されていたに違いない。それこそがオドレイヤの狙いだったのだ。
さて、ここはアヴェルレスに広く点在するという、マギルマが潜伏するアジトの一つ。
アレスタたちとは別の地点で魔獣の討伐をして、ほっと人心地ついていたファンズが休息をかねて、彼の腹心であるブリーダルとパープルティーを飲みかわしていた。
「今回の件、どれくらいの被害が出たかな?」
古びた椅子に足を組んで座って優雅さを気取ってはいるが、そう尋ねるファンズも内心では落ち着いていられない。
ざわざわと胸中は波立ち、苛立っていると言ってもいい。
宿敵たるオドレイヤの作戦がうまくいくことを快く思っていないのだ。
「残念ながら、市民だけで少なくとも百人を超える死傷者が出たでしょう。これからの調査次第では、犠牲者の数がさらに増える可能性も否定できません。魔獣の出現は思いのほか広範囲に及びましたので」
「まったく心が痛むね。ますますオドレイヤが憎らしくなったよ」
たちまち心を覆った嫌な気分を流し去りたいのか、うんざりした様子でファンズはパープルティーを飲み干した。いつものことながら、高級な風味など楽しんでいる気分ではないらしい。
テーブルに置かれた空のカップに新しいパープルティーを注ぎながら、ブリーダルは励ますように語りかける。
「しかし我々は彼らの計画を頓挫させることに成功したのです。少なくない犠牲者が出たとしても、そこだけは誇ってもよいでしょう」
「もちろん誇るさ。マギルマの勇敢なる構成員たちには最大級の敬意と賛辞を表したいところだね。彼らが戦ってくれたからこそ、市民の犠牲も最小限ですんだと言えるだろう」
「ええ、まったく」
異論なく頷いて微笑むブリーダル。これにはファンズも励まされる。
と、そこへ浮かない顔のナツミがやってきた。なにやら心配事があるらしい。
「……どうやら戦っていたのは私たちだけではなかったみたいだけど」
「いらっしゃい、待っていたよ。ふふん、一緒にパープルティーを飲むかい?」
「いらない。それよりも言っておきたいことがあるの。なんでも街の各地で魔獣と戦っていたのは、あの防衛騎士団に市民革命団、そして……」
最後まで言い切らず、ますます顔を曇らせたナツミはその先を言いよどむ。
煮え切らない表情を見ただけで彼女の気持ちを察したファンズは言葉を引き継ぐことにした。
「なるほど。君が懸念しているのはカズハのことか」
「……ええ、まあ、そうね」
そっけなく顔を背けたのは、カズハの心配をしているなどと知られたくないからだろうか。
つれない態度を取ったところで意味はなく、彼女がカズハのことを本当の妹のように気にかけていることなどファンズにも理解できるのだが。
つい漏れそうになった微笑をとっさに隠したのはブリーダルだ。ごまかすようにてきぱきと、香りの強いパープルティーに合う手作りの焼き菓子をテーブルに差し出した。
ついでに彼が仕入れた情報を添えておく。
「私が手に入れた情報によりますと、カズハたちはギルディアンなどと名乗って活動を始めたとか。どういった経緯であれ、市民革命団の一員としてブラッドヴァンと戦うことにしたのでしょう」
これにいち早く反応したのはナツミだ。
「信じられない! もう、こんなことなら無理にマギルマから追い出そうとするんじゃなかった! まさかアヴェルレスにとどまるなんて……。あんなにも外の世界へ帰れと言ったのに!」
「まあまあ、そう熱くならないで。これでも食べて落ち着いたらどうだい?」
なだめに入ったファンズが焼き菓子の入った皿をナツミのところへ押し渡す。
同時にブリーダルへ目配せをして、彼女にもパープルティーを提供するように合図した。
お腹を満たさせて、心を落ち着かせる作戦だ。
これが意外にもナツミには効果がある。
「ふふん、それにしても不思議だよ。君がカズハに与えたという怪我が治っていたっていうんだから。本来なら戦える状態ではなかったのだろう?」
「どうせ何か魔法でも使ったのよ。本当は傷ついてなんかいなかったに違いない。そう、きっと私は騙されたの。あんな奴にあっさりと……」
わざわざ心を鬼にしてまでカズハに傷を負わせたナツミ。それもこれも、すべては負傷した彼女がオドレイヤに対する復讐をあきらめて、アヴェルレスの外の世界に戻ることを期待してのことであった。
それがどういったわけか、すぐには治らないはずの傷が最初からなかったかのように、今では市民革命団の一員としての活動を始めたというではないか。
うまくいかない。彼女の計画が台無しである。
あふれんばかりの悔しさやもどかしさから、今にも地団駄とともに歯ぎしりをしそうだ。
普段の冷静な彼女らしくない。妹分であるカズハのこととなると、いつにもまして感情的になってしまう。
これにはどちらかとえば楽天的な性格であるファンズも気がかりに思えてくる。
「心配であるのは事実にしても、あまりイライラしないほうがいいよ。あの小さかったカズハも成長したってことかもしれない。私も君も、あの子に対する認識を改めなければならないかもしれないね。彼女も立派な一人の魔法使いということさ。嬉しいじゃないか、妹分の成長というものは」
「嬉しくない。腹立たしい」
「またまた。心にもないことを」
「……馬鹿にしているの?」
「ま、まさか」
どことなく本気で怒っているような睨みを向けてきたナツミに、思わずファンズはたじろいだ。彼女を愛すると同時に恐れてもいるファンズのことだ。たとえ冗談でも彼女が凄みをきかせると何も言い返せなくなりがちである。
マギルマのボスが恋人同然の女性に対してうだつが上がらないのでは示しがつかない。このまま黙っている訳にもいかなくなったブリーダルは救いの手を出すことにした。
……いや、実際には単純に彼の情けない姿を見ていられなかっただけかもしれない。
誰だって自分の上司にはしっかり者でいてほしいはずだ。
「さて、それより問題は、魔獣の討伐に参加した防衛騎士団のことですが……」
「ああ、そのことか。防衛騎士団の魔獣討伐隊を率いていたのはナルブレイドという青年だったか。なるほどね、彼も口で言うだけの無能ではなかったわけだ」
そう言いながら、ファンズはナルブレイドと酒場で言い合ったことを思い出した。あのときは自分の立場を忘れて煽ってしまったものの、それでも負けじと行動に移した彼にファンズは好印象を抱く。
どこの誰であろうと、強大な敵に屈しない人間はそれだけで存在価値があると彼は考えるのだ。
故に、彼のことを心配する気持ちがないと言えば嘘になる。
「防衛騎士団の魔獣討伐隊は名前の通りに街を襲った魔獣を退治しただけだが、それは意図的に魔獣を放ったブラッドヴァンに対する反逆だと受け取られるだろう。歯向かったからには敵として命を狙われる。今まではブラッドヴァンも飼い犬に等しい防衛騎士団に対しては手を出さなかったが、こうなっては無視し続けるわけにもいくまい」
「そうでしょうな」
「ううむ。最悪の場合、明日にも壊滅する運命だろうな……。無論、それを見過ごしてしまうのも寝心地が悪い。あちらが助けを求めるのなら、こちらも協力を惜しみはしないつもりだ。とにもかくにも、まずはあちらの意思を確認したい。……そう思って奴を派遣しておいた」
これを聞いて黙っていられなかったのか、驚きを隠せなかったナツミが口を挟む。
「奴って、まさか……」
「まさかもなにも、キルニアさ。あいつも悪運だけは強いからね。魔獣との戦闘では逃げてばかりで役に立たなかったし、こんなときくらい活躍してもらわなくては困る」
「……かえって厄介ごとを招かなければいいけれど」
「ふふん。あいつだってやるときはやるって話じゃないか。ね?」
「それはそうだけど……」
完全に忘れていた訳ではないけれど、ナツミは彼に救われたことを思い出した。
ただのアホだと思っていたキルニアも、あれはあれでマギルマの大事な一員なのだ。
避雷針代わりの尖兵という悲しい役割であることが多いものの……。
「お話の途中、失礼する」
「おやおや、誰かと思えばスウォラ先生ではありませんか。よくここがわかりましたね」
音も立てずに彼らの隠れ家へやってきたのは、マギルマが用心棒として雇っているスウォラである。
名実ともにマギルマのボスであるファンズが彼を先生と呼んでいるのは、用心棒に雇ったスウォラの能力を見込んでのことだ。あざけりでも皮肉でもなく、そもそも一応は部外者ということもあって、自然と敬語が口をついていた。
無論、熟練の格闘家である彼を高く買っているのはマギルマの腹心ブリーダルも同様だ。
「私の『広域かく乱魔法』をものともされぬとは……。いやはや、さすがですな」
マギルマの参謀でもあるブリーダルが使用しているのは、広範囲に渡って人々の認識や五感による情報を”ある程度”阻害する魔法だ。つまりカズハのヘブンリィ・ローブとは別の意味で、こちらの姿を隠す魔法といえる。範囲内に含まれる人間すべての視界を悪くする特殊な霧を発生させていると考えればいい。
マギルマがブラッドヴァンに隠れて行動するため、常に発動されている強力な魔法である。
これのおかげもあって、ブラッドヴァンに反旗を翻したファンズたちはオドレイヤの攻撃の目から逃れられているのだ。
「雇い主の居場所くらいならわかるとも。これでも魔力の流れには熟知しているつもりだ。……完璧ではないがね」
ぼそりと言ってスウォラは肩をすくめる。謙遜というよりも、常日頃から向上心を忘れない彼の性格だ。
炎の魔法使いオビリアとの対決や魔獣退治を終えて疲れている彼ではあるが、それでもこれだけは言っておくべきだと、ブリーダルが手渡してきたパープルティーを受け取りながら口を開いた。
「なにしろ、この私にも読めない巨大な魔力の流れがアヴェルレスの街には存在しているのだから。しかも確実に人為的なものだ。十中八九、オドレイヤが仕組んでいるものだろう。私はこれを、アヴェルレス全体から魔力を吸収して集めている術式であると考えているがね」
「アヴェルレスの広範囲に及ぶ魔力吸収システム。なるほど。それが本当に機能しているというのなら、あの不自然なオドレイヤの強さにも納得がいくわね」
それらしい顔で腕組みをしたのはナツミだ。
最強最悪の魔法使いと呼ばれるオドレイヤだが、あまりにも強すぎるため、それが彼自身の純粋な能力であるとは思えない。必然、この街に生きる誰もがオドレイヤには何か重大な秘密があるのではないかと疑っていた。
なにやら考え込んでしまった彼女に何か言おうとしたスウォラに先んじて、険しい顔をしたファンズが答える。その口調は半ば断定的だ。
「……機能はしている。それは間違いない。ただ、その術式の中心となる場所がわからないのでは手の出しようがないのだ」
「ですな」
軽く相槌を打つように、けれど深刻な声でブリーダルが頷く。
その顔は何かを知っているようだ。
何も知らない、あるいは知らされていないナツミは怪訝に思って眉をひそめる。何かを隠しているような二人の態度に疎外感を抱かずにはいられなかった。
ところがそれを彼女が追求する前に、スウォラが結論づけた。
「なんにせよ、今の万全な状態のオドレイヤには勝てない。それが現実だ。なんらかの策を練らなければ……」
「ふふん、その点には同意せざるを得ないですね。正攻法では苦戦どころか、よくて相打ちでしょう。ところで、これは策の内にも入らないでしょうけれど、とりあえず防衛騎士団にコンタクトをとってみようと考えていますよ。彼らが望みさえすれば、こちらも協力は惜しまないつもりです」
「今までは働かないことで有名だったユーゲニア防衛騎士団か。私の記憶が確かなら、彼らの本部は東部マフィアの勢力圏内にあったのではなかったか?」
「そうですけれど……何か懸念でも?」
ううむ、と冴えない返事でスウォラは答える。
「東部マフィアのボスはエッゲルト・シー。不思議な刀剣を使う魔法使いだ。私がこのアヴェルレスに迷い込んで初めて戦った人間でもあってな、よく覚えている」
「私たちの用心棒になる前?」
ふと質問を挟んだナツミにちらりと目を向けて、表情を緩めて首肯するスウォラ。
「うむ、そのとき私は問答無用で襲ってきた彼と戦わざるを得ず、かろうじて勝負に勝った。異次元世界ユーゲニアに迷い込んだ私を見つけた彼は、部外者である私を即座に敵だと断定したのだな。それ以来、私は東部マフィアもその親玉のブラッドヴァンも敵と認識しているのだが……」
「そうだったのね……」
「ともかく、考えなしで血の気の多い彼は何をしでかすのかわからない。明日にでも防衛騎士団を倒すべき敵だと認識しかねないのではと私は危惧しているのだ」
「ふふん、それはありえる話ですね。もしも東部マフィアが本気を出せば防衛騎士団なんて簡単に滅びかねない」
「……ということは、ますますあのアホなキルニアの重要度が増したってことね」
マギルマからの交渉役として派遣されたキルニアの結果次第で、今後の防衛騎士団の命運が決まるといっていい。
さて、と切り出したスウォラは口に合わないらしいパープルティーをようやく飲み終えた。
「私も協力したいところだが、さすがに怪我や疲労を無視してまで無理はできぬ。腕の骨も折れているのでね、しばらくここで休ませてもらうよ」
「もちろんどうぞ。当然ながら無理強いはしませんよ。ほら、ナツミたちも少しは休むべきだろう。休息を軽んじる人間は大事な場面で失態をやらかす。睡眠不足や筋肉痛の状態では歩くことさえままならないからね。防衛騎士団のことは元気が有り余っているキルニアに任せて、我々はひとまず魔獣退治の疲れを癒すべきだ」
くたびれた口調でファンズがそう言うと、ナツミやブリーダルも同意した。
それほどまでに魔獣との戦いは心身共に彼らを疲弊させたのであった。




