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治癒魔法使いアレスタ  作者: 一天草莽
第三章 そして取り戻すべき日常

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23 放たれた魔獣

 さび付いて重くなっている扉を開けて入ってみると、倉庫の中は意外にも整理が行き届いていた。

 粗暴なマフィアのことだから倉庫内も散らかっているに違いないと予想していたアレスタたちは少しだけ驚かされたが、きれいに片付いていて困る事はない。

 果たしてこれは部下を指導するファンズによるものなのか、あるいは門番となったスウォラが見張りの片手間に掃除でもしていたのか。


「お? なんだろうね、これ。ちょっとかっこいいかも!」


 などと言い出して、最初に目についた立派な木箱の中から何かを取り出したのはニックである。

 近くにいたアレスタが覗き込んでみれば、それは四つの小さな輪が横に連なった形状の指輪だった。

 用いられている材質は不明だが、冷たく輝く表面には美しい波のデザインが施されいている。


「かっこいいのには同意するけど、あんまり勝手にいじっちゃだめだよ。魔道具って危険なものもあるんだからね」


「ほんのちょっと試すだけだから大丈夫さ。あはは、アレスタは心配性だなぁ」


 へらへらと笑いながらバンバンと肩をたたいてくるので、ちょっとだけムッとしたアレスタはその手をつかんだ。


「あのね、今の忠告は笑いどころじゃないよ。友達だからこそはっきり言ってあげるとさ、ニックの不用心さが周りの人間を心配性にさせているんだよ。そこんとこ自覚もって! もっとちゃんとしてってことだからね!」


「まあまあ、短気は損気って言うじゃない。怒らないで大目に見てよ。心には余裕と度胸を持たなくちゃ」


 半ば本気で心配しているアレスタの忠告をあしらうように言ってのけると、子どものように目を輝かせているニックは得体の知れない指輪を右手にはめてしまった。つながっている四つの指輪は親指以外の人差し指から小指にがっちりとはまって、なかなかご満悦な表情だ。

 ためらいがないのは、さすがといったところである。


「おお、いいね、これ。似合ってると思わない? うん、最高じゃん!」


 気分のいい鼻歌とともに、右手に装着したばかりの指輪を眺めて喜んでいるニック。ありがたいことに指輪のサイズが自分にぴったりだったので、なおさら嬉しいようだ。

 そこへ足を運んで来たのは、少しばかり深刻な顔を見せるスウォラである。


「心配して様子を見に来たが間に合わなかったか……。ニックとかいったな? それは呪術がかけられている魔道具だぞ」


「……え?」


「外せなくなる」


「指輪が外せなくなるって、そんな馬鹿なことがあるの……? ん、あれ? あれれ? あはは、ほんとだ……。外れない……」


「呪術のせいで一度はめてしまえば外せなくなるが、その指輪の性能そのものは悪いものでもない。ネプチュネイルという優れた魔道具だ。迂闊だが、つけてしまったものは仕方あるまい。うまく付き合っていくのだな」


 軽い気持ちで指にはめてしまったネプチュネイルだが、かけられている呪術が解けなければニックと指輪との付き合いは一生のものになる。

 少しずつ実感がわいてきたらしく、不快な冷や汗がニックの全身から止めどなく溢れ出す。


「じょ、冗談じゃないよ! こんな指輪ナンセンスだ! いらない!」


 涙目になったニックは慌てて指輪を外そうとするものの、時すでに遅し。どんなに力を込めて引っ張ってみても抜けそうになかった。

 どうにかしてくれとスウォラにすがったが、こればかりは博識な彼にも肩をすくめる事しかできない。


「そ、そんなぁ……」


 あっさり万策が尽きたのだと悟ると同時、己の軽薄さを呪いたくなるニックだった。

 一方、真面目に倉庫を物色していたのはイリシアとカズハだ。

 絶望的な表情で頭を抱え込んでしまったニックをしばらく放置することにしたアレスタは、何事もなかったかのような顔をして二人のそばへ歩み寄った。


「あまり悩んでいる時間もないし、とりあえず今は持てるだけの魔道具を持っていく事にしようか。そして頼まれていた通り、市民革命団のメンバーに配るんだ。せめて彼らには自分の身を守るための武器くらいないと大変だろうから。そう考えると、誰にでも手軽に扱える魔道具を選んだ方がいいのかもね」


「それは賛成」


 でも、と言ったイリシアはアレスタにぐっと顔を近づける。

 並々ならぬ気迫を感じたアレスタは後ろに下がって逃げようとしたものの、すかさず肩をつかまれてしまい、なじるようなイリシアの視線から逃れる事はできなかった。


「いい機会だから、アレスタも自分用の武器を探して持つべきだと思うの。ギルド職員に支給されている剣は苦手なんだよね? 前線に出て戦えとまでは言わないけど、せめて自衛の手段くらいは確保してほしい」


「そうすべきだとは俺も思うけど、あいにく剣も弓もまともに使えないから……」


「だからって、いつまでも自衛の手段がないのは駄目。私だってアレスタを守るのに限界があるもの。剣も弓も使えないなら、それより扱いやすいのを探すべき。わかる?」


「わ、わかるよ。そんな怖い顔しなくても……」


「し、ん、ぱ、い、してるだけ! 怖がるなんてひどい! ショック!」


「ご、ごめん」


「……私、今後アレスタには笑顔を心がけることにする。嫌われたくないもの」


「それは嬉しいけど無理はしないでね」


「無理って何? 私には笑顔が無理とでも言いたいの?」


「まさか! そんなわけないよ!」


 などと一悶着がありはしたが、イリシアが言っていた事は一理あるどころか正論である。

 つまりアレスタもギルドの支給品である剣以外に身を守るための武器を所有するべきだということで、そのためにも、この倉庫の中にある魔道具の内から一つを選べというわけだ。


「魔道具か。うまく使えれば便利なんだろうな。同じくらい危険なものもあるだろうから、俺にも簡単に扱えるものがあればいいけど……」


「ほらよっと、兄貴! これなんてどうです?」


 いかにも褒めて欲しそうな様子のカズハが持って来たものは、蛇をかたどった装飾があしらわれている一本のロッドだ。

 お礼を言ってから受け取って床に突き立ててみると、それはアレスタの腰の辺りまでの長さがあった。

 片手で扱えるくらいなので重さもちょうど良く、頑丈さも申し分ない。


「しっくりくるね。でもこれって武器になる? 普通の杖にしか見えない」


「ふふっ、意外に思うかもしれないけれど、杖や棒は優秀な武器の一つよ。技術が必要な剣なんかと違って戦闘の素人にも扱いやすいから。……ほら、ただの棒だって力一杯に本気で殴られたら痛いでしょ?」


 つい先ほどアレスタに怖いと言われたことを気にしているのか、そう説明するイリシアは人当たりのいい笑顔だ。わざとらしいほど愛くるしい。たぶん無理をしている。彼女だけに無理をさせる訳にもいかないので、なんだかアレスタも笑い返さなければならないような空気になる。

 うんうんと頷いて愛想笑いを浮かべたアレスタと、依然として笑顔のままで表情を固めているイリシアが二人でニコニコと微笑み合っていると、そんな彼らの話を聞いていたのか生真面目な顔をしたスウォラがやってきた。


「それは『まとわりつく蛇の杖』とも呼ばれる、ある種の魔術が込められたロッドだな。正式名称はジャーロッドとかいったか。私が知っている限り魔道具としてはそれほど大した能力も無いが、彼女が言うように素人にも扱いやすいはず」


「そうなんですか」


「……とはいえ、君がただの素人とは思えないがね」


「あはは……」


 目を鋭くしたスウォラはアレスタの何かを見抜こうとしているものの、彼がマギルマの用心棒である以上は決して心を許せず、治癒魔法のことを隠すつもりでいるアレスタは笑ってごまかすしかない。それで納得するほどスウォラは単純な人間でもないのだが、ここで正面から言い争っても埒が明かないことを理解している。

 相手がひた隠しにする情報を知るには、知るべき状況とタイミングが不可欠だ。そうでなければ教えてもらう側が譲歩するしかない。

 あるいは、無理に聞き出すか……。

 二人の間に気まずい空気が流れつつあったとき、開いたままの扉から倉庫へと一人の青年が駆け込んできた。


「大変です、みなさん大変です!」


 声を荒げて入ってきたのは市民革命団の青年だ。名前は知らないが顔には見覚えがある。

 一体何があったのかとアレスタたちが尋ねるまでもなく、狼狽した様子の彼はほとんど金切り声になって報告する。


「街の中に大量の魔獣が! どうやらオドレイヤが放ったらしいのです!」


「えっ、魔獣が……?」


 事態が呑み込めずに困惑するアレスタ。

 対照的に落ち着いているのはスウォラだ。


「街に魔獣が放たれたとなれば、いつまでものんびりしてはいられまい。急いで現場に駆けつけることにしよう。もちろん君たちも行くだろう? さすがにすべてというわけにもいかないが、ここにある魔道具で都合の良さそうなものを抱えられるだけ抱えていくといい」


「は、はい! ぜひそうしていただけると助かります! あなた方に応援を頼みたくて駆けつけてきたのです!」


 スウォラだけでなく、今は協力関係にある市民革命団の青年にまでそう言われては断るわけにもいかない。

 それにこれは街の人々のためでもある。街に危険な魔獣が出たとなれば、すぐにでも対処が必要だろう。

 うっかりはめてしまったネプチュネイルの呪いに動揺していたニックだけはそれどころではない様子だったが、結局いつも周囲に流されるのが彼である。いつだって問題は後回しだ。





 それぞれに魔道具を持って倉庫を出て、案内役となった青年を追ってアヴェルレスの街を走っていたアレスタたち。

 革命団のメンバーが待っているという目的地へたどり着く前に、それを邪魔する障害が現れた。

 街を蹂躙じゅうりんする魔獣の群れである。

 それは六本足で中型の肉食動物。

 赤く光る目が八つがあり、裂けた口には鋭い牙が輝いている。

 低級の魔獣とは思えない見た目だ。思わず息をのむ不気味な迫力がある。

 これはオドレイヤがカズハたちから取り戻したばかりのハクウノツルギを用いて、どこかの空間に一時的に切り開いた「低級魔界」につながる次元の裂け目から出現した魔獣である。

 凶暴で、獰猛で、とにかく好戦的な魔獣の群れ。たまたま出くわしたアレスタたちを無視して見逃してくれる温情など持ち合わせているはずもない。この先で待つ市民革命団のもとへ向かうなら、なんにせよ突破しなければならない。

 命を大事にする安全策をとるならば、魔獣のいない別ルートを探して迂回するのも一つの手段。

 しかし迂回するということは、目の前に存在する魔獣の群れを野放しにしてしまうことに等しい。


「ここは私が引き受けよう。君たちは先へ行きたまえ」


 本能のまま傍若無人に暴れ回る魔獣によって無差別な被害が拡大する前に、これらを退治して一時の平穏を取り戻す必要がある。そうでなければ、ただでさえ不安定な市民の生活がより深刻に破壊されてしまう。

 そう考えたスウォラが前に出て、たった一人で魔獣をせき止める役目を名乗り出たのである。

 もちろんアレスタは黙っていられない。


「さすがに一人じゃ無理ですよ! いくらなんでも危険です!」


 しかしスウォラは落ち着き払ったものだ。


「いや、冷静に考えて私なら可能だと判断した。可能どころか余裕でさえある。一人で気兼ねなく戦える環境がありさえすればね」


 笑みを浮かべるほど自信満々に宣言されてしまっては言い返すこともできなくなる。

 尋常ならざるスウォラの強さは身をもって知っているアレスタたちだ。

 彼に協力するつもりが、かえって足手まといになることだけは避けたい。


「ならせめて魔道具を」


 魔獣と戦うための武器にしてほしいと、胸に抱えていた袋の中から何かを差し出そうとしたアレスタだったが、それを制するようにスウォラは首を横に振った。


「私の戦闘スタイルにとって、中途半端な武器はいらない。この身一つの格闘術にこそ秀でているので、手をふさぐ武器や道具は邪魔になるのでな」


 そして背を向けるスウォラ。これ以上の言葉は聞かないとでも言いたげだ。

 その背中を見て覚悟のほどを察したアレスタは彼にこの場を任せる決意を固める。


「わかりました。でも、決して無理はしないでくださいね!」


 右手を軽く上げ、言葉による答えに代えたスウォラ。

 返事も待たず、たった一人で魔獣の群れの中へと飛び込んでいく。


「よし、俺たちは先に行こう」


「そうね!」


 後ろ髪を引かれつつも、アレスタたちはスウォラに頭を下げて先を急いだ。

 彼の勇気ある献身を無駄にしてはならないと考えてのことである。





 異次元世界のアヴェルレスに迷い込むまで厳しい修行の旅を続けてきたスウォラにとって、単純な攻撃ばかりを繰り返す魔獣の動きを読むことは容易かった。

 そのうえ人間が相手でなければ容赦する必要もなく、殺すつもりで全力の一撃を叩き込めた。

 魔獣の群れと戦うスウォラの姿は、まるで筋書きの決まった演舞を見ているかのような安心感がある。

 たった一人で何頭もの魔獣を相手にしなければならなかったせいもあり、想定していたよりも時間がかかってしまったが、それでもスウォラはほとんど無傷で魔獣を全滅させることに成功した。

 しかし人は己の勝利を確信した時にこそ、予期せぬ一瞬の油断を許すものである。

 突如として、遠距離から飛来する火球。

 緩やかな放物線を描きながらも、豪速球で襲いかかってきた灼熱の火の玉。

 それを直撃する寸前で察知したスウォラは身をひねり、まさしく間一髪のタイミングで飛び退いた。


「あら、当たらずに避けちゃうなんて無粋な男ねぇ」


 視界の外から不意打ちで彼を狙ったのは一人の女性だった。

 幸か不幸か最悪か、あざ笑いを隠さない彼女はブラッドヴァンの幹部として有名な存在だ。

 その顔と名前はアヴェルレスに知れ渡っており、マギルマに雇われた身であるスウォラも知っている。


「炎の魔法使いオビリアだな。この街では有名なので私も聞いたことがある。その炎、つまり君の魔法だが、どうやら相手の魔法の効果さえ焼き払ってしまうとか。これでは奥義を発動させたところで無意味かもしれん。短期決戦は難しいか」


「いいえ、すぐに終わるわ。あなたが私の炎に焼け散ってくれたらね!」


 最初の攻撃を回避された時点で目の前にいる相手がただならぬ者であることを見抜いたオビリアは、余計な手心を加えぬように最初から全力で挑む。

 長期戦にもつれこんだ場合に不利となるのは、基礎的な体力が劣っている彼女のほうだ。相手が強ければ強いほど、無駄に戦いを長引かせぬよう、最初の一撃で確実に仕留めるべきなのである。

 いつもより精神果樹園の果実を余分に消費したオビリアが発生させた炎が暴れ狂い、瞬く間にスウォラを取り囲む。

 これで普通なら行動の大部分を封じ込めたことになるが、勝利を確信しつつも彼女は油断を許さない。

 燃え盛る火の手に閉じ込められたスウォラに逃げ場がないことを想像しながら、さらに念入りに葬り去るため、いささか過剰とも思えるほど炎の威力を増大させていく。

 大量の魔力を注ぎ込むオビリアは正面から視線を外さぬまま少しずつ後ずさって、火炎地獄と化した処刑場から距離をとる。この状況でもスウォラから離れるように動いたのは、やはりただならぬものを感じずにはいられなかったからかもしれない。


「さすがに桁違いだな」


 わずかでも触れたものを一瞬のうちに溶かし尽くすであろう灼熱。

 何人もの敵対者を骨ごと塵に変えてきた業火。

 あまりにも強力であるが故に、これまで幾度となく彼女の身体に負担をかけてきた諸刃の剣とも言える魔法。

 しかし、その中心点に立つスウォラは全く焦りを見せていない。


「心頭滅却、精神の統一。気と、体と、魔力とを研ぎすませて、一点突破ならば……。いささか無粋ではあるが、破らせてもらう!」


 鍛錬に鍛錬を重ねることで会得した特殊な呼吸法と、生まれ持った魔力の流れを操る能力とを駆使して、わずかな時間ではあるが、完璧と思われたオビリアの魔法に小さなほころびを作り出したスウォラ。

 術者であるオビリアが異変を感じたときには時すでに遅く、対応が間に合わない。

 巨大な炎の壁にちょうど人間一人分の穴が開き、そこから彼は飛び出した。

 慌てて火の壁を崩して波となった炎を向かわせても、脇目も振らず一直線に駆け抜けるスウォラには達しない。


「なんてこと! 強烈な炎をかいくぐって来るというのっ?」


「そうだとも! 魔法によって操られている炎である限り、場を支配して魔の流れを熟知する私には通用しない!」


「厄介な男!」


 だがまだ距離はある。

 相手は接近戦でこそ実力を発揮する格闘家であればこそ、これ以上スウォラに接近される前に彼の行く手を阻む必要があるとオビリアは判断した。そこでもう一度、奇をてらわず真正面から最大火力の火炎魔法を浴びせかける。

 致命傷を与えられないにせよ、これで普通なら足を止められるはずだ。

 ところが、これをスウォラは避けずして打ち払った。

 両腕を前に突き出したまま、前傾姿勢で突き抜けてくる。

 一見すると無防備に見えるかもしれないが、実際にはあらゆる魔法を相殺する魔力の壁を前面に発生させているのだ。これはスウォラにも難しい高度な術であり、なかなか持続させられない不完全な一時しのぎの技ではあるが、この一瞬を切り抜けられればそれで良い。

 なぜなら疾駆するスウォラがオビリアの喉元に達するまであと数歩。

 たった三歩。

 あとひとっ飛びなのだから。


「対魔格闘術……! なんて下劣!」


 瞬時のうちに湧き上がった憎悪と憤怒の感情に任せて、きつく歯を食いしばったオビリアはこれまでで一番強力な爆発を前方に向かって発生させる。

 たかだか人間一人を木っ端微塵に吹き飛ばすには十分過ぎる威力だ。それを示すように、あまりの衝撃に地面がめくれ上がる。

 しかしそこにスウォラの姿はない。

 まるで最初から誰も存在しなかったかのように気配がなかった。


「さては幻影! おとりを見せたのね!」


 言うが早いかオビリアは膝裏に強烈な打撃を受け、その反動で地面に膝をついた。

 魔力で作った幻をおとりにして背後をとったスウォラがオビリアをうつ伏せに押し倒す。

 まずはひねり上げた右腕を肘の関節とは逆方向に曲げて骨を折っておいて、その激痛に気を取られている彼女が魔法で反撃してくるよりも早く、さっとまわした右腕で首を絞めつつ、左手の親指をオビリアのこめかみに突き立てる。

 そして彼女の脳へと直接、相手の意識を失わせる強力な念を送り込もうと力を込めた。

 ……だが、その寸前で飛び退くスウォラ。

 彼女の身体の内側から放出される強力な魔法の気配を察知したのだ。


「禁じ手を……使わせてもらうわ……!」


「なりふり構わぬということか」


「ええ!」


 あろうことか、身柄を拘束されかけて窮地に陥った彼女は全身に炎をまとったのである。

 己の身を守ると同時に近づいてきた敵を焼く、攻防一体の奥の手だ。

 直後、地面から起き上がったオビリアは両腕から火炎を噴出させると加速しながら回転して、その回転力を活かしてスウォラの上半身へと強烈な蹴りを入れる。

 とっさに反応して魔力を込めた腕で受け流すが、彼女の足に触れた肌が赤く腫れ上がり、焦げ臭い煙を上げた。


「さすがに焼けるか、これではな……」


 先ほどまでと比べて格段に威力が上がっている。まともにやり合って勝てる相手ではない。

 その動き、その威力、戦闘に特化した化け物の域だ。

 あまりに強力な魔法を目の当たりにしたスウォラが感心しつつあきれていると、そこに次の攻撃が来た。

 火の粉をまき散らしながら足を振り回して襲いかかってくる。

 これは冷静に見切って反撃を試みるが、全身を炎で包み込んだオビリアに通常の攻撃は通じない。それどころか、かえってダメージを受けるのはスウォラである。

 攻撃は無駄。となると、突破口が見出されるまでは防戦に徹するしかない。


「いつまで生き延びていられるかしらね!」


 と、ここでオビリアに新たなる動きがあった。

 背後へ向かって背中から炎を放射すると、爆発的に加速してスウォラへの突進を試みたのだ。

 あまりにも速い。速すぎて、気がつけば接近を許している。

 慌てて魔力の壁を作り出して盾とするものの、もはや直撃は避けられず、やすやすと打ち砕かれる。

 衝撃を消し去れなかったスウォラは大きく吹き飛ばされ、ほとんど叩き付けられるようにして地面に転がるが、なんとか受け身だけはとれたようだ。ところが安堵するのもつかの間、そこへ何発もの火球が飛来して追い討ちをかける。

 放物線とは異なる独特な曲線を描いた軌道を見るに、おそらく追尾性の遠距離魔法。予測は難しく、すべてを回避することは不可能だ。

 そう判断したスウォラは膝立ち状態のまま、右腕と左腕を交互に駆使して、襲い掛かってくる火球を弾き飛ばす。

 いや、それは駆使ではなく両腕の酷使だった。高温の火球を弾き飛ばし続けた腕は無事ではすまず、ぼろぼろになったと言っても過言ではない。

 肌は焼けただれて骨は折れ、力どころか魔力を込めることさえ難しい。

 一難は去ってくれたとはいえ、さらなる追撃を受ければ熟練の格闘家であるスウォラとて万事休す。

 しかしオビリアは突進攻撃の直後に連続して火球を放ったことで疲弊したのか、一時的に動きが止まっていた。シューシューと不気味な音を立てているのは魔力切れか深呼吸か。命をつなぐため必死にあえいでいるようにも見える。


「万全というわけでもないようだな。せめてもの救いだよ」


 その様子から見て、禁じ手を発動させた彼女が能力の限界ぎりぎりまで無理をしているとスウォラは看破した。

 そもそも禁じ手には禁じるだけの理由がある。

 おそらく体への負担が大きいに違いなく、あの火だるま状態が長くは続くまい。


「……なら、そこに勝利への鍵があるのかもしれないな」


 勝ち筋を見つけたスウォラは奥義の一つでもある、制御された瘴気を送り込む作戦に出る。

 実のところ瘴気を操る行為は彼にとっても無視できないリスクがあったものの、十中八九かそれ以上の確率で、自滅するのは相手が先だろうと予測した。

 すでにオビリアは我を失っているため、自分をコントロールできていないのだ。


「覚悟してもらうぞ。恨むなら我が身を呪うのだな」


 体内に取り込んだ魔力を瘴気に変えて放出するスウォラ。

 上手く回避できず、大量の瘴気を浴びた彼女は見るからにもだえ苦しむ。

 すぐにでも反撃に出る必要性を感じたのか、再び炎をまき散らしながら動き始めたが、スウォラとて何度も同じ手は食わない。

 先ほどよりも動きが大味になっているオビリアの隙をついては瘴気を発生させながら、やはり勢いだけは衰えない彼女の追撃から逃げ回る。

 と、そんなときである。

 突如として物陰から出てきた毒々しいピンク色の液体が彼女に向かって飛び掛かった。スライム状のそれは燃え盛るオビリアの体にまとわりついてしまうと、彼女の動きを制限するように締め付け始める。

 まるで興奮状態にある野生動物をなだめているかのようだ。

 長いようで短かい刹那を経て、錯乱していたオビリアが正気に戻る。

 全身を包んでいた火炎が消え去り、禁じ手であった魔法が解除される。

 すると彼女の身体にまとわりついていたスライムがべたりと地面に落ちて、たちまち人間の姿に変身した。

 いや、より正確には人間の姿に戻ったと表現したほうがいいだろう。


「メイナ……」


 スライム状態に変身して飛びついたのはメイナであった。

 ふらついたオビリアの肩を支えて、今にも倒れそうな彼女に寄り添って立つ。


「……オビリア様」


「わかっているわよ……。わかっているの……」


 心から敬愛する彼女を心配してやまないメイナの責めるような目。

 それを受けるオビリアは疲労困憊からか、いつもの覇気がない。


「無茶をなさってはなりませんと何度となく申し上げ続けてきたはず。なのに、また……。よろしいですか? 何事も引き際は肝心です」


「あなたが言いたいことはわかるわ。それが今だと言うんでしょう? この私に引け、と」


「ご理解いただけているようで、なによりです。さて……」


 ここでようやくメイナの目がスウォラに向けられる。

 すでに放出していた瘴気は止まっている。敵に援軍があっては捨て身の作戦など変更せざるを得なかったし、なにより奥義の発動はスウォラにとっても負担が大きかったからだ。

 それを知ってか知らずか、感情を読ませないメイナは優雅に首を傾けた。


「お見逃しいただける?」


 スウォラは返答を考えて、あまり迷わずに決断した。


「……いいだろう」


「でなければ死ぬものね。……お互いに」


 挑発的かつ自虐的に答えたオビリアは、強引に腕を絡めてきたメイナに引きずられるようにして立ち去った。

 彼女たちがいなくなった後には、死体を焼かれて骨だけになった魔獣たちと静けさだけが残る。

 本音を言えば確実にとどめを刺しておきたかったところではあるが、どう取り繕ったところで彼女たちを追いかける余裕など今のスウォラには残されていなかった。

 ひとまず魔獣を退治するという第一目標を達成することはできている。

 強敵を相手に善戦して命拾いをしたのだと、前向きに考えて結論づけるべきだろう。

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