20 立ち上がる市民革命(1)
ひとまず移動を開始したアレスタたちは、ここから近い場所にあるというカズハのアジトに向かうことにした。
そこはつい最近までカロンとカズハが二人で隠れ住んでいた家であり、彼らがマフィアを相手に盗みを働いていた秘密のアジトでもあった。
御大層に秘密のアジトとはいいつつも、場所としては普通の通りに存在しており、外から見た限りでいえば偽装している風でもなかった。見た目には、なんら変哲のない古びたアパートでしかない。
マフィアの目を欺くような点といえば、三階建てのアパートの外観が年季とともに薄汚れていて目立たないことと、迷路のような路地の奥まったところに入り口が隠れこんでいることくらい。
こそこそと身を潜めながら案内するカズハが向かうのは正面玄関とは別の、さらに奥まった側面にひっそりと開いたアパートへの扉。
これは地下への出入り口だ。その先に続く地下階こそが、マフィアを相手取るカロン盗賊団として広く市民に知られていたカズハらのアジトである。
「さぁ、こっちだぜ」
先陣を切るカズハは嬉しそうな足取りを隠しきれていない。数日とはいえ久しぶりの我が家なので、喜ぶのも無理はないだろう。アレスタもイリシアも、そんな彼女を微笑ましく眺めながら、案内にしたがって地下へと続く狭い階段を下りた。
ドタバタと慌しい音を立てて、最後尾のニックが転げ落ちたことは言うまでもない。
一応、アレスタはテレシィの助けを借りてニックに治癒魔法をかけておいた。
「……って、お、お前、誰だ!」
後方の騒ぎに構うことなく慣れた足取りで地下室に入り、いつものように魔法仕掛けで動くランプに明かりをともしたカズハだったが、直後、ぼうっと浮かび上がった先客の姿を部屋の隅に発見して慌てふためいた。
子供や老人ではない。
そこにいたのは見るからに怪しい男である。
「ああ、いえ、お静かになさってください。名乗るほどの者ですから、こちらから名乗らせていただきますよ」
その男は恐縮したように身を縮めて、背を預けていた壁から離れると、丁寧にお辞儀をして柔和な笑顔を浮かべた。
他人のアジトに不法侵入している不審者としての印象を打ち消したいのかもしれない。
「私の名はハルフルート。現在このアヴェルレスにてブラッドヴァンを壊滅させるべく、市民革命の準備を進めている者たちの代表となっています。以後、お見知りおきを」
ハルフルートと名乗った男はマフィアに対抗する市民革命団の代表者であり、多くの同志を扇動する責任者の一人である。
年齢は明かさぬが、まだ三十代は半ばといったところ。
こんな状況であるにもかかわらず堂々として落ち着いている物腰、嫌味に聞こえるほど言葉の端々から感じられる知的な雰囲気から、彼がただ者ではないことが想像できる。無礼な侵入者でありながら一切悪びれていないところを見るに、肝が据わっていることだけは間違いない。
マフィアに対抗する市民革命のリーダーとして、一定の求心力があるのは事実だろう。
「なるほど、市民革命ですか。いいでしょう、いいでしょうとも。……しかしそれがどうしてこんなところに?」
威圧的に言いながら、これ見よがしに右の剣へと手をかけたイリシアは警戒心をむき出しにして男に迫った。
相手の答え次第によっては切り捨てんばかりの気迫である。
「お迎えに上がりました……というのは冗談です。……おお、ちょっとした冗談ですから警戒なさらず! 実はこうしてあなたたちとお会いすることができたのは偶然に過ぎず、驚いているのは私のほうなのです。いえもう、まったく!」
さすがに殺されてはならぬと動揺した男は気取りつつも大げさな仕草で肩をすくめてみせた。背筋には恐怖による冷や汗が滝のように流れていたとしても、表面上は取り繕ったようなクールさを崩そうとしない。
なかなかの演技派なのかもしれない。
少なからずファンズと似通ったところもありそうな男だが、こんな街に暮らしていると大なり小なり皮肉屋になってしまうのも無理のない話かもしれなかった。
組織の上に立つ者としての気苦労が窺える。
「ただの偶然でこんな地下室にこもってたのか、お前は」
少女ゆえに空気を読まないカズハの辛辣な意見である。
得体の知れない男に対する敬意などなく、丁寧な物腰で自己紹介されたところで完全に不審者扱いである。
まったく同感であると言外に匂わせて、頷くイリシアもさらに警戒心を強める。
整理の行き届かない雑然とした地下室はそう広くないので、彼女の高速化魔法と二刀流の剣術では自由に大暴れするわけにもいかず、相手の実力次第では苦戦する可能性があった。
それがまた彼女の警戒心を強めてしまうのだ。
「ええ、まったく、こんなところでお会いしたのは偶然です。あなたがたがいらっしゃるとは思わなかった。わかっていれば茶菓子を用意して入り口までお出迎えしたものを。いや本当に。……しかしながら、当然ここへやって来たのには私なりの目的があります。そうでなければ空き巣か変態ですからね」
「すでにそのどちらかじゃないかな……」
とは、半分くらいは愉快に思っているのか、呆れたように肩を揺らして苦笑したニックだ。もちろん彼にしてみれば考えなしに適当なことを言ってみただけなのだが、それでもハルフルートは恐縮する。
どうやらカズハたちの心証を悪くすることだけは避けたいらしい。
あくまでも敵対するつもりはないようだ。
その様子を見て、アレスタは警戒を緩める。
「とりあえず話を聞いてみようよ」
「おお、ありがとうございます! いやもう、まったくさすが! 話の通じないマフィアの連中とは大違いだ! こちらの話を聞いていただけるとは!」
ここまで言われてしまっては、まさか話を聞かないわけにもいかない。どうやら本当にマフィアの関係者ではないらしいので、アジトへの無断侵入を責めるのは後回しにして話を聞くことにした。
当然なのか無自覚なのか、険しい表情をしたイリシアだけは一歩引いたところで身構えるのを忘れない。さながらボディガードだが、本人もそのつもりだろう。
「では、そうですね。まずは――」
という前振りから始まって、ハルフルートと名乗った男は形式を重んじる性格なのか、改めて自己紹介から丁寧に始めた。
よくも悪くも理想主義者である者の常として、市民革命を夢見る彼も自分語りが大好きなようだ。
頼んでもいないのに市民革命の理念や苦労話まで、あたかも吟遊詩人であるかのように抑揚たっぷりに語り始めたので、さすがに痺れを切らしたアレスタが早く本題に入るようにと促す。
「そうでした、そうでした。急ぎの話があったのです」
だったら早く本題を始めてほしいな――と言いたくなったところを我慢して、神妙なる聞き手に徹したアレスタは優しい笑顔で爽やかに相槌を打つ。
ここで余計な言葉を挟むと、また話が脱線してしまいかねない。
ちらりと横目で確認すると、すでにカズハは長い話を聞くのに退屈したらしく、涙目になってあくびを噛み殺していた。ちょうど口が半開きになったときアレスタと目が合ってしまい、えへへと照れ笑いで誤魔化すがもう遅い。
くいくいっとアレスタの袖を引っ張ってくるので何かと思えば、立っているのが疲れたからアレスタの背中で眠りたいと耳打ちするカズハである。ついアレスタは承諾しそうになるが、さすがにハルフルートとの真面目な会話中に女の子を背負うわけにもいかない。
ここは鬼になってカズハを諦めさせた。
拗ねてしまうカズハは口をへの字にして横を向く。
そんな二人の間が抜けたやりとりの一方で、次第に熱を帯びるハルフルートの話は意外にも緊急性の高いものだった。
つまり、おしゃべりな彼の無駄に長い話を要約すればこうなる。
「マフィアに追われていたため、ひとまず私はここに逃げ込まさせていただきました」
だから明かりもつけずに一人で地下室の奥に縮こまっていたのか、と妙に納得したアレスタたちである。純粋にハルフルートの言い分を信じるならば彼は革命派の指導者らしいので、それだけマフィアに命を狙われることも多いのだろう。
それならもう少しここで身を潜めているといいよ――と、太っ腹で寛容なカズハは申し出たものである。
……次の言葉を聞きさえしなければ。
「残念ながら実際のところ、もう追い込まれている可能性が高いのですがね。はっはっは」
「……え?」
「袋の中のネズミというわけです。私が……いえ、私たちが」
ちょうどそのとき、突発的に激しい衝撃音が響いた。
爆発か、あるいは魔法同士の衝突か。
音の発生源は建物の外からではあったものの、そう遠くない場所だ。
ほとんど間を置かず、混乱と恐慌に陥った人々の逃げ惑うような喧騒も伝わってくる。
それを聞き、その場で飛び上がったハルフルートはパッと顔をほころばせた。
「ああ、助かった! どうやらおとりになってくれた部下のおかげで、狙い通りマフィアの同士討ちが始まったようです!」
まるで話が見えず、嬉しそうにする彼の言葉を聞きながら困惑するしかないアレスタやイリシア。
さすがに説明不足であることを自覚したのか、歓喜に浮かれていた心を落ち着かせたハルフルートは簡単に事情を説明した。
彼の身を追っていたのは何かと対立しがちな東部と西部のマフィアであり、古びたアパートの地下に逃げ込んだハルフルートを取り囲んだのはよいものの、どちらが先に突入するかでもめていたらしい。
それもそのはず、もしもブラッドヴァンに敵対する革命派リーダーの首を手に入れれば、その功績は計り知れないものとなる。
対立する東西マフィアにとっては、今後の上下関係が決まってしまうようなものだ。
こうなってはどちらも相手にみすみす手柄を明け渡す気はなく、かといって協力するのは無理な相談、しかるにハルフルートを追っているマフィア同士でにらみ合い、一触即発の状況となっていたらしい。
そこへ一石を投じたのがハルフルートの部下たちで、彼らはボスが逃げ出すチャンスを作り出すためにマフィア同士の衝突を画策したという。具体的にどのような工作が行われたのかは彼も知らないので説明されなかったが、どうせ血の気の多いマフィア同士のことだ。どんな些細なことでもきっかけになっただろう。
魔法による容赦のない戦いが本格的に始まったらしく、外の喧騒は激しさを増している。もはやアヴェルレスではいつもの光景と言っても過言ではない有様だが、逃げ出すならこのタイミングをおいて他にない。
「さあ、今のうちにここを離れたほうがよいでしょう。どちらが優勢で決着をつけたとしても、きっと次は私たちが標的になります。いや、ならないほうがおかしいくらいだ」
「そうですね。でしたら急ぎましょう」
「……ううむ、もうさよならか」
アジトに戻って来たばかりなのに、早くも立ち去らなければならなくなったカズハは名残惜しそうにしていたが、さりげなくアレスタが腰を落として背中を向けると喜んで飛び乗った。
もはや彼女専用の移動手段として確立されたも同然だが、それも悪くないとアレスタ。なんであれ、頼られて嬉しく思う少年である。
「では安全な場所まで私が案内いたしましょう。みなさんは遅れることなく後に続いてください。もちろん、馬鹿げた戦闘に巻き込まれないよう東西マフィアには気をつけてくださいね」
カズハはまだ万全の状態でヘブンリィ・ローブを使えるほどには精神果樹園の魔力が回復していなかったので、ここは魔法の力に頼らずに逃亡を図るしかなかった。
もっとも、当のマフィアは同族同士の喧嘩に夢中だったようで、誰一人として彼らの逃亡には気が回らなかったようである。
最初は慎重に、途中からは軽やかな足運びでハルフルートが案内したのは、すっかり人通りの少なくなった街外れである。
そこには朽ちかけた巨大な廃墟があって、そこが目的地だったのか、安全確認もなしに彼はためらうことなく入り込んだ。
黄昏世界ユーゲニアの赤茶けた空が照らし出す廃墟は不思議な趣があり、人の手よりも自然の手が勝りつつある風景には絵画じみた芸術性さえあった。
これで今にも崩壊しそうな危うさがなければ秘密の拠点として完璧なのだが、それは欲張りすぎというものだろう。遠目には打ち捨てられて見えるからこそ、今までマフィアたちの目を誤魔化すことができたのだ。
「遅かったじゃないか、ハルフルート。待ちくたびれたぞ」
「いやぁ、すまない。ちょっと命を狙われてしまってね」
「おいおい、ちょっとだろうが狙われたとなれば笑い事じゃないぜ。誰だって命は一つ限りなんだからな。いつも豪快に開いているからって、うっかり間違えて地獄の門をくぐるなよ?」
いかつい悪人面で笑ってハルフルートを出迎えたのは、彼の盟友でピアナッツという男だ。
これもまた三十代で、ハルフルートとは古くから親しくしている知己の仲である。
「それで、そちらさんは? ここらじゃ見かけない顔だが……」
濃いヒゲ面のピアナッツは胡散臭そうなものを見る疑いの目つきでアレスタたちを一瞥する。
「そう深刻な顔をするな。心を安らかにするんだ、ピアナッツ。彼らは私の客だよ。マフィアから逃げるついでに、ちょうどいい機会だからと我々の本拠地にご招待したのさ。まだ詳しいことは何も話していないが、きっと我々の力になってくれるだろう。……さぁ、早く彼らを奥に案内しよう」
「そういうことなら致し方ない。仲間になってくれる可能性のある人物を追い返すのは馬鹿のやることだ」
積極的な態度ではなかったものの、戦力の増強を重要視しているピアナッツは不承不承頷いた。部外者には好印象を持たない保守的な人間なのかもしれない。
マフィアを警戒しているがゆえの排他性なのだろうから、初対面の人間に対して用心深くなっている彼ばかりを責めるわけにもいかないが。




