18 だまし討ち?
しかし、これには反対する人があった。
ふてぶてしく腕を組んだカズハである。
「姉貴の世話を受けるなんてイヤだぜ」
「わがまま言うな」
がっしりと腕を組んで油断していたカズハの脳天にナツミのこぶしが直撃した。
といっても怪我をするほどの威力はなく、姉貴分であるナツミにしてみれば久しぶりに再会したカズハとのコミュニケーションをかねて、偉そうにふんぞり返っていた彼女をしつけたつもりである。
他愛ないスキンシップの延長としてのふれあいだ。
だが、些細なきっかけで勃発するのが姉妹喧嘩というもの。
これが二人とも小さかった子どものころなら負けず嫌いのカズハがナツミに仕返しをして、ただちに取っ組み合いの大喧嘩に発展していたことだろう。
「くー、けど我慢だ! なにしろアタシは大人だからな!」
えへんと息巻くカズハ。自分を褒めてやりたいと思っている。
「だったら我慢して私の指示に従うことね。あんたの世話役になったのは命令なんだから文句言っても仕方ないでしょうが」
「しっかし、それとこれとは話が別だぜ。どうしてアタシが姉貴の言うことを聞かなくちゃならないんだ」
「だから、私に口答えするんじゃないの」
そう言って再びこぶしを振り下ろしたナツミだったが、
「二度目は食らうかぁ!」
こぶしが脳天に直撃する寸前、機敏な動きによってカズハは身を翻した。
「よっ、はっ、とおっ!」
元気で威勢のいい掛け声とともに、傍観者気取りで二人から距離をとって立っていたアレスタに飛びつくと、そのままの勢いで回り込んで彼の背後を取った。
状況を不利と見たカズハは助けを求めてアレスタの背中に乗っかったのである。
またしても強引な展開でカズハを背負うことになったアレスタだが、もう慣れたのかもしれない。文句も言わずに受け入れて、背中から落ちないようにと彼女をしっかり支えるのだった。
「へへ、ここにいれば姉貴も手を出せまい」
「あんたは手も足も出せないでしょ、そんな態勢じゃ」
あなたも大変ね――といった目でアレスタを見るナツミ。
実際のところはともかく、今のアレスタとカズハは仲のいい兄妹のように見えるので、ちょっと羨ましそうな気配をうかがわせているのだが、これは彼女と付き合いが長い人間でないとわからないだろう。
「おあいにく様だな。アタシなら手と足を使わなくたって口だけでも姉貴に勝てるぜ」
「あらそう。それじゃ負けないよう私は無視させていただくわ」
本当に無視してしまうつもりらしく、ナツミはそれっきりカズハに背を向けて歩き出した。全く相手にされなくなってしまい、これでは喧嘩のしようがない。
口では勝てると豪語したカズハであるが、何を喋っても彼女に無視されるとわかって拗ねてしまったのか、とうとう口を曲げて黙り込んでしまう。
押してだめなら引いてみろ。カズハを黙らせるには自分が黙るのが最善の方法だと経験的に知っているが故の戦略である。
そうして道案内をかねて先頭を歩き始めたナツミに続くのは、考えなしのニックだ。
このときナツミは自分の背後にキルニアと同じアホの気配を感じて身震いしたが、振り返って確認しようとはしなかった。わざわざ面倒なことを確認したくなかったのかもしれない。
続いては、妙に警戒心をあらわにしているイリシアである。
ファンズやマギルマのことを完全には信用していないからではあるが、ぎこちない彼女の身を固くしている原因は、それだけではない。ナツミに対して自分と同じような意志の強さを感じ取っているからこその用心であって、単純に距離感を測りかねているだけである。
そして最後はアレスタなのだが。
「……で、俺はカズハを背負ったまま歩かなくちゃならないの?」
「背負うのが嫌で置いていくってんなら、一人で先に行ってもいいですぜ」
口ではそう言うものの、ちゃっかり腕に力を込めるカズハである。
置いていかれまいとしているのが感覚で伝わってくる。
「仕方ないなぁ……」
いかにも渋々といった様子でアレスタは苦笑する。しかし年下の少女から頼りにされて嬉しくないわけでもない。
彼女専属の騎士にでもなったつもりで歩き始めるアレスタだ。
意外にも単純である。
「あなたたち、戦闘の経験は?」
一番前を歩きながら軽く振り向いて尋ねたナツミだが、たまたまなのか意図的なのか、すぐ背後にいたニックの存在は無視されていた。どうせ答えるほど経験豊富でもないので、ニックは黙ったまま彼女と一緒になって振り向くことにする。
まっすぐ顔を上げて、なんとなくナツミと目が合ったのはイリシア。
まさか問いかけを無視するわけにもいかないので、微妙に謙遜しつつ答える。
「私は騎士団員として数多くの戦闘経験がありますのでお気遣いなく。こっちのアレスタは経験豊富というわけでもないですけれど……少なくとも簡単に死ぬことはないと思います」
「へっへーん、それについてはアタシも保証するぜ。アレスタの兄貴は簡単に死なないどころか、簡単には仲間を死なせもしないってことをな!」
「……あんまり買いかぶりすぎないでね。それと、余計なことは言わないように」
「おおっと、兄貴、すいません。そういや、“例のあのこと”は誰にも秘密だったっけ。アタシなら自慢して回るところだけどなぁ……」
と言ってカズハは残念がる。
他人に背負われた状態で何を残念がっているのかといえば、ギルドが襲撃された晩にアレスタが治癒魔法を使って自分を助けてくれたことについて、誰にも言わず黙っているように忠告されたことである。
基本的なスタンスとして、アレスタは治癒魔法を使えることを可能な限り秘密にしている。
世界中の誰一人として使うことができないといわれている神秘の魔法――治癒魔法を使えるかもしれないという事実は、少なからず世界に衝撃を与えてしまう可能性があるからだ。
しかも今のアレスタたちがいるのは、血に飢えた暗黒街アヴェルレス。
まだ幼さの残るカズハはそういうことに無頓着だが、もしも治癒魔法の存在が明るみに出てしまえばアレスタはマフィアに命を狙われてしまいかねないのだ。
あの最強最悪の魔法使いオドレイヤでさえ、完璧な意味での治癒魔法は使うことができない。
そんな状況でアレスタの力が知れ渡ってしまえば、それは新たなる火種となる可能性が高い。
「ふうん……?」
何かを隠されていることを悟ったナツミは要領を得ないようだったが、ひとまず彼らの戦闘能力を心配する必要はないとの判断を下す。
「だったら多少の荒事くらいは大丈夫そうね。……安心だわ」
「へへっ、この心配性め。昔っから姉貴は考えすぎる悪い癖があるぜ、まったく」
「無視、無視」
ほんの一瞬だけ文句を言い返そうとしてカズハの顔をにらんだナツミだったが、口を開きかけたところで顔をそらした。売り言葉に買い言葉で喧嘩に発展するのは大人気ない行為だと思って自重したのだろう。
しかし本人は気付いていないが、唇を尖らせて不服さを無言で訴えているため、それを目ざとく発見したイリシアから見れば十分にナツミも大人気ないと思えるのだった。
ちなみにアレスタはナツミに無視されたカズハが悔しがって暴れるのでそれどころではない。
まだ十八歳であるイリシアよりもナツミは数年ほど年上の女性なのだが、かつて共に暮らしていた妹分であるカズハの存在は、彼女の素の部分を出させてしまうのだろう。無視すると言いながら、現実には無視できていない証拠である。
「……ふう。そろそろ目的の場所ね」
少しだけ歩き疲れた様子のある彼女が案内したのは、見るからに寂れた街外れの一角。
ここは先日カズハがオドレイヤからハクウノツルギを盗み取った場所だ。
ファンズに指示されたアレスタたちの初任務とは、この街外れの偵察だった。
一応、すでにこの地の敵は引き払っているとの事前情報がある。要するに安全が確認されている極めて簡単な任務なのだ。カズハやアレスタのお手並みを改めて拝見しようという心積もりなのだろう。
程なくすると、先頭を歩いていたナツミは足を止めた。そのまま振り返らずに手の合図だけを駆使して、彼女の後ろを歩くアレスタたちも立ち止まらせる。
そして慎重に注意深く周囲を見回す。
敵らしき人影は一人として見当たらない。これならカズハの魔法で身を隠して偵察するまでもない。
「さっきからキョロキョロと、姉貴は本当に心配性だなぁ」
必要以上に周囲を警戒しているナツミの姿を見て、どちらかといえば楽観主義を貫いているカズハは笑った。一緒にアレスタも笑わせようとしているのか、笑いながらアレスタの頬を指でつまんで引っ張ったため、カズハを背負っていて手が離せないアレスタは少女になされるがままである。
そんな二人の仲睦まじい姿を見せ付けられたナツミは胸中で何を思ったのか、悲しげに肩を落とす。
「そうね、あなたの言うとおり。どうしようもないくらい私って心配性なの」
「……姉貴?」
「だからね、不安の種はそのままにしておけないのよ」
そう言ったナツミはゆっくりと右腕を前に突き出した。
怪訝な表情を浮かべるアレスタと、彼が背負っているカズハに向けて、その指先をはっきりと伸ばす。
直後、それは身構えることもままならない一瞬の出来事。
「アレスタ、危ないっ!」
「――くはっ!」
人一倍反応の速かったイリシアの警告もむなしく、その衝撃はカズハを背負ったアレスタに直撃した。
突如として襲い掛かってきた突風――すなわちナツミの魔法攻撃である。
人知れず精神果樹園を開いていた彼女は風を操る魔法を駆使して、アレスタごとカズハを背後の切り立った岩壁に向かって吹き飛ばしたのだ。
勢いよく壁に叩きつけられた二人は、危うく意識を失う寸前である。かろうじて昏倒することは免れたが、すぐには立ち上がれそうもない。
彼女のそばに立っていたニックは直接狙われたわけではないにせよ、周囲を巻き込む突風に飛ばされた勢いで頭でも打ったのか、すっかり気を失って倒れこんでいた。しかし、血が出ている様子はないのでひとまずは平気だろう。
たとえ平気でなかったとしても、今は彼に構っているだけの余裕はない。
「く、くそ……っ!」
いきなり繰り出されたナツミの魔法攻撃によってカズハは右足を骨折したらしかった。そのほかには目立った傷が見られないのはせめてもの幸運だが、ちゃんとした受身もとれずに背中をひどく打ちつけたこともあって、うめく彼女は一人では行動不能な状態だ。
それは無論アレスタも同様である。
ただし、彼の場合は治癒魔法で応急処置を施すことが出来たので、実際には問題がないといっても過言ではない。
ところがアレスタは、右足を抑えながら痛がるカズハに対して治癒魔法を使用することをためらった。理由は単純にして簡単だ。ここで今すぐ彼女の傷を魔法で治癒してしまえば、それを見たナツミが更なる強硬手段に打って出る可能性があったからである。
それに、うまく言えないけれど彼女には本気でアレスタたちを殺すつもりはないようにも思われた。
不意打ちだったとはいえ、どこか手加減をしているような気配があったのだ。
しばらくは動けない程度に傷ついた振りをして、相手の出方を窺う必要があると考えたアレスタ。
そんな彼の考えを知らないナツミは勝ち誇って笑顔を見せる。
「あら、立ち上がれない? 私を相手にこんなんじゃ、もっと強い魔法使いがうじゃうじゃいるブラッドヴァンと本気で戦うのは無理ね」
「姉貴、一体何を……!」
「はいはい、これで気が済んだ? だったらお子様は帰りなさい。弱くて役に立たない人間を相手にしている余裕はないの。だってこれは戦争。命を懸けた戦いなのよ」
「そんなのわかってる。アタシだって命を懸けてここにいるんだ……!」
「だったら今ここで命を落としても構わないと言うの、あなたは?」
苛立ち混じりに唇を強く噛み締めたナツミは、内面の迷いを断ち切ったかのように右腕を大きく振り払った。
すると再び魔法の風が吹きすさぶ。
ぐるぐると渦を描くように巻き上がった風が周囲に散らばっていた小石を乗せて、強く、激しく、その場から動き出せないアレスタやカズハに襲い掛かってくる。
それは決して致命的な攻撃ではないものの、優しさや容赦はない。
反攻の意志を奪うためのいたぶりだ。
「やめなさい!」
怒りに突き動かされて二本の剣を抜いて構えたイリシアが魔法の風に襲われている二人の前に飛び出して、うずくまる彼らを庇うようにナツミと対峙した。
その姿を見た彼女は余裕の笑みを浮かべて魔法の使用を停止すると、前に伸ばしていた右腕を静かに下ろす。
魔法など使わなくても、イリシアは恐れるに足りないと考えているのだろうか。
「もしも私に手を出せば、きっとファンズは黙っていない。オドレイヤだけでなくマギルマがあなたたちを狙うようになるわ。……それでもいいのかしら?」
自由自在に風魔法を操るナツミ。それは遠距離での戦闘において圧倒的な優位を誇る。
高速化魔法によって身体能力を上昇させることができるとはいえ、遠くまで届く風に比べれば圧倒的にリーチの短い二刀流しか武器がなく、どうしても接近戦を挑むしかないイリシアはナツミとの相性が悪い。
しかも彼女はたった一人で背後の三人を庇う必要がある。
不利な状況を理解したイリシアは剣を構えたまま微動だにすることができない。
戦闘するよりも、会話によってこの場を切り抜けるのが最も安全な策である。
だから問いかけた。
「……何が目的なのですか?」
「あなたたちを殺したいわけじゃない。むしろ逆ね。死んでほしくないからこそ、力の差を教えてあげたかったの」
「力の差?」
「覚悟と信念の違いでもある。優しさと甘さ……それは普通なら美徳ね。でもこのアヴェルレスでは命取りになるの。私なんかを簡単に信頼したあなたたちの弱さでもあるわ。それがあなたたちの限界。マフィアの残酷さを知らない人間の……」
透明な水のように澄み渡った風が愁いを帯びたナツミを顔をなで、その髪をたなびかせる。
それは言葉を打ち消してしまえるほどに強くはなかったはずだが、魔法ではない自然の風を感じることに一瞬だけ身をゆだねた彼女は途中で話を切り上げた。
そして今度は左手の動きで風を操って、周囲に散らばっていたゴミや小石を吹き飛ばして地面を綺麗にすると、アレスタとカズハが倒れこんでいる場所へ向かって歩き始める。
何をするつもりなのかと警戒を強くしたイリシアがそれを遮ろうとしたが、それに対して「戦うつもりはないわ」と軽くあしらって、彼女は真っ直ぐに進む。
用心深く見守っているイリシアの視線の先で、アレスタのもとへたどり着いたナツミはカズハの存在をあえて無視すると、少しだけ言葉を考えてから口を開いた。
「あなたが一番カズハに信頼されているようだから、あなたに言わせてもらうわ。……いい? あなたたちは私たちにとって縁もゆかりもない部外者なの。邪魔にしかならないからマフィアとの抗争に首を突っ込まないで。そこのカズハを連れて、すぐにでも向こうの世界に帰ってちょうだい」
「で、でも俺たちは……」
ちらりと横目でカズハを見たアレスタ。しかしナツミは相手にしない。
「もうこの街のことは忘れなさい。世の中にはね、あなたが救えない不幸だってたくさんあるのよ。だからこそ、本当に救うことができるものを見誤ってはならないの。……実際、このアヴェルレスがどうなろうとあなたには関係ないでしょう? あなたたちが意味を持って関係しているのはカズハだけ。だったらこの子を一番安全に守ることができる選択をするべきね」
それからナツミはちょっと気まずそうな仕草で、彼女の風魔法で足の骨を折られて小さくうずくまっていたカズハへと、先ほどまでとは一転して慈悲深い眼差しを向けた。
まるで本物の姉のような温かさで語り掛ける。
「そしてカズハ、あなたに一つだけ約束してあげる。ハクウノツルギなら、オドレイヤを倒すついでに私が取り返してあげるわ。あなたたちが邪魔さえしなければね」
「アタシは……、アタシの手で敵を討ちたいんだ」
「その体では無理よ。はっきり言って足手まといだわ」
そう言われて悔しがる幼い彼女を、ボロボロにした張本人であるはずのナツミは静かに見下ろした。その顔はすでに感情を押し隠していて、彼女が何を考えているのかは誰にもわからない。
悔しさを隠しきれないカズハや、口を挟まずに状況の推移を見守っているアレスタ、そして仲間を傷つけられ怒りをにじませるイリシアの言葉や身振り手振りの一切を無視して、最後にナツミはカズハの顔も見ずに言い残した。
「……カズハ、その少年に背負ってもらって外の世界に戻りなさい。魔法を使って見張りの隙をつけば、あなたたち四人くらいなら無事に向こうの世界に行けるでしょう。そして全身の傷が完治するまで、あっちの世界でゆっくりすることね」
それで言いたいことはすべて言い終えたのか、会話の余地なく彼女は立ち去った。
たった一人の奇襲によって、負けを認めるしかなかった四人を残して。




