17 協力関係
さて、一度はカズハを力ずくで捕らえてしまおうとしたファンズが態度を改め、カズハたちに協力を呼びかけたのには理由がある。
「まったく、残念なくらい女の子の扱いが下手ですな」
「下手で結構、上手であってたまるか。マギルマを幼年学校にした覚えはない」
「そのときは私が校長でしょうな。マギルマ学院。いい響きじゃありませんか」
「いい響きだろうが、いい聞き手のいないアヴェルレスではむなしく反響するだけだよ」
ファンズと彼の頼れる参謀ブリーダルは、このとき連絡用の魔道具を使って会話していた。
時はファンズがカズハを逃がした直後である。
大事な場面で若さゆえの短絡的な行動が先行しがちなファンズは完全なる自信家ではなく、人並みに迷ったり悩んだりする。そんなとき決まって彼は老齢の紳士によるアドバイスを求めたのだった。
「急いで追いかけて、彼女をマギルマに誘うべきでしょう。私が予測するところによれば、ハクウノツルギを取り返された彼女はしばらくアヴェルレスに滞在するつもりに違いないですからね」
「そう思って部下に追わせた。どこに行っても居場所はわかる。……だが彼女を我々の仲間に誘えとは?」
「そのままの意味ですよ。貴重な戦力としてマギルマに協力してもらうのです」
「……驚いた。まさか本気で組織を若返らせるつもりか?」
冗談で言ったつもりのファンズだが、ブリーダルはいたって冷静だ。
「いえいえ、驚くには値しません。冷静に考えれば当然の帰結ですよ。まず彼女の魔法の才能と度胸には目を見張るものがありましょう。なにしろブラッドヴァンからハクウノツルギを盗み出した実績がありますからな。我々がうまく導きさえすれば、今後とも活躍してくれるに違いありません」
「それは認めよう。……今の私には通用しなかったがね」
「あなたが特別なだけです。彼女が未熟なせいではありません」
「……ああ、そうだな。ちゃんと成長していたよ。彼女はすでに一人前の魔法使いだ。ただのいたずらっ子ではない」
通信用の魔道具を握りなおしたブリーダルは老婆心からか、穏やかに声を落として語りかける。
自分たちが最悪のマフィアと戦争中だということも忘れて。
「そのカズハという少女、あなたにとっては妹のような存在なのでしょう? 本当は守ってやりたいと思っているはずだ。ならば最低限、もう一度会って直接あなたの言葉をぶつけるべきです。大切な身内と喧嘩別れするなんて……悲しいですからな」
「身に染みる言葉だ」
「でしたら追いかけなさい」
「しかし彼女には仲間がいたようだが……。それも外部から追ってきた人間が三人もだ。今さら私を必要とするかね?」
「いじけていないで、彼らにも助太刀を願えばよいでしょう。こんな異世界にやってくるくらいなのですから、そこらの人間とは違って肝も据わっているはず。使える人材が多ければ多いほど助かるのは我々のほうです。背に腹は変えられないのですし、変える必要もありません」
「簡単に言ってくれるね。さすが人生経験が豊富なだけはある」
「オドレイヤという悪役がいる限り、我々は彼に恨みのある人間なら誰とでも自由に手が組めるのです。お互いの主義信条に関わらず、まずは最大の悪を倒すために協力するしかない状況なのですから。共通の敵という存在は、反発しあう水と油さえ美味しいジュースにしてしまうでしょう」
「そう願いたいものだな。……それは飲みたくないが」
などなど、そういったやり取りがあって、彼はカズハを追いかけることとなったのである。
そして酒場での交渉を経て、なんとか彼女たちの協力を取り付けることに成功したのであった。
しかし、これに反対する人があった。
不愉快そうな顔をして腰に手を当てたナツミである。
アレスタたちと酒場での交渉を終えたファンズが近くに設けていた隠れ家に帰ってみると、そこには留守を預かって見張り番をしていた彼女がいて、カズハと協力することになった事の顛末を聞かせてみたところ、膨れっ面をしたナツミは怒り心頭といった様子でこう言い捨てたのだ。
「信じられない」
その一言には、あらゆる感情が込められていたに違いない。でなければファンズが苦虫を噛み潰したような顔をする必要もなかっただろう。
いかんせん彼は勝手にカズハを巻き込んだことに対する気まずさを覚えていたのだ。
だから釈明する羽目になる。
まるで浮気が発覚した情けない亭主のような滑稽さを漂わせて。
「まあ、聞いてくれ」
「ほら出た! お決まりの『まあ、聞いてくれ』っていう常套句! いかにも冷静で頭のいい男の振りをした話の切り出し方ね。目の前の相手を馬鹿にしている感じが伝わってくるわ」
「馬鹿にしているだなんてとんでもない。私は君を尊敬しているよ」
「本当に?」
「本当さ。それだけじゃなくて……そう、愛している」
「……ふん」
真剣な目をしてそう言われれば、拗ねて顔をそむけるナツミにしても満更ではない反応を見せる。結局この二人はのろけているだけなのだ。
犬も食わない喧嘩とはこういうもののことだろう。
ただし、あくまでも本人たちは大真面目でやっている。
――男女の喧嘩はベッドの上でやれ。きっとその夜のうちに解決する。
とは、ブラッドヴァンのマフィアに広まるくだらない格言の一つだ。
あまりに低俗なマフィア文化に染まりきることができなかったファンズやナツミにしてみれば、悪趣味な笑い話にしか聞こえないだろうが。
常日頃から気の利いたユーモアや皮肉を会話に盛り込もうと努力しているファンズであるが、それは彼本来の性格ではなく、組織の上に立つ人間としての余裕を彼なりに演出しようと努力しているだけだ。
そこを理解している人物こそ、彼とは子供のころから長い付き合いのあるナツミである。彼女にしてみれば、普段から一流のボスであろうと気取っているファンズが可愛らしく思えて仕方がない。
今もきっと、自分より小さいカズハにからかわれて涙目になっていた情けない男こそがファンズの本性なのだ。
そんなファンズが自分の考えを真摯な態度で語って聞かせると、さすがのナツミも態度を軟化させていく。
軽い相槌を挟むだけで最後まで邪魔することなく聞き終わると、一生懸命に釈明する彼を傷つけないように気をつけたナツミはゆっくりと口を開いた。
「私からの結論は、こう。――彼女を巻き込まないで」
「もう巻き込まれているのさ、彼女は。放っておいても勝手に巻き込まれていくよ。昔からそうであるように強い子だからね。だから目の届く場所に置くことにした。そしてちょっと手伝ってもらうだけさ」
「一度は上手くいったからって、あのオドレイヤを侮っては駄目よ。結局のところカズハなんかじゃ歯が立たない。私たちだっていつ死ぬかわからない状況なのよ?」
「……悲しい事実だけど、このアヴェルレスでは普通に生活している一般市民もそれなりの確率で死ぬ。周囲の被害を意識しないマフィアが四六時中戦争をやっているからね。しかも取り締まる政府がない。そうなってくると、自分の意志で戦える環境にあるほうが生存率は高いかもしれない。なにしろ深夜に無関係な住宅が誤爆で破壊されることもあるくらいだ。それでいてマフィアは自分たちの非を認めないし、ちっとも悪びれない。それどころか武勇伝として誇っていたりするのだから」
「……確かにね」
マフィアがはびこる暗黒街アヴェルレスに安全地帯はない。それが異次元世界ユーゲニアの常識である。
何事もなく生涯を平穏に終えることができたなら、それだけで幸運だ。
「外の世界に出ていったなら、向こうに行ったきり戻ってこなければよかったのよ。わざわざこんな腐った街に帰ってくるだなんて……」
「案外、姉である君を恋しく思って帰ってきたのかもしれないよ?」
「だとしたら結婚しちゃうわね。あまりの驚きで」
「ナツミとカズハで女性同士の結婚か。個人の自由と権利が認められている外の世界ではたまにあるらしいね、同性婚というものが。ふふん、そのときは私も家族に混ぜてくれるかな?」
「馬鹿ね、今のは冗談よ。あなたは私とだけ結婚しなさい」
「……もちろん、そのつもりだけど」
顔をそらしたファンズは背を向けて頷く。声が小さくなったのは照れているせいだ。
その姿を見たナツミは自分のほうでも恥ずかしくなってきて、思わず全身が熱くなってくる。
そういえば、彼女には明確なプロポーズというものの記憶がない。まさか雑談中に結婚の約束を求めてしまうとは、いつもなら隙の少ない彼女にとって大失態だ。
前髪をいじったり、口元に手を当てたり、意味もなく深呼吸を繰り返すなど、それぞれの方法で心の動揺を押さえ込む二人。
初々しい緊張だが、それだけに気まずさは言葉にならない。
なんとか気持ちを切り替えた彼女はわざとらしく咳払いをしたあと、背を向けたまま立ち尽くしているファンズに語りかけることにした。
「あの子ったら、すごくやんちゃで、思えばたったの一度だって私の言うことを素直に聞いてくれたためしがない。年下のくせに負けん気ばっかり強くって」
話が変わったことに安心したのか、ファンズは振り向いて微笑む。
いつにも増して上機嫌であるように見えるのは、色々と理由がありそうだ。
「年長者である私からすれば、君とカズハは似たもの同士の可愛い妹たちだったがね。おそらく君のほうがカズハよりも大人になるのが早かっただけさ。君に芽生えた大人の意識が邪魔をして、妹に対して素直になれないだけだと思うよ」
「わかってる。人間としては嫌いじゃないわ。むしろ大好きよ、ああいう奴。でもね、たぶん、ずっと一緒にいた姉妹だったからこそ、私たちはいがみあってたの」
「喧嘩するほど仲がいいと?」
「認めたくないけれどね。大切だからこそ憎々しく思うのよ、色々なことが」
子供時分より負けず嫌いなナツミである。素直に好きとは認めがたい。
それを理解しているファンズであったから、意地を張っているナツミを見るにつけ、こういうときには童心を思い出して笑いを隠さずにはいられなかった。
強気な言葉の裏に隠した純情や優しさを感じ取るとき、いつでも彼は彼女のことを可愛いと思ってしまうのだ。
それを馬鹿にされているとでも勘違いしたのか、不服そうな顔をしたナツミに一睨みされたファンズは肝を冷やした。
「……だけど、そうね、だったらカズハに協力してもらうことについては認めてあげる。その代わり条件が一つだけあるわ。私をカズハの監視役にして、すべての世話を私に任せてくれるかしら?」
「ふふん、そいつは嬉しい条件だね。こちらから頼もうとしていたくらいだよ」
こうして、マギルマに協力することになったカズハたちの世話役として、彼女の義理の姉であるナツミが就任することとなったのである。




