11 枯れ木ストリートの闘争(1)
オドレイヤの手で壊滅した南部マフィアに代わって、支配者のいなくなったアヴェルレスの南部を誰が統治すべきか。
かねてからブラッドヴァンの「取りこぼし」を奪い合ってきた下部組織だけに、残存する東西二つのマフィアは広大な利権を巡って対立を深めた。
本来ならマギルマを倒すために一致団結すべき状況であろうが、彼らにとって親分であるオドレイヤの存在は圧倒的であり、自分たちが協力するまでもなくファンズごときに負けるとは思えなかった。
故に、すでに彼らの意識はマギルマが駆逐された将来のアヴェルレス勢力図に思い及んでいたのだ。
今やブラッドヴァンの下部組織も東部マフィアと西部マフィアの二つを残すだけ。このままファンズが死んでしまえばマギルマとの戦争は終わり、アヴェルレスを支配する構造は固定されてしまうだろう。
だからこそ、南部地域の下請け統治という大きな「取り分」は今のうちに手に入れておかなければならない。
けれど、肝心のオドレイヤはこの件について完全に丸投げ状態であった。
好きなようにせよ、という命令にもならない命令を出しただけだ。
なにしろ彼はブラッドヴァンの王者なのだ。たかだか南部地域ごときの支配権を巡って争うような男ではないし、部下の誰がそれを手に入れようとも興味はなかった。
根幹の部分で彼は闘争に飢えた獣であって、つまらない事務的な処理に関心を持てないのである。
「おそらくオドレイヤは南部マフィアを滅ぼしたところで満足してしまって、統治する人間がいなくなった南部地域の支配権を誰にゆだねるかなんて考えもしないだろう。トップがトップの責任を果たさない組織は統率力に致命的な欠陥が生まれる。生まれれば育つ。育てば親を超えていく。……喧嘩と戦争は違うんだから、リーダーが殴り合いに強いだけじゃ駄目なのさ」
アヴェルレスの絶対的な支配者として君臨するオドレイヤが単純な戦闘力では間違いなく最強であることを認めるファンズではあるが、組織のトップとしては無視できないレベルの脆弱さを有しているとも考えていた。
リーダーとしての未熟さ、特に、暴力がすべての問題を解決してくれると思い込んでいるような未熟さだ。
たとえば、見せしめとして南部マフィアを壊滅させた行為はオドレイヤとしてはマフィアの統率を引き締めるためだったのかもしれないが、現実的にはブラッドヴァンの戦力を弱める自傷行為であったといっても過言ではない。
ファンズからすれば、労せずして敵が減ってくれたのだ。
このまま際限のない疑心暗鬼に陥ったオドレイヤが部下を次々と叩き潰してくれれば、マギルマは戦わずして最大の戦果を得ることになる。
もちろん、どれほどブラッドヴァンが弱体化しようとも、最強の敵であるオドレイヤが健在のうちは油断することはできない。
最悪、オドレイヤはたった一人でも戦いに勝ち続けるのかもしれないのだ。
「ただの殴り合いであればよかったのですが、優れた魔法使いが相手では、敵が一人でも喧嘩ではなく戦争となりますからね。何が起ころうと最後まで気を抜くことはできません。我々が少しでも有利になれるチャンスがあれば積極的に活用すべきでしょう」
そう提言したのはマギルマの頼れる参謀ブリーダルである。
当然、ファンズにも異論はない。
「オドレイヤの見せしめ行為によってマフィアたちの間に動揺が走っている今がチャンスなのは間違いない。それを有効に活用する手段はいくつかあるのだろうが、それぞれの作戦の成功率と予想される成果との兼ね合いが難しいな……」
「ひとまず今回は私にお任せください。相手が相手ですから、安全をとって最小のリスクで最低限のリターンを得ようなどと考えてはいけません。ここは失敗するリスクを払ってでも、最大限のリターンを掻っ攫いに打って出るべきでしょう」
「危険を承知で?」
「ええ、決死の覚悟で。なにしろマフィアがはびこるアヴェルレスの地において、敵同士が勝手に対立して戦力の空白地帯が発生したのですから。特定の本拠地を持たない我々にとってはありがたい。南部マフィアからの置き土産ですよ」
「もっともだな。もとより全滅は覚悟の上だが、それを改めて思い出させてくれた」
頷いたファンズはブリーダルの提案を受け入れた。
南部マフィアを引き継ぐ形で別の組織が支配構造を確立する前に、一時的な空白地帯となり監視の目が緩くなった南部地域にマギルマが息を吹きかけておく必要があると考えたわけだ。
「ただし、勢力圏として土地を支配することが我々の求める戦果ではありません。本拠地を得るということは、敵に襲撃されやすくなるということでもありますからね」
「となると今回は土地を手に入れるわけでなく、その土地を利用した戦果を狙っているというわけかな? ふふん、面白いことを考えているようだ」
「さて、どうでしょうな? たとえ面白い計画を思いついたとしても、それを考えたとおりに実行するのは難しいものですから。机上の空論で終わらなければいいのですが……」
「それが出来る人間に現場を任せるのがリーダーたる私の仕事だよ。そしてそれが出来るからこそ私はマギルマのボスなのだ。作戦立案はあなたにお任せする。だから人選は私に任せてくれたまえ」
しゃべりながら得意げになってしまったことを照れ隠しするようにはにかんで、それだけを言い残したファンズは逃げるように席を立った。
部屋に一人残されたブリーダルはやれやれといった風に肩をすくめ、老婆心さながらに彼の若い主君を思いやった。
「ならば最善を尽くしましょう。あなたには思いつけない卑怯で残酷な一手を打つべく」
アヴェルレス南部において最大の活況を感じさせる枯れ木ストリートとは、大通りに沿って植えられた街路樹が一本残らず立ち枯れていることから、そう呼ばれている。もともとは風流な正式名称があったとも言われているが、もはや誰も覚えていない。
いつだって夕焼け色に染まっているユーゲニアらしい斜陽を感じさせるだけでなく、人畜無害な植物にさえ安住が許されない街の治安の悪さの象徴として、マフィアの人間すら憂鬱になって気が沈むといわれる悲しい繁華街だ。
そんな大通りの一角、薄汚れた外壁を持つ五階建てのビルがある。排他的な印象があるせいか部外者は誰も寄り付かず、街そのものから敬遠されている古びた趣のマフィア事務所だ。
南部マフィアが残した枯れ木ストリート支所とも呼ぶべき施設で、敷地は狭いが敵襲と籠城に備えて地下倉庫まで用意されているアジトの一つだった。所有者であった南部マフィアが壊滅した現在、その後の処遇について持て余されている空き物件である。
南部地域から南部マフィアが消えて数日。
一時的にマフィアの姿が消えて安息の日々が流れていた枯れ木ストリートに、この日、ふてぶてしい顔で歩くマフィアの集団が現れた。
その内訳は東部マフィアと西部マフィアがちょうど半々ずつ、数人の幹部を筆頭に、およそ二十名近くの部下を引き連れて、その総勢は五十人にも達していた。
南部地域の利権を争って対立している両者だけに、相手を警戒して護衛の数が膨れ上がったのだ。
複数人で一枚のパンケーキを切り分けるとき、もっとも発言力が強くなるのはナイフを持った人間だ。アヴェルレスにおいてナイフは武力。力を持たない人間にパンケーキは一切れだって恵まれないし、無力な人間のことを誰も哀れんでくれない。
「ここか。……おい、ちょっと先に中に入って様子を見て来い。罠が仕掛けられていないとも限らないからな」
すっかり無人となった事務所の入り口。
東部マフィアか西部マフィアか、どちらかの幹部が側近に命じると、それを受けて両陣営から数人ずつの下っ端が先遣隊として建物の中に送り込まれた。篭城戦を想定している事務所でもあるから、念には念を入れての警戒である。
しばらくして仕事を終えたらしく、一人の下っ端が喜色満面な表情で戻ってくる。
「ありました! 情報の通り、魔道具がたんまりとありました!」
「よろしい。ならば我々も中に入って自分の目で確認しておこうではないか。のんきな顔をする君が無事に戻ってきたからには、危険な罠もないようだからな」
と、魔道具を発見した報告を受けた男は嬉しそうな声で答えた。
そもそも彼らがここを訪れたのは、「枯れ木ストリートにある事務所の地下には、ファンズから融通された魔道具が大量に備蓄されている」という情報があったためである。
当然ながら地下への入り口は巧妙に隠されていたが、その地図や鍵とともに、匿名の情報が東西のマフィアへ提供されたのだ。
枯れ木ストリートは南部地域を南北に流れる大通りで、南部地域の支配権を巡って対立する東西マフィアからすれば、重要な境界線となる可能性のあるストリートだ。今後の駆け引きのためにも、この南部マフィア事務所と大量の魔道具の所有権はお互いに譲れないものがあった。
決して譲歩できないからこそ、お互いに二十名もの人員を連れ出してきたのだ。
それは抑止力でもあるし、もちろん非常時における実行力でもある。
アヴェルレスにはマフィア以外の法律はない。マフィアが力で手に入れたものは誰にも否定することが出来ないのだ。
アジトの外に半数ほどの警戒要員を残して、それぞれの幹部は地下倉庫に残された魔道具の山分けに取り掛かる。
種類もバラバラ、威力も効果もバラバラなのだから、大量の魔道具を平等に分配するのには思いのほか時間がかかった。しかも双方ともに納得のいく結果ではなかったためか、自分たちが手に入れた魔道具よりも、相手に対する不平不満を大量に募らせた彼らである。
ひとまず入手したばかりの魔道具を部下に配ると、両マフィアの幹部は開放された一階ロビーに集まって会議の場を設けた。
話し合うのは今後の支配圏についてである。
つまり南部地域の取り合いだ。
「やはり、常識的に考えれば枯れ木ストリートが一つの目安になるだろう。ここより東側を我々東部マフィア、ここより西側を西部マフィアの支配地に組み込んでしまえばいい」
「ふざけるな! 枯れ木ストリートは大通りだが、中央通りではない! 南部地域の東側にある以上、そんな分割方法では我々が損をするだけだ! 正しく地図を見ることもできないのか、お前らは!」
「しかし他に都合のいい線がないのだから仕方ないだろう。君たちは現実を見ることもできないのかね?」
組織の上に立つ幹部同士とは思えない子供じみた言い合いをして、平和的な話し合いには不釣り合いな険悪な雰囲気が立ち込める。どちらともなく相手を殴りかねない勢いで、事態は一触即発といった有様だ。
ところがこのとき、口論にヒートアップする彼らとは別の事情で、すでに見えない導火線には火がついていた。
「な、何事だ!」
動転して叫んだのは気難しい顔をした幹部の一人だったが、彼と同じくロビーに居合わせた人間は一人の例外なく身をすくめた。
建物の外で激しい爆発があったのだ。
もちろん偶発的な事故でなく、作為的な爆発である。
「襲撃だと? ……このタイミングで、この場所を?」
「のんびり考えている場合か? 襲撃だぞ!」
言い合っている間に、二つ目の爆発が発生した。ロビーまで伝わってきた音や衝撃から判断すると、一度目よりも規模が大きい。
外で警戒に当たっている構成員のうち、不幸な運命に抱き締められた何名かは直撃を受けて命を散らせてしまっただろう。
「報告します! 襲撃者、多数! フードを被った正体不明の敵がストリートに出現し、クロスボウなどの武器で攻撃しつつ建物を取り囲みつつあります!」
「手持ちの武器や魔法で応戦しつつ状況確認! 被害を調べろ!」
怒鳴り散らすように指示を出した幹部たちは安全を確保するために上階へ行くべきか地下へこもるべきかを考えて、すぐには結論を出せず、ひとまずはロビーにテーブルや椅子などで即席のバリケードを作ると、その頼りない壁に囲まれた空間を対策本部に仕立て上げた。
襲撃者が計画的だった場合のことを考えて、不用意に階層を上下するのは危険だと判断したためである。
現状、安全が確認されている一階ロビーにいるのが一番だ。
下っ端たちを酷使して外の様子を伺いつつ、東西マフィアの幹部たちが物陰に身を潜めながら対策を練っていると、そこに一人の構成員が急ぎの報告をするべく戻ってきた。
目に見えて興奮しているらしく、息が荒い。
「死亡者は現時点で十二名。……その、死んだ全員が西部マフィア所属です」
「……なんだって?」
意味深な報告を耳にした西部マフィアの幹部はそろって顔をしかめる。
激しさを増している戦闘において、片方の陣営だけにしか死亡者が出ていないとは信じがたい話だ。
一方、予想外の“嬉しい”報告に東部マフィアの幹部は挑発的な苦笑を見せる。
「敵も残酷なことをしてくれますな。お気の毒に。まあ、今は弔いよりも対策が必要だがね」
すると誰ともなく、つぶやかれる。
「もしや敵は西部マフィアだけを狙っている、とか……」
「はっ、ありえる。なにしろ西部マフィアはやり方が我々の数倍は乱暴だったからな。知らず知らずのうちに敵の恨みを買ったんじゃないかね?」
これらの発言はさすがに西部マフィアの逆鱗に触れたらしい。
我慢できなくなった一人の幹部が椅子を蹴飛ばして立ち上がる。
「敵? はっ、敵ね! フードを被って正体を隠した敵が、わざわざ東部マフィアを避けて我ら西部マフィアだけを狙っているとでも? なんてそちら側に都合のいい敵なんだろうね! いっそ作り方を教えてほしいよ!」
今度は東部マフィアの幹部が机を叩いて立ち上がった。
「馬鹿なことを言え! 襲撃者はマギルマに決まっているだろう!」
「馬鹿なことを言えとは、これまた馬鹿なことを言ってくれる! これがマギルマなら、我々に対して身元を隠す必要がない! 隠す必要があるのは、マギルマに責任転嫁する腹積もりをもったお前らだけだ! 襲撃者たちに西部マフィアの人間を一人残らず殺させて、生き残った東部マフィアがこの枯れ木ストリートを制圧する! そして治安維持をお題目にして、南部地域を丸ごと奪い取ろうというわけだ!」
「……暴論にもほどがある! そんなのは暴力的な決め付けだ!」
「なんと、暴力的とは! 実際に暴力を振るっている東部マフィアがそれを言うかね! 襲撃者を帰らせてから言いたまえ! 帰らせてから!」
「無茶なことを言ってくれるじゃないか!」
声を荒げた東部マフィアの幹部たちは苛立ちだけでなく、複雑な不信感を募らせた。これは巧妙に仕組まれた西部マフィアの自作自演で、東部マフィアを糾弾するために襲撃者を雇って自分の部下を殺させたのではなかろうかと、そんな疑念が鎌首をもたげる。
実際に被害が出ている西部マフィアからすれば不愉快極まりない言いがかりだが、先に陰謀論を言い出したのは彼らだ。何を言われても東部マフィアを非難する資格などない。
いや、たとえ資格がなくても我を通すのがマフィアのやり方である。
わがままで独善的な悪党集団である彼らにとって、極論すれば真実など関係なかった。
いつだって、誰だって、ひたすらに相手をやりこめる手段だけを考えているのだ。
殴り合いが始まりかねない喧騒の中、先ほどとは別の下っ端が駆け込んできて新たな報告が入った。
「報告します! 前線にて魔道具の一つが発動し、被害甚大!」
「詳しく……、詳しく状況を伝えろ!」
「東部マフィアの所有した魔道具が、西部マフィアの一群を狙って発動! 本人は事故と言っておりますが、真偽は不明!」
「……やはりかぁっ!」
錯乱した様子で立ち上がった西部マフィアの幹部がもっとも手近な場所にいた東部マフィアの幹部の一人に狙いをつけて、その首を背後から締め上げた。
どこから出したのか右手にはナイフを持ち、威圧的にきらめかせる。
にやりと口元が歪むのは、明らかな殺意がそうさせている。
「これではっきりとした。お前ら東部の連中は、俺たちをだまし討ちしやがったとな! 今すぐ罪を認めて襲撃者を引き上げさせろ! 全員その場で頭を下げて謝れ! さもなくば殺す!」
「……ふざけたことを! 西部マフィアの乱心だ!」
がなり立てるのは汚名を着せられた東部マフィアの幹部だ。侮辱に対する怒りもあるが、それだけの行動ではない。
人質の首筋にナイフを突きつける男の注意を引くために、わざと大げさなアクションを起こしたのである。
彼の目論見どおり、人質をとった西部マフィアの男が顔をそむけた瞬間、反対方向に位置していた別の幹部が仲間を救出するべく攻撃に打って出た。
使用したのは、高速で物を弾き飛ばす魔法。
空気との摩擦で飛ばした物体が燃焼するほどの速さではないから、命中しても相手が必ず死ぬとは限らない。
ただ、この場合は殺さずとも無力化するだけでいいのだ。
魔法で弾き飛ばした物体はナイフを持った男のこめかみに命中し、手の力が抜けてナイフを落とすと意識を失って床に倒れた。
「ふっ、おとなしくなってくれたか」
これで脅威は去ったと安堵した東部マフィアの幹部たち。
しかし現実はそう簡単に事態を収束させてくれない。
この場には西部マフィアの幹部も彼らと同じ数だけいて、目の前で繰り広げられた争いを目撃していたのだ。
「や、やりやがった! 東部の連中め、ついに尻尾を出したな!」
訓練の行き届いている騎士や軍人などとは違って、マフィアに所属する人間は血気盛んで向こう見ずな連中ばかり。つまらない小さな衝突を契機にして、流血を伴う大きな対立を生み出すことは日常茶飯事だった。
アヴェルレスに生まれた彼らは殺伐とした環境で育ってきたこともあって、怒りや暴力に対する抑制が効かない。それが集団になって徒党を組んでいるのだから、相乗効果か悪循環か、お互いの暴力行為は際限なくエスカレートした。
目の前にいる人間のことを裏切り者だと決め付けてしまえば、この場においてそれは無視できない大義名分となって、激高する彼らに本来の敵である襲撃者の存在を忘れさせた。
いや、彼らは襲撃者の正体を相手が雇った殺し屋集団とみなしていたので、その存在を完全に意識の外へと追いやっていたわけではない。
襲撃者と相手のマフィアを区別する必要がなくなっただけである。
どちらも敵だ。だから容赦なく殺してしまえ、と。
自分たちに歯向かう人間は皆殺しにすべし――というのが、愚直なくらい単純明快な彼らの行動原理だった。




