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治癒魔法使いアレスタ  作者: 一天草莽
第三章 そして取り戻すべき日常
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10 見せしめの血祭り

 南部マフィアの本部は名前から想像できる通りアヴェルレスの南部に存在するが、その地域の中心となる住宅街からはほど遠く、狭い路地を進んで奥まった場所にある。

 あくまでもブラッドヴァンの下部組織だが、それでも大多数の市民からすればマフィアは畏怖の象徴である。当然ながら嫌われている。

 ある種の皮肉をこめて、小宮殿とも呼ばれるアジト。

 三階建ての豪奢ごうしゃなつくりをした、南部マフィアの巣窟そうくつだ。


「明日からのパーティーで提供される赤い酒にはオドレイヤの血が混じっているだろう。とっておきの美酒だろうね、味はともかく」


 最も安全な三階の中央には寝室がある。

 無駄に広々とした室内には天蓋つきの赤いベッドがあり、そこに横たわった南部マフィアの首領ナムールは妙齢の女性を抱いて上機嫌に微笑んでいた。

 相手をする女性は返事をする必要がない。手にしたグラスを傾けると赤い酒を注ぎこんで、ナムールは彼女の口をふさぐ。

 同じマフィアからさえ低俗王と呼ばれるナムールが夜の女性に求めるものは妖艶な鳴き声だけである。そのために女性を酔わせて、都合よく楽しむために邪魔な理性を飛ばすのだ。


「勇敢にもオドレイヤに歯向かったファンズには期待しているが、いつまでも若造にでかい顔をさせるわけにはいかない。マギルマと手を組む? 配下に下る? 馬鹿を言え、ここからの反逆は私が旗印となるのさ」


 幹部クラスともなれば、マフィアの人間は誰もがその身に野心を宿す。

 部下を従える立場と権限の数々が、さらなる野望を知らず知らずのうちに育ててしまうのだ。

 マフィアが抱える自尊心と欲望の高まりは、現在の地位の高さに比例するといってもいい。


「そして最後にはオドレイヤを私が殺す。奴を殺せたら、アヴェルレスの女はすべて私のものだ」


 ただしナムールの場合、野心と呼ぶにはいささか色欲の度合いが強い。

 関わる人間すべてに「南部マフィアの女たらし」と陰口を叩かれてきた男であり、尊敬や崇拝とは縁遠い場所で生きているナムールは、しかしその罵倒を称賛の言葉として受け取るだけの傲慢さがあった。


「ナムールがファンズと手を組む決断に至ったのは、オドレイヤの支配するアヴェルレス北部に美人を見つけたからだ。それ以外に理由があるとすれば、実はファンズが女だったという可能性しかないな」


 などと、直属の部下にまで馬鹿にされるナムールだが、たとえ内なる動機がいかなるものであろうと、保身に走らずオドレイヤに立ち向かう覚悟を決めた点だけは、南部マフィアのボスとして彼が凡百の連中に勝っているところだろう。


「ナムール様! ナムール様はおられますか!」


 草木も眠る深夜だというのに、寝室の扉が慌しく叩かれる。

 連絡係がナムールを呼びたてているのだ。


「ええい、今はちょうどよいところだ! どんな急用だろうが、女を相手に中途半端なことはできん! しばし扉の外で待っておれ!」


「それどころではございません! ナムール様、それどころではないのです!」


「馬鹿を言うな! 美しい女性との一夜の触れ合いは、男にとって千日の天下に匹敵するのだぞ! それを! それどころではないなどと! 男の風上にも置けぬ奴め!」


「ですから、それどころではございません! 外の様子がおかしいのです! 今日という日の異変が何を意味するか、よくお考えください!」


「なに……?」


 ようやく頭の冷えたナムールは、自身の体にまとわりつく冷や汗と脂汗の不協和音に困惑した。

 頭で理解するより早く、彼の本能が恐怖を感じ始めているのだ。

 刺客のように襲ってきた悪い予感はナムールの心臓をわしづかみにする。


「わかった。すぐに行く。すぐに帰れるといいが……」


 こうなっては女性と戯れている場合ではない。

 正体不明の焦燥に駆られて外行きの服を着たナムールは、疲れもあってか、覚束ない足取りで正面出入り口を目指した。

 扉を出て、正門までは、しばしの距離がある。

 冷え切った夜の外気に晒されたナムールが目を凝らすと、閉ざされた門の前に不気味な人だかりがあった。数人、いや数十人はいる。アジトの中にいる人間を呼んでいるように鉄の柵や壁を手で叩いており、その雑多な音がアヴェルレスの赤い夜に響き渡る。

 申し訳なさげに首をすくめた衛兵がナムールに駆け寄ってきた。


「彼らには話が通じず、門を開いてよいものかどうか……」


「よい、私が話を聞く」


 不安げな衛兵を背後に下がらせると、ナムールは堂々とした足取りで門まで直行した。

 ユーゲニア特有の赤黒い空の夜明かりが、彼らの顔の識別を至近距離で可能にする。


「誰かと思えば、フリッツェオか。予定よりも早いが、もう魔道具の取り引きは終わったのか? ちゃんと確認したんだろうな? おい、さっきからうるさいぞ。お前の部下を黙らせろ」


 苛立ちもあって高圧的に声を掛けると、それが耳に届いたのかフリッツェオらの動きは止まった。

 しかし返事がない。

 統制された群衆の沈黙は、一種の不気味さを醸し出していた。


「ちゃんと聞いているのか? ええい、要領の悪い奴らめ……!」


 ボスが直々に問いかけているのに返事もなく呆然と立ち尽くすフリッツェオらの姿に、今宵のうちに果たされるべき彼らの仕事を重視しているナムールは苛立ちを隠せなかった。


「今すぐ門を開けてやる! 報告は説教部屋で聞こう!」


 顔を赤くして怒鳴りつけたナムールは内側から門の鍵を外した。無用心だが、警戒を怠ったわけではない。彼には出来の悪い部下の頬を叩きつける習慣があったので、このときも反射的に動いただけなのだ。

 だが、いつものように部下の左頬を叩いた彼は違和感に包まれた。フリッツェオが痛がる様子を見せないのだ。それどころか反省した様子がない。

 生気を失ったフリッツェオの無表情な顔がゆっくりと動き、正面にナムールを捉える。


 ――生気を失った?


 その瞬間、ある一つの可能性に思い至ったナムールの全身に衝撃が走った。


「まさかっ、お前らは――!」


 叫ぶと同時、ようやく視野の広がったナムールはフリッツェオ以外の姿を視界に収める。

 腕が千切れた者、内臓が飛び出ている者、全身に大火傷を負っている者など、それは見るからに不穏な集団だった。

 ほとんど死体であり、動いていることが奇跡。

 この街において、それらが意味することはたった一つ。


「オドレイヤに殺され、魔法で操られている死体なのかっ!」


 肯定する代わりとして、すでに死んでいるマリオネットたちはナムールの体にしがみついた。

 そして爆散する。

 最強最悪の魔法使いであるオドレイヤの魔法にかかれば、人間の死体は歩く魔法爆弾にもなる。その威力はオドレイヤの魔力に由来しており、したがって人間を一人殺すには十分だ。


「なっはっは、見せしめにはちょうどいい演出だろう?」


 とは、内側から膨張した魔力によって炸裂したフリッツェオの死体がナムールの体を吹き飛ばした瞬間に発せられたオドレイヤの言葉である。

 今回は直接現場に居合わせているのではない。遠く離れた場所にいて、操っている死体の目を通して見る状況を楽しんでいたのだ。

 いうなれば遠視である。


「倉庫街ではたくさんの裏切り者たちを捕まえることが出来たからな、私が操ることのできる死体はまだたくさん残っている。さて、ここからはゆっくり南部マフィアの『同士討ち』を堪能させてもらおうか」


 使えるものは魔法爆弾だけではない。オドレイヤが操る死体には様々な術式が施されており、その数だけ多彩な攻撃手段を行わせることが出来る。

 さすがに何体も同時に操っていれば一体当たりが扱える魔法の威力は弱くなるが、それでも南部マフィアごときには苦戦しないのがオドレイヤだ。

 この夜、魔法で操られた死体人形によって大多数の構成員を失った南部マフィアは組織を維持させることが不可能となった。

 一つの組織が壊滅するまでにかかったのは、たった一夜。

 しかも、ほとんどの構成員はオドレイヤと対面することもかなわないうちに命の終焉を迎えていた。

 圧倒的な戦力差。これが現実の力関係。

 やはりアヴェルレスはオドレイヤの時代なのだ。





 アヴェルレスの北部、湖に浮かぶ孤島に建つオドレイヤ邸。

 その、粉々に砕けた水晶がインテリアとして飾られている不思議な部屋。

 南部マフィアを壊滅させたオドレイヤは赤紫色の夜が明けぬうち、屋敷へ戻ると真っ先にこの部屋を訪れた。人目を避けて生活している女性、フーリーのために設けられた特別な個室である。

 言い知れぬ興奮が彼の体を火照らせていて、それを鎮めようという思惑もあったかもしれない。

 だが、この部屋の主は気の利いた女ではなかった。


「そんな顔をしてここに来るときは、いつだって泣き言を漏らしていたな。だがオドレイヤ、お前には弱音なんて似合わぬ。もっとふてぶてしく暴虐の限りを尽くせ。私が望んでいるのは支配された地獄。お前に望むのは無慈悲な地獄の支配者なのだから」


 魔力で動く湯沸かし器から淹れたパープルティーをオドレイヤの前に置いたフーリーは、いたずらに笑って、テーブルを挟んだ彼の正面に座った。

 外見上は二十代くらいの若さに満ちたフーリー。しかし彼女の落ち着いた口ぶりと遠慮のない態度はオドレイヤよりも上に立つもので、謎めいた二人の関係性はブラッドヴァンの内部でも様々に噂される不可解さがあった。

 波打つことなく静謐せいひつさを浮かべる高級な紫色の液体から目をそらし、容赦なく立ちのぼってくる堅苦しい気品ある香りに鼻を曲げると、露骨に不愉快な顔つきとなったオドレイヤは両目をさすった。


「何度も言っているはずだが、私は赤い酒か、でなければ甘いものしか飲まない主義だ」


「それは主義ではなくて趣味だろう? 子供じみた好き嫌いを偉そうに語るのはよせ」


「どうかな? 好きや嫌いといった感情は意外と馬鹿にできないものだが。付き合う人間も、相手の主義よりも趣味で選ぶべきだ。なにしろ主義や信念なんてものは人を簡単に裏切るからな。実質的には意味のない言葉ばかりだよ」


「……さすが。何度となく仲間を裏切り、それ以上に裏切られてきたブラッドヴァンの男は言うことが違うな」


 ほんの一瞬だけ優しい声色を感じさせたフーリーはオドレイヤのパープルティーにたっぷりの砂糖とミルクを入れた。これで苦いのが苦手な幼子にも飲めるくらい甘く柔らかい味になったはずだ。

 本来の奥ゆかしい風味は失われ、高価な茶葉は台無しとなっただろうが。

 ところが、オドレイヤは口をつけようともしない。

 それどころか、すっかり甘くなったパープルティーのことなど気にも留めていない様子だ。

 今の彼にとって、喉の渇きなど些細な問題である。


「そうだな。強くなるにつれて富と権力は手に入れたが、それに比例して周りの人間の心が離れていった。今の私が本当の意味で気を許せるのは、もはやお前だけだろうな……」


 何を思っているのか、覇気のない表情を見せたオドレイヤは砕け散った水晶へと目を落とす。


「らしくなく弱音を吐いているな。情けない。お前は今日までマフィアどもの抗争を勝ち残ってここにいるのだから、これからも同じように勝ち続ければいいだけのことだろう。……違うか?」


「違わぬ。違わぬが、どこまでいっても私は一人だ。敵対する人間を殺しても、圧倒的な力で街を支配しても、結局は誰一人として私のそばにい続けてはくれない」


 力なく、乾いた声で笑うオドレイヤ。

 街の支配者にはふさわしくなく、どこか無力感に満ちた響きだ。


「私は今日、ふと思ったのだ。野心を片手に覚悟を決めて、死ぬ気で我々に挑んでくるような猛者は生き残っているか? いや生きていないだろう。……弱すぎるのだ。今の街が弱すぎる。これでは何のために支配しているのかわからない」


「お前が強すぎるだけだろうと思うがな」


「うむ、それは残念だが事実だろう。敵も味方も命がけで生きていた闘争時代がなつかしいな。今はもうお膳立てが済んでしまって、決まりきった据え膳を食すだけの日々。まるで老人扱いだよ」


「くっくっく、さっさと遺書を残して死んでほしいと思われているのだろうさ」


「笑いごとではないが……」


 真剣な悩み事のつもりだっただけに、あっけらかんと笑って流されたオドレイヤは不服と不満を感じずにはいられなかった。

 年甲斐もなく拗ねてしまうと、口をへの字に曲げてしまいかける。その寸前でカップを手に取って口元まで運ぶと、気分を静めるため苦手なパープルティーを一口だけ飲んだ。

 彼女の前で子供じみた態度は見せたくないと、最低限の体裁を保っているつもりなのだ。

 そんな彼の姿を見てか、笑ってやるのもかわいそうだと思ったフーリーは真剣な目をして口を開いた。


「オドレイヤ、お前は私にとって今までで一番の男だよ。最高の男だ。その期待を裏切らないでくれ」


「もちろんだとも。富と権力は私の血肉であって、今さら少しも手放すつもりはない」


 想像以上に甘い味がしたパープルティーを飲んで、気分をよくしたオドレイヤは少しだけ笑顔を取り戻した。むずがる子供を甘いジュースであやしたようなものだが、事実、フーリーからすればほとんどそうであった。

 たとえ五十歳を過ぎた年老いた男であったとしても、彼女には可愛いものだ。


「南部マフィアは裏切りが発覚して一夜か。それも責任者や裏切り者だけの処分ではなく、組織を丸ごと粛清するとはな」


「部下の失態は組織全体の失態だ。上の人間が判断したことならば、なおさら看過できぬ。今後、たとえ一人でもブラッドヴァンを裏切る人間がいれば、その不届き者が所属する組織ごと死んでもらうつもりだ」


「ほほう?」


 どこまで本気かはともかく、たとえ不満があったとしても口に出せる人間はいないだろう。

 わざわざ操作系魔法を使われるまでもなく、マフィアの構成員は恐怖心によってオドレイヤに逆らうことが許されない。

 現時点で残っている東部マフィアと西部マフィアは大きな意味での操り人形なのだ。


「なあ、オドレイヤ。ファンズはお前を裏切ってから何日ほど生き延びている?」


「……覚えていないな」


 ブラッドヴァンを離反したファンズには「謝罪して降服するまでの猶予期間」を与えていた彼だが、そのマギルマに加担した南部マフィアに対しては、ろくに釈明の余地すら与えずに鉄槌を下した。

 口を濁したオドレイヤは否定したがるだろうが、無意識のうちにファンズを贔屓したのだ。

 それはなぜなのか。

 自分のことでありながら、実はオドレイヤにもわからなかった。


「お前は支配者として弱くなり始めているのではないか? 年を取って、ありきたりの人間としての情が出てきているんだよ。首領の座を譲ってやろうと思って可愛がっていた一番弟子に裏切られて、それを認められずにいるのだろう?」


「……それはない。それだけはないぞ、フーリー。ファンズに裏切られて以来、悲しむどころか心が昂ぶっているのだ。私に情があるものか」


 むきになって反論するのは子供じみているが、それを彼女は指摘しない。

 わずかな沈黙をたっぷり自分のために使って、平静を取り戻したオドレイヤは甘い味のパープルティーを飲み干して言った。


「私は甘いものが好きだからな、デザートは最後に食べる。食べるといったら皿まで食べる。……ただ、もっとも美味しい食べ方を探しているのだ。甘いものを横取りしようと群がるアリを蹴散らしながら」


 南部マフィアをアリに例えたのは、実際に一晩で蹴散らしたオドレイヤだからこそ言えることだろう。たとえばこれがファンズなら、よしんば勝ったとしても南部マフィアとの戦いには相応の苦戦を強いられていたはずで、アリのように蹴散らすわけにはいかない。

 だがしかし、それでもファンズは勝つだろう。

 彼が率いるマギルマは下部組織に過ぎない東部や西部のマフィアよりも強く、現状、アヴェルレスで唯一オドレイヤに立ち向かうことの出来る勢力だ。

 だからこそ、闘争に血が踊るオドレイヤはファンズとの戦いに喜びと迷いを混ぜ合わせたような思いを抱いているのだ。

 あっけなく殺してしまうのはつまらないから、と。

 デザートは最後に食べる。しかも美味しい方法で。


「ならばファンズをここに連れてくればいい。生きたままでも、死体でも、お前が勝って、負けを認めたファンズを捕らえてしまえばいい。そうしたら私の力で奴を水晶に閉じ込めて彫刻にする。それが裏切ったものの顛末。アヴェルレスのやり方。地獄の象徴として、街の中を引きずり回してやればいい」


 この彼女の言葉が、最終的にはオドレイヤを突き動かしたのだろう。


「人間としての原形をとどめた殺し方をして、そうか、それを私の魔法で操ってしまってもいいのか」


 ファンズを殺して、従順なる死体人形としてかわいがる。

 それはとても甘く美味しいデザートとなる予感がした。

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