08 武装組織マギルマ
「……滑稽だな」
オドレイヤ邸で開催されたパーティーを指してそう評したのは、街の支配者となったオドレイヤの元部下であり、現在では彼から離反して結成したブラッドヴァンの対抗組織を率いているファンズである。
すべての人間が恐れる巨悪に立ち向かう頼れるボスだが、まだまだ若さの残る二十代の青年だ。
「離れた場所から眺める観客としては笑える光景でしょう。しかし本人たちは大真面目ですよ」
一部には「若すぎる」という批判のある彼を支える側近にして、組織内では彼に次ぐ立場の副リーダーを務める男こそ、ファンズとともにブラッドヴァンを裏切ったブリーダルである。
若きリーダーとなったファンズの至らぬ部分を埋め合わせる優れた副官として、本人の希望とは別にナンバーツーの座を与えられた初老の男性、ブリーダル。彼はブラッドヴァンにおいては実力で上り詰めた元幹部の一人だったこともあり、知将として経験豊かな頭脳と時勢を読むセンスを備えている。
どちらかといえば戦闘面よりも、精神面でこそ頼りになる紳士であった。
「本人たちが本気だからこそ余計に滑稽なのさ」
「彼らには彼らの命がかかっているのです。ふざけている場合ではないのでしょう。敵ではあれ、少しくらいは同情なさってもよろしいかと」
熟練した立ち居振る舞いから、おそらく本職の執事としても通用するであろうブリーダル。
彼に提供されたユーゲニア特産のパープルティーを口元に運びながら、その高貴な香りに包まれたファンズは目の前の現実を小馬鹿にしたように肩を揺らす。
「どれほど演者が命を懸けていようと、筋書きの決まった茶番は茶番でしかないものさ。ブラッドヴァンの首領、ね。すべてのマフィアはオドレイヤにひれ伏す、か。すべての人間が恐怖している悪の親玉とはいえ、聞き分けのない赤子をまわりの大人たちが必死になってあやしているようにしか見えないが……」
「わがままに暴れるばかりで、知性の足りない赤子に支配をゆだねているアヴェルレスの現状がおかしい。そう言いたいのでしょう?」
「まさしくその通りだ。あんな駄々っ子をいつまでも放置してはおけない」
一言では表現できない深い味わいのある風味を十分に堪能することなく、庶民には手が出せない高価なパープルティーをたった一口で飲み干してしまうと、ひとまず満足した彼は空になったティーカップを輝くほど磨かれたテーブルの上に置いた。
甘く繊細な残り香がファンズの鼻腔をくすぐるものの、その顔に上品な微笑みはない。どちらかといえば人懐っこい少年のような笑顔だ。
「今日はいい機会だからな。ブリーダル、あなたに聞いておこうと思う。どうか気を遣わず率直に答えてくれ。……我々に勝ち目があると思うか?」
「その質問には答えるまでもないでしょう。勝ち目は私が作ります。そのための参謀ですからな」
「頼りがいのある回答だ。ありすぎて脅威さえ感じるね」
「おやおや、私に脅威などと。それは皮肉か何かですかな?」
「皮肉どころか最大級の賛辞だよ。あなたがボスとしての私を信じる限りはね」
照れ隠しなのか、ファンズはテーブルの上に置いていたカップを爪で弾くように叩いた。すでに何も入っていない空のカップは揺れて高い音を立てる。
それを彼なりの合図と受け取ったのだろう。
頼まれるまでもなく気を利かせたブリーダルは二杯目のパープルティーをカップに注いだ。
「オドレイヤのパーティー会場に送り込んだ我々の使者の件ですが……」
「ああ、先ほど内通者から連絡があった。どうやらオドレイヤに殺されてしまったらしいな。残念なことだよ。本当に残念だ。私は彼に対して、決して無謀なことをするなと言っておいたのだが……。まったく、血気盛んな若者は無茶をしたがって困る」
「残念と言っているわりには、なんだか嬉しそうですが?」
「ふふん。そりゃそうさ。無茶をしない臆病な人間ばかりを集めても戦力にはならず、絶対にオドレイヤを殺せないからね。全員が無茶をしてこその戦争だ」
今度ばかりは相手を小馬鹿にしているというよりも、どちらかといえば強がって笑うしかなかったファンズは、それをごまかすように目の前に差し出されたばかりのパープルティーを一口で飲み干した。
もったいない、と心で嘆いたブリーダルは白いあごひげをさするにとどめる。
高級品であるパープルティーは富と権力の象徴としてマフィアに好まれる。ところが、甘くない上品な味わいのせいでオドレイヤが苦手とする飲料でもあった。
味覚と嗅覚の総合芸術を解さない無粋な支配者にとって、まさしく豚に与えられる真珠である。
そのオドレイヤを殺さんと意気込むファンズは、かつてのボスへの対抗心と厄除けの意味もあって、つねに自身の体にその紫色の液体を満たしておきたがったのだ。
自分と奴とは違う人間だ。
生き方や信念だけではなく、そもそものつくりからして……と。
パープルティーを飲み干したファンズが満足げにティーカップをテーブルに戻すと、今度はブリーダルが三杯目を注ぐ前に部屋の扉が開いた。
ボスがくつろぐ部屋に遠慮なく入ってきたのは、端正な顔立ちの若い女性だ。
どうやら先ほどのファンズの言葉が聞こえていたらしく、彼の顔を見るや、不服そうに彼女は眉をひそめた。
「オドレイヤを殺すなんて物騒なこと……。本当に他の道はないの?」
「ないね。あってたまるか」
子供じみた意地を張っているかのような言い草で口を尖らせると、彼女を直視できないファンズは顔をそむけた。
二人の間に挟まれる格好となったブリーダルはやれやれと言いたげな表情をして、彼の若き主君を見やる。
ファンズがオドレイヤを殺したがっている理由も当然あるのだが、それを他人に語ろうとはしないのが彼の意固地な性格だ。相手が誰よりも大切に想っている女性であれば、なおさらである。
馬鹿な男のちんけなプライドかもしれないが。
「もしも私の言動を物騒に感じているのなら、ナツミ、君は無理をして私のそばにいる必要はないんだけどね」
「ぶっとばされたい?」
「おっと、私は遠慮する。怒らせてしまったのなら謝るよ。だからそいつはオドレイヤにお見舞いしてやってくれ」
ナツミと呼ばれた女性の威勢におされつつある弱腰のファンズである。
ジョークのつもりでオドレイヤの名前を口にして、言った後で自分でも思うところがあったのだろう。
おどけた調子を消したファンズは急に真面目な顔をしてナツミに目を向ける。
「魔法使いの中には精神果樹園に蓄えた魔力を体内で生命力に変えて、百年以上も生き続ける人間がいるという。誰かが殺さなければ、最強最悪の魔法使いであるオドレイヤが支配者として君臨し続ける可能性もあるわけだ。今の状況を黙って受け入れている限り、アヴェルレスに平和は訪れないのさ」
「……そうは言うけれど、アヴェルレスに平和が訪れることって本当にあるのかしら?」
「あるとも。誰かが呼べばね」
「……誰かが呼べばって、あなたが呼べるの? そもそも呼んで来てくれるものかしら? アヴェルレスに生まれた私たちは平和の顔も知らないのに。理想ばかりを描いた片道の恋は成就しないものよ?」
なんだか詩人みたいな台詞だな、と、のろけた気分で彼女の声を聞いていたファンズ。
生真面目な彼女の忠告を一応は気に留めつつも、ここで反論しないわけにはいかなかった。
「なあ、ナツミ。君はあの偏屈なカロンじいさんから何を学んだんだい? 孤児だった私とお前はカロンじいさんのもとで十年以上も一緒に暮らしてきただろう? あくどいマフィア連中から、何度となく金や食料を盗み取って生きてきたんだ」
「義賊の真似事をして、略奪された人や金品をマフィアから取り返したこともあったわね。市民からは正義のカロン盗賊団なんて呼ばれて、ずっとマフィアに敵対する裏稼業をやって……」
「そうさ、だから簡単なことだよ。結局は今までと同じことさ。特別なことじゃない。君だって元カロン盗賊団の一員なら、私がやろうとしていることを理解してほしいところだね」
「言われなきゃ理解できないわ。ちゃんと説明して。あなたは何をやろうと考えているの?」
「平和なんて盗めばいい。簡単さ。オドレイヤを殺してアヴェルレスの平和な日常を取り戻すのさ」
「……あきれた。それって無策と同じね。あなたを信じている部下のみんながかわいそうよ」
同情や不安を込めた瞳でブリーダルを見やったナツミ。
だが、彼女と顔を合わせたブリーダルは「いえいえ」と言いたげに首を横に振る。
ボスとしてのファンズを信じているといえば聞こえはいいが、結局は全員、ただ単純にオドレイヤを憎んで自主的に謀反しているだけなのだ。
命を懸けた人間たちが結んだ共犯じみた信頼関係について、その事情を正しく知らない人間から同情的にかわいそうなどと思われるのは、老いた彼にとっても大なり小なり不服であった。
「一度は私がオドレイヤのあとを継いでブラッドヴァンの首領になり、平和的に全マフィアを解体しようと考えたこともある。だが、もうその道は捨てた。ありえないと理解したのさ」
未練なく言い切ったファンズは、ここに己の決意を改めて力強く表明する。
「私たち対マフィア武装組織『マギルマ』は、これから正々堂々オドレイヤを殺しにかかる。無論、この街の『法』に従ってな」
この街の「生ける法」を自称するオドレイヤと戦うためマギルマを率いるファンズは、赤く染まった夜の静けさを利用して名もない廃屋へと向かった。
とある秘密の取り引きを話し合うためである。
「ずいぶん遅かったじゃないか、ファンズ。待ちくたびれたぞ。お前のことだから心配していないが、誰にも尾行されていないよな?」
「当然だとも。周囲に人影はおろか、獣の姿もなかったことを約束しよう。そもそも心配性の君たちが厳重に見張りを散らばせていたじゃないか。ここに来るまで尋問によって何度足止めを食らったことか。時間に遅れたのはそのせいだ」
「それを見越して今後は予定より早めに家を出る習慣を身に着けることだな。尋問の多さは用心に用心を重ねただけのこと。身をもって体感したなら褒めてほしいくらいだ」
「馬鹿を言ってくれる」
握手の代わりに友好の証としての舌打ちを一つ鳴らすと、ファンズは用意されていた椅子に腰を下ろした。
先客は椅子に座っている三人と、四方の壁際に立っている四人を合わせた七人。
どれもブラッドヴァンの下部組織の一つである「南部マフィア」に所属する若き幹部たちだ。
彼らの中で最も偉い人間であろう正面の若者に話し相手を定めると、まずは場の緊張をやわらげるべく、穏やかな雰囲気で雑談を切り出す。
「私が到着するまでは何の話を? まさか七人も狭い廃屋の中にいて、その口が沈黙の女神とキスをしていたわけでもあるまい」
「話というほどのものでもないが、ここ最近の後継者争いについて予想を立てていたところさ。俺たちの結論としては、今のところオドレイヤ延命説と謎の美女フーリーが最有力候補だな」
「まずは延命説から聞こうか」
ふふんと鼻を鳴らしたファンズが腕を組んで促すと、正面に座っている若者はしかつめらしい顔つきで自説を披露した。
「延命説というか、より正確に言えば不死身説といったほうがいいかもしれないな。オドレイヤの操作系魔法は死体すら生きた人間のように操ることができるというじゃないか」
「確かにそれは事実だな」
「だとすれば、最悪の場合、あいつは自分の死体を自分の魔法で操ってしまいかねないんじゃないか?」
「自分の死体を自分の魔法で?」
「不可能に思えるか? 奴は操作系の魔法を駆使して擬似的な不老不死の体を手に入れて、このアヴェルレスに君臨し続けるつもりなのかもしれん」
「面白い仮定だが、笑い話で終わらせるには現実味があって寒気が走る。さすがに無理のある話だと思う一方で、完全には否定できないところが憎らしいな。仕方がないから、やつを殺すときはちゃんと殺すことにしよう。死体をそのまま地面に埋めるより、骨まで焼き尽くす火葬にしたほうがいいな」
笑うに笑えない冗談を言って、わざとらしく肩をすくめたファンズは次の説を促した。
謎の美女フーリーが次期首領になるのではないか、と目されている件だ。
「これはそのままの話さ。オドレイヤが次の首領の座にフーリーを推薦するんじゃないかって説だよ。他に有力候補がいないからこそ出てきた噂だな」
「しかしフーリーは女だったはずだが? 私も直接彼女の姿を見たことはないが、特に理由もなく男が偉いと思い上がっているマフィアの馬鹿な連中が女性を首領の座に据えることを素直に認めるとは思えないな」
「確かにな。ただしフーリーはただの女じゃないって話だぜ。ブラッドヴァンの幹部クラスに魔法能力に長けているというから、不満があったところで有象無象のマフィアでは立ち向かえまい。いつからブラッドヴァンにいるのかもわからないオドレイヤ秘蔵の美女だ。……けっ、あいつが独占してきたものの中で一番価値あるものだろうさ」
「ふふん、どうやら君が嫉妬するくらいには美しいみたいだな。まあ、美人だろうが凡人だろうが悪人は悪人さ。殺すとなれば容赦はしない。それより次期首領になるかもしれないと言ったな、一体どんな女だ?」
「今までずっとオドレイヤ邸の一室に閉じ込められていて、彼女の存在が明るみに出たのは最近のことだからな……。正式な妻だとも、囲っている愛人だとも、隠し子だとも言われているが、誰もその正体を知らない不思議な女だよ」
「わかっていることは?」
「オドレイヤに負けず劣らず滅茶苦茶に強いってことだけさ」
「……せっかくの美女が台無しだな。それを聞いただけで嫌いになりそうだ」
皮肉のつもりで言いながら、ファンズは自身が愛する女性のことを思い浮かべていて、この件については他人のことを言えないと苦笑するのだった。
思えばナツミも負けず劣らず勝気で強い女性だ。
それで美女が台無しになるかと言われれば事実は全くの逆で、なおさら惚れてしまうのが、ああいう種類の女性に共通の魅力なのだろう。
「さて、よく知らない女性の悪口はこのくらいにして、いよいよ本題に移ろう」
「それを楽しみにしていた。早速聞かせてくれ、ファンズ」
盗み聞きされることを警戒したファンズは幾分か声をひそめる。
これから聞かせるのはオドレイヤ陣営に知られてはならない極秘の取り引きに関することだ。
「明日の深夜、南部第三区画の倉庫。こちらが手配した移動式コンテナで数百個の魔道具を搬入する。君らはそれを受け取って、極秘裏に全構成員を武装してもらう。攻撃用、後方でのサポート用、今回こちらから提供する魔道具の種類は様々にあるが、おそらくどれもオドレイヤとの戦闘の役に立つ」
「全部ユーゲニアの『外の世界』から仕入れた魔道具だろ?」
「ああ、だから対処法を知らないオドレイヤたちにも有効だと信じたいところだ」
外の世界から仕入れた質のいい魔道具こそ、最強最悪の魔法使いであるオドレイヤに対抗するマギルマの切り札だ。
一対一の個人戦なら勝ち目はないが、魔道具によって底上げされた状態での組織戦でなら、ファンズたちにも勝ち目を作り出せる可能性がある。
敗北を知らない最強の魔法使いであっても、結局のところ相手は同じ人間である。魔法を駆使した延命説があるとはいえ、実際のところ死なないことはないのだ。
ちなみにブラッドヴァンの幹部だったころ、若くして有能だったファンズはオドレイヤに重用されており、組織の武器などを管理する業務の責任者となっていた。
そしてマギルマの副将であるブリーダルはブラッドヴァンではアヴェルレスの都市計画とインフラの整備に携わっていた。
日常的な業務を通じて知り合った二人は外部の世界との限られた物流を管理していたこともあり、当時から「裏切り」のため、魔道具の仕入れや流用計画を立てていたものだ。
だからこそ、この二人をして魔道具の密輸ルートを確立することは可能だったのである。
ブラッドヴァンを支配するオドレイヤは戦闘の天才だったが、他人の偽計に前もって対応するような政略の天才ではなく、天性の頭脳派だったというわけではない。当時から現在に至るまで面倒な日常業務のほとんどは部下任せで、だからこそファンズの裏切りを簡単に許してしまったわけである。
提供されることになる魔道具のリストを受け取って、南部マフィアの男は満足げに頬を緩めた。
これなら勝てるかもしれないという予感が彼に自信を与えたのだ。
「ありがたく頂戴しておく。強力な魔道具を正確に扱えるようになる訓練にはしばらくかかるだろうが、できる限り迅速に前線で活躍できるように急がせよう」
「それは助かる。ところで、君たちから見て他のマフィアの旗色はどんな感じだ?」
「東部マフィアも西部マフィアも、現状は様子見ってところだな。表面上はオドレイヤに服従を誓いつつも、倒せるものなら倒してほしいから、積極的に俺たちの邪魔はしないっていう漁夫の利スタンスだ。野心はあっても度胸が足りないらしいぜ」
「となると、今のところ頼れるのは君たち南部マフィアだけというわけか」
「南部マフィアなんてしけた名はよしてくれ。明日からは俺たちもマギルマの一員さ」
「ふふん。野心と度胸に溢れる君たちの上官になれて私は幸せだよ。寝首をかかれないよう、今夜から枕は低くしておこう」
「いつものように高くして眠ってくれ。少なくともオドレイヤを殺すまでは安心していい。俺も街のトップの座には憧れるが、戦争を指揮する才覚はない。しばらく裏切りの算段はお預けだな」
魔道具の取り引きと今後の協定を約束した彼らは握手を交わして別れた。
すべては明日の夜。
その日、そのとき、この街は変革を迎えるのだ。
しかし、その未来を占う密約の現場の影。毒々しいピンク色のスライムが廃屋の物陰でうごめいていたことなど、彼らの誰も知りようがなかった。




