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治癒魔法使いアレスタ  作者: 一天草莽
第三章 そして取り戻すべき日常
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07 異次元世界ユーゲニア

 異次元空間に存在する小さな世界の一つ、ユーゲニア。

 空と大地に無限の広がりはなく、移り変わる季節の色合いもないそこは、いつまでも茜色に染まった夕焼け空が続く不思議な世界である。

 かろうじて人間が居住可能な土地には、それを取り囲むように目には見えない次元の壁が存在しており、発見当初は流刑地として利用されたことから天然の牢獄とも呼ばれていた。

 この閉ざされた黄昏世界の中に存在する唯一の都市、アヴェルレス。その規模はベアマークにも匹敵するとされ、総人口は六十万人を越えるとも言われているが、残念ながら正確な統計情報が存在しないため詳細は不明である。

 というのも、現在のアヴェルレスは市民の代表をうたうアヴェルレス市民議会政府が統治しているが、この政府は形ばかりのもので実際には機能していないのだ。

 数百年前に都市が誕生した時点からほとんど変わらず、アヴェルレスを支配しているのは「マフィア」と呼ばれる暴力組織である。血なまぐさい闘争の歴史を経て現在のアヴェルレスには合計で五つのマフィアが組織されており、お互いの支配する領域を巡って睨み合うように存在するのだ。

 その五大マフィアの親玉的な存在であり、暴力で街を支配する実質的なアヴェルレス政府とも呼べるのがブラッドヴァンである。他に存在する四つのマフィアはブラッドヴァンの下部組織に過ぎず、アヴェルレス市民議会政府も実際にはブラッドヴァンの操り人形だ。

 今宵――といっても、黄昏が続くアヴェルレスの空はいつだって赤い――そのブラッドヴァンの本拠地とされる街の北部寄り、湖に浮かぶ孤島の巨大な屋敷には、ブラッドヴァンの「おこぼれ」を巡って対立する四大マフィアの幹部たちが雁首をそろえて集っていた。

 この街を支配するブラッドヴァンの首領ドンであり、この異次元世界に暮らしているすべての人間が恐れる最強最悪の支配者として名高いダンス・オドレイヤが主催するパーティーに出席するためである。


 ――すべての人間が恐れる。


 いや、この言葉は撤回する必要があるだろう。


「あらゆる手段を使って、しっかりとパーティーにはお誘いしたはずだがね。我が愛しのファンズの回答は?」


 数百人は集まっているであろう列席者の注目を集める壇上。

 静かなる怒りに目をたぎらせたオドレイヤに首をつかまれて問われたのは、今宵のパーティーに出席する使者として、ファンズの代理として参上した男である。

 息の根を止めようとして首にまとわりついているオドレイヤの指が絞まるのを承知で、ファンズの代理人である彼は臆することなく堂々と答える。


「あなたの首がパーティーの余興に提供されるなら、ぜひ喜んで参加したい――と」


 一歩間違えば殺されてしまいかねないことを恐れずに笑って答えたのが代理人の彼なら、命知らずな人間を見て皮肉げに笑ったのがオドレイヤである。


「その言葉を聞いて安心したよ。こちらの手違いなどではなく、せっかくの誘いを断った無礼者に対して遠慮なく怒りを爆発させられるのだからな」


「――爆発するのはあなたの命だ!」


 突如、まなじりを決して叫んだのはファンズの使者である男だ。

 一瞬の動作で正装のジャケットを脱ぎ捨てると、その内側から出てきたのは、火薬を用いた小型の手投げ爆弾。魔法の威力を詰め込んだ魔道具とは違って、破壊力が低くなってしまう代わりに誰にでも扱える文明の利器だ。

 通常、オドレイヤのような高レベルの魔法使いに魔力のない武器は通用しないものだが、この至近距離なら、運がよければ致命傷を与える可能性は十分にある。


「そんなおもちゃで私の命を爆発させると? はんっ、させてみるがいい。できるものならな」


 自分の命を狙って行動を起こした暗殺者が目の前にいるにしては、ひどく落ち着いた様子を見せるオドレイヤ。

 それもそのはず、この程度の攻撃はアヴェルレス最強の魔法使いである彼にとって、恐れるに足りない些事なのだ。

 たかが小型爆弾である。

 つまらないものを見たように不機嫌な顔をしたオドレイヤは男の首をきつく絞め上げる。もがき苦しむ彼からは抵抗する力が失われ、奇襲に備えて精神果樹園を開いていたオドレイヤの手元から放出され始めた黒い煙が男の体を覆っていく。

 黒い煙は凝固するように繭状の形となり、たちまち男の全身を包みこんでいく。

 完全に繭の内側へと男を閉じ込めた”それ”は全体が小さくて丸い球形の塊となり、壇上を数回ぴょんぴょんと跳ねると、魔法で操られるようにしてオドレイヤの手のひらの上に転がった。

 すると小さな木の実をつぶすように、ぐっと力を込めて握りしめるオドレイヤ。

 プチンと繭を握りつぶした音が、あまりにもあっけなく響き渡る。

 男が所有していた爆弾ごと魔法で小さく丸めて、ものの一瞬で始末したのである。


「ああ、なんと愚かで未来のない選択をしてしまったのだファンズよ。従順なまま私の配下として活動していれば、今頃は次期首領の座を正式に認められていただろうに……」


 わざとらしい振る舞いで大げさに肩をすくめると、まるで演劇の主演俳優であるかのように、両腕を左右に開いて壇上から列席者の顔を見下ろした。その瞳には、飢えた獣にも負けない闘争心に満ちた情熱的な炎が宿っている。

 この場に集まっている従順で裏切りを知らない部下たちとは違い、自分の命を狙ってくる明確な敵の存在が彼を勇ましくさせるのだ。

 口では残念がっているものの、つまり本心では、かつての部下であるファンズの反抗を嬉しく思っているのである。


「誰も逆らうことのできない絶対的な支配者である私に対して反旗を翻し、この命を堂々と狙ってくるとは驚くべきことだ。しかも私の大切な下部マフィアの一つを丸ごと乗っ取り、新しく武装組織を打ち立てるとはな……」


 悲しみや怒りの感情が乗っていない声からもわかるように、驚いているのは言葉と演技だけの形式的なものだ。

 オドレイヤに忠誠を誓う四大マフィアの一つがファンズの扇動によって裏切り、親組織として君臨するブラッドヴァンに対して戦争を挑んだのだが、そこに脅威を感じていない。

 これまでにも下部組織である四大マフィア同士の争いは繰り広げられてきたが、飼い主であるブラッドヴァンに歯向かった猛犬はアヴェルレスの歴史上ほとんどいなかった。

 たとえ存在していたとしても、そのすべてが例外なく残酷なまでに粛清されたのである。

 無謀な賭けに出たファンズの成れの果てを想像して、哀れに思う者は多数。

 ……いや、しかし、この中にはオドレイヤが負けることを願ってひそかにエールを送ったものもいただろう。

 ここは信用ならないマフィアがはびこる暗黒街アヴェルレス。

 裏切りや面従腹背は通過儀礼の一つみたいなもので、心の底から忠誠を誓っている従順な騎士ばかりではないのだ。


「今日はいつになく豪勢なパーティだからな。私を喜ばせるための嬉しいサプライズが一つだけとは限らん。なっはっは、ひょっとすると他にも裏切り者がいて、私の首を狙っているかもしれぬなあ?」


 恐怖の支配者が口にした一言で、背筋に悪寒が走った全員がぎょっとして首をすくめる。

 この日、オドレイヤ邸で開かれているのはパーティとは名ばかりの異端諮問会。オドレイヤへの忠誠を確認する儀式である。

 少しでも疑われた者の命は、その場で消え失せる。

 あるいは組織ごと無慈悲な粛清の憂き目を見るだろう。


「ファンズは私が側近にまでした可愛い部下だった。やつはまだ若い。殺すまでには今しばしの猶予を与えよう。説得すれば謝って戻ってきてくれるかもしれない、と期待してな」


 そんな未来はないだろうと思いながら投げやりに言い捨てると、オドレイヤはそばに控えていた部下を呼び寄せ、赤い酒の入ったグラスを受け取った。

 味なんてどうでもいい彼は、いつもこの酒を真っ赤な血に見立てる。

 とりわけ反逆者の流す血液だ。

 それを列席者たちも知っているので、各々に手近にあったグラスを掲げてオドレイヤに遅れまいと歓声を上げた。


「永遠の血統を祈って乾杯!」


 それはブラッドヴァンとブラッドヴァンに敬意を示すマフィアたち、ひいてはアヴェルレス全体に浸透した合言葉だ。

 この言葉で永遠の繁栄を祈られる血統とは、建前としては組織としてのブラッドヴァンであるが、本音としてはブラッドヴァンを代々率いてきたオドレイヤの一族の血統だ。

 すなわちオドレイヤ一族の血統が神聖視されているのである。


 ――次の首領もオドレイヤの血を引いた人間から選ばれるだろう。


 というのがマフィアの人間に流れている常識ではあるものの、現在の首領であるダンス・オドレイヤは老いてなお独身のままであり、直系の後継者がいないことが長らくアヴェルレスの火種となっていた。

 もっとも、その原因は彼にある。

 次期首領の座を巡ってマフィアが争った三十年前、自分と同じく後継者の座を狙っていた親族たちを一人残さず惨殺してしまったのだ。

 身内殺しのダンス・オドレイヤ。

 彼の覚悟と残虐性を痛感させられるエピソードも、首領となった彼を恐れる人間が多い理由の一つだ。

 次の首領として一番に期待されていたファンズが離反してからは、ブラッドヴァンの後継者争いが下部組織を巻き込んで再燃しており、いつしか、こんな暗黙の了解がすべての構成員によって共有されていた。


 ――オドレイヤの首を取った者が次期首領の座を得られる。


 単純明快にして、しかし簡単には実行できない無理難題。

 達成できるものならば全員が納得せざるを得ない、唯一の絶対条件だ。


「今宵のパーティーのクライマックスといこう!」


 楽しいのは主催者ばかりで大多数の人間にとって緊張と不安が続いていた時間も過ぎ、茶番に過ぎないパーティーがようやく終わりに近づいたころ。

 すっかり満足した様子のオドレイヤが列席者の全員に向かって語りかけた。


「ダンスをしてもらおう。そう、身と心を湧き立たせるダンスだ! さぁ、私のために躍り狂ってくれたまえ!」


 そう叫んだダンス・オドレイヤは壇上で高らかに歌い始める。

 ただの愉快な歌ではない。魔法的な意味合いを持つ歌である。

 この日オドレイヤ邸に足を踏み入れた人間に対して、パーティへの参加状の代わりと称して魔法をかけていたのだ。

 それは「オドレイヤの詠唱を聞くと踊らずにはいられなくなる」という、余興にも似た操作系の高度魔法。

 決められた音楽が鳴ったら踊れと、飼い犬に芸を仕込むのと同じ感覚だ。

 オドレイヤの支配に対する欲求は、年齢を重ねるごとに歪みつつも強化されていた。


「なっはっは! まるでマリオネットだ! そのまま壊れてしまったってよいが……ん?」


 操り人形のように踊る群集を高みから見下ろしてオドレイヤが上機嫌で悦に入っていたところ、会場の片隅に無視できない違和感を発見した。

 興を削がれたと不機嫌になりつつも、かろうじて体裁を保って優雅に壇上を飛び降りるオドレイヤ。

 カツカツと甲高い足音を響かせて、違和感の発生源を目指す。

 なおも踊り続ける群衆は主催者のために左右へ別れて道を譲り、目的地までは誰に邪魔されることもなく一直線でたどり着く。


「ご老人、なぜ踊らない?」


 オドレイヤが覚えた違和感の正体は、とある老人だ。

 これも下部組織の幹部の一人だろう。


「い、いえっ……!」


 怒気というよりも殺気をしのばせるオドレイヤの貫禄に恐れおののいたのか、老人は上ずった声で答える。

 喉を襲う戦慄が、年老いた彼の声を不自然に高めたのだ。


「お、踊らないつもりなどございません。しかしながら、すでに老齢となった私は見ての通り足腰が弱く、体が言うことを利かないのです……!」


 かさかさに乾いた両手で黒い杖を支えて、やっと立っていられるという風貌の男性。反抗の意志があるわけではなく、ただ老いた身体が原因で彼は踊ることができなかったのだ。

 あるいは事前にオドレイヤの施した「踊りを強制する術式」が弱かったのかもしれない。自分よりもわずかに老齢の人間に対して、無意識のうちに魔法の力を加減したのかもしれない。


「私への忠義より老体が大事か? 私の魔法より、自身の老化した身体に従うと?」


「め、めっそうも――」


「ございません、か! 愚か者め、そんな言葉に意味はない!」


 ――踊らずんば、死を!


 瞬間、パーティ会場に恐怖と驚愕が広がった。

 獲物を射殺さんとする鋭い目つきのオドレイヤににらまれた老人の体が、まるで爆弾の直撃を体の内側に受けたかのように、人としての原形をとどめず粉々に弾けとんだのだ。

 ここで、ブラッドヴァンの構成員に共有されたルールの一つを紹介しよう。

 胸の鼓動が三つ以上鳴る時間、至近距離でオドレイヤと目を合わせてはならないというものだ。

 そのわずかな時間さえあれば、高位の魔法能力者であるオドレイヤは相手の命を掌握することができるのである。

 周囲に漂う魔力の流れを操って、視線を合わせている相手の体内に魔力を集めて膨張させると、その体を内側から爆散させる。

 至近距離でしか効力を発揮しない攻撃魔法だが、至近距離ならば殺したい相手と目を合わせるだけでいい。これを食らえば普通の人間はひとたまりもなく死んでしまう。

 人呼んで処刑魔法。

 オドレイヤが駆使するいくつかの魔法のうちの一つだ。


「さて、一つ確認しておこうではないか」


 壇上に戻ったオドレイヤは全体をねめ回すように目を動かした。

 会場に集まった全員が彼と目を合わせることを恐れながら、だからこそ顔をそむけることができない。

 忠誠を誓わなければ、裏切り者とみなされて同じように殺されてしまうのだ。

 そばだてられた無数の耳に、帝王の威厳をはらませたオドレイヤの声が響く。


「ここアヴェルレスは私の天下だ! 私こそ生ける神であり、私こそ生ける法だ! 富と権力と暴力の三重奏、ダンス・オドレイヤとは私のことである!」


 高らかな反響は瞬時に沸きあがった盛大な歓声に打ち消される。

 もはやオドレイヤに反論する人間は誰一人として存在しなかった。

 ……少なくとも、パーティ会場の内側には。

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