05 危険とは無縁の日々(2)
今年で六歳になるチークの誕生日会は、彼女の家の一階のリビングで行われることになった。
そこは豪奢な縦長のテーブルがいくつも置かれていても余裕があるくらいに広く、調度品などのインテリアも高級品でそろえられていた。下手をすれば、ここだけでギルド全体よりも広いかもしれない。
もちろんリビングだけではなく家全体が豪邸といってもいいほど広大で、手入れの行き届いた庭まで含めてしまえば、ギルドの敷地の数倍はあるだろう。
直接チークに招待されたアレスタたち三人はもちろん、彼女と顔なじみであるイリシアとサラもお邪魔することになった。
サラはここのところずっと落ち込んでいる様子で、あまり元気がないようだったこともあり、こういうイベントが気分転換になればいいと心配したイリシアが誘ったのだ。
ちなみにカロンはマフティスなどと一緒にギルドに残っている。興味がないわけではないらしいが、年を取ると疲れやすいらしい。
もう日が暮れ始めようかという午後、家の前まで律儀に出迎えられたアレスタたちはそろって門をくぐる。
どうやら彼女と同年代の友人たちはすでにパーティーを終えて帰ったらしく、今から開催される夜の誕生日会には、アレスタたちの他には主催者かつ主役のチークと彼女の母親の姿があるばかりだった。
「皆様には気兼ねなく楽しんでいただくため、使用人たちは下がらせました。夫は先ほど夜勤があるといって出かけていきましたから、どうぞお気になさらず騒いでください」
とは、上品さと物腰の丁寧さに彩られたチークの母親の言葉だ。
まだ二十代の半ばくらいに見える若々しさを備えていて、こういった女性に不慣れなアレスタはすっかり緊張してしまって流暢に答えることができない。
「お母さん、この方がアレスタ先生です」
そう言ってチークがアレスタを紹介すると彼女は目を輝かせる。
「あらあら、これはこれは。うちの子はすっかりアレスタ先生にご執心のようですからね、いつもお世話になっております。今日だってこの子ったら、あなたをお父さんに会わせたくないからと、わざわざ時間をずらしたのですよ? うふふ、なにしろ私の夫は娘を嫁に取らんとする男を目の敵にしていますから」
「お、お母さん! それは言わないって約束……!」
「ほらほら、お客様の前だというのに騒いでいては見苦しいですよ? せっかくのドレスが乱れてしまいます。今日から六歳になったのですから、もっと女性としての意識をもちなさいな」
「それは、もちろん、わかっていますけれど……」
「ふふ、そうしないとアレスタ先生にはお相手していただけませんからね」
「あ、もう、お母さんったら!」
などなど、とても仲のいい母娘のようだった。
「よくわからないけど、チークちゃんみたいな子どもに好かれるのって嬉しいな。自分が子どもに嫌われるような邪悪な人間じゃないんだって安心できる感じがする」
「たぶんアレスタは年上に見られていないだけだよ。威厳がないんだね」
それをニックに言われたら終わりである。
しかし今夜は穏やかな雰囲気に包まれているのでよしとしよう。
ともかく主役であるチークを中心にして、彼女を取り囲むようにアレスタたちは並んで座った。
開放的な窓から覗く庭園を絵画代わりの風景にして、きらめく星空を見上げつつの食事会。
親密な関係の会話には花が咲き、おいしい食事には舌鼓を打ち、まさしく至福のひと時だ。
「チークちゃん、もしかして眠くなってきた? 起きているのがきつかったら、そろそろお開きにしたほうがいい?」
「あ、いえ、もう少し頑張ります……」
しかし眠そうだ。無理もない。今日は一日ずっと誕生日会だったそうなので、疲れもたまっていることだろう。
そろそろ休ませてあげたほうがいい。
「チークちゃん、実は最後に俺たちからプレゼントがあるんだ。受け取ってくれるかな?」
「わぁ、ありがとうございます!」
アレスタの贈り物は美しい羽根の首飾りで、これは先日作ったアクセサリーを依頼主から直々に買い取ったものだ。
イリシアは生真面目な彼女らしく勉強道具一式を、サラは可愛らしいデザインの小物入れを、サラの相棒である風の精霊エアリンからは頬へのキスを、そしてニックはふわふわのクッションをチークにプレゼントした。
そして残るはカズハであるが、なにやら歯切れが悪い。
「しまったな。アタシも同じものを用意しちまったぜ……」
気まずさに目を伏せて、テーブルの下から出しにくそうにする彼女が手にしていたのは、なんとアレスタがあげたものと同じネックレスだった。
先日、アレスタが依頼主からプレゼント用にアクセサリーを買い取ったとき、その場にはカズハもいたのだ。あのときはてっきり自分のために買ったとばかり思っていたが、どうやらカズハもアレスタと同じことを考えていたらしい。
これはアレスタの方が迂闊だった。
カズハとチークの二人にしてみれば、アクセサリー作りは仲良くなったきっかけとも呼べるものだ。したがってカズハがそのとき作った羽根の首飾りをチークに贈ろうと考えたのは、当然といえば当然だ。
そこまで気が回らなかったアレスタの失態である。
偶然とはいえ用意したプレゼントがかぶってしまい、微妙に重くなった空気がリビングを覆う。
アレスタとカズハがそろって浮かない顔をしていたからだろうか、ひときわ明るい声でチークが提案した。
「だったらこうしましょう!」
嬉しそうに声を弾ませたチークはカズハからネックレスを受け取ると、その交換として、今度はアレスタが彼女にプレゼントしたばかりの首飾りをカズハに手渡した。
そして少女二人は、それぞれに交換した首飾りを自分の首に通す。
「これでカズハさんとはおそろいです、同じものを身に着けられるなんて素敵な友達の証ですね! アレスタ先生、カズハさん、どうも本当にありがとうございました!」
感謝を伝えるためにぺこりと頭を下げたチークは全員に向かって最高の笑顔を輝かせる。
恥ずかしながら、アレスタは年下の少女に気を遣わせてしまったらしい。
「ごめんね、チークちゃん。今度、俺からは別のプレゼントを用意するよ」
「いえいえ、お気遣いなく。アレスタ先生がプレゼントしてくれたおかげで、こうしてカズハさんとおそろいのネックレスをつけることが出来ましたから」
なんていい子だろう。これでまだ六歳になったばかりとは。
こうまで言われては、やはり彼女のために新しいプレゼントをあげないわけにはいかなくなったアレスタである。
しかし何がいいのだろう。
小さな女の子がもらって喜ぶものに心当たりがないアレスタは、うーんと眉間に手を当てて考え込んでしまう。
「あら、ひょっとして代わりのプレゼントでお悩みですか? この子、アレスタさんから頂く指輪なら、きっと安物でも大喜びすると思いますよ。うふふ、よかったらお考えください」
「お母さん、そんなこと……!」
またまたチークは顔を真っ赤に茹で上げてしまう。
母親に図星をつかれてしまって恥ずかしいのだろうか。
そんなに指輪がほしいのなら、明日にでも街のアクセサリーショップを覗いて探しておこうかな……とアレスタが考えていると、怖い顔をしたイリシアに肩をつかまれた。
「ねえ、アレスタ。あなたが住んでいた田舎での風習は知らないけど、このベアマークでは男性が女性に指輪を贈る行為って、ほとんどプロポーズを意味するんだからね?」
「……教えてくれてありがとう。気をつけるよ、気をつけるってば」
「ならいいけど。小さな女の子の純情をもてあそんだら許さないからね」
彼女なりの忠告なのか、鼻の頭を指でつつかれてアレスタはバランスを崩した。
「あらあら、もてあそばれてこそ激しく燃え上がる恋もあるのよ、お嬢さん。こうやって私が幸せを手に入れたようにね」
そう言って不敵な微笑を浮かべたのはチークの母親だ。
いったいどんな恋愛を経て結婚したのかは知らないが、一筋縄ではいかない女性だということは、その一言だけで察せられた。
いずれは娘のチークも母親同様にたくましく育つかもしれない。
女性というものは侮れないな、とアレスタは思った。
その帰り道。
手に届かないほどの距離で静かに燃える星がいくつも浮かぶ夜空を眺めつつ、住宅街の路上をギルドに向かって歩いていたアレスタたち。
ふと高らかに鳴り響いた足音が気になったアレスタが視線を横にやって見ると、まるで無邪気な子供がするみたいなスキップにも似た軽やかな足取りで、なにやら嬉しそうな表情をするカズハがいた。
そんな彼女の隣へと遠慮がちに寄って、浮かない気分でいたアレスタは彼女に歩調を合わせる。
「ごめんね、そのネックレスのこと。先にカズハと確認しておくべきだったよ。まさか同じものをチークちゃんにあげようと考えていたなんて……」
「謝る必要はないんだぜ。むしろアタシは感謝しているくらいなんだ。この羽根の首飾りは、兄貴とチークちゃん、二人からのプレゼントってことだからね。これには二人分の重さがあるみたいで嬉しいぜ」
カズハはネックレスに連なった羽根の一つを手に取り、それを顔の前まで持ち上げて、薄く星明りに照らし出して眺めた。地獄鳥のそれだという手のひらを覆うくらい大きな羽根の一片は、ものものしい名前とは裏腹に美しく輝いて見える。
なんとなしに歩調はゆったりとしたペースでそろい、アレスタとカズハは呼吸のタイミングまでが同調するようだった。
「この羽根って、地獄でも美しく生きていられるってことの証明なのかな? あの地獄みたいなアヴェルレスに生きていても、アタシらは間違わず清く正しくいられたんじゃないかって、今さらながらに思い知らされちまったぜ、兄貴」
「……向こうで盗みをやっていたって話のこと? でもそれは――」
「仕方がない。そう思えたのなら、アタシは根っからの悪人なんだろうね」
「それは……」
アレスタは何も答えられなかった。
彼女の心に眠っているであろう闇も、アヴェルレスにあるという闇も、そのどちらも知らないのだ。
ほとんど無知といってもいい状態では、何を言っても薄っぺらくなりかねない。
今ここで彼女に意味のある言葉を伝えるのは難しい。
「いやぁ、今日は馬鹿みたいに幸せだったなぁ。チークちゃんは可愛い妹分みたいだったし、食べ物はおいしかったし、アタシは心が洗われるみたいだった。この街に来るまで、こういう豊かさに満たされた時間があるってこと、アタシは知らなかった」
「大丈夫さ。これからはそういう時間を作っていけるよ。カズハがそうありたいって願えば、みんなこたえてくれる。もちろん俺だって」
気負った感じで隣へと顔を向けたアレスタだが、そこにカズハはいなかった。
「ほらよっと! つれてってくれよな、兄貴!」
いつの間にか背後に回りこんでいたカズハが勢いよくアレスタの背に飛び乗ってくる。
少女一人分の体重がかかったアレスタは一瞬ふらついたものの、けれど倒れまいと力強く踏ん張った。
「まったく、わかったよ。しっかりつかまっていてね!」
夜さえも照らすいくつかの魔術灯による街明かりを越えて、帰るべきギルドまではあと少しの道のりだ。




