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治癒魔法使いアレスタ  作者: 一天草莽
第三章 そして取り戻すべき日常

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01 魔導列車ターミナル

 帝国の片田舎である故郷を離れたベアマークにおける局所的な季節の変化がどのようなものであるか、この街に住み始めて一年も経っていないアレスタはほとんど知らないと言っていい。

 けれど、過ぎ行く日々の実感としては、どうやら着実に暑さを増していくようだった。

 色とりどりの花が咲き誇る暖かなスプリール、快晴の日が続いて一年で最も暑くなるサマディケル、多くの農作物が収穫期を迎えるオタファムール、一段と寒くなって雪が降ることもあるウィンタゲル。

 いわゆるムーランティア大陸を巡る「四季」のことだが、それでいえばサマディケルに向かっている今日この頃。

 じっとりと汗をにじませるほど気温が高くなっているのは大陸全体の定めといったもので、なにもベアマークだけに限った話ではないのだろう。

 うららかな気候だったスプリールの毎日が懐かしいからと言って、世界的な季節の変遷について不満ばかりを述べるわけにもいくまい。世間の道理を知らぬ駄々っ子ではないのだから、おとなしく受け入れるのが大人のやり方だ。


「まったくもって暑い! こんなに暑くなるんなら、僕は外になんか出たくなかったよ! なんて日差しの強い一日だろう、本当にいやになる! いっそ早く暮れてしまえ!」


 ……と、これは悪い意味で期待を裏切らないニックの泣き言である。

 足が疲れて歩きたくなくなっただの、厳しい日差しと暑さのせいで気分が悪くなっただの、とにかく先ほどから子供みたいに泣き喚いているのだが、そのくせ元気はあるらしく、身振り手振りとともに不平不満を口に出して騒ぎ続けている。

 人としての恥ずかしさもあって、近くにいると迷惑極まりない。


「つらいなら口を閉じて黙っていればいいのに……」


 聞こえよがしにアレスタが言えば、その肩に手を置いてニックが首を横に振った。


「いや、つらい時こそちゃんと声を上げないと駄目だよ。頑張って我慢して黙っていたら大丈夫なんだと思われて、どんどんつらい仕事や状況を押し付けられてしまうからね」


「わからなくはないけどさ、泣き言を漏らすのと意見するのは違わない?」


「ううん、違わない。いくら情けなく聞こえたとしても、弱音や泣き言だって立派な意見の一つだよ。冷静で論理的な大人の言葉だけが世の中に通るんじゃなくて、子供っぽい愚痴や不満も大切で重要な意見としてすくいあげていかないと」


「ふうん……」


 議論するのも面倒になったのでアレスタは黙ることにした。

 もっともらしいことを言っているけれど、結局は弱音を吐いているだけだ。これで元は騎士の一人だというのだから、彼を入団させてしまったベアマーク騎士団の試験や面接を疑わずにはいられない。

 もちろんベアマーク騎士団にもイリシアやサラなどの優秀で頼れる騎士はいたから、たぶん、たくさんの人間が所属している騎士団においてニックはマイナス方面での例外なのだろう。

 というよりも、ニックだけが例外の存在だと信じたいアレスタである。


「それはそれとしても、あんまり大きな声で騒がないでね。そんなに情けない有様でいられたんじゃあ、ニックと一緒にいる俺が恥ずかしいんだから。ひとまず今日は真面目に仕事をして、そして早く帰ろう。……ね?」


「いやだね」


 ずっと落ち込まれていても迷惑だからと励ましてあげたのに、何を思ったのか急に深刻な顔を見せるニック。

 へへっ、と卑屈そうに笑って首を横に振る。


「なにしろ僕は暑いのが苦手なんだ。ただでさえ失敗ばかりの僕が今日は暑さのせいで気力と体力まで落ちているんだよ。真面目に仕事をしたって、どうせまた何か失敗して君の足を引っ張るに違いないさ。……早く帰る? だから無理だね。きっと日が暮れるよ。ひどいときは明日になるかも」


 そう言ってのけるニックが自信満々に胸を張っているようにしか見えないのは、かえってかわいそうになってくるからやめてほしいところだ。

 どうしてそう堂々と自分が無能であることを主張できるのだろう。

 もしかして慰めてほしいのだろうか?

 そう考えたアレスタは一応そうしておく。


「暑いのが苦手って言うけどさ、どうせ寒いのも苦手で、得意なものなんて何もないんでしょ? だったらもうひねくれた考え方はしないようにして、これからは素直に生きようよ。自分を卑下してばかりじゃ成長することだってできないからさ。きっと今のニックってどん底だから、あとは上がるだけ! 上がるだけ! だから上を向いて生きていけばいいじゃないか!」


 適当なことを言いながら気休めに肩を叩いてあげると、先ほどまでくたびれていたニックは顔を上げて表情を輝かせる。


「まったく、アレスタは本当に僕のことが好きみたいだね」


 そして、それはもう嬉しそうに決め付けたのだ。

 一体全体、どこをどう聞いたらニックのことを好きだという結論になるのか。

 あまりのことに否定も肯定もできず何も答えられずにいたアレスタが唖然としていると、それを照れているからとでも勘違いしたのか、能天気に見えるくらいの笑顔になったニックがアレスタの肩をビシバシと叩き返してきた。


「ぼ、く、も、だ、よっ!」


「あー、うん……」


 なんだか腹が立ってきたアレスタである。

 わざわざ何を言い返すでもなく、ひとまず無視することに決めたアレスタは歩調を速める。

 すると慌てて追いすがってきたニックの足音がドタバタと響いて聞こえた。

 つまづく音も聞こえた。

 また一人でドジをやっているのか……とうんざりした気分になったアレスタはため息を漏らすと、わざとらしく肩をすくめながらも歩くペースを落とす。転んだ拍子に怪我をしていたら大変だ。最悪の場合にはテレシィに協力してもらって治癒魔法を使う必要がある。


「大丈夫、大丈夫。ちょっと手のひらを擦りむいただけだから」


「やっぱり怪我してるじゃん。治癒魔法はいる?」


「うーん、別にいいよ。精神果樹園にある魔力も無限じゃないんだから頼ってばかりじゃね。それにしたって心配性だなぁ、アレスタは……」


「言っておくけど、ニックが心配性にさせてるんだからね」


 表面上は冷たく当たっておきながら、こういうときに放っておけないとは……。

 あながちニックのことを嫌いにはなれないのだと気がついて、むしろ好きといえば好きなのでは――と思い始めたアレスタはそこで深く考えるのをやめた。

 調子に乗られても困るのはアレスタだ。

 どうやら怪我も平気そうなので、今は無視して歩くことに専念する。


「おおっ! ねぇアレスタ、今日の目的地ってあれだよね?」


「だと思うよ。……へえ、想像していたよりも大きくて立派なんだな」


 炎天下の中を歩き続けてすっかりくたびれつつあったアレスタたちだったが、なんとか無事に目的の場所に到着した。とはいっても、リンドルのように街を離れた場所ではなく、ギルドと同じベアマークの中にある場所なので無事に到着して当たり前である。

 しかしながら中心部からは少し外れた場所であることと、このあたりは最近になって急速に開発が進められている区画であることもあって、街に慣れているはずのニックでさえも道に迷ってしまったのだ。

 そもそも案内役としてニックをつれてきたのが間違いだったのかもしれない。

 そのニックは無邪気に感動している。


「なるほど。これが帝都とベアマークを結ぶために新しく敷設されたっていう、帝国魔導列車の終着点にして出発点だとかいうターミナル駅か……。噂には聞いていたものの僕も実際に見るのはこれが初めてだからね、驚いて言葉も出ないよ。いやぁ、すごいなぁ」


「出てるよ」


 アレスタはそれだけ言って、隣のニックと同じように目の前の建物を見上げる。

 完成したばかりの駅舎は水平方向にも垂直方向にも大きなもので、見る者を圧倒させる迫力がある。落ち着いた色で統一感を出そうというのか、全体的に黒を基調としているものの、うっすらと光沢の見える高級感に溢れた漆黒だ。

 壁や入り口だけでなく、あらゆるパーツが正方形や長方形をモチーフとしており、まるで堅牢な要塞のような印象を受ける。

 広々としたエントランスを抜けると改札を通った先にプラットホームがあり、そこから帝都に向けた魔導列車が一日に何十本と運行する予定だという。ちなみに魔導列車とは魔法の力によって動く列車のことらしいが、技術的な部分は非公開であるため、門外漢のアレスタにはよくわからない。

 それにしても列車を一日に何十回も往復させるとは信じがたい話だ。

 そんなにたくさん列車で運ぶほどの人間がいるのかと不思議に思えてくるが、それを実際に運行して確かめるというのも、ベアマークが率先して計画する高度魔法化都市の目的にあるのだろう。


「帝国内で魔導列車が走るのは、これが初めてだからね。僕なんて今から魔導列車に乗る日のことを想像してはドキドキ興奮しちゃって、ここ最近は夜にぐっすり眠ることが出来ないよ。魔法と科学の先進技術を組み合わせた素晴らしいものが実際に活用されるだなんて、僕はベアマークに住むことができて幸せだなぁ」


「へえ、帝国政府は世界各地に最強と呼ばれる帝国軍を派遣しているから、てっきり魔法も科学も他国より進んでいる印象があったけれど、まだ国内には魔導列車って一つも走っていなかったんだね?」


「そうだよ、そうそう。技術的な問題じゃなくて、政策的な方針でね」


 うんうんと何度も頷いて、知識を教える立場になったのがそんなに嬉しいのか、軽い気持ちで問いかけたアレスタに指先を突きつけてきたニックは上機嫌で説明を開始する。


「たとえば帝国軍が植民地として実効支配している国の一部なんかでは、兵員や物資を輸送するための魔導列車が運用されているけれど、肝心の帝国内部には一両として走っていなかったんだよね。なぜなら帝国政府は帝都以外の地方都市に強力な高度魔法のノウハウが広まっていくことを危険視しているから。それはつまり――」


「あ、そういえばサツキさんに聞いたことがあるような気がする。だからニック、もうその先は言わなくてもいいよ」


「えー、せっかく頑張って暗記したのに」


 皇帝を頂点とした絶対的な専制政治を維持したい帝国政府は、自治を求める各地の領主が中央政府に対して反旗を翻すことを防ぐため、帝都以外の地方都市に対して、高度な上級魔法などの発動を規制しているという。

 その規制は実際に効果的らしく、強力な魔法による大規模な内乱や暴動を防いではいるが、ここ数年、帝国政府は魔法の規制について見直しを図っているのが実情だ。

 それは世界における帝国の優位性を絶対的なものにするため、国内の全体的な魔法レベルを引き上げるということもあるが、近年の魔科学の発展に伴って、それがもたらすであろう多大な利益を無視できなくなっていることも理由にある。

 しかし、そうはいっても高度な魔法のリスクは不安なのだろう。

 帝国政府は段階的措置として、限定的な高度魔法の運用計画を発表した。

 つまり、その高度魔法化都市のモデルケースとして、ここベアマークが選ばれたのだ。

 もちろん選ばれるまでには紆余曲折あったろうが、ベアマークは比較的に他の地域よりも環境的な魔力濃度が豊かであることに加えて、領主が高度魔法化都市計画に誰よりも前向きだったことが決定打となったらしい。

 今回の魔導列車開通も、その高度魔法化都市計画の一つだ。

 だからこそ、領主をはじめとするベアマークの高度魔法化都市計画の関係者は、誰も彼もが緊張の面持ちで開通式の日を心待ちにしているという。


「あ、ギルドの方ですね? お待ちしておりました」


 ニックとしゃべりながらアレスタがエントランスをくぐると、ここで働くことになる駅員だろうか、ビシッと決めた制服姿の青年が駆け寄ってきた。

 名乗る前に二人がギルドの人間だと知っているということは、おそらく今回の依頼の関係者に違いない。

 責任あるギルドの職員として、ちゃんとしなければいけないと思ったアレスタは姿勢を正して一歩前に出る。


「こちらこそ、お待たせしてしまいました。ベアマークギルドのアレスタです」


「あ、いえいえ。こちらこそ、こちらこそ」


 初対面の人間同士、深々と頭を下げる二人。

 お互いが卑屈なくらい丁重な挨拶をしてしまい、まるでどちらがより深く腰を曲げられるかを競っているかのようだ。

 であればアレスタには負けられない勝負である。

 様々な依頼を受け入れていく地域密着型ギルドとして、こうした人々からの個人的な印象であっても軽視するわけにはいかない。アレスタ個人が与えるギルドへのイメージというものは、すなわちギルドの評判にも関わってくるため馬鹿にできないのである。

 お辞儀の角度が足りない礼儀知らずの職員がいるなんて噂になって、ギルドの品位まで疑われてしまいかねない。


「そんなことより二人とも、そろそろ本題に入ろうか」


「はっ、失礼いたしました!」


「えっ……!」


 引くに引けず繰り返された挨拶合戦。

 それを切り上げるよう促したのはニックだった。

 一年目か二年目くらいの新米の駅員らしい青年は乱れた帽子を手で直しつつ、依頼でお世話になるアレスタとニックそれぞれに友好的な顔を向けてくる。

 右を見て、左を見てと、せわしない動きだ。

 しかし誠意は伝わってくる。


「それでは、そうですね。ターミナル駅の内部を案内しながら依頼内容を再確認させていただきます」


「はい、よろしくお願いします」


 そして説明が始まった本日の依頼は、内容としては単純なものである。

 一言で言えば開通式の警備だ。

 なにしろ開通式には高度魔法化都市計画に賛同している関係者が多く集まるため、計画に反対する反魔法連盟などによるテロ行為の危険性は否定できない。

 そのため開通セレモニーの警備計画は入念に確認しておく必要があった。

 当日はアレスタたちも微弱ながら騎士や駅員による警備活動に協力するので、今日はその下見というわけだ。

 ちなみにギルドへの依頼料を支払うこととなる依頼主はベアマークの領主である。

 つまり権力者であり金持ちだ。

 今まで小口の依頼ばかりを細々とこなしてきたアレスタたちにとって、これは初めての大口の依頼である。もちろん依頼に貴賎はないが、報酬の額を聞いてしまえば気合が入るのも当然というわけだ。

 一通りの案内が終わって、当日の警備スケジュールも大方の確認が終わった後。

 最後にもう一箇所だけ案内しておく場所があるといってアレスタたちの前を歩いていた青年が、その足を止めて振り返った。


「そして、こちらが一番の問題なのですが……」


 たどたどしい足取りで案内されたのは、一般プラットホームのさらに奥。

 ちょっと長い階段を下りたその先の、ターミナル地下に広がった長方形状の空間だった。


「ここは?」


 おそらく、ここもプラットホームの一部なのだろう。目の前には一本だけの線路が引かれており、その上に三両連結の列車が一つだけ置かれている。

 地上ではなく地下にあることを考えると、何か特別な車両なのかもしれない。

 ……だが、どうしてなのだろう?

 不思議なことに、線路が壁に向かって一直線に延びているのである。

 あれでは衝突するしかない。

 まさか建設している途中で資金が足りなくなって、トンネルを掘ることを諦めたのだろうか。


「ここは魔曲短縮ワープを利用した路線の発着駅となる場所です」


「ワープ?」


「なんだい、それは?」


 聞きなじみのない言葉を耳にしたアレスタとニックはそろって首をかしげる。

 どちらも魔法に関しては無知の素人だ。


「高度な魔法によって時空間を曲げて、そのゆがめられた異次元空間へと列車を突入させるのです。地上を走る正規ルートよりも大幅に短縮された帝都までの直通路線ですね」


「異次元空間……! なんだかよくわからないけど、それって壁の中にあったのか!」


 じゃあ壁に穴を掘れば異次元の世界が見えるんだろうか。

 驚いたアレスタがそんなことをつぶやいたら、青年に鼻で笑われた。


「いえ、あの、今は何もありませんが、ここに仕込まれている魔法を発動させると壁一面に赤く輝く紋章が出現して、異次元空間への入り口が開くのですよ。魔曲短縮路線へと入るための魔術的なゲートですね」


 くすっ、と笑った青年が遠慮がちに口元を抑える。


「……ですから、あの壁の中が異次元空間というわけではないのです。異次元空間は異次元にありますから。壁の向こう側は土です」


「へ、へぇ……」


 懇切丁寧に説明されたがよくわからないアレスタである。馬鹿だと思われると依頼の遂行能力に疑問を持たれて困るので、ここは曖昧な返事をして正しく理解した振りをした。

 もう余計な発言をして恥はかきたくない。

 するとどうだろう。

 アレスタの適当な相槌を聞いてスイッチが入ってしまったのか、教えたがりの性格らしい彼は当日の警備に関係ないことも楽しそうに語りだしたではないか。

 魔法や列車、駅にまつわる豆知識の数々。

 しばらくして、おとなしく従順な聞き手となったアレスタとニックに喋りたいことを喋りつくして満足したのか、ようやく本来の仕事を思い出してくれたらしい。

 気分のよい爽やかな笑顔になった青年はポンと手を叩く。


「もしもここがテロの標的として狙われた場合、最先端の魔科学で制御されているとはいえ、実際に次空間が湾曲しているのですから、想定外の被害や影響も出る可能性があるでしょう。それに、もし完全に破壊されてしまえば、再び一から複雑な魔術を施す必要があるため復旧も難しくなります」


 もっとも、些細な攻撃ではびくともしない強力な防御結界が張られているため、何があっても崩壊する危険性は低いでしょうが――と、万全なテロ対策を勝ち誇ったように言って、最後に彼はこう結論付けた。


「万が一ということも考えられますし、ここの警備は一段と厳しくしなければならないでしょうね。……その必要があれば、ですけれど」


 そう言った次の瞬間である。

 異次元空間に入るためのゲートが開くという壁から、なんとも不思議な光がきらめいた。

 線路とつながる壁一面が青白く輝き、鮮やかな色調に染められたのだ。

 直後、ざあざあと勢いよく水しぶきがあがるような轟音を立てて、まるで何かが壁の向こう側から出てくるような気配がある。


「……え? え、ええっ?」


 うろたえる青年が見つめる先、青白く染まっていた壁が、ひときわまばゆい光を放った。

 壁面に浮かび上がった青い光は円形に広がっており、まるで何かしらのゲートのようだ。

 どこか瘴気にも似た雰囲気のある煙が周囲に立ち込めると、それは開いた。


「壁の向こう側から、誰かが、こちらへ来る……?」


 もうもうと広がった灰色の煙の中から靴音が響き渡り、やがてその姿があらわになる。

 そこに立っていたのは見知らぬ二人の男女。

 白くなったヒゲが印象的な老人と、彼の傍らに寄り添う少女だ。

 二人で一本の剣を支えあうようにして持ち、その場に立っている。


「や、やったぜ……」


 とは、少女。


「どうやら無事にたどり着くことができたようじゃな」


 と、老人。

 ほっとした様子の二人は大きな仕事を成し遂げたかのように、安堵と達成感に満ちた表情を浮かべていた。いきなり襲ってくるような様子もなく、敵対心がないことを見ると、どうやら気の早い襲撃者というわけではないらしい。

 しかし安心はできない。敵ではないからといって呆然と眺めている場合ではないだろう。

 文字通り警備計画の穴につながりかねないのだから。


「あ、あ、あ、あなたたちは……? い、いったい、どこから……?」


 生真面目な駅員である青年はあまりの出来事に気が動転したのか、すっかり腰を抜かしていた。

 必死で絞り出した声は裏返り、指先も震えてしまっている。

 動揺して尻餅をついた青年の脇を通り過ぎる瞬間、毛先のはねた黒髪の少女が笑いながら彼の顔を見て、ぴんと伸ばした人差し指を自分の頬に押し当てながら答えた。


「やーやー、アタシらは別に怪しい者ってわけじゃあないんだぜ。んーと、そうだなぁ、ひとまず迷い込んでしまっただけってことで、ここは見逃してくれないか? ……ね、頼むよ!」


 ばっちりウインクを決めて、いかにも愛嬌のある少女だ。

 見たところアレスタよりも身長が低くて小顔で小柄、わざとらしく甘えたような声も幼く、おそらく十代前半といったところだろう。

 不審者にしては可愛げのある仕草に警戒心が揺らいでしまったのか、こくりと頷くばかりで青年は何も答えることが出来なかった。


「ということで、達者でな」


 青年だけでなくニックのそばも軽やかなステップで歩き去っていく少女の後を追いかける老人が一瞬立ち止まり、ぼんやり立ち尽くしていたニックの肩を叩いて通り過ぎた。

 あまりに堂々とした自然な振る舞いだ。


「達者でな――って、今のは誰? もしかしてニックの知り合い?」


「知らない、知らない。僕だって初めて会ったよ、たった今!」


 もしや白昼夢でも見たのかと、アレスタとニックは顔を見合わせる。

 と、ようやく気を取り直したらしい青年がむくりと立ち上がった。


「ひ、ひとまず彼らに事情を聞くためにも、事務所までご同行を願ったほうがいいですよね? あ、あの、呼び止めたほうがいいですよねっ?」


「え? ……ええ、それはそうでしょうね」


 何がどうなったのかわからないけれど、何が起きたのかをはっきりさせるためにも二人に話を聞いておく必要があるだろう。

 このままでは警備の不備につながる可能性もある。放ってはおけない。


「あ、あれ?」


 ところがアレスタたちが振り返ったときには老人と少女の姿はどこにも見当たらなかった。

 慌てて追いかけたところでターミナル駅のどこを探しても二人の姿はなく、まるで忽然と姿を消してしまったかのようだ。

 そう、まるで魔法のように。

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