25 アレスタとサツキ
すっかり日が落ちて、遠くを見通せないほど暗くなった夜。
山と森に囲まれたリンドルの村を見下ろす小高い丘に、アレスタの姿があった。
そこは見晴らしがいいという以外に取り柄がなく、地元の村人でさえ夜中にわざわざ立ち寄るような場所ではない。
邪魔するもののない静寂に包まれて一人静かに瞑想していたアレスタだったが、不意に背後から声を掛けられた。
「祈っているのか?」
「サツキさん……。はい、今回の騒動で犠牲になった人々のことを考えていました」
やっぱりな、と頷きながら、ゆっくり歩み寄ったサツキはアレスタの隣に来て立ち止まる。
「犠牲になった人々か……」
かろうじて聞こえる程度の小さな声。
まるで独り言のように言葉を漏らしたサツキは一度だけ真剣な様子でアレスタの顔を見やって、それから視線を遠くへ投げた。
たった二人きり、この静かなる場所のことだ。
薄暗いせいもあって相手の表情がよく見えないからといって、至近距離で顔をつき合わせながら喋るのもどうかと思ったのだろう。
「ブラハムとエイクだけでなく、俺たちが到着するより前に率先して怪物の足止めに向かった十人前後の青年たちが犠牲になってしまったらしいな。けど、なんとかそれだけの犠牲で済んだとも言える。もしかしたら村は壊滅していたかもしれないんだ。最悪の場合、ベアマークさえもな」
「はい……」
浮かない返事だ。心が沈んでいるのだろう。
もともとそうではないかと予想していただけに、サツキが察するのは早かった。
「なあ、お前は彼らを助けられなかったことを悔やんでいるんじゃないか? 理屈はわからんがテレシィのおかげで治癒魔法を自分以外の人間にも使えるようになったようだから、その後悔はなおさらだろう。もっと早く駆けつけていれば、ひょっとしたら誰も死なずに済んだんじゃないかって」
「それは……」
実際、その通りだった。
彼らを助けられず、アレスタは悔やんでいた。
それが自分のせいでないとしても。
しばらく待って、アレスタから答えが返ってこないことがわかるとサツキは目を細めた。
「お前、試しただろ」
「え? 何を?」
「蘇生だよ。ブラハムやエイクたちの骨を見つけたとき、こっそりとテレシィに頼んで、死んでしまった彼らを生き返らせようと治癒魔法を試みたんだろ? 死人に精神果樹園はないからテレシィも困っていたが、優しい妖精は姿を消して骨だけの姿となった彼らにしがみついて、なんとかお前の治癒魔法を届けようと頑張っていた。黙ってやれば誰にも気づかれないと思ったか?」
「いえ、そういうわけでは……」
サツキが指摘する通り、アレスタは治癒魔法を試していた。
成功する確証がなかったので、エイクが死んで打ちひしがれていたサラをぬか喜びさせないためにも黙って蘇生魔法を試みた。
結果としてはサラだけでなく、あの場に一緒にいたイリシアやサツキたちにも隠すことになったので、まるで今まで黙っていたことを責められているような気持ちになったアレスタは気まずげに顔をそらせた。
それを見てサツキがため息を漏らす。
「誰にも相談せず、勝手に事件の首謀者たちを生き返らせようとした判断が正しかったのかどうかは知らんが、少なくとも俺はお前のことを責めているわけじゃないさ。深刻な顔をして謝らなくていいし、そもそも反省する必要があるのかもわからん。……ともかく、誰も生き返っていないからには成功しなかったようだな」
「……はい。全く反応がありませんでした」
「……覚えているか? ベアマーク城の中庭でカーターと決着をつけたとき、死にかけた奴の体から煙のように出てきた古代の魔法使いに対して、お前は蘇生らしき魔法が使えたよな? それが可能だったのは古代の魔法使いが疑似的な不老不死の魔法を使っていて、完全に死んでいたとは言えない特殊な状態だったからだ。それだけじゃなく、精神体だったあいつがお前の精神果樹園の内部に入り込んで、お前の治癒魔法を一番近い場所で浴びたからだろう。だから、あの時のお前が完全な蘇生魔法を使えたと言い切るにはまだ早い」
「そう、ですよね」
本当に本物の蘇生魔法を使えていたなら……とアレスタは自分の治癒魔法の力に期待してもいたが、今に至るまで実感は持てないでいた。
現時点において、アレスタには高度な治癒魔法を扱えている自覚など一切ないのだ。
「あの時はカーターのことで頭がいっぱいだったこともあって、無意識に魔法を使ったらしい自分でも何が起きたのか、今でもよくわからないままなんです」
「わからないのはお前だけじゃない。俺を含めて、完全に理解できている奴なんていないさ」
「でも、いつかは理解して完璧に扱えるようにならないと駄目な気がするんです。そうでなくっちゃ、今回みたいなときにまた俺は何もできないから」
テレシィのおかげで初めて自分以外の相手に治癒魔法が使えたといっても、結局のところ大事な場面ではイリシアに頼りきりだったのは否めない。
彼女の支えにはなれたかもしれないが、本当の意味で力になれていたのだろうか。
仲間として、大事な戦力の一人として役に立てていたのだろうか。
かろうじて怪物を倒せたとはいえ、先ほどからずっとアレスタは悩んでいた。
「そもそも、どうしてイリシアにも治癒魔法が届いたのか……。たぶんテレシィのおかげなんでしょうけれど、それがよくわかっていなくて」
「今、テレシィは?」
「怪物との戦いが終わってからずっと、俺の精神果樹園の中で眠っています」
「そうか。お前を気に入っているんだな」
「どうでしょう? 気に入ってもらえているなら嬉しいんですけどね」
これはアレスタの本心だ。
イリシアに伝わった治癒魔法は自分一人の力で使えたのではない。
彼の魔法に協力してくれたテレシィがいてくれたからこそ効果を発揮したものだ。
はっきりと口にしたわけではないものの、アレスタがそう考えていることを理解しているサツキも否定はしない。
「確証はないが、治癒魔法がイリシアにも届いた理由について一つだけ推測できるものはある。お前もなんとなく想像できているだろうが、相手の精神果樹園に入り込んだテレシィが治癒魔法の効果を伝える媒介のようになっているんだろう」
「はい。それはなんとなくわかります。でも、どうしてテレシィが?」
肩代わり妖精に関する噂を調べていた時には、そんな力があるとは聞かなかった。
助けたい人間の精神果樹園に潜り込み、その人間が抱えている痛みや苦しみを吸収して肩代わりする力があるというから、それがアレスタの使う治癒魔法と相性が良かったということだろうか。
アレスタよりも魔法に詳しいサツキといえど、妖精のこととなると専門外だ。
質問に対して完璧には答えられない。
「肩代わり妖精と呼ばれるテレシィの性質かもしれないが、それだけじゃないかもな。人間が持つ精神果樹園に入れる存在なら、テレシィでなくてもよかったのかもしれん。……なあ、アレスタ。今後のためにも知っておいたほうがいいかもしれないことがあるんだが、聞いてくれるか?」
「もちろん聞きますよ。ぜひ聞かせてください。意味のあることでもないことでも、今の俺は何でも知ってなくちゃ駄目な気がするんです」
「だからそう気を張るなって。もっと気を楽にして聞いてくれ」
「はい」
「はいって、その返事がすでに堅苦しく思えるな。それがお前の楽か? ……まあ、今はそれくらいでいいだろう。発展途上の魔科学だからどこまで信頼できるかはともかくとして、こんな説があるんだ。それぞれの人間が持っている精神果樹園は独立したものではなく、魔力の流れを通してつながっているというな」
「それぞれの精神果樹園がつながっている?」
「ああ。つながっているというか、離れていてもお互いに影響を与え合っていると表現したほうがいいかもしれないな。実のところ、俺の全身に刻まれている魔法を封じる刻印も同じような仕組みなんだよ。人が多い場所では魔法を存分に使えなくなると言ったが、より正確に言えば、近くに存在する俺以外の精神果樹園に反応しているのさ」
「そうだったんですか」
細かい原理はわからないものの、物知りなサツキが言うのならそうなのだろうと、わからないなりにアレスタは理解して納得した。
そして、今そのことをサツキがアレスタに伝えようとした意図を考える。
「つまり、人間と人間の間にある精神果樹園のつながりを感じられるようになれば、テレシィがいなくても治癒魔法が相手に使えるようになると?」
「かもしれない、というだけさ。魔法に常識や理屈は通用しない。けど、知っていたほうが今後のためになるかもしれないと思ってな」
サツキが言っていることはもっともだ。
アレスタはいろいろなことを知らなすぎる。
一人前の治癒魔法使いとして成長したいとは願いつつも、具体的にどうやれば強くなれるのかを理解できていない。少しでもアドバイスらしきものが得られたことを感謝するべきだろう。
「なら、早く使えるようにならないとな……」
誰かに伝えるつもりもなく、ぼそりとつぶやいたアレスタ。
これから努力していこうと前向きに決意した発言というよりも、暗く沈んだ声色に響いた。
聞かなかったことにして無視するわけにもいかず、保護者代わりの兄貴分としてサツキはアレスタに声をかける。
「その口ぶりからすると、やっぱり救えなかったことを後悔しているのか。お前の気持ちもわからんではないけどな、だからって気に病む必要はないだろう。今回の件に関してはお前の責任ではないさ」
「……そうかもしれません。ですが、本当は治癒魔法が使えた俺にならブラハムさんを止めることが出来たはずなんです。どちらかが死ぬまで殺し合うんじゃなくて、もっと冷静に、もっと上手に話をすることができていれば。そうすれば、きっといつかはブラハムさんともわかりあえて、反魔法連盟に所属する彼が何を考えていたのかも、みんな判明していたはずなのに……」
そこまで言い終えると顔を伏せてしまうアレスタ。
話を聞いているうちに彼と同じく不思議な気分の感傷に浸りそうになったサツキだが、結果として、あえて厳しい口調を選び取った。
「きっと真相は解明されない。奴らがすべてを語る前に自分たちで破滅の道を選んだからだ。力ずくで敵対する方法でしか、俺たちと語ろうとはしなかったのだから、あいつらのことを理解することも、してやることもできないままさ。……今にして俺は思うよ。対話で解決する道を選び取らなかった人間には、決して幸せが与えられることはないのかもしれないって」
アレスタは何か気の利いたことを言おうとしたが、どこか愁いを帯びたサツキの表情を発見して思いとどまった。彼は今回のことばかりでなく、自分が関係した十年前の帝都襲撃事件を思い出しているのかもしれない。
だからこそ、迂闊な言葉を伝えたところで意味をなさないと直感したのだ。
若干の沈黙。だがそれも長くは続かない。
「反魔法連盟か……」
ぼそりと呟いたサツキはやがて視線を山の上へと向けて、おぼろげに村全体を照らしている星空を見上げた。
雲が流れて淡い星明りに表情を照らされたサツキはここから見える景色だけではなく、どこまでも遠くを見つめているようだった。
「知っているか、アレスタ? 俺たちが暮らしているこのデウロピア帝国では、独裁的かつ保守的な帝国政府によって、高度なレベルで魔法文明に依存する社会の形成を禁止されているんだ。要するに、出来る限り魔法を利用せずに人々が生活できる空間を作るべきだと帝国では推奨されているのさ。それは魔法使いとそうでない人間との不平等や格差をなくすためだと言われているが、実際には違う理由がある」
「違う理由?」
「魔法による帝国政府への反乱を未然に防ぐためさ」
「……え?」
帝国政府への反乱を防ぐために高度な魔法の普及を規制しているとの説明は、なんだかアレスタには意外なことのように聞こえた。
それほどまでに帝国政府は魔法を危険視しているのか。
反乱を企てる魔法使いを警戒しているのか。
なんだかそれは、実際に帝国政府に反旗を翻した反魔法連盟と根本のところでは同じ価値観を共有しているようにも思えた。
――魔法は危険だ。
――魔法使いは悪だ。
そこまでは言っていないにしても、帝国政府が一部の魔法使いを危険人物として縛り上げたいのは一面の事実なのだろう。
悩んでいるアレスタの様子から必要を感じたのか、サツキが講釈をつける。
「もともとデウロピア帝国は一つのまとまった国家だったわけではなく、各地に存在した諸侯がそれぞれの領地を支配していた小国家群の集合体だったんだ。今では一人の皇帝が頂点に立って独裁政治を行っているが、帝都を中心とした一元的な支配にも、さすがに帝国各地の有力な魔法使いたちが全員敵となれば限界はある」
「……支配の限界?」
「まあな。たとえば高度魔法は帝国政府にとっても危険なもので、たった数人の優れた魔法使いが本気を出すだけで国家の転覆さえも可能にしてしまうんだ。だからこそ各地方都市の領主や騎士団が必要以上に力をつけすぎないために、それぞれの自治組織における魔法レベルに制限をかけていたのさ」
「そうだったんですか。知りませんでした」
「とはいえ、それも時代遅れの政策であるとの非難が噴出している。それもそのはず、隣国であるエフランチェ共和国をはじめとするいくつかの国では、むしろ率先して魔法文明を社会に取り入れて発展してきたからな。再び世界大戦が勃発した場合、最先端の魔法技術を規制したままの帝国では魔法を用いた戦争において後れを取る可能性がある」
「なるほど。……それって大丈夫なんですか? 後れを取る可能性があるって、つまり負ける可能性があるってことですよね?」
「お前が心配する通り、きっと大丈夫じゃないだろうな。だからその改革案として、最初に白羽の矢が立ったのがベアマークさ。これがいわゆる高度魔法化都市計画。つまり、高度な魔法文明を積極的に取り入れる街づくりをするという話だ。それがいいことなのか悪いことなのか、おそらく誰にも正確なところはわかっていない。国内に危険な爆弾を増やすことになるかもしれないからだ。だが少なくとも交通機関や通信手段といったものに魔法の仕組みを応用すれば、今よりもずっと便利な生活ができるのは間違いないだろう」
「でも、その便利さの代償として……」
「リスクが高まる。あらゆるリスクがな」
そこでひとまず話のオチをつけて、本筋からそれて長々と喋りすぎたことを反省したのか、ちょっと大げさ過ぎるくらいにサツキは肩をすくめてみせた。
「すまん。話がそれたな」
「いえ、興味深かったです。ためになりました」
「ならいいが。……それにしても、わからないものだな。どうして魔法使いという人種は己の力に溺れてしまうのだろう。強引に他人を屈服させる力なんて、結局は自分に跳ね返ってくるだけさ。こんなことは小さな子供だって学習する。力ずくで得られるものは、奪った相手からの恨みと憎しみだけだということを」
「……どうなんでしょう?」
アレスタには何も答えられなかった。
同意することも、否定することもできない。
まだまだ十分な数の魔法使いとの出会いを果たしていないアレスタには、魔法使いに共通する信念や価値観を想像することが難しかったのだ。
――どうなんだろう、俺は……。
それだけではない。
世界でも珍しい存在である治癒魔法使いだということもあり、アレスタは自分自身のことについてさえ迷うことが多く、魔法使いの正しいイメージを頭の中に思い描くことが困難であった。
何度となく魔法を使ってきてもなお治癒魔法使いとしての自覚に乏しいアレスタにとって、魔法使いの現実も、その理想像も、はっきりとはせず輪郭があやふやなままだ。
自分自身の振る舞いについて迷い始めたアレスタの苦悩が伝播してしまったのか、柄にもなく弱気になったサツキが寂しげに口を開いた。
「なあ、アレスタ。もしも今後、万が一にも俺が道を踏み外すようなことがあったら……」
そこまで言って、しかしその先を言う必要はないと思い直したのか、わざとらしいまでに空元気を出したサツキは首を横に振って打ち消した。
「いや、忘れてくれ。今の俺にはもう、世界をどうにかするほどの魔法も信念も残っちゃいないからな」
そうして夜風にさらわれるかのごとく、サツキはアレスタに背を向けた。
どことなく悲しげに今の言葉を残したサツキの去っていく後姿を見送って、まだ犠牲となった人々への祈りが足りないのか、いつになく難しい思案顔をしたアレスタは一人その場に残った。




