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治癒魔法使いアレスタ  作者: 一天草莽
第二章 君のために
42/85

24 悲しみ

 村を恐怖に陥れた怪物が消滅したとの一報は、瞬く間にリンドル中へと知れ渡った。

 山賊や魔物の被害こそあれ、基本的には穏やかな時間が流れていた農村のことだ。十年前の事件に続いて再びデビルスネークが出現した衝撃は大きく、平和な日常に慣れ親しんでいた彼らにとって計り知れないものがあった。

 元凶である怪物が消滅したからといって、村に広がっていた不安がすぐに消え去るというものでもない。

 あらぬ噂、よからぬ流言の数々は、いつだって民衆を漠然とした不安の中に叩き落す。

 少しでも早く安心して普段の生活に戻るためにも、一刻も早く今回の事件について知りたいと思ったのだろう。かろうじて難を逃れていた村人の多くが詳しい説明を求めて広場に集まっていた。

 直接的には被害を受けていなくても、村に生きる彼らは実質的な被害者だ。なるべく動揺を誘わないように説明しようと試みるアレスタたちだったが、それはなかなかうまくいかなかった。

 すっかり興奮した彼らを冷静にとりなすのは至難の業だった。

 断片的な情報だけが伝わるばかりで、広場の一帯はちょっとした騒乱に包まれつつあったのである。


「簡単な話だよ! 何を考えていたのかは知らんが、つまりあの怪物はエイクが召喚したってことだろ!」


「あの馬鹿め! きっとブラハムってよそ者にそそのかされたんだ!」


「何が自警団だよ! あの野郎、自分の魔法で村に破滅を呼び込もうとしやがって!」


「まったくだ! 俺たちを殺すつもりだったのかよ!」


 などなど、次々と攻撃的な文句が聴衆の中から飛び出していく。

 召喚獣デビルスネーク。そして真なる者クァ=トゥルー。

 偶発的な自然災害ではなく、何者かによって人為的に召喚された魔獣。今回の事件の首謀者として名前を挙げるなら、よそ者であるブラハムとともに骨の形で発見されたエイクは、事情を知らない誰の目から見ても十分に疑わしい存在だった。

 だからこそ事件のあらましが満足に検討されることもなく、集まった村人たちによって半ば断定的に悪者や犯罪者として扱われてしまう。

 もちろん、それは結果としては間違っていなかった。

 反魔法連盟の主義者であるブラハムがそそのかしていたとはいえ、実際に悪魔の怪物を召喚したのはエイクなのだ。目的が何であったにせよ、自分が呼び出した召喚獣を正しく制御できなかった以上、責任のほとんどは召喚魔法を実行した彼が背負うべきものである。

 だがしかし、その事実は当事者であるブラハムとエイクが死亡したことによって、誰も知らない秘められた真実となった。すでに死亡した彼らは釈明もできず、一方的な論調で過激な言葉とともに悪く言われてしまう。

 広場に集まった人々の目には怒りと憎しみが渦巻いており、その嫌悪感を間接的に浴びせられた気分になったアレスタたちは一種の同情にも似た悲しみを覚えてもいた。

 そんな中、ふいに一人の少女が動く。

 激しさを増していく彼らの暴言を聞いていられなくなったサラである。いついかなる時も正義の側に立たねばならない騎士である彼女は自分の立場に迷いつつも、村人たちに責められているエイクを庇うように名乗り出たのだ。

 自然、注目が集まる。


「……私は騎士として自警団との交流がありましたから、エイクさんが普段からどれほど努力を重ねていたのか知っています。村を守りたいという彼の思いも、そのために自分が矢面に立たねばならないという信念も。彼の優しさと強さを、この村の誰よりも知っています」


「でも、だからってなぁ……」


「騎士さん、何を言っても無駄だ! 目的が何であれ、あいつのやったことは絶対に許されないぜ! 同情の余地はない!」


「まったくそうだ! どうせあいつも悪い人間の仲間だったんだ! 村を守る自警団なんて嘘っぱちでしかなかった! みんな殺されそうになったんだぞ、もう胸糞が悪いったら!」


 言葉を重ねるうちにヒートアップしてしまったのか、村人たちは非難がましくサラに詰め寄った。

 デビルスネークを召喚したであろう犯罪者のエイクを庇うように立った彼女のことが気に食わなかったのかもしれない。


「おいおい、まさか街の騎士は犯罪者の肩を持つのかよ!」


「そうだそうだ! 騎士団は村を軽視するつもりか!」


「だったら消えろ! 帰れ!」


 それは平時の村では聞かれなかったであろう攻撃的な言葉だ。

 一歩間違えれば命を失っていた非日常の出来事を経験したばかりである状況が人々の緊張状態を生み出し、心無い言葉を口にさせたのだ。

 もちろんベアマークの騎士として何度となく村に巡回してきたサラは、それらの言葉が必ずしも彼らの本音ではないことを理解していた。売り言葉に対して買い言葉で反応するように、つい言いすぎてしまっているだけだ。

 心の底では今も騎士団のことを信頼してくれているに違いない。

 今回のことを本当は感謝してくれているのかもしれない。

 そうやって頭では冷静に考えていたものの、職務に忠実であろうとする彼女にだって年相応の弱さがある。

 直前まで繰り広げられていたクァ=トゥルーとの戦闘による心身の疲弊と、最愛の人であったエイクを失ったことによる悲しみとが混ざり合って、ある種の自暴自棄を彼女にもたらしていた。


「そうではありません。決してそう言いたいわけではありません」


「でもエイクに肩入れしようとしているのは事実だろ! 違うってんなら謝れ! 頑張ってたからってデビルスネークを召喚しても許されるのかよ!」


「……だから違います!」


 騎士としての誇りを持つ気心の強いサラではあるが、同時に心は十代の少女でもあった。

 だからこそ村の人間たちはおとなしい彼女に対して臆することなく、強気な口調で詰め寄ることが出来ていたのだ。

 そのことを知っていたサラは、ここで彼らに見下されたくはないと、同じように強い口調を意識した。


「皆さんが怒鳴りたくなる理由もわかります。怪物は確かに危険な存在ですから。ですが、それは先ほど退治することが出来ました。……エイクさんの関与は不明です。たとえ彼が召喚していたとしても、そこに悪意があったのかどうかさえわかりません。ですから、少なくとも現時点では彼の責任を問うことはできないと私は言いたいのです!」


「いやいや、何を言ってる! もうすっかり明らかだ! 怪物を召喚したんなら、やつの責任だってのは間違いない!」


「そうさ! 自警団の顧問となったブラハムのもとで、最近ずっとエイクが召喚魔法の特訓をしていたことは村のみんなが知っているんだ! それで今日、あの怪物を召喚したんだろう! 何かの間違いだろうが意図的だろうが、どちらにせよ結果的には最悪の犯罪者だ!」


 死んでしまったエイクの代わりにサラを責め立てているのか、取り囲むようにして彼女に詰め寄っているうちに村人たちの怒りや興奮は頂点に達しつつあった。

 それこそ暴動にも発展しそうな勢いである。

 それでもサラは彼らの言い分を認めたくなかった。


「でも、でも、だからって……!」


「ブラハムが反魔法連盟の危険な主義者だったってことはわかっているんだろ! だったらそんな人間とつながりをもっていたエイクも、同じように危険な思想に染まっていたと見るのが普通だろう! あいつが黙ったまま死んじまったから責任は問わないなんて、ちょっと無理のある理屈なんじゃないか!」


「こっちは村を滅茶苦茶にされるところだったんだ! エイクを庇う必要なんてねぇ!」


「言いたくなる気持ちは理解できます! ですが、今までエイクさんはたった一人で自警団としての責務に従事していました! いつも村の平和のために戦っていたのは彼一人だったのです! なのに、あなたたちはいつだって、自分たちの住む村の安全すらも他人任せで、感謝するどころか、そうやって不満ばかりを口にして……!」


 そう言って村人たちを糾弾するサラだが、そこまでだった。


「サラ」


 ふと、意識の外にあった後ろから名前を呼ばれた彼女は振り返る。

 そこにいたのはイリシアだ。

 どこか切なそうな顔をした彼女は、そっとサラの頭の上に手を乗せる。まるで駄々をこねている子供をあやすようにして。


「それがあなたの伝えたい言葉なの? ……ねぇ、サラ、よく考えて。あなたは本当にそう思っているの?」


 ゆっくりと穏やかな口調でイリシアに諭されると、いつになく感情的になっている自分に気が付いたサラは目を潤ませた。


「いいえ、違います。違うんです」


 首を左右に振って、自らを落ち着かせるために右手で胸元をおさえるサラ。

 そのサラにイリシアは優しく言い聞かせる。


「まだ事情が判明していないことも多いから、ここでエイクさんを責めるのは間違いかもしれない。だけどね、だからといって彼らを一方的に責めるのもまた、あなたのわがままだと思うのよ。あまりに感情的。騎士として褒められる態度ではないわ」


「……はい。申し訳ありません」


「なら、大丈夫?」


 イリシアが問いかけると、サラは頷いた。

 先ほどまでの威勢は消え去り、すっかり伏し目がちとなり、それでも精一杯の声を出した。


「……これから騎士の増援部隊も到着するはずです。被害の確認と補償のこともありますが、今後のことは彼らの指示に従ってください」


 そしてサラは深々と腰を折り、集まっていた彼らに向かって頭を下げる。


「取り乱してしまい、本当に申し訳ありませんでした」


「あ、ああ……」


 村人たちはもう、誰も何も言わなかった。

 今回の怪物騒動に関する真実はこの場にいる誰も知らない。事情を何も知らないまま、いや何も知らないからこそ、村で唯一召喚魔法を使うことができたエイクの責任を暴きたがっていた。

 それでも、とりあえず現時点では、すでに死んでしまったエイクに対するこれ以上の罵倒と責任追求はふさわしくないと考えるに至ったのだ。

 少なくとも、今にも泣き崩れてしまいそうだったサラの前では――。





 リンドルを襲ったデビルスネーク事件の後処理は、連絡を受けて村に到着した騎士団が引き継いだ。目撃者やブラハムと親交のあった者など、今回の事件に少しでも関係した人々への事情聴取も滞りなく進められ、こういった非常事態の対処に馴れた彼らに任せていると、アレスタたちが止められなかった村の混乱も次第に収まっていった。

 悪魔の怪物との激しい戦闘で疲弊したアレスタたちには、村から特別の恩義がはかられた。とりあえずの休息と、それからリンドルを救ったことへの感謝の意味も込められて、温泉宿へのご馳走付きの一泊が提供されたのである。

 広場では一悶着があったものの、やはり大部分の村人たちは己の命を顧みず村を守ってくれたアレスタたちに感謝していたのだ。

 もちろん彼らに申し出を断る理由はなく、アレスタとサツキ、イリシアとサラ、そして六人ほどのサラの部下たちといった部屋割りで泊まることになった。

 これから一晩はゆっくり休むことにして、ベアマークへの出発は明日の朝だ。

 思えば今日は実にたくさんのことがあった一日だが、もう日は暮れつつある。

 親切な主人の経営する温泉宿には露天風呂が備わっており、農村リンドルにとって、それは大事な観光資源であった。雄大な自然に囲まれていて雰囲気もいい。

 にじんだ茜色の空を遠くに眺めながら、言葉少なに落ち着いた様子で湯船につかるのはイリシアとサラの二人だ。

 だいぶ体が温まってきたのを頃合にして、誰へともなく口を開いたサラが懺悔するように呟いた。


「私は弱い人間です。自分のことしか考えられませんでした」


 きっと、集まった村人たちの前で感情的になってしまったことを反省しているのだろう。

 広い湯船の中で彼女と肩を並べていたイリシアには気落ちしているサラの様子が手に取るように伝わってきたので、あまり深刻に考えすぎるのも悪いからと、励ましたい気持ちもあって慎重に言葉を選んだ。


「そんなことないわよ、サラ。もちろん褒められた態度ではなかったけれど、それはあの場にいた全員に当てはまることだもの。私を含めて、みんな冷静じゃなかったと思う」


「だけど私、どんなときでも率先して冷静であるべき騎士で、しかも一部隊の隊長なんだから、みんなのお手本にならなくちゃ駄目なのに……」


「うん、それはそう。でも騎士だって人間だもの。たまには間違えることくらいあるわ。大事なのは、ちゃんと反省して、うじうじ悩んで落ち込まないで、それを次にいかすこと。だからね、サラ。あなたの真価が問われるのはこれからよ」


 元気付けようとして、そう言ったイリシア。

 ところが彼女の思いやりあふれる言葉を受けて、精神的に弱っていたサラはますます思い悩んでしまったようだ。


「私、今日、思ったんです。今までの私は自分なりの正義や信念を大切に守ってきました。でも、もしそれが間違っていたとしたら……?」


 言いながらサラは声を震わせた。


「もしもエイクさんが、私の知らない危険なことを裏で考えていたら――」


「ねぇ、サラ」


 ささやいて、イリシアはそっと彼女の肩を抱き寄せた。


「これから事件の調査が本格的に始まって、秘められていた事実がどんどん明らかにされていくと思う。だけど最後の最後まで、あなたが信じていることを大切にして。裏切られたとか、騙されたとか、そんな暗い感情で自分を縛っては駄目よ。好きな人を好きになったのには理由がある。そうでしょう? だから、今までのことを簡単に見失っては駄目。それは自分を見失うことにもつながってしまうから」


 黙って聞いていたサラは目を閉じて、イリシアの肩に頭を預ける。


「そうありたい……」


 そして彼女は湯船の中で膝を抱えた。ただでさえ小柄な彼女がますます小さく見える。

 そうするのは落ち込んでいるのもあるが、これ以上のことは他人に頼らず、自分の中で結論を出そうと思って考え込んだのだ。

 眉間にしわを寄せるサラの表情は深刻そうに見えたものの、下手に声を掛けるのもいかがなものかと思ったイリシアは静かに見守ることにした。

 幸いにもここは温泉だ。

 こうしていれば自然と疲労も取れて、あわよくば元気も出てくるかもしれない。

 そうすることでしばらく、二人は無言のまま時が流れた。

 と、それまで温泉の周りをふらふらと気ままに飛び回っていたエアリンがサラのもとへやってきた。落ち込んでいる彼女を心配してのことだろう。


「ほら、きっとエアリンだって、あなたのことを心配しているわ。……ふふ、こんなに可愛い精霊を召喚したんだもの。あなたが好きだったエイクさんは悪い人なんかじゃないと思うわ。もしも彼に過ちがあるとすれば、それはちょっとした間違いがあっただけなのよ。その間違いが判明したら、その時は私たちで彼の後始末をしましょう。ね?」


「……はい」


 落ち込みつつも、少しは前を見据え始めたらしいサラは確かな動きで首肯した。イリシアの真摯な励ましが彼女の胸に届き、これからのことを前向きに検討するほどの元気を与えてくれたのだろう。

 今の今まで落ち込みっぱなしだったサラだが、ようやく他の事を考える余裕が生まれてきたのかもしれない。

 いつの間にか薄暮に包まれていた遠い山肌へ視線を投げると、次に目線を湯船の中央辺りにさまよわせて、それが飽きると今度は隣に座っているイリシアの体を見つけたのか、こんなことを口にした。


「なんだかイリシアさん、とてもきれいな肌をしている……」


「えっ?」


 少し唐突に思える言葉を耳にして、しばらく会話はないものと油断していたイリシアは驚いた。

 一体何を思ったのか、つぶらな瞳を浮かべるサラは興味津々といった表情でイリシアの体を見つめてくるのだ。

 女性同士とはいえ、お互いに裸である。恥ずかしくて気まずい。


「目立った傷が一つとしてない、すべすべとした絹のような肌……」


 熱っぽい視線がイリシアを眺めている。

 冗談というには深刻な雰囲気だ。

 ろくに返事もできなくなったイリシアは反応に困った。


「ど、どうしたの? いきなり、きれいだなんて……」


 変に意識してしまったのか、しどろもどろな反応になる。

 ところが対するサラの返事はあっさりしたものだ。


「あの怪物と戦っていたとき、イリシアさんは怪我を恐れていませんでしたよね? 騎士の鎧を脱いで血だらけになりながら戦っていたのに、そのことを忘れさせるくらいに肌がきれいなままだったから、不思議に思って……」


「ああ、なるほど」


 イリシアは合点がいった。

 どうやらサラが至近距離からまじまじとイリシアを眺めていたのは彼女の体そのものに興味があったわけではなく、あの怪物と激しく戦ったにも関わらず、一切の傷が残っていないことを不思議がっていたからなのだろう。


「つまりサラは、アレスタさんの治癒魔法に驚いているってことね?」


「そうなんですけど、実はそれだけじゃありません。私は……そのう……」


 どこまで打ち明けていいものかと本心を言い渋ったサラだが、その様子を見ていただけでも、何を言いたいのかイリシアには見当がついた。


「もしかして、彼の治癒魔法に期待もしている?」


 はい、と控えめに頷いて、ためらいがちにサラは答える。


「もしも本当に治癒魔法が使えるのなら、いつかきっとアレスタさんは、死者さえも蘇らせてしまう蘇生魔法すら可能になるのではないかって。そんな風に思うと、今の私は、なんだかアレスタさんにすがってしまいそうで……」


 十年前、デビルスネークによって両親との平和な日常を失った私と同じだ――と、彼女の言葉を聞いたイリシアは思わずにはいられなかった。昏睡状態に陥っている父を救ってもらおうと、身勝手な理由でアレスタに期待していた自分のことを考えたのだ。

 それに固執してはいけないと、それを知っている彼女は教えたかった。

 けれどそう願わずにはいられないサラの気持ちが痛いほど理解できてしまったので、甘やかすほどには優しすぎず、突き放すほどには厳しくなりすぎないようにと、イリシアは彼女に伝えるべき言葉をやはり慎重に選んだ。


「ねえ、サラ。どうしても辛かったら騎士を辞めてもいいんだよ? もしそうなったとしても、あなたは一人じゃないから。私でよければ、ずっとそばにいてあげられるし……」


 その言葉はサラにどのような意味を持って響いたのだろう。

 しばらく続いた思案の後、微笑んだサラは答えた。


「いいえ、イリシアさん、私は騎士をやめるつもりはありません。今まで言っていませんでしたが、実は私には夢があるんです。人々の幸せや平和な日常を守るために力を使うという、大切な夢であり目標が。そしてこれは、かつて私がエイクさんと誓い合ったことでもあるんです。だから……」


「そっか。じゃあ、もう大丈夫よね?」


「はい。ご心配をおかけしました」


 もちろん、すべての悲しみや迷いが消え去ったわけではない。

 そう簡単に振り切れるものでもなければ、折り合いをつけられる感情ばかりではない。

 それでも彼女の言葉は頼もしいものだった。胸の内はともかく、ひとまずイリシアが安堵できる程度には平常心を取り戻したように思えた。

 風の精霊エアリンも同じく胸をなでおろしたのだろう。いつの間にやら腰を下ろしていたサラの肩の上で、ほっと可愛らしいため息をついた。


「そうだ。エアリンにも温泉を味わってもらわなくちゃ」


 心に余裕ができてエアリンのことに気が回るようになったのか、ふとサラはそう言って、きょとんとする風の精霊に有無を言わせる隙を与えず有言実行した。

 優しい顔をしたサラは精霊を呼んで手招くと、胸の前に差し出した手のひらの上に乗ったエアリンの服を一枚ずつ丁寧に脱がせていく。

 まるで人形を扱うようなサラの手つきを、隣で微笑ましくイリシアも見守る。

 やがて服を脱ぎ終えたエアリンが風の精霊にもかかわらず肌寒さを感じたのか、ぬくもりを求めてサラの胸にしがみつく。

 だが、その姿を見たサラは目を真ん丸にして驚かずにはいられなかった。


「……って、お、男の子! あなたったら、男の子だったのですかっ?」


 あたふたと声高に叫ぶや否や、サラは顔を真っ赤にした。

 可愛らしいから勝手に女の子だとばかり思っていた精霊だが、いざ服を脱がせてみれば男の子だったのだ。

 男の子とはいっても、エアリンは人間とは異なる精霊なのだから恥ずかしがる必要もないのだが、不意打ちを食らったサラは動揺してしまったのだ。

 同じく驚いたイリシアだったが、こちらはまだ余裕がある。泡を食ったように狼狽するサラの姿がなんだかおかしくて、くすくすと声を上げて笑いながら、慌てふためいている彼女を落ち着かせるように後ろから抱きしめた。

 するとサラはますます顔を赤らめる。

 それでもイリシアは絶対に離さないなどと言って、しばらくサラをからかって可愛がるのだった。

 早く元気になってほしいと、そう願って。

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