21 対峙するとき(2)
「……だが、そうだな。村を破壊する前に君たちには私がデビルスネークを召喚した理由を教えておこう。これを聞けば、もしかすると君たちも私の計画に賛同してくれるかもしれないからな」
まず口を開いたのはブラハム。
用心のためコートの内側に手をしのばせつつ、その一方では敵意を隠した穏やかな口調で二人に語りかけた。
「えっと……」
――どういうことだ? 話がしたくて攻撃の手を止めたのか?
相手の真意が見えず疑問に思ったアレスタだったが、あちらから事情を教えてくれるというのなら断る理由もない。
ともあれ、ひとまず話を聞く意思があることを伝えたほうがいいだろう。
そう考えたアレスタは剣先を地面におろして頷くと、警戒したままイリシアへと振り返って、前方にいるブラハムには聞こえない程度の声量で言った。
「イリシアさん、どうも向こうの様子が変です。さっきから怪物も動いていないようですし、何か考えがあるように見えます。しばらく彼の話を聞く振りをして、攻め込みやすい隙ができるのを待ちましょう。いつでも動き出せるように心の準備をしていてくれると助かります」
「わかりました」
「はい、頼みます」
覚悟を決めた顔でイリシアに頷いて、警戒心を悟られぬように表情を和らげたアレスタはブラハムに向き直る。
相変わらず彼の目には余裕の色が見えるが、理由もなくアレスタにはそれが虚勢に思えた。
「それでは聞かせていただきましょうか。どうしてデビルスネークを召喚したのかを」
「当然だとも」
敵意を感じさせないほどに快く答えたブラハムはさりげない仕草でデビルスネークを見上げる。それとなく調子を確認したのだが、やはり怪物は止まったままで動き出しそうにはない。
何か問題が生じたのか、もしや魔力が不足して活動を制限されているのか……。
現時点では判断がつかず、仕方なくブラハムは時間稼ぎに説明を始めるしかなかった。
思い通りにならない苦々しさや焦燥感を決して気取られぬようにと、堂々たる態度で流暢に言葉をつむぐ。
「そもそもデビルスネークとはどのような存在か君たちは知っているかね? こうして私に付き従っている姿を見ればわかるだろうが、これも一種の召喚獣であることに間違いはない。……だが、ただの魔獣とは次元が違う上級の怪物なのだ。自然界に存在するすべての魔力を吸い尽くすことも可能で、最終的には世界を滅ぼす力をも持つ悪魔の存在だよ」
その言葉を聞いたアレスタは息を呑んで、恐る恐るデビルスネークを見上げた。
悪魔の怪物。そう形容するにふさわしい禍々しきオーラが漂っているのは事実だ。
こんなものと戦ったら、たとえ魔法が使えたところで普通の人間には勝ち目などないように思われた。
――しかし、ならばどうして襲ってこないのだろう?
必要以上に相手を刺激しないよう留意しながら、慎重にアレスタは尋ねる。
「世界を滅ぼすほどの怪物を召喚するなんて、いったい何を考えているんです?」
「……ふっふっふ、はっはっは!」
これも時間を稼ぐためなのか、いっそ聞いていて気持ちいいくらい不敵に笑うブラハム。
精一杯にもったいぶった後、穏やかに宣言する。
「何を考えているって、そりゃあ当然ながら世界を滅ぼすために決まっているじゃないか。より正確に言えば、一度滅ぼすことによって世界を次なるものに書き換えるつもりなのだよ。魔法の存在しない、新しい世界を誕生させるためにね」
「魔法の存在しない世界を誕生させる? ……そのためにデビルスネークを使役すると? 今の世界を滅ぼすことで?」
あまりに突拍子のない話だ。新しい世界のためとはいえ、人類のすべてを犠牲にする発想がないアレスタには彼の言葉が理解できなかった。
しかしブラハムは本気である。
「そうだとも。実行する手段が何であれ、最終的に達成しようとする私の目的はあくまでも魔法の根絶だ。人が死ぬ? 世界が滅びる? そんなのは弊害だ。平等な世界を実現するに至る副作用の一つでしかない」
「……弊害? 人が死ぬことが弊害ですって? まさか、仕方のないことだとでも言いたいんですか!」
冷静に話し合うつもりだったにもかかわらず、気が付けばアレスタは剣を握る手に力を込めて前のめりになっていた。
あまり人と交わらわずに帝国の田舎で育ったアレスタは世間のことを知らない。それでも、ブラハムの考えは間違っていると断言することができた。
ただし、少なくとも一般的にいって、普通の人間が魔法の存在を消したいほど憎むこと自体は珍しい感情でもない。
この世に魔法がなければよかったのに、と、ただの一度も考えたことのない人間のほうが珍しいくらいだ。
何かを大切に思う愛があれば、同じくらいに激しい憎しみも存在する。それが人の情というものである。
だが、それも反魔法連盟までいくと過激である。
魔法が憎いから、魔法使いを殺す。
あまりに短絡的過ぎる考え方であり、理性ある大人が選ぶ手段としては度が過ぎている。
アレスタが怒っているのは、まさしくその部分である。
けれど、独りよがりの信念に陶酔しているブラハムにはそれが正しく伝わっていないのかもしれない。
「私は考えるのだ。もしもこの世界から魔法が消えてくれるなら、その代償として人類が一人残らず死に絶えてしまってもいいとね。魔法使いたちと道連れになって魔法を使えない人間までが一緒に死んでしまうのは申し訳ない話だが、そうして誕生するであろう『魔力の枯渇した新しい世界』には、きっと、魔法との縁を切った新しい人類の芽吹きがあると信じているのだ」
「なんて馬鹿なことを……」
「やれやれ。ここまで言っても理解してくれないようだね」
わざとらしく肩をすくめつつ、ブラハムは確信した。彼の思想を正しく理解してくれる同士など、この世界には一人として存在しないのだと。
過激な組織として知られる反魔法連盟ですら、世界を滅ぼそうとする彼の行動を本当の意味では支持してくれなかったのだ。
ある種の孤独を感じたブラハムは遠い目をして口を開いた。
「わかるか? こうして人間の上位種を召喚することこそが必要な手段だと。人が人を正しく裁くのには限界がある。人と魔法使いは平等ではなく、いつだって魔法は人を傲慢にするからな。だからこそ、あらゆる人間よりも上位に存在する怪物の圧倒的な力で、我ら人類を“害獣”として合法的に駆逐して欲しかったのだ」
「合法的に?」
「そう、自然の摂理に従って合法的に」
やはりアレスタには理解できなかったが、共感できずとも無理はない。これは魔法の存在そのものが世界にとって違法であると考えているがゆえの発言である。
反魔法連盟の考えによれば、本来、魔法は存在することさえ認められてはならないものだ。
世界によって存在を否定され、禁忌として扱われてこそ、ようやく人間は魔法と共存できると考えているのが、反魔法連盟における多数派の共通した結論である。
魔法とは、世界によって隠匿されるべきなのだ。
そして最終的には跡形なく消し去られるべきものである。
ブラハムはデビルスネークをちらりと見て続ける。
「私は人間ではない別次元の存在、つまりは悪魔の怪物デビルスネークに、この世界の命運を、そして審判の手をゆだねようと考えるのだ」
ブラハムに迷いはない。
魔法の存在を否定する反魔法連盟にこそ、人間としての正義があると信じていた。
世界は反魔法連盟を危険な組織として否定するが、本当は世界のあり方こそが間違っているのだと。
いかなる理由であれ、魔法を使用する者と魔法の存在を容認している者は等しく罪人である。
なぜなら魔法が人類にもたらしたものは暴力と不平等だけであり、文明と文化を間違った方向へ発展させてきたと考えていたからだ。
これまでの人類の歴史は、そのほとんどが人間同士の未熟な衝突によって紡がれてきた。平和的な話し合いも見せかけだけの無意味なものであり、暴力的な戦争や一方的な搾取はいつまでたっても根絶せず、偉人を含む大衆の誰一人として世界を正しい方向へは導こうとしなかった。
いつの時代にも、世界の善悪を決める場所に魔法の存在があったからである。
理屈や良識をはねのけ、不条理をもたらす魔法の存在が。
だからこそブラハムは人ならざる魔獣を善悪の判定者として顕現させ、世界に是非を問いたかったのだ。
「我々人類は魔力の枯渇した魔法のない世界で生きるべきなのだ。そうでなければ身の丈に合わない。どう頑張ったところで不幸にしかならない。なぜなら人間には、過ぎた力である魔法を正しく使うことのできる精神性など備わっていないのだから。未熟で、無知で、どこまでも自分勝手な存在……そうだろう?」
あまりに断定的である。
だが、狭い視野で一面的に見た場合、ある程度は正しいと思える部分もある。
言葉に詰まったアレスタとイリシアがなかなか反論できずにいると、ブラハムはにやりと微笑を見せた。
「さあ、そのための神として“彼”を迎え入れようではないか!」
叫び終えるとブラハムは背後を振り返った。
いつまでもおとなしくしているデビルスネークに対して、抗議を含んだ厳しい視線を投げかけたのだ。その強いまなざしは暗黙裡に攻撃命令を伴っており、何かをためらう怪物に発破をかけようとしていた。
今度こそ、今度こそ――。
「デビルスネークよ、目の前の二人を殺せ!」
だが、やはりブラハムの願いは通じない。
梃子でも動きそうにない様子のデビルスネークは攻撃をためらった。
悪魔の怪物が聞いて呆れる。
ブラハムの目にはすっかり威勢をなくした小動物にも見えた。
「くそったれ!」
そう叫ぶや否や、ついに苛立ちを隠さなくなったブラハムはアレスタに向かって葉巻状の魔法式炸裂弾を投げつけた。
いつか使用した魔物用のものではなく、対人殺傷能力を備えた魔道具だ。
「あぶないっ!」
とっさに反応したアレスタは背後のイリシアを押し倒すように飛び退いた。
直後、彼らが直前まで立っていた地点で爆発が生じる。
低級の魔物なら一撃で倒すほどの威力をもった魔道具だが、会話をしつつも常に警戒していたアレスタの反応が早かったことで二人に致命的な負傷はなかった。
ただし、進んで盾役となったアレスタは至近距離で受けた爆風や破片によって無視できない傷を負っていた。
「あとは任せました! イリシアさん!」
血を流しながら片膝をついたアレスタは精神果樹園を開くと自分に対して治癒魔法をかけ、わずかに横にずれることでイリシアに道を譲った。
なかなか動き出さないデビルスネークの状態など、正直なところ相手側の事情には不明な点が多い。
だが、結果としてブラハムの先制攻撃が失敗した今、アレスタはここに少なくない勝機を見たのだ。
すでに状況は動き始めた。
あとはどちらが先に場を制圧するかにかかっている。
二人にとって最大の懸念であった怪物は動かず、奇襲に失敗したブラハムも次の手を見せていない。
それを見たイリシアもアレスタと同様に確信した。
「ここがチャンスですね!」
剣を抜き放って一閃、また一閃。
両手に一本ずつの剣を構えたイリシアはデビルスネークの懐に飛び込むと同時、容赦なく切りかかった。
憧れの父を原因不明の昏睡状態に追いやった悪魔の怪物を相手にしているのだ。手加減などしている余裕はない。こうしてデビルスネークが動き出さない隙を狙って先手を打ち、相手が本調子になる前に決着をつけねばならなかった。
召喚されたデビルスネークさえ消滅すれば、最大の脅威はなくなる。
ブラハムなど後回しでいい。
「だから、手は抜きません!」
真っ直ぐ走った剣筋に沿ってうろこが剥がれると傷口が開き、青とも緑とも言い難い毒々しい血しぶきが舞い上がる。
悪魔と呼ばれた怪物にも痛覚はあるらしく、ダメージを負ったデビルスネークは低い唸り声を轟かせて身をよじった。霧雨となった多量の血は降りかかってイリシアの顔を流れ、その不快さに彼女は目を細める。
けれどイリシアは止まらない。
ためらいは勝機を逃すと知っていたからだ。
デビルスネークの返り血に目をつぶされないよう軽快なステップを踏みながら、縦横無尽に動き回って彼女は立て続けに剣を振った。
一撃、重ねて新たなる一撃と、休む間もなく繰り出されるイリシアの剣舞は着々と速度を増して、本調子を出せずにいる悪魔の怪物に無視できないであろう傷を与えていく。
度重なる攻撃とともに彼女が発動していたのは、自身を高速化させる魔法である。
「なぜだ? なぜデビルスネークは攻撃しないのだ?」
目の前の光景が信じられないのであろう。
悪魔の怪物が戦闘への意欲を完全に失っている状況を前にしてブラハムはあえいだ。
アイーシャの薬屋から手に入れた強力な魔力増強剤は投与済みであり、先ほどは村の青年たちが結成した臨時の自警団を相手にして圧倒的な殺戮を見せたのだ。
今さら魔力不足になったとか、あるいは召喚そのものに問題があったとは思えない。
思えばデビルスネークの様子がおかしくなったのは、街から駆けつけた二人と対面してからである。
そう考えたとき、ブラハムは一つの結論に至った。
「もしや、まだデビルスネークは怪物として不完全な状態なのか。内側から何かが邪魔をして、本物の怪物になりきれていないのか。なあ、エイク。もしかして君には、まだ人としての情と理性が残っているのか……?」
驚愕を伝える小さなささやき。
懸命に怪物と戦っているイリシアはもとより、治癒魔法を終えて立ち上がったアレスタにも聞こえない。
「なあ、エイク、だったら聞いてくれ。この命を犠牲にしてでも、なんとしても壊したい世界が私にはあった。だから私は反魔法連盟に身を捧げたのだよ」
ゆっくりと瞳を閉じて、ブラハムは静かに回想する。
思い出すのは彼の半生。そして世界の歪んだ姿だ。
帝国でも開発の届かない吹き溜まりに故郷を持つブラハム。生みの親と早くに死別した彼は幼いころから頼れる身寄りがなく、孤独で困窮した生活を余儀なくされた。
魔法の優劣が人間の優劣にも直結する魔法至上主義の考え方は、古くから広く世界を支配してきたものだ。だからこそ、まったく魔法が使えないブラハムは子供のころから生きる価値がないとみなされた。
誰にも助けてもらえず、尊重されず、屈辱的な処遇を受けてきた。
つまり身寄りをなくした少年は道具として人身売買にかけられたのである。
しかしブラハムは決して普通の人間ではなかった。ただ生きているだけで周囲に漂う魔力を無意識に吸収して、通常の魔法使いが扱える数百倍の量の魔力を精神果樹園に蓄積するという魔法体質の持ち主だったのだ。
そのことを最初に発見したのは、幼い彼を奴隷同然の使用人として雇った魔法使いである。その魔法使いによって新しい役目を与えられたブラハムは、天然の魔力保管庫として酷使されることとなった。
それは魔力を供給するための生きた魔道具にも等しく、ブラハムはそれから実に多くの魔法使いによって奴隷的な扱いを受けてきた。
裏社会で生きる魔法使いは穏やかな話し合いよりも激しい戦闘を好む。彼らは強力な魔法を発動するため、大量に必要となる魔力の供給装置としてブラハムを危険な戦場へと連れまわしては闘争を繰り広げた。
主人である魔法使いが敗北するたび、奴隷だったブラハムは戦利品として勝者の手に渡った。
そうすることでブラハムの所有者となってきたのは誰も彼もが人を人と思わない、悪逆非道で冷酷な魔法使いばかりだった。
生まれてからずっと魔法使いの所有物として扱われていたブラハムが、強奪品として引き取られた先で反魔法連盟と出会うまで、彼に自我や人生の目標といったものは一切存在しなかった。
ゆえに、ほとんど彼の人格は反魔法連盟によって形作られた。
反魔法連盟の一員であることを隠していた彼は魔法学者を名乗ったが、それもあながち間違いではない。特定の魔法学校や研究機関に勤めているわけではないが、独学によって魔法学者に等しいだけの知識を習得しているのである。
よく使用する魔法道具もすべて彼の手製だ。
魔法学者としての幅広い知識は、まずは魔法使いに対抗する自衛のためであり、最終的には彼の目標である、魔法そのものを世界から消し去るために蓄積してきた。
結果としてブラハムが行き着いたのが、世界を崩壊させるほどの悪魔を呼び寄せる召喚魔法だったというわけだ。
デビルスネークの存在を知った彼は実地調査のためリンドルを訪れ、そこで運命的に出会ったエイクを利用しようと考えた。ブラハムは魔法を使うことができないが、幸いにも体内に大量の魔力を蓄える特殊な体質である。最悪の場合には自分の命を生贄として召喚に捧げるつもりだったのだ。
要するにブラハムは、決死の覚悟でここまで生きてきたのである。
――だというのに、私を慕ってくれたエイクには覚悟が足りない。
――ならば、彼の師匠である私が見本とならなければ。
「さあ、デビルスネークよ! その真なる覚醒のため、我が身を使え!」
いよいよ命を捨てる覚悟が決まったブラハムはコートの内側から取り出した短刀を胸元に突き刺して、自らに破滅の呪文を唱えながらデビルスネークに近づいた。
血を流すと同時に精神果樹園の魔力があふれて全身が輝き始めたブラハムが指先で触れると、たちまち彼の体は人間としての実体を失って一種のエネルギーの塊となり、怪物の中へと吸い寄せられるようにして一体化した。
それに伴って、彼の強い攻撃性を備えた意識、つまり破壊と殺戮への覚悟と欲求が、かすかに残るエイクの意思によって攻撃を躊躇するデビルスネークの内部へと強制的に取り込まれた。
すると、誰の目にもわかる変化があった。
デビルスネークを中心とした周囲の空間が薄墨色の滝に侵食されるように歪み、きしむ音が大地を揺らすほど響く。
長年にわたって大量の魔力を精神果樹園に溜め込んでいたブラハムの生命が起爆剤となったのか、尋常ならざる魔力を一度に与えられたデビルスネークは原型をとどめられず、さらなる急激な成長を遂げることとなったのだ。
真の怪物――すなわち神獣――の姿へと、覚醒を果たしたのである。




