15 襲撃者
城を出てすぐ、数歩として進んでいない門前のことだ。
もうもうと立ち込めていた煙や土ぼこりが新たに発生した爆風によってかき消されたとき、アレスタたちの視界には切迫した状況が映った。
「サラさん!」
見知らぬ男と距離を置いて真正面から向き合っているのは一人の騎士、アレスタもよく知っているサラだ。
剣を抜いて構える彼女の肩にはエイクから託されたという、風の精霊であるエアリンがしがみついていた。
不審な男にやられたのか、路上には倒れた騎士の姿もちらほら見える。
「危険です、下がってください! あれは襲撃者です!」
「襲撃者……」
サラと対峙している男の目には覇気がなく、あちらから攻撃する気はないのか、両腕はだらりと下げられている。身にまとっているのはボロボロになった服であり、灰色の髪はぼさぼさに乱れていた。
目立った武装はしていないようで、一見すると危険な襲撃者であるようには見えなかった。たまたま事件現場に居合わせた不幸な一般人のようでもある。
相手が危険だと叫ぶサラの言葉をどこまで信じていいものかアレスタが戸惑っていると、襲撃者と聞いて苛立ちを隠せないサツキが真っ先に声を荒げた。
「おい、お前! 何を考えてるんだ! たった一人で城を攻略できるわけがないだろ! 投降しろ、今ならまだ間に合う!」
ところが焦燥しきった男は首を横に振る。
「お前らのせいだ、お前らのせいだ……」
「……なんだって? おい、そりゃあ一体どういうことだよ? 俺たちのせいだって?」
名状しがたい不気味さを感じたらしく、叫ぶのをやめて声を穏やかにしたサツキが相手を刺激しないように問いかける。
すると、ちくしょう! と舌打ちをして顔を上げた男はカッと目を見開いた。
「俺はなあ、カーターを倒したお前らのことをずっと隠れて監視していたんだ! それがここ最近になって、ちょろちょろと不自然に動き回りやがって! そしたら城に入ったのを見て、きっと俺たちの計画を騎士団や領主に伝えに行ったんじゃないかと思ったら、もう慌てて!」
しゃべりながらも荒い呼吸が繰り返され、声は不器用に上ずっている。
キョロキョロと泳いで焦点の定まらない目は、彼の尋常ならざる精神状態を表していた。
どうやら錯乱しているらしい。
「ひとまず落ち着け、どうか落ち着いてくれ! お前はどこの誰で、いったい誰と戦っているんだ! カーターってことは、反魔法連盟か!」
「う、うるせぇ!」
大声で問いかけてきたサツキに対する威嚇行為なのか、ほとんど自暴自棄になって叫んだ彼が大きく右手を横に振り払った。
事前に精神果樹園を開いていたのか、その動きに応じて魔力的な流れが発生する。
鼻をつく焦げた匂い。肌に感じた空気の振動。
まさか再び爆発するのか――そう思ってアレスタがとっさに身構えると、男に向かって剣を構えているサラの立っていたすぐ前の地面が、その内側から大きくえぐられる。
粉々になった石の破片や土くれが、急激に熱せられた空気が、激しい閃光と轟音が、それらすべてを爆発という瞬間的な現象に押し込めて、大きな衝撃とともに彼女を襲ったのだ。
「……くはっ!」
爆発の直前にかろうじて後方へと飛び退いたサラだったが、それでも届いてきた強烈な爆風を受けて、吹き飛ばされるように後退する。
美しい金髪が風に翻弄されると激しく舞って、土ぼこりを含んだ灰色の煙に薄く汚れた。不快さに目を細めたサラは両手で剣を構えたまま、首を軽く振って乱れた髪を整える。
彼女の肩にしがみついていたエアリンもまた、小さいながら懸命に羽をぱたつかせて爆風に抵抗していた。
――強い。
おそらくこの場に居合わせた誰もが、強力な爆裂魔法を披露した男に恐怖したことだろう。
実際、アレスタの足は情けないくらいに震えていた。
「くっ、どうやら話は通じないようですね。ならば致し方ありません!」
けれどサラは弱音を吐かず、むしろ勇ましく剣を構えた。
そして左手の人差し指を真っ直ぐ男の顔に向けて、精神果樹園を開くとともに短く唱える。
「フラッシュ!」
サラの指先から放たれた強力な光魔法が男の視界を奪う。
あまりのまばゆさに男がわずかに動揺したのを確認して、その隙を狙い、サラは二発目の光魔法を発動した直後に、先ほどの爆発によってできた穴を飛び越えて駆ける。
ここで一気に畳み掛けるつもりなのだ。
しかし――。
「ええい、視界など構わん! 相手の姿など見えなくてもやればいい!」
そう宣言した男は精神果樹園を開いたまま固く目を閉じると、自分の頭よりも高く掲げた左手を上から下に、勢いよく地面に叩きつける。
「きゃあっ!」
すると男の周囲すべての大地が轟音とともに膨れ上がったのだ。
それは全方位爆撃。
相手の姿が見えずとも対処できる圧倒的な攻撃である。
「サラさん!」
小規模な噴火が起きたのではないかと錯覚するほどの魔法攻撃によって吹き飛ばされ、ろくに受け身も取れず地面に尻餅をついたサラ。
思わず彼女のもとへ駆け寄ろうとしたアレスタだったが、その手をサツキにつかまれる。
「待てよ! アレスタ、お前でも無茶だ!」
確かにあれほどの爆発力は危険だ。直撃すれば体ごと木っ端微塵に吹き飛ばされかねない。そうなれば治癒魔法を使用するどころではなく即死だ。
だが彼女は戦っている。
死の危険性が高まる戦場の中で、今まさにサラは戦っているのだ。
ベアマークの平和を守る騎士として、その若き隊長として……いいや違う、何よりもまず人々の平和と幸福を願う彼女であるからこそ、自分の身を犠牲にすることになったとしても決して退かないのだ。
そんな彼女の決意を目の当たりにして、一人だけ逃げていられるだろうか?
彼女が苦しんでいるときに、見て見ぬ振りをしていられるだろうか?
「けれどサツキさん、やっぱり俺にはこんなことくらいしかできないんです!」
「あ、おいっ!」
心配するサツキの制止を振り払い、アレスタは勢いよく足を踏み出した。
すると、
「ボクダッテ!」
それまでおびえるばかりでサラの首筋にしがみついていた風の精霊エアリンが元気よく顔を上げた。恐怖心を抱えつつも敵へ向かって走り出したアレスタの動きに呼応するかのように、地面に倒れていた彼女の肩から飛び立ったのだ。
おそらくエアリンは襲撃者である男の意識を、すなわちその強力な魔法の矛先を、一時的であれ自分の身にひきつけようとしているのだろう。
そうすることで生じた隙を逃すわけにはいかない。
意気込んだアレスタはさらに大きく一歩踏み込むと、顔の周りを飛び回るエアリンに気を取られている男の死角から、最大速度の接近を試みる。
「おとなしくしてくれっ!」
攻撃を受けることなく相手のそばにたどり着いたアレスタは全身で押さえ込むように、驚いて振り返った男の胸元へと飛び掛った。
勢いそのまま上から覆いかぶさるようにして男を押し倒し、地面に倒れこむ。悔しそうに唇をかみしめた男はアレスタの下敷きとなり、自由に身動きが取れなくなっている。
体重をかけるアレスタは絶対に逃がすまいと、男を押さえつける腕に精一杯の力を込めた。
「くそったれ!」
必死にあがいた男が右手の指をパチンと鳴らすと、彼の右腕をつかんでいたアレスタの左手が一瞬で吹き飛んだ。
それまでのものに比べれば非常に小規模な爆発だったが、すぐ手が届くような至近距離で発動した魔法攻撃は肉片を撒き散らすには十分すぎる威力だ。
――しまった、この状態でも魔法が使えるのか!
相手に接近すれば自分を巻き込みかねない爆裂魔法は使わなくなるはずだと思っていたが、邪魔な敵だけを狙って爆発の威力を制限することもできるらしい。
想定外の展開に多少の動揺を覚えたけれど、アレスタには最終手段としての治癒魔法がある。
ある程度の負傷はもとより覚悟の上、ほとんど捨て身で挑んだからには退避することなど眼中にない。
「まだだ! ちくしょう!」
声を枯らすほどに喚いた男は鋭い目つきでアレスタをにらみつけ、再び右手の指先を動かそうとする。また魔法による爆発を起こすつもりだろう。
ところがアレスタは男の体を押さえつけるのに精一杯で、先ほど受けたばかりの負傷を治癒することが出来ていない。
いくら治癒魔法が使えるといっても、立て続けに攻撃を受けてしまえば命の保証はない。
頭を狙われれば即死もありえるのだ。
危機的な状況を前にして、相手からの攻撃に対して身構える意味でもアレスタは歯を食いしばった。
「どいてください、アレスタさん!」
その声を聞き、頭で考えるより先に身体が従ったアレスタはとっさに男から飛び退いた。
するとアレスタと入れ替わるようにして男の前に立ったサラが速やかに剣を振るい、さらなる抵抗を見せようとした彼の右手を切り落す。
鮮やかで、的確で、容赦のない一撃。
右腕を失った男は激痛に顔をゆがめて言葉にならない声を叫び、一方で目を細めたサラはもだえ苦しむ男の首筋に剣を突きつける。
「抵抗をやめてください。そうすれば命までは頂きません」
「へ、へへ……」
殺される寸前まで追い込まれた状況で何がおかしいのか、不気味に口角をゆがめて笑い始めた男。
このまま素直に抵抗を諦めてくれれば助かるのだが、とても観念したようには見えない。
ひょっとして何かするつもりなのではないか――そう思ったサラが警戒しつつ観察していると、切り落とされた右手を惜しむように、残された彼の左手が静かに上がった。
「サラさん、危ない!」
ただならぬ気配を察知したアレスタは横からサラに全力で体当たりを試みる。
するとアレスタの背中を踊るような爆炎が襲った。
それは男の魔法による攻撃だ。
サラの身代わりになることで、アレスタは彼女を庇ったのである。
「くそっ、ここは出直すことにするかぁ! ひゃーはっは、覚えてろ!」
狙ったはずのサラに攻撃が当たらなかったことを確認すると、襲撃者である男はアレスタたちの拘束が離れた瞬間を狙って地面から立ち上がり、あっけなく背中を向けた。
そして安全に遠くまで逃げ出すためだろう、小さな爆発を複数回起こして、周囲に煙を充満させた。
「エアリン、あなたの風で煙を吹き飛ばして!」
「マカセテ!」
風の精霊エアリンが小さな翼を羽ばたかせると、小さな竜巻のような風がいくつも生み出され、そのつむじ風が周囲に充満した煙を吹き飛ばした。
だが、視界の晴れたその先に男の姿は見当たらない。
このわずかな時間で逃げおおせたようだ。
「……ふう、まったくなんだったんだ。危うく死ぬところだった」
精神果樹園を開いて治癒魔法を発動したアレスタは冷や汗を拭いながら、目の前の地面に片ひざをついた。久しぶりの緊張感と治癒魔法の行使から来る疲労は、その場に立っていられないほど並々ならぬものがあったらしい。
しばらくへたり込んでいると、満足に魔法が使えないほどの大怪我をしたのではないかと心配してくれたのか、周囲の警戒が終わって慌てて駆け寄ってきたサラとエアリンが一緒になってアレスタの顔を覗き込んだ。
「アレスタさん、大丈夫ですかっ?」
「ヘイキッ?」
「あ、はい、ひとまずは大丈夫そうです。今度こそ本気で死ぬんじゃないかと思いましたが、なんとか無事に治癒できたようなので。それよりサラさん、今の襲撃者は?」
「すみません、私にもわかりません。なにしろ気配もなく突然襲撃を受けてしまったので、相手の素性を確かめる暇もなかったんです。とにかく、これから私は騎士団本部に連絡して逃げた男を探します」
「そうですね、お願いします。何ができるかはわかりませんが、俺たちのほうでも注意しておきますね」
「はい、頼みます」
そう言い残して、負傷して倒れていた騎士の手当てを始めたサラは遅れて応援に駆けつけた騎士たちと今後の対策を話し合い、彼らと協力しながら怪我人を運んで城に入った。
その場に残されたアレスタはサツキと顔を見合わせて、さてこれからどうするのか相談しようと口を開きかけたものの、サツキは小さく首を振った。
話し合いは必要ないらしい。サツキにはもう考えていることがあるようだ。
「おいアレスタ、今から情報屋のところに行くぞ」
「えっ? 情報屋? オーガンさんのところですか?」
「いいから来い!」
などと、がっちりと腕をつかまれたアレスタはよくわからぬままサツキに引きずられていくのだった。
ただならぬ怒気を漂わせるサツキはドアを蹴破って情報屋に突入した。
「てっめー、こら! 知っていたくせに隠しやがったな!」
薄暗い店内にはすでにドガスの姿はなく、退屈そうに一人でいた店主のオーガンがカウンターに頬杖をついていた。
実質休憩中なのか、あくびを噛み殺している。
「どうしたんだよ、いきなり怒鳴りこんでくるとは穏やかじゃねえなぁ? とりあえず落ち着けよ。そう感情的になられると冷静に話も出来ないぞ。それからドアを壊すな。修理が終わるまで閉められなくなる」
まったく動揺を見せていない彼の前で立ち止まったサツキは眉間をピクピクさせながら、言われた通りに落ち着くべく、ゆっくりと深呼吸する。
そして右手の指をオーガンの眉間に突きつけた。
「いいだろう、だったら冷静にお前の悪行を指摘してやる。お前は俺たちを見殺しにしようとした!」
「……はぁ?」
「だからだなぁ! ついさっき俺たちは城を襲撃した男に殺されかけたんだよ! 城に行くなら気をつけろって言ったよな、お前は! つまり何か知ってたってことだろ!」
そうサツキが指摘すると、やれやれと肩をすくめたオーガンはわざとらしく頭を抱えた。
「まさか本当に襲撃の現場に出くわすなんてな。お前ら運が悪すぎるだろ」
「運が悪いだと? まさかそれで済ませるつもりか?」
「済ませる。と言ってもいいんだがな」
「……ふん。詳しい事情は知らんが、どうやら俺たちのことを隠れて監視していた奴だったらしいな。あのときの様子からすると、お前は何か知っているんだろ? 全部教えろよ、この場で洗いざらい吐け」
「だからさ、俺は情報屋だぜ? 素直に金を出して情報を買えばいいだろうが」
あっけらかんとした表情をして、手のひらを上向きに差し出したオーガン。
情報料をよこせというアピールのつもりなのか、くいくいっと指を動かす。
それを見て激高したサツキはカウンター越しに胸倉につかみかかった。
「なんだと! こっちは本気で死ぬかと思ったんだぞ! お前にとっちゃ俺よりも金が大事か! 人間の心を失った薄情者め!」
「わかった、わかった! 今回だけは特別に教えてやるから手を離せ!」
「まったく、結局そうなるんだったら初めから素直に教えてくれればよかっただろ!」
本人たちは本気で言い争っているのだろうが、一歩下がって脇から見ていると、むしろ逆に仲がいい感じだ。
アレスタが入っていく会話の隙間がない。
なら二人に任せよう。
「あまり感情的にならず冷静に聞いてくれよな、サツキ。実は少し前から、反魔法連盟によるベアマーク城への襲撃計画が進められていたんだ。お前らが遭遇したのは、おそらく計画に参加している主義者の一人だろう」
「反魔法連盟が? そういえば襲撃者の男もそんな感じのことを言っていたな。カーターがどうとかって……。けどよ、どうして今このタイミングでベアマーク城を襲うんだよ。ついこの前カーターが失敗したばかりだろ」
「もちろん奴らがベアマークの高度魔法化都市計画に反対しているからってものもあるが、そのカーターの事件が原因の一つさ。なんたってあいつは反魔法連盟の元幹部だからな。かたき討ちなのか、同じ主義者として熱意を刺激されたのか、徐々に下火になりつつある連盟の再興を考えての計画だろう」
「くそったれ、馬鹿な計画を考えやがって……。治安維持の象徴でもある城に対して襲撃なんてやったら、余計な敵を増やして自分の首を絞めるようなもんだろ」
ただでさえ反魔法連盟は過激な思想が原因で世界中から危険視されている犯罪者集団だ。城を襲撃したなんて行動が世間に知られれば、ますます世界から孤立してしまうだろう。
それほどまでにカーターの人望が厚かったのか、あるいは反魔法連盟の節操がなくなって手段を選ばなくなってきたのか、どちらにせよ危険なテロ組織であることに違いはない。
「ほら、これが今回の計画に関係していると見られる主義者のリストだ。おそらくほとんどの人間がベアマークに潜伏しているだろう。本当はなんとかして騎士団や街の役人に高値で売り付けたかったが、しょうがないからお前たちに渡してやる。それで今回のことは許せ」
「あ、助かります。これは頂いていきますね」
お金を払わず無料で情報を得られることに感謝して、アレスタはオーガンから主義者のリストを受け取った。
ちらりと見ると、ざっと八名ほどの名前が羅列してある。
「アレスタ、急ぐぞ。そのリストを騎士団に渡して襲撃計画を阻止してもらうしかない。暗示魔法を得意としたカーターがいなくなった下っ端の主義者たちだけで簡単に城を落とせるとも思えんが、無関係な人間が巻き込まれて傷つくことは避けたい」
「そうですね、サツキさん。ではオーガンさん、俺たちはこれで失礼します」
ひとまず情報屋を後にしたアレスタたちは、そのままの足で城に戻った。
ちらほらと爆発の跡が残る城の前まで来て誰か暇そうな騎士はいないかと探していると、ちょうど城から一人の若い騎士が数名の部下を引き連れて出てきた。
よく見るとサラだ。
「おや、アレスタさんたちじゃないですか。どうされました? 何か慌てていらっしゃるようですが」
「は、はい。実はサラさんに渡したいものがあって」
「私に……?」
要領を得ないサラは首を傾げたが、アレスタは気にせずリストを手渡した。
口だけで説明するより、実際に見てもらったほうが話は早いだろう。
「これを見てください。城への襲撃を企てているという反魔法連盟の主義者たちの名前が載っているリストです。おそらくこの中の何人かは今も街に潜伏しているんじゃないかと」
「なるほど、それはとても助かります。……ちなみに、これはどちらで?」
「……ギルドの情報網を駆使したんです。すみません、それ以上は言えません」
「そうですか。守秘義務ですね。いえ、アレスタさんを疑うつもりはないので安心してください」
優しく微笑んだサラはアレスタから受け取った手書きのリストに目を落とす。
重要な情報であることは確かだ。
「ラルレロ、アイエット、キルケゴール、タンテイト、ナノ、ヤーユ、ブラハム、ミルメルモ。……なるほど、テロ計画に加担しているという容疑者はこの八名ですか。直ちに警戒網を敷きましょう。誰か、このリストをメモに書き写してから騎士団本部へ届けて」
最後の言葉はアレスタではなく、彼女の後ろにいた部下に向かって発せられた命令だ。
しかし、誰よりも真っ先に反応したのはアレスタだった。
「……えっ?」
事務的な調子で淡々とリストを読み上げた彼女が口にした名前を聞いた瞬間、アレスタはざわざわとした胸騒ぎに襲われた。
手のひらに汗がにじんでいる。動揺だ。焦りもある。
「どうされました?」
隣に駆けつけてきた部下の一人が自分の手帳にリストの名前を書き写している間、手持ち無沙汰になっているサラがアレスタへ問いかけた。リストを持ってきたのは他でもないアレスタなので、そんな彼が驚くのを不思議そうに見ている。
「サラさん、今あなたが読み上げた主義者たちの中に、その、ブラハムって名前がありませんでしたか……?」
「……え? あっ!」
先ほどは見落としていたのか、書き写すのが終わって部下から返してもらったリストを見直してサラもようやく気が付いたらしい。
――ブラハム。
それはリンドルに滞在中の魔法学者の名前と一致する。
「で、ですが、これは偶然の一致かも! 同名の別人である可能性が!」
「もちろん、それは否定できません。でも……」
言葉を濁すアレスタの脳裏には不吉な予感が渦巻いていた。
リンドル自警団の顧問として、召喚師であるエイクの師匠役を買って出たというブラハム。
その彼は魔法学者として、十年前に召喚されたというデビルスネークを調査していた。
情報屋にもらった主義者のリストに名前が載っているのは偶然で、たまたま同じ名前だったに過ぎない彼が反魔法連盟とは無関係でいてくれればいいが……。
焦りと不安を隠せず、考えがまとまらずにいる二人。
そのうちでもサラのほうを見て、アレスタよりもさらに年下の少女が相手だからか、やや遠慮がちにサツキが声をかける。
「おい、サラとか言ったな。焦る気持ちはわかるが、少し落ち着いたらどうだ」
しっかりしろと怒られたわけではないものの、上官に注意された気分になったサラは思わず背筋を伸ばす。
今の自分は新人を引っ張るべき立場にある隊長なのだ。
部下たちの前で情けなく動揺している場合ではない。
「あ、すみません。ええと、あなたはサツキさんですよね。辺境魔法師の……」
「そうだ。辺境魔法師のことがどう伝わっているのか知らないが、少なくともお前らの敵じゃないから安心してくれ」
「もちろんです。詳しくは教えてもらえませんでしたが、領主様からも信頼できる相手だとは聞いていますから」
どこまで本気なのかはともかく、信頼してくれているのは事実らしい。
なかなか腹の内を見せない領主と違って素直な性格のサラには裏表もなさそうなので、ひとまずサツキは彼女との間に一定の信頼関係ができていることを確信する。
「よし、だったらまずは確認しておきたい。爆裂魔法を使っていた男の口ぶりからすると、城を襲撃したのは俺たちを監視していた奴の独断だったようだな。各地に潜伏している主義者がタイミングを合わせて一斉に蜂起したわけではなさそうだ。騎士団としての見解は?」
「騎士団としての正式な見解はまだ出ていませんが、現時点での印象を答えるならそうですね。今のところ、他のところで大きな騒ぎは起きていないようです。先ほどの襲撃は犯人が一人で暴走した行動であり、組織として動いているわけではなさそうです」
「となると、次に俺たちがなすべきことは……」
まだ本格的に動き出していない主義者たちに対して先手を打つべく、有効な手段はないかと考え込んだサツキ。
先ほどの襲撃者に対して無力であったように、刻印によって人が多い場所では魔法を封じられているため、街に潜伏している主義者たちにサツキは手出しができない。
かといって、治癒魔法が使えるからといってアレスタに無理をさせるわけにもいかない。
あまり長々と話をしていられないのか、答えが出てくるのを待たずにサツキとアレスタの顔を見比べながらサラは口を開いた。
「あの、無理して協力していただく必要はありませんよ? なにしろ危険ですから、ここは騎士団に任せていただいても……。とにかく私たちは街に潜伏する主義者を探すための手配をします。すでに他の騎士も動いてはいますが、少なくとも先ほど逃げた襲撃者を探さなければならないので」
これに対してサツキが何かを言うより早く、自分の意志を伝えるように一歩踏み込んだアレスタが答える。
「サラさん、どうか俺たちにも協力させてください。さっきの襲撃者は俺たちと無関係ではないようですし、個人的にも反魔法連盟は放っておけません。依頼は関係なく、ギルドとして手伝いたいんです。いいですよね、サツキさん?」
「当然だな。危険を顧みず善意で騎士団に協力したとなれば、今回の依頼料は領主からたっぷりと分捕れそうだ」
「……ありがとうございます。どこまでお役に立てるかわかりませんが、私からも領主様には皆さんが協力してくれたことを報告させていただきます。補償なり報酬なりは期待していただければ」
「それはなんとも頼もしい隊長様だ。どんどん出世して俺たちに利便を図ってもらいたいところだな」
と、これはあくまでも冗談で言っておいて、こほんと咳き込んだサツキはアレスタに向き直った。
「いいか、アレスタ。今も村にいるブラハムとかいう魔法学者には、おそらく俺たちがリストを手に入れたことは知られていないはずだ。つまり、本当に奴が主義者だとしても、まだ正体を隠せていると思い込んでいるに違いない」
「おそらくそうでしょうね。オーガンさんにもらったリストがなければ、今も俺たちは彼の疑惑を知らないままでしたから。だったら、デビルスネークの調査を依頼された俺たちが報告がてら会いに行っても怪しまれないかもしれません」
「その可能性は高い。けれど相手も馬鹿じゃないから、いきなり大勢で押し掛けると警戒されるだろう。主義者を取り押さえるため何人か騎士を連れて行くとしても、相手に勘付かれて逃げられたら意味がないんだ。問題なく連れていけるとすれば、特に理由もなくリンドルを訪問しても不思議ではないサラの部隊だけか……」
そう言ってサツキはサラへ視線を向ける。直接的に言葉にはしないが、一緒に村へ行けないかどうか尋ねているのだ。
それを察した彼女は背後に控えていた数名の部下を振り返って、ほんのちょっぴり悩んだ後で答える。
「そうですね。少し待っていただければ、きっと今日中には村へ行けますよ。騎士団専用の魔導馬車でよければ、一緒に乗って行くこともできます」
「なら決まりだな。しばらくした後で街の南門で合流して、サラの部隊と一緒に村へ行かせてもらうことにしよう。今日中であれば、夜更けまで待つ」
「わかりました。何があるかわからないので、ついてくるなら気を付けてください。ひとまず私はベアマークの騎士として、こちらでの仕事が終わってから南門に向かわせていただきます」
そう言って深々と頭を下げたサラ。
本当はすぐにでも村に行きたいのだろうが、ぐっと我慢しているようだ。
彼女は小さいながらも一つの部隊を率いる隊長であり、自分の職務を放棄してリンドルに向かうことはできない。
「急いで私が行かなくても、リンドルには頼もしい自警団がありますから。たとえブラハムさんが主義者だったとしても、大胆な行動はできないでしょう」
最後にそう言い残した彼女はアレスタたちのもとを離れていく。アレスタに渡されたリストに載っている主義者たちの対処をする必要が出てきたので、忙しいのだろう。
絶対的な確信というよりも願望が込められていたように感じられた彼女の言葉を完全には否定しないまでも、険しい顔をするサツキはそこまで安心できない様子だ。
「おそらく自分を納得させるためにも彼女はああ言っていたんだろうが、実際のところ何があるかわからない以上は急いで行動したほうがいい。主義者として何か計画を立てているに違いないブラハムをけん制する意味も込めて、アレスタ、お前だけでも先に村へ向かってくれないか」
「あ、はい。でも、俺だけでですか?」
「一人で行けと言ったら一人で行くつもりか? できる限り衝突は避けるべきだが、相手の出方次第では向こうで戦闘になるかもしれないんだ。まずはギルドに寄って、事情を説明してからイリシアを連れて行け。二人で肩代わり妖精の件で用事があってエイクに会いに行く振りをして、ブラハムの様子を見に行くんだ」
「わかりました」
「よく言った、アレスタ。まだ彼女とは気まずい関係かもしれないが、そういう状況ではないことぐらいわかってくれたらしいな」
「……はい」
「俺はいったん一人で雑貨屋に戻って、ケチなあいつから情報を引き出してくる。そしてサラの馬車にでも乗せてもらって追いかけることにしよう。……ああ、危うく存在を忘れるところだったが、隠し事が苦手で足手まといになりかねないニックにはギルドの留守番でもさせておけ」
そして一人で情報屋に向かったサツキと別れたアレスタはギルドに戻り、ぎこちないながらもイリシアに事情を説明して、二人でリンドルに急いだ。
久しぶりに彼女と二人きりになった村への道中は気まずくて仕方がなかったけれど、今は余計なことを考えず、リンドルへと急がねばなるまい。




