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治癒魔法使いアレスタ  作者: 一天草莽
第二章 君のために
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12 二人のこと

 それから、どうしてだろう。アレスタとイリシアの関係は気まずくなってしまった。


 ――俺は何も気にしていないから大丈夫ですよ。


 とアレスタは彼女に自分の気持ちを伝えたものの、どうにも気に病んでいるらしいイリシアから精神的な距離を置かれてしまったのである。

 ギルドでアレスタと顔を合わせるたび、彼女は「すみません」などと言って顔をうつむかせるか、あるいは寂しげに背を向けて立ち去ってしまうのだ。

 数日後、とある夜のことだ。

 このままではいけない。ゆっくり顔を合わせることさえ満足にできない現状をなんとかしようと、一人で策を講じたアレスタは彼女の部屋の前に立って、閉ざされている扉越しにイリシアへ話しかけることにした。

 威圧感を与えないように優しくノックをして、声を掛ける。


「ねぇ、イリシアさん。ドアは開けなくてもいいですから、ここでちょっと話せませんか?」


 すぐに反応はない。

 なので、部屋の中に彼女がいるのかどうかもわからない。

 けれど根気強く待っていると、息を潜めるような足音があって、扉一枚を隔てた向こう側で気配が止まる。


「イリシアさん?」


 扉越しに立っているであろう彼女は言葉を選んでいるのか、かすかに聞こえてきたのは息遣いのみだ。

 それでもアレスタは静かに待つ。

 かろうじて聞こえてきたイリシアのか細い声は頼りなく震えて、今にも消えてしまいそうな語尾まで全部、すっかり悲しみで染まっていた。


「……合わせる顔がなくて」


 ――だから、ここは開けられない。


 ――だから、顔を合わせて会話することもできない。


 そんなことないのに、彼女は考えすぎなのだ。

 だから適当な言葉ではなく、正直な気持ちでアレスタは答えた。


「難しいことは考えなくてもいいんです。無理をしなくても、申し訳なさそうな顔をしなくても、いつものイリシアさんでいてくれればいいんですよ。今までのままでいいですから、イリシアさんさえよければ、これからもずっと俺たちと一緒にギルドを頑張っていきましょう」


 やはり長い沈黙の時間。

 たっぷり考えたのだろうか、イリシアは答えを搾り出した。


「もちろん、言い出したのは私ですからギルドの運営は手伝います。ですが、やはり今までどおりには……」


「できないことはないと思います。少なくとも俺は大丈夫ですから」


「……いえ、苦しいんです」


「苦しい?」


 何が苦しいのだろう?

 それは彼女の口から教えられた。


「私は今まで、自分のためだけに演技をしてきました。誰にでも優しい振りです。それだけではありません。自分が本当は弱い存在であることを、必死になって騙し続けてきたのです」


「それは違いますよ。実際にイリシアさんは優しかったし、誰よりも強かったじゃありませんか」


「そんなことはありませんよ。だって今の私は、本当の私は……いつまでも震えが止まらないから」


 実際、彼女の声は震えている。

 小さな子供のように、目の前に広がっている不安と恐怖におびえているのかもしれない。


 ……彼女の力になりたい。


 そう思ったアレスタは言葉に力を込めた。


「頼りないのはわかっています。それでも、俺ではイリシアさんの震えを止められませんか? 俺なんかじゃあ、イリシアさんの力にはなれませんか?」


 ずっと待ち続けたが、いつまでもイリシアからの返事はなかった。

 精一杯に励まそうとするあまり、自分にできもしないことを偉そうに問いかけてしまったアレスタにも自信はないのだ。アレスタが力になれるかどうか、それを問われた彼女もわからないのだろう。

 ただ、しばらくすると何度目かの謝罪があった。


「調子に乗ってしまい、申し訳ありませんでした」


「そんなことないですってば……」


 胸が苦しくなってドアに背中を預けて廊下に座り込むと、なんだかアレスタには夜が果てしなく寂しいものに感じられた。

 孤独、不安、恐怖、後悔。

 そういったネガティブな感情やためらいが、あまりに暗くて深い夜には、頼れるものを失ったアレスタたちを容赦なく打ちのめそうと襲い掛かってくるようだった。


 ――ねぇ、イリシアさん。君もそこに座っているのかな?


 彼女を慰める答えが見つからないアレスタは逃げるように自分の膝へと顔をうずめて、そのまま遠い夢に落ちていくのだった。





 数日後、くたびれた顔をするサツキがギルドにやって来た。サツキとアレスタが顔を合わせなかったのはたった数日程度だが、ずいぶんと久しぶりの再会に感じられた。

 いつもの挨拶をしてから簡単な近況報告を経て、雑談へと移る。


「新しい制服を着ているのは初めて見たが、よく似合ってるじゃないか」


「はい。まあ……」


 その会話の流れの中で気にかかったのだろう。

 微妙に距離を置いているアレスタとイリシアの浮かない顔を見比べて、サツキはすっかり心配した様子でいる。


「どうした? 何かあったのか?」


「それが……」


 可能であれば誰かに相談したかったのでアレスタは事情を説明しようとしたが、うまく言葉が続かない。

 イリシアの手前、ここでは言いにくいのだ。


「ちょっと前から二人とも調子が悪いみたいなんだ。どっちも言いにくそうにしているから、たぶん便秘じゃないかな?」


「違うだろ。お前は馬鹿なんだから永遠に黙ってろ」


 いつの間にか隣に座っていたニックの的外れな見解に苛立ったのか、むっとしたサツキは能天気に笑うニックをうっとうしそうに小突いた。

 アレスタとイリシアが距離を感じるようになった翌日からギルドにいたものの、その天然さと鈍感さで二人の異変にはなかなか気づかなかったニックだが、どんな時でも能天気な彼がいてくれたおかげで雰囲気があまり深刻にならなかったため、正直なところ助かっているのも事実だ。


「それはそれとして――」


 二人の間に生じている問題の詳しい事情はさておき、大体の状況を察したらしいサツキはアレスタにそっと耳打ちする。


「外を歩きながら話そうか」


「はい、お願いします」


 ここは悩みを聞いてもらうしかない。

 そう思ったアレスタは立ち上がったサツキに促され、イリシアとニックを残して外へ出る。


「いい天気だな」


「ですね……」


 うじうじと悩むアレスタの沈んだ気分とは裏腹に、外はよく晴れていた。

 すれ違う人々も活気にあふれ、いつものベアマークがそこにあった。

 なんだか途端に世界から取り残された気がして、危うくアレスタは涙を流してしまいそうになる。サツキを心配させるわけにはいかないと懸命に目を拭って、イリシアが見せた切ない表情を思い出す。

 悩んでいるのは彼女も同じなのだ。馬鹿みたいに一人で悲しんでいる場合じゃない。

 感情を高ぶらせる前に、理性を働かせなければ。

 そう考えたアレスタにサツキが問いかける。


「さて、アレスタ。ここまで離れれば話を聞かれる心配はないだろう。俺にも言える範囲でいいから教えてくれよ」


「わかりました」


 あてもなく街を歩きながら、アレスタはサツキにこの前の出来事をかいつまんで説明した。

 あれほど正義感の強いイリシアが、どうして騎士を辞めてまでギルドの設立を手伝ってくれたのか。

 出会ったばかりのアレスタのことを、なぜ熱心に気にかけてくれたのか。

 つまり、イリシアの父であるカイナのことや、十年前にリンドルを襲ったというデビルスネークのことなどを簡単に伝えたのだ。


「なるほどね。やけにお人よしだとは思っていたが、そういう理由があったのか。イリシアがお前の治癒魔法に期待していたとはな」


「そのことはいいんですが、どうやら彼女は俺に対して申し訳なく思っているみたいで、ずっと悩んでいるようなのです。だから俺、どうしたらいいのかわからなくて……」


 親身になって相談に乗ってくれているのだろう、適当に答えるわけにもいかないのかサツキは腕を組んで考え込んだ。

 そして、しばらく歩いてから口を開く。


「その答えを見つけるのは難しいだろうが、いつかお前とイリシアの間で導き出すことが出来るはずさ。アレスタ、残念だが部外者である俺には正しい答えを教えてやることは出来ない」


「……はい」


「彼女は強くて頼りがいがあるし、優しいし、なによりお前のために一生懸命だったからな。実はお前に親切にしていた理由があったと聞かされれば、意外なだけじゃなくて残念に思う気持ちもあるだろう」


「……ですね。それは否定はできません」


「……だけどな、アレスタ。もしもイリシアに距離を置かれてショックを受けているのなら、それは今まで浮かれていたお前が悪い。たいした理由もなく彼女から信頼や好意を向けられていて当然だと、どこかでイリシアに甘えていたんじゃないのか? 未熟だとしても、治癒魔法が使える自分は特別な存在だとかさ」


「それは……」


 アレスタには彼の言葉を否定することが出来なかった。

 思えばアレスタはずっとイリシアに頼りきりで、その優しさに甘えてきたのだろう。

 今回のことで悩んでいるのだって、どうせ自分は彼女のために何もしてあげることが出来ないと、本心ではそう思っていたからに違いない。

 情けない話だ。

 一人の人間として悔しさもあり、無力さを痛感したアレスタは唇を噛み締めた。

 そんな様子を見ながら、諭すようにサツキが声をかける。


「新しく始めたギルドの頼もしい仲間としてか、それとも相談に乗ってくれる優しい友人としてか、あるいは将来の恋人候補として彼女との関係を大切にしていたのか、本当のところは知らないが――」


 そしてゆっくりとした動作で、サツキはアレスタの胸に指を突きつけた。


「アレスタ、それでお前は彼女のために何かしてあげていたのか? たった一度でいい、友達として、仲間として、本気でイリシアを支えてやれたのか?」


「……俺は、何も」


 彼女のために役立つことを、おそらく何一つとしてやれていない。

 冷静になって振り返ればわかる。アレスタは彼女と初めて出会ったころから、ずっとイリシアに助けてもらってばかりだった。

 今の今まで甘え続けて、誰にも相談できずに一人で悩んでいた彼女を苦しめていただけなのだ。

 サツキは言う。


「だからって必要以上に気に病む必要はないだろう。責めるような言い方をしてしまったが、少なくとも俺はお前を責めるつもりはない。人のことを言えるような人間じゃないからな。だいたい、この世に生きる人間なんてものは、みんな自分勝手な部分を持っているものなのさ。こう言っちゃなんだが、自分勝手な都合で世界を解釈しようとする奴ばかりだからな」


「ですが……」


「心配するな。今までの関係が変わることがあっても、それで終わるわけじゃない。これから新しい付き合い方を考えていけばいいだけさ。とりあえず彼女はこれからもギルドの仕事を続けてくれるんだろ? だったら少しずつでもいいから彼女の力になってやれ。人間関係の基本は些細なことの積み重ねで構築されるものだからな。問題を解決しようと思って慌てて何かやろうとしたって逆効果になりかねないぜ」


「サツキさん……」


 彼なりの励ましの言葉だ。優しさだけではなかったかもしれないけれど、その言葉はアレスタにとって頼もしくて嬉しくて仕方がなかった。

 もちろん最終的な解決方法は自分で探し出さねばならないが、一人で悩まずサツキに話を聞いてもらったのは正解だったろう。結局のところ問題は何も解決していないけれど、アレスタは少しだけ前向きになれた気がした。


「……と、いつの間にかここまで来ちまったのか。会話に夢中になりすぎたな」


 疲れたようにサツキが言い、アレスタは顔を上げた。

 どこかと思えばオーガンの雑貨屋だ。


「アレスタ、ついでだから寄っていこうぜ。ここの店主の間抜け面を見れば、いい気分転換になるかもしれない。つっても、俺はあいつのこと嫌いだけどな」


「あはは……」


 あまり気乗りしないのがアレスタの本音だが、確かに気分転換は必要だろう。

 心機一転を図って、二人は雑貨屋に入るのだった。

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