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治癒魔法使いアレスタ  作者: 一天草莽
第二章 君のために
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08 風の精霊エアリン

 案内されたエイクの家は二階建ての木造建築で、今ではリンドルの村で唯一経営しているという老舗の薬屋だった。聞けば、彼の祖母である調合士のアイーシャがほとんど一人で切り盛りしている状態らしい。

 孫であるエイクも祖母を安心させるため薬屋を継ごうと勉強していたそうだが、召喚魔法と薬の調合術では必要となる魔法分野が根本的に異なるため理解するのは難しく、最終的に調合魔法の習得は挫折してしまったようだ。

 現在は召喚魔法を中心に勉強しながら自警団の活動をし、その合間に薬屋の仕事を邪魔にならない程度で手伝っているという。

 ちなみに自警団の運営費は村の公的資金から捻出されており、団長を務めるエイクの給料は副業をしなくても生活が送れる程度だという。魔物退治や山賊の撃退に災害の対応など、現在ではエイクが一人で危険な仕事すべてを担当しているのだから、もらいすぎという話ではないだろうが。


「さあ、二人とも遠慮せずどうぞ」


「お邪魔します」


 中へは入らずに外側から回り込んでみると、年季を感じさせる建物とは違って裏庭は綺麗に整備されており、想像していたよりも広い土地だった。周囲は山や森に囲まれていて、付近には他の民家が一軒たりとて見当たらない。

 耳を澄ましてみても聞こえてくるのは鳥のさえずりと、時折吹く風が木々の枝や葉をさらさらと揺らす音くらいなもので、どこまでも静かな空間が広がっていた。

 というのも、ちゃんとした理由がある。

 魔法を用いた調合術が失敗した場合に発生する悪影響を少しでも抑えるため、意図的に住宅が密集する場所を避けて薬屋を構えているらしい。危険物を調合する際に発生しかねない悪臭や有毒ガスなどといったものが、薬屋の店舗を覆っている魔術的な結界から漏れる可能性などを考慮しているそうだ。

 持病などがあって薬屋を定期的に利用する人間からすれば集落を離れた土地にあるのは不便だが、かといって利便性だけを重視して安全性を無視するわけにもいかず、なかなか難しい問題である。ひとまずは気軽に足を運べない人々のこともサポートするべく、エイクは時間が許す限り配達業務も行っているようだ。

 そんな話を聞きながらアレスタが裏庭に足を踏み入れると、一人の男性が姿を見せた。


「待ちくたびれたぞ、エイク」


 だぼだぼの薄汚れたコートに、まるで手入れをしていない無精ひげ。

 さりげない身のこなしは無駄のない動きかと思えば、全身から漂う風格は無頓着な自由人という、なんともつかみどころのない男だ。

 エイクの背後にいるアレスタたちの姿を見つけた彼は警戒しているのか、さっと目を細めつつ、素早い動作でコートの内ポケットに右手を入れた。表面上はいかにも友好的な笑顔を浮かべながら、わざとらしく足音を立てて三人に近づいてくる。


「見かけない顔だが、彼らは? 薬を買いに来たようには見えないが」


 問いかけられたエイクが代表して二人を紹介する。


「ベアマーク騎士のサラと、同じくベアマークのギルドで働いているというアレスタさんです。僕に用事があったようなので、それならと思って招待しました」


「ほほう? しかし帝国にギルドなんてあったかな?」


「なんでも新しく始めたらしいですよ。……ねえ?」


「ええ、そうなんです。依頼があったら喜んでお引き受けしますよ」


 にこやかに営業スマイルを浮かべたアレスタの顔を見た男はろくに返事をせず、最低限の礼儀として愛想笑いをするばかりだ。悲しいことに信用されていないらしい。

 開業したばかりで実績のないギルドなど胡散臭いだけなので、話半分に聞き流すような反応も無理はないが。

 これからの活躍次第で評判も変わってくるだろうと、アレスタは改めて身を引き締めた。

 そんなやり取りをしているアレスタたちの横では、少し怪訝な顔をしたサラが小声でエイクに耳打ちする。


「あのエイクさん、こちらの方は?」


「そうだね、僕のほうから二人に紹介するよ。彼はこの村に滞在している魔法学者の方で、ブラハムさんというんだ。今は善意の自警団顧問として、僕の召喚魔法の師匠をしてくださっているんだよ」


「うむ。彼の言ったとおり、私は魔法学者のブラハムだ。よろしく頼む」


 そう言ってブラハムは自然に右手を差し出す。おそらく握手を求めているのだ。初対面の二人へ向けていた先ほどの警戒心はすでに消え去っており、意外に社交的で気さくな人間なのかもしれない。

 騎士としての礼儀や習慣なのか、まずはサラが嫌味のない笑顔で握手に答える。

 すると彼女の手を握った直後、いきなりブラハムがつぶいた。


「なるほど、君は光を操る魔法が得意なんじゃないかな?」


「……はい。もしかして、あなたは手を触っただけでわかるのですか?」


「少しくらいなら、ね」


 さすが魔法学者を名乗るだけはある。

 人当たりのいい照れ笑いを浮かべて謙遜してはいるが、握手しただけで相手の魔法を見破るのは実際すごいことだ。信じられないものを見るようにサラも目を丸くしている。


「では、君も」


 そして次はアレスタに向かって右手が差し出される。

 その目に特別な感情の色はなく、単なる社交辞令のつもりだろう。

 とはいえ、アレスタは世界でも珍しい存在だという治癒魔法使いである。そんな治癒魔法すら簡単に見破ってしまうのだろうかと、期待と不安に息をのんだアレスタは緊張してブラハムの右手を握り返した。


「ん? これは……」


「どうかしましたか?」


 アレスタの手を握り締めたまま、浮かぬ様子でブラハムは眉を曇らせる。

 すぐには言葉が出てこず、悩んでいるようだ。


「初めての感覚だ。うまく形容できない。……君は魔法使いか?」


 はいかいいえで簡単に答えられるであろう率直な問いを受けて、少し考えてからアレスタは丁寧に答えた。


「申し訳ありませんが、今後とも安全安心なギルド運営を目指す以上、俺の魔法については事情がない限り詳しくお話しすることはできません」


 ……付き合いの浅い人間に対しては、できる限り治癒魔法のことを秘密にする。

 それは、頼れる兄貴分となったサツキにアレスタがアドバイスされたことだった。

 味方となるか、敵となるか。信用を得られるか、敵意を向けられるか。相手がどんな反応をするかわからないから、特別な理由がない限り治癒魔法のことは喋るなとサツキに忠告されていたのだ。

 しかし、たとえアレスタに事情があったとしても、好意的に尋ねてきた相手に対して冷たく答えてしまったのは失礼だったかもしれない。

 そう思ってアレスタが恐縮していると、意外なことにブラハムは感心して力強く頷いた。


「ふむ、そうだな。自分が扱える魔法などは誰が相手であろうと不用意に教えないほうがいい。利用されるか、裏をかかれる。君の対応は間違っていない」


「あ、ありがとうございます」


 さすが魔法学者である。

 きっと彼は魔法そのものに関する幅広い知識だけではなく、魔法によって引き起こされる多種多様なトラブルについても熟知しているのだろう。でなければ自分の魔法を隠すことに対して、これほど好意的な理解をしてくれるはずがない。

 感心したアレスタはブラハムのことを深く尊敬した。

 これから先、もし機会があれば、エイクにならって弟子入りしてみようと考えるアレスタだ。

 珍しい魔法であるため可能性は低いが、もしかすると治癒魔法の特訓方法も知っているかもしれない。


「それよりブラハムさん、早速ですが今から召喚に挑戦しようと思うのですが」


「今日は観客もいることだし、そうしたほうがいいかもしれないな。ふふ、エイクよ。心なしか普段よりやる気に満ちた顔をしているぞ」


「い、いえ……」


 照れたように口では否定しつつ、そばに控えるサラのことをちらりと確認してしまうエイク。どうやらエイクはサラのことを意識しているようだ。

 気になる相手にかっこいいところを見せたいという思春期のような初々しい反応を見せるエイクに、なにやら図鑑のような分厚い書物を開いたブラハムが声をかける。

 こまごまと指図しながら、召喚魔法の手順の確認を求めているのだ。

 安全な場所まで離れて見学するアレスタとサラからは遠くて中身まで見ることは出来ないが、それはエイクが呼び出せる可能性のある召喚獣がたくさん載っている手書きの図鑑であった。

 優秀な祖父が残したという、召喚魔法に関する貴重な書物である。


「さて、とにかく実際に召喚してもらうことにしよう。エイク、今日はこいつに挑戦するんだったな?」


「はい。お願いします」


「よし、では行くぞ」


 短い会話を交わした二人は、裏庭の中央にある広いスペースに出る。

 そして始まる召喚魔法。

 深呼吸をして気持ちを切り替えたエイクが口を開く。


「悠久なる風、世界を流転する大いなる風よ――」


 見守るような表情をしたブラハムが背後に立ち、召喚魔法に挑戦するエイクの背を右手で支えている。何をやっているのか説明してはくれないが、召喚魔法の師匠として魔術的なアシストをしているのだろう。

 呪文のような言葉をブツブツとつぶやきながら精神果樹園を開き、己の精神を統一させていたエイク。

 やがて目を見開くと、右手を真っ直ぐ前へと伸ばした。


「出でよ、風の精霊エアリン!」


 召喚する精霊の名を叫ぶと、エイクの周囲で風の流れが変わった。

 エイクの前方へと、渦を巻くように集まる風。

 高まる魔力。

 そして完成される召喚魔法。


「ンタァ!」


 いかにも元気にあふれ、自身の誕生を喜ぶような幼い声が聞こえた。

 魔力の風が激しく渦巻いた中心点に輝いた光とともに現れたのは、見るからに元気いっぱいな小さい人間の姿をした精霊だ。召喚者であるエイクの目の高さくらいに浮かび、ふわふわと魔力の風に乗って漂っている。

 精霊の背中には、左右に大きく伸びる白い翼があった。

 身にまとった服装は子どもが履くような丈の短いスカート。おへそは隠さず、胸元を覆うように緑色の布が巻かれている。

 風の精霊エアリン。

 それは人間の肩に乗るくらい小さく、愛嬌たっぷりな可愛らしい姿をした使い魔である。

 今までそういった不思議な存在に縁がなかったアレスタは物珍しさに感動する一方、どこか見たことがある妖精の姿に近かったのも事実だ。

 驚いたアレスタは思わず目を見開く。


「この精霊の姿、あの時に見た肩代わり妖精に似ている……」


 みんなに聞こえるように言ったつもりのアレスタであるが、最後まで言い切る前にサラが口を開いた。


「そんなことより可愛いです! ちょっとアレスタさん! エイクさん! それにブラハムさん! この子ったら可愛すぎますよね!」


 小動物のような可愛い精霊を前にして、とろけた表情を見せるサラが好奇心旺盛に目を輝かせていた。

 おかげでアレスタの言葉はかき消されてしまったらしい。

 ふわふわと風に乗るように宙を舞っていたエアリンは周囲を見渡すと、自分の召喚者であるエイクの肩にゆっくりと降下して、そのまま腰をかけて座った。使い魔だが術者に遠慮することはなく、すっかりなついているようだ。

 エイクはその様子を目で追いながら、自分の肩に座ったエアリンの頭を指先でなでて、柔らかく微笑む。


「あはは、ちゃんとサラにエアリンを気に入ってもらえたようでよかった」


「ヨロシク!」


「わぁ! この子、しゃべりましたよっ! よろしくお願いされちゃいました!」


 天真爛漫なしぐさでヨロシクと言って右腕を上げたエアリンと、その小さな右手に人差し指を当てて微笑むサラ。

 精霊と少女が笑い合っている姿は無邪気で微笑ましい光景だ。


「じゃあ、サラ。しばらくエアリンのことをお願いできるかな?」


「任せてください! おいで、エアリン」


「ウン!」


 ちゃんと自分が呼ばれたことを理解したのだろう。風の精霊エアリンはエイクの肩から飛び立つと、手招きに誘われるようにサラのもとへ向かった。

 そしてアレスタたちから少し離れた場所に行き、はしゃぎ始めた二人。それはまるで大きな羽で華麗に舞う一匹の蝶と、それを追いかけて戯れる少女のようだった。

 そんな彼女らの様子をしばらく見守っていたエイクが真面目な顔をしてアレスタへと振り返った。


「ところでアレスタ君。もしかして、さっき肩代わり妖精って言ったかい?」


「言いました、言いました。それはもうはっきりと言いましたよ!」


 先ほどは興奮状態のサラに発言を邪魔されてしまったので、念には念を入れてアレスタは何度も深く頷いた。

 本来、その話が聞きたくて村まで来たのだ。詳しく聞けるチャンスを逃がしてしまってはならない。


「よし、ちょっと待ってくれ」


 記憶の中に何か思い当たったらしく、エイクはパラパラと図鑑をめくる。

 そして目当てのページを見つけたのか、パチンと指を鳴らすと彼は顔を上げた。


「あったあった。たぶんこのテレシィのことじゃないかな?」


「テレシィ?」


「ああ。身体的な痛みとか精神的な苦しみとか、とにかく触れた相手の様々な苦痛を吸収してしまう力を持った妖精さ。ただし、その代わり自分が苦しむことになってしまうっていう、かわいそうな妖精だよ」


「なるほど、まさにそれです!」


 その説明を聞いてアレスタは直感した。

 あの日、激しい風邪に苦しんでいた自分を助けてくれた妖精はテレシィであるに違いない。

 アレスタが確信を持って頷くと、それを見たエイクは遠い目をした。


「テレシィは昔、僕の祖父が生きていたころに召喚した使い魔だよ。もう呼び出した術者がいなくなってしまったのに、まだ消えずに残っているんだなぁ……」


「エイクさんの祖父ですか」


 肩代わり妖精、つまりテレシィを召喚したのはエイクの祖父だったようだ。

 しかし、残念なことに召喚者である彼はすでに他界しているという。

 色々と思うところもあったけれど、ひとまずアレスタは胸に抱いている思いを伝えるべく、何事かを考え込んでいるエイクに声をかけた。


「召喚したのはおじいさんのようですが、よかったらエイクさんにもお礼を言わせてください。あの、本当にありがとうございました。俺はその肩代わり妖精のテレシィに、風邪で苦しんでいるところを助けてもらったんです」


 感謝を込めて深く頭を下げると、それを見たエイクは明るく笑った。


「ははは、僕は何もしていないよ。お礼なら直接テレシィに言ってやってくれ。きっと喜ぶよ。妖精にだって心があるからね」


「はい、それはもちろんです。エイクさん、実はそのために今日はリンドルまでやって来たのですが……」


「ははん、つまり君はこの村にテレシィを探しに来たってわけか」


「その通りです。サラさんにエイクさんが詳しく知っているとお聞きして……」


 そう言ったアレスタはすがるようにエイクを見つめる。

 するとエイクは考え込むように腕を組んだ。


「祖父が召喚したテレシィだけど、どうやら今でも魔力の流れに乗ってリンドルやベアマークを行ったり来たりして、人々の間で噂になっているようだね。なんでも、苦しむ人のところにやってきて助けてくれる不思議な妖精だって。僕も何度か村人から噂話を聞いたことがあるけれど、残念ながら実際にこの目で見たことはないんだよ」


「そうでしたか。でも、この村でもテレシィの存在が噂になっているのなら、目撃情報などを尋ねて回れば何か情報が得られるかもしれませんね」


「うん、それがいいかもしれない。何かわかったら僕にも教えてくれ」


「もちろんです」


「……すまない、ちょっといいだろうか?」


 アレスタとエイクがテレシィのことで話し込んでいると、二人の会話の中に出てきた「噂」という単語に反応したらしく、それまで黙って聞いていたブラハムが言いにくそうに切り出した。


「私は魔法学者として、この地の危険を未然に防ぐため調査しているのだが……」


 そのように堅苦しく前置きされてしまうと、二人も真面目に聞かずにはいられない。

 背筋を伸ばしたアレスタとエイクは二人そろってブラハムに真剣な目を向ける。

 それを確認したブラハムも姿勢を正した。


「いい機会だから、ここで君たちにも尋ねておきたいのだ。デビルスネークという魔獣のことを聞いたことはないかな? この村で人々の噂になっているそうだが、どうやら魔術的な情報規制が張られているらしく、誰も教えてくれないのだよ」


「……あっ」


「エイクさん、大丈夫ですか?」


 ブラハムが言い終わると同時、立ちくらみのようにふらりとバランスを崩してしまったエイク。いつからそこにいたのか、その異変にいち早く勘付いたサラが心配して彼に寄り添う。

 もちろんエアリンも一緒である。


「う、うん……」


 気分が優れないのか、声に覇気がなくなったエイクは顔色もよくない。


「すみません。話の途中ですが、私とエイクさんは少し席を外します」


「わかりました。俺はこのままブラハムさんの話を聞いておきます」


 体調を崩したらしいエイクに肩を貸して、サラとエアリンは彼を休ませるためにアレスタのもとを離れていった。きっとどこかにゆっくりと落ち着ける場所があるのだろう。

 一方、残されたアレスタにはブラハムの視線が突き刺さる。


「アレスタと言ったね? どうやら君には心当たりがあるようだ」


「確かに、どこかで聞いたような話ではありますが……」


 デビルスネーク。その名前をアレスタはどこかで聞いたことがある気がした。

 必死に思い出そうと頭をひねっていると、ブラハムが一歩踏み込む。


「君はベアマークでギルドをやっているんだったかな?」


「はい、どんな依頼でも受け付ける便利屋ギルドです」


「ならば私から正式にギルドへ依頼しよう。デビルスネークに関する詳細な調査を願う。謝礼なら――」


「おっと、お金は結構ですとも」


 詳しい事情は知らないが、魔法学者のブラハムは村の危険を未然に防ぐため、デビルスネークと呼ばれる魔獣の調査をしているらしい。しかも聞いたところによれば善意でリンドル自警団の顧問になり、エイクの師匠としても精力的に行動しているときた。

 自分よりも人のために行動しているブラハムの頼みであるなら、むしろこちらから率先して協力を願い出るべきだろう。

 そう思ったアレスタは依頼料を受け取らない決心をしたのだ。


「そうか。それなら君の好意に甘えさせてもらおう。……頼めるか?」


「ええ、お任せください」


 全身全霊、とにかくアレスタは力強く頷いた。





 デビルスネークについて話すアレスタたちから離れ、彼らの会話が完全に聞こえなくなった場所まで来て腰を下ろしたサラとエイク。

 風の精霊エアリンは心配した様子で二人の頭上を飛んでいた。


「エイクさん、大丈夫ですか?」


「ああ、ごめん。迷惑をかけたね」


「いえ、迷惑だなんてそんな……」


 慌てて首を横に振ったサラ。しばらく口を閉ざして次に出すべき言葉を選んだあと、すっかり落ち込んでいるらしいエイクへと思い切ったように尋ねる。


「あの人が言っていたデビルスネークって、十年くらい前に今はふさがれた大空洞を通って地下深くから姿を現し、このリンドルを襲ったという怪物のことですよね? エイクさん、その名前を聞いて、とても苦しそうにしていたから……。もしかして、昔のことを思い出して?」


「うん、そうかもしれない。なにしろ僕の祖父と両親はその怪物に殺されたから。ショックが大きかったのか、その時のことは詳しくは覚えていないけど……」


「当時の事件に関しては迅速に対処した騎士団によって魔術的な情報規制が実施されているので、意図的に記憶を封印されている可能性がありますね。どうやら他の村人の方々も、はっきりとは事件のことを覚えていないようですし」


「うん、それが何を意味するのか僕にはわからないけれど」


 途端、思いつめた表情を見せるエイク。

 悩める彼を黙ったまま見ていられなかったのは、心優しいサラである。


「私、やっぱり心配です。だってエイクさん、いつも一人で無茶をするから」


「危険も多い自警団の活動は大変だからね。穏やかな人間が多い村のみんなに自警団への加入を強制するわけにはいかないし、どうしたって僕が頑張るしかないのさ。そりゃ無茶もする」


「で、でもっ」


「ううん、大丈夫だよサラ。これからは一人でもやっていけるように、今はブラハムさんのもとで召喚魔法を修行しているから」


 言って、サラの頭に右手を乗せるエイク。

 心配してくれる彼女を安心させるためか、爽やかに笑っている。

 それが無理をしてのものだと受け取ったサラは、自分の膝の上に乗せていたこぶしをギュッと握り締める。

 そして彼女は勇気を振り絞って口を開き、顔を向き合わせたエイクの瞳に自分の瞳を覗き込ませる。


「もしもエイクさんが必要としてくれるなら、私、リンドル自警団の一員として……」


 けれど、やはり面と向かって言ってしまうのが恥ずかしいのか、その先を明確な言葉にすることができずにサラは目を伏せてしまう。美しい金髪によって隠されてはいるが、その下の表情は恋する乙女そのものである。

 顔の火照った彼女の隣に腰をかけるエイクもまた、このときばかりはサラと同じように極度の緊張による赤面を隠しきれず、かろうじて搾り出すようにして言葉を探した。


「ねぇサラ、君は隊長に昇進したんだったよね?」


「は、はい。でも、あくまでも小さな部隊の一つで――」


「だったら君を祝って、僕からプレゼントがある」


「……え?」


 なんだろうと思って首を傾げた彼女の顔の前に、そっと上向きにして差し出された彼の右手。

 おそらくエイクが視線で呼んだのだろう。その右手の上に、飛び疲れて羽を休めた精霊エアリンがちょこんと座りこんだ。


「エアリン、召喚者である僕からのお願いだ。いつも彼女のそばにいて、村を離れられない僕の代わりにサラを守ってくれ」


「ウン、マカセテ!」


 エイクの手のひらの上で力強く頷いたエアリンは立ち上がり、そのまま抱きつくようにサラの胸へ飛び込んだ。


「ボク、サラ、マモル!」


 そう言いながらギュッと顔をうずめてくるエアリンに、思わずサラは頬を緩める。


「ふふ、エアリンったら女の子なのにボクですって。なんだかエイクさんみたい。真似をしているんですね、きっと」


 それを聞き、おどけて肩をすくめるエイク。


「ひどいなあ、サラは。僕はもっと男らしいよ」


「……わかっています」


 切なさを浮かべて笑顔を隠したサラは風の精霊エアリンを胸に抱きながら、真っ直ぐにエイクの瞳を見つめた。

 言葉を使わず懸命に何かを伝えようとする彼女の真剣なまなざしは、おどけていた彼の心にも真剣さを呼び起こす。

 一瞬の静寂があり、それを包むように優しい風が吹いた。

 瞳と瞳が重なり、二人の想いが交差する。


「だって私、エイクさんのこと――」


「待って、サラ。その先は言わずに目を閉じて」


「……はい」


 リンドル自警団のリーダーであるエイクと騎士のサラは、一年ほど前に初めて顔を合わせたそのときから、いくつもの多彩な任務を共に乗り越えてきた。他の自警団メンバーとは精神的な距離を置いて孤立していた彼と、最年少かつ新人で不安ばかりだった当時のサラは、とても馬が合ったらしい。

 これまでに何度も背中を預けあったことがあるし、時には互いの悩みを語り合ったこともあるし、またある時は意見が対立して喧嘩をしたことだってある。

 しかし恋愛経験のない二人のことだ。それが恋心と気づいたときには頬を赤らめただけでは収まらない恥じらいを覚えた。そしてそれを二人とも心では自覚していながら、ついに今日まで明確な一歩を踏み出すことが出来なかった。

 知らず知らずのうち、いつしか彼らは惹かれあっていたのである。

 お互いに尊敬し、大切な想いを寄せ、そんな風にして初恋は二人の胸の中で膨らみ続けて、いつだって相手のことを意識せずにはいられなかった。

 けれど、きっと二人はこのときほどお互いの存在を強く感じたことはないだろう。


「アツイヨ……」


 サラの胸元に優しく抱かれたまま間に挟まれたエアリンがあきれるほどに熱く、二人は言葉もなく夢を語り合うのだった。

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