07 いざリンドルへ
思い返せばアレスタにとって、ベアマークから馬車で半日程度の距離にある農村リンドルは久しぶりの訪問となる。
育ての親であったカーターとの一件が決着して以来、ベアマークで新しくギルドを開設することとなったアレスタは仕事で忙しく、かといって暇な日は休息のために寝て過ごすことが多く、特に用事のないリンドルまで足を運ぶこともなかった。
しかし田舎で育ったアレスタにとって、この村の雰囲気は都会的なベアマークよりも好きだった。ついでにギルドの宣伝をすれば、困っている村人が依頼をくれる可能性だってある。
だからこうしてサラの巡回に同行させてもらったのも、気分転換の意味を含めてよかったのかもしれない。
程よく運動にもなる。
「アレスタさん、ギルドのほうは大丈夫なのですか?」
「たぶん大丈夫ですよ。何を任せても優秀なイリシアが残ってくれましたし、やる気に満ちているマフティスさんもいますからね。ニックは……問題さえ起こさなければ」
「起こしそうですけどね、あの兄ですから」
「んー。それにしてもサラさんとこうして二人きりで遠出するのって、これが初めてですよね? サラさんは真面目でしっかりしていますけど、騎士にしては素直で年相応に可愛いところもあるから、俺は気楽で助かります」
「ううむ、私は少し緊張しているのですが……。気にしすぎでしょうか?」
「あはは、ほかの人はともかく俺なんかに気を遣う必要はないですよ。むしろどーんと頼ってきてくれていいですから」
「ふふ、ありがとうございます」
緊張がほぐれたのかサラは安心して笑ったようだが、不思議と頼りにされている感じが全然しない。
今でこそギルドの一員として活動を始めたアレスタだが、ベアマークに来てからというもの、どちらかといえば周りの世話になりっぱなしだった。だから頼りないのも仕方ないのかもしれない。
そもそもアレスタが唯一使うことのできる治癒魔法も、現時点では自分にしか効果のない中途半端な魔法である。それでいてサラに頼りにされたいと思うこと自体が間違っているだろう。
なにしろ彼女はすでに一部隊の隊長を任されている立派な騎士なのだ。
今日だって本来なら自分の部下を引き連れてリンドルへ巡回するはずだったところを、色々と気を回してアレスタのために時間を作ってくれたのである。
なんでも、彼女の部下たちは一時的に別行動をして、かつて山賊のアジトがあった方面の見回りに行っているらしい。被害は減ったもののリンドルの周囲には依然として山賊が確認されているらしく、その対処に騎士団は忙しくて仕方がないらしいのだ。
「ここ最近はリンドル方面への巡回も強化していますが、まだまだ万全と呼べる状況ではありません。今後のことを考えると、常駐の騎士団支部を村に設置することも考えないといけないかもしれませんね」
「やっぱり騎士も大変なんですね」
「いえいえ、そんなそんな。騎士団ばかりじゃなくてアレスタさんのギルドだって、これからもっと忙しくなると思いますよ。評判もいいみたいじゃないですか」
「うーん、どうでしょう?」
ギルドの仕事が忙しいといっても、そのほとんどが逃げ出したペットの捜索や人探し、荷物の配達といった小さな依頼ばかりだ。
それでも困っている人々の役に立てているという実感を得られるのだが、現実問題として依頼料も安く、収入面では厳しいことも否定できない。
いつかは帝国全土に名を響かせる巨大なギルドに成長させたいものだが、その前に資金繰りが行き詰って廃業してしまいかねないくらいだ。
ついついネガティブな考えが頭を支配して、ため息を漏らしそうになったアレスタ。
だが、今はサラの前だということを思い出してこらえた。
お世辞であったとしても、自分よりも年下である彼女が気を遣ってくれたのだ。ここはせめて期待に答えるつもりで笑っておくことにしよう。
「あはは……」
お互いに愛想笑いが苦手なのか、気まずそうに顔を見合わせて苦笑する二人。
「――っと」
「あ、大丈夫ですか?」
足元から目をそらしたせいで何かにつまずいたらしく、すぐ隣を歩いていたサラはバランスを崩した。
とっさに手を差し出したアレスタは転んでしまう前に彼女の肩を支える。
「これは……なんだろう? 獣の足跡かな?」
何につまずいたのか確認してみると、少し柔らかい地面にいくつもの穴が開いていた。
点々と続いている穴の深さや大きさなどから推測すると、比較的重量のある四足獣の足跡だろう。
二人で立ち止まり、相談するように顔を合わせているときだ。
「きゃあああ!」
と、恐怖に彩られた叫び声が響いてきた。
地面に残る巨大な獣の足跡、そして足跡が向かう先から聞こえてきた悲鳴。
状況から察する限り、ただ事ではないらしい。
「行きましょう、サラさん!」
「もちろんです!」
即座に反応したアレスタとサラは、地面に残された足跡を追って駆け出した。
「あ、あれはっ!」
たどり着いた場所にいたのは、巨大なイノシシ型の魔物だ。
先ほどの叫び声を出した人物なのだろう、やや興奮状態にある魔物の視線の先にはおびえる女性の姿がある。
「アレスタさん、気をつけてください。あれは人を襲う凶暴な魔物、ワイルドボアです」
「見た目からして強そうです! だけどあの女性が今にも襲われかねません! ここは俺たちでなんとかしましょう!」
叫びながらもアレスタは手近にあった石を拾って魔物へと投げつける。敵はこちらだとアピールするためだ。自分たちに注意が向いたその隙に女性へと合図を出して、まずはなんとか無事に彼女を逃げさせた。
しかし、今まで狙っていた女性がいきなり逃げ出したことに驚いたのだろう。ワイルドボアは興奮した様子で大きなうなり声を上げた。
鼻息は荒く、ぶるぶると体を震わせ、行き場をなくした闘争心が暴走しかかっている。
あのままではアレスタたちの静止を振りきって村の中に入り込み、被害が拡大してしまいかねない。なんとしてもここで止めなければならないだろう。
そんなことを考えつつも、実際には何もできずにいたアレスタ。対策に困って動きが止まってしまった彼の隣でためらいなくサラは剣を抜き、魔物に向かって歩み出た。
「私が仕留めます。アレスタさんは下がってください!」
そして精神果樹園を開いた彼女は得意の魔法を発動させる。
いつでも切りかかれるよう右手に低く剣を構えたまま、全身を震わせて威嚇する魔物に向かって、何も握りしめていない左手をまっすぐ掲げる。
鋭く伸ばした彼女の指先が、敵の視界を奪うために強力な光を放つ。
だが――。
「グギャアアアア!」
「……くっ!」
魔法による強烈な閃光を浴びてもなお、ワイルドボアはサラへの突進攻撃を繰り出した。ベアマークで開催された記念祭の時に対処した馬型の魔物とは違い、まぶしい光に怯んだ様子もない。
まっすぐ彼女に向かって突き進む姿にためらいはなく、容赦なく殺しにかかっている。
いっそ愚直にも感じられた猛突進をかろうじて飛び退けたサラは息を弾ませ、すぐ脇を駆け抜けたワイルドボアを目で追って振り返る。
どしんどしんと揺れる大地、砂埃を巻き上げつつ舞い上がる風。
巨大な魔物が走り抜けたあとには、スコップで掘り返したような足跡がいくつも残されるほどの重量感。
「サラさん、大丈夫ですかっ? 光魔法の効果がなかったみたいですけど!」
「そうですね、魔物はその特殊な性質上、強い魔力に反応して集まってくる場合があるのです。目だけに頼らず全身を使って敏感に魔力を感じ取ることで、周囲の位置情報を獲得できるという話もあります」
「じゃ、じゃあ?」
「魔力を頼りに私たちを狙ってくるのなら、視界をふさぐ光による足止めは期待できないでしょう。それに、魔力だけでなく恒星の輝きを精神果樹園に蓄える必要がある私の光魔法は、そう何度も連発できるようなものでもないので」
サラは強く剣を握り締める。
魔法の光を放っても効果がないとわかり、ならば剣のみで戦おうと覚悟を決めたのだろう。
走り抜けた先で急にはスピードを落とせなかったらしく、アレスタたちから離れた場所でようやく立ち止まったワイルドボアが大回りで弧を描くように反転して、再び突撃を試みようと顔を向けてくる。
地面を前足でかき上げ、ゆっくりと助走をつけ始める。
「……ですが、私の武器は魔法だけではありません!」
精一杯に宣言したサラは両手で剣を握り、正面に構えてワイルドボアを待ち受ける。
口を固く結び、その目は魔物から決して離さない。
けれど一方で、彼女のそばにいたアレスタには別の表情も見えた。彼女が勇ましく構える剣先が、わずかに震えていたのだ。
小さく息を呑んだそれは緊張感か。
おそらくサラは恐怖心を抱いてもいるのだろう。
責任ある一人の騎士として、村に危害を加えかねない魔物を退治しなければならないという使命感に縛られているのだ。
もしアレスタに完璧な治癒魔法が使えたなら、魔物に立ち向かうサラの力になれたに違いない。
……いや、そうじゃない。
今のアレスタにだって何もできないわけじゃない。
激しい思いに駆り立てられ、アレスタは強く歯を食いしばった。
「まずは俺がおとりになります! サラさんはその隙に攻撃してください!」
「い、いけません! 騎士が、守るべき民間人をおとりに使うだなんて!」
確かにサラは騎士かもしれないが、そうであったとしても十代の少女だ。
好戦的に暴れ狂う魔物を間近にすれば、恐怖で足がすくんでしまうのだって当たり前だ。
「どーんと頼ってきてくれていいって、そう言いましたからね!」
気取った感じに親指を立てて自分は大丈夫だとアピールすると、鼻息を荒くする魔物へとアレスタは走り出した。
「アレスタさん! そんな、無茶です!」
「大丈夫! どんなに相手が強くたって簡単には死にませんから!」
自分でも無茶をやっているという自覚はある。
しかし、それもやむを得ない。アレスタが使える治癒魔法は自分にしか効果がないのだから、こうやっておとりになるしかないのだ。
突っ走ってワイルドボアの正面へ出ると、意図的に魔物の標的になるような場所で立ち止まり、アレスタは次に使うであろう治癒魔法のため精神果樹園を開いて意識を集中させる。
対するワイルドボアは自分に近づいてきたアレスタの姿を確認して改めて興奮したのか、上半身ごと前足を持ち上げてから勢いよく落とし、威嚇するように大地を鳴らした。
……来る!
そうアレスタが覚悟を決めたときだった。
ワイルドボアの突進に対して身構えたアレスタの前へと一人の青年が飛び出してきて、勇ましく叫んだ。
「ヴォルフ、奴を仕留めろ!」
「ガウガウッ!」
突如として現れた青年の掛け声に反応して飛び出したのは、美しい毛並みをした三匹の狼だ。どうやら彼の指示に従っているようだが、その三匹の狼もアレスタの目には危険な魔物にしか見えない。
けれど、堂々と立つ青年の声にためらいはない。
「連携して攻撃しろ! 敵に隙を与えるな!」
引き続いて出された青年の指示を受けて、三匹の魔物は互いに連携をとりながらワイルドボアに次々と襲い掛かる。
魔物化した狼であるヴォルフに対してワイルドボアの体躯は三倍以上も大きかったが、さすがのワイルドボアも同時に三匹を相手にすると困惑してしまうらしく、反撃らしい反撃に転じることが出来ずにいた。
それを見て、すかさず青年が叫ぶ。
「まずは足をふさげ! 正面への突進を防ぐため、左右から交互に挑発しろ!」
もちろん三匹は彼の命令に従う。
ワイルドボアは攻撃の対象を一つに絞ることが出来ず、得意の突進攻撃を繰り出せないまま防戦を強いられ、三匹の爪や牙によって足元から崩されていく。
統率が取れているらしく、見とれてしまうほど鮮やかな戦いぶりである。
「とどめは容赦するな! 確実に息の根を止めろ!」
声を張り上げた青年の言葉に三匹も奮い立つ。
暴れ狂うワイルドボアを翻弄して、やがて巨体を持つ魔物は力尽きて地に伏せた。
それを合図に勝利した三匹の雄たけびが響く。
なんとも見事な手際でワイルドボアを退治してしまったのである。
「ありがとう、僕のヴォルフたち。助かったよ」
戦闘のため使役した魔物にねぎらいの笑顔を向けた青年はパチリと指を鳴らした。
すると三匹の狼は霧に包まれたように、たちまち消え去ってしまう。
それを確認した青年は呆然と眺めていた二人へと振り返り、ようやく顔を合わせたアレスタは感謝のつもりで頭を下げる。
「ありがとうございます。助かりました。あ、あの、それにしても今のは……?」
簡単に礼を伝えた後で問いかけてみると、爽やかに肩を揺らして彼は笑った。
「ははは、彼らは僕の使い魔であるヴォルフだよ」
使い魔?
ヴォルフ?
知っていて当然と言わんばかりに説明されたところで、魔法や魔物に関する知識が普通の人よりも少ないアレスタにはピンと来ない言葉だった。
青年の言葉をさっぱり理解できずにアレスタが首をひねっていると、背後にいたサラが慌てた様子で青年のそばに駆け寄った。
「お久しぶりです、エイクさん」
「やあ、こうして顔を合わせるのは久しぶりだね。いつもいつも、こんな遠くの村まで巡回ありがとう、サラ」
「いえいえ、これも大事な任務ですから」
友達のように慣れ親しんだ口ぶりからすると、どうやら二人は知り合いらしい。すっかり打ち解けている様子を見る限り、それなりに付き合いも長いようだ。
なんとなく疎外感を覚えてアレスタが立ち尽くしていると、サラが嬉しそうに振り向いた。
「アレスタさん、私から紹介します。彼はこの村の自警団でリーダーを務めていらっしゃるエイクさんです」
「……といっても、今のリンドル自警団は僕一人になってしまったのだけれどね」
何か深い理由でもあるのか、ぼそりとつぶやいたエイクは自嘲するように笑った。
わずかながら彼の目に後悔や寂しさの色を発見したアレスタは、微妙に重くなった空気を切り替えるつもりで声を出す。
「自警団のリーダーですか、なんだかよくわからないですが格好いいですね。俺はベアマークで開設したばかりのギルドで働いているアレスタです。どうぞ、よろしくお願いします」
「アレスタ君か、こちらこそよろしく」
出会いを記念して二人は握手する。
この村を守る自警団のリーダーなら、ギルドで働くアレスタとしても彼と親しくしておいて損はないだろう。
「ところで、サラさんとはどういったご関係で?」
ぶしつけにアレスタが尋ねると、少し悩んでからエイクは答える。
「リンドルの自警団とベアマークの騎士団は昔から密接な協力関係にあってね。お互いにフォローしあうような形でリンドル一帯の治安維持活動に当たっているのさ」
「はい、ですからベアマーク騎士団に入団してリンドル方面を担当することになった私は、リンドル自警団で団長を務めるエイクさんには新人のころから世話になっているのです。ええと、初めてお会いしたのは一年くらい前でしたか」
「なるほど」
一年ほど前に出会って、それから自警団のリーダーと街の騎士という間柄で協力してきたのだとしたら、なるほど二人は確かな信頼関係を築くことができているのだろう。
三匹の魔物を同時に使役していたから、いったい何者なんだと思ってアレスタは驚いてしまったけれど、人を見る目がありそうなサラが信頼を置く人物なら警戒する必要もないようだ。
自警団のリーダーであるとすれば、少なくとも危険人物ではないだろう。
「そしてですね、アレスタさん――」
ふふんと可愛らしく鼻を鳴らしたサラが、今まで隠していた自慢話を初めて披露するかのように嬉しそうな表情を浮かべる。
「このエイクさんこそ、私が言っていた妖精などに詳しい人物なのですよ。なんと彼は召喚師なのです!」
なぜか得意げなサラは戸惑うエイクの背後に軽やかなステップで回りこむと、遠慮がちな彼の背中を押して前に出す。
どうやらアレスタのために見やすく紹介しているつもりらしい。
キラキラとエイクの背後からオーラみたいなのが出ていると思ったら、なんとサラが微弱な光魔法を使ってエイクの体を輝かせているではないか。なんて芸の細かい演出だろう。
さすがにエイクも照れている。
「それじゃあ、リンドルにいるというサラさんの友人ってエイクさんのことだったんですね? つまり彼に会いに来たってことでいいんですか?」
「はい、その通りです!」
その場でクルリと回ってアレスタにハイタッチするサラ。何が何やらわからないけれど、とても喜んでいるらしい。
いかにも声が弾んでいるのは微笑ましく、普段が真面目な印象であるだけに、今の楽しそうな雰囲気のサラは年相応に可愛らしい姿だ。今までは天と地ほどの違いがあるように感じていたけれど、初めて彼女がニックの妹だということを実感した気がするアレスタである。
はしゃいで乱れてしまった前髪を気にしながら、少し冷静になって自分の言動を恥じらっているサラはエイクに目を向けた。
「それにしてもエイクさん、先ほど使役していたヴォルフは? 初めて見た使い魔ですけれど……」
「実は最近、本格的に召喚魔法の特訓を始めてね。新しく召喚できるようになったんだ」
「そうなんですか?」
「まあね。まだ自慢できるほどではないけれど……。そうだ、これからちょうど新しい召喚に挑戦するところだったんだ。家の裏庭でやるんだけど、よかったら君たちも見学しに来るかい? なにやら僕に聞きたいことがあるみたいだし、話があるのならそこでゆっくりしようじゃないか」
「本当ですか? ぜひお願いしま……あ、アレスタさんはどうされます?」
「あはは、俺もお願いしたいかな」
というわけで、アレスタとサラはエイクの家に向かうことになった。
まずは彼が挑戦するという召喚魔法を見学させてもらって、それから肩代わり妖精のことを教えてもらうのだ。




