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治癒魔法使いアレスタ  作者: 一天草莽
第二章 君のために
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05 村の青年エイク

 リンドルに生まれ育ったエイクは正義感に燃える心優しい青年だ。

 悪を許さぬ性格の彼は人々のために戦う騎士に憧れたこともあり、いつかは自分が世界を救う英雄になるのだという夢を抱いて、おおよそ三歳ごろから自主的な訓練を始めた。今にして思えば子供の遊びのような特訓でしかなかったが、それをただの一日として欠かさなかった。

 たとえば、苦い木の実をすりつぶした粉末をこっそりと食事に混ぜ、「これが正義の鉄槌だ」などと言って悪さばかりする人間を問答無用で懲らしめたこともある。

 あるいは、目に染みる香辛料の粉末や、皮膚に触れるとしばらくかゆみの出る液状の薬品を家の戸棚から持ち出し、言って聞かぬ人間に懲罰として浴びせかけたことも。

 そのような行動の結果か、子供のころから彼は「無認可の薬屋エイク」とか「苦い薬の押し売りエイク」とか呼ばれて距離を置かれ、仲間外れにされてしまうことが多かった。たった一人の家族である祖母はやんちゃをしてばかりだった彼の行動を耳にしても怒るどころか、かえって薬屋の宣伝になると笑って許してくれたものだ。

 いつまでたっても気の許せる仲間が出来ないのは寂しかったけれど、それも己の信念を貫き通したからこそ手に入れた孤高である。

 この世にはびこる悪を成敗する正義の存在は、決して私情で揺れ動いてはならない高潔なものだから、やすやすと俗世間に染まらない彼の人生は誇れるものに違いないと信じて疑わなかった。

 成人して村を守る自警団のリーダーとなったエイクに本当の意味での仲間が一人もいないのは、そういう事情もあってのことだろう。

 より強く、より正しく。

 より過激に、より厳格に。

 エイクは長年の間に積み重ねてきた自己流の信念もあって、まさしく自分が理想とする通りの実直なリーダーを貫いた。

 たとえ軟弱な部下に嫌われようが容赦はしない。村の人間を守るためならばと、自警団の活動に関して手を抜くことなど一度としてなかった。

 定期的な訓練や巡回、そして異変に対する出動。

 それらは団員一人ひとりに対して常に最大のパフォーマンスを求めた。

 いつのころからだろうか。

 あだ名だった「薬屋エイク」が「殺し屋エイク」へと変わり、そうやってエイクに不満を抱いた団員に陰口を叩かれていたと知っても、それがどうしたと、彼らに求める厳しさを緩和した覚えはなかった。

 たるんでいれば叱責し、危機感に乏しければ怒鳴りつけた。

 いつからか耐えられなくなった団員は一人ずつ自警団から去り、次から次へと逃げるように遠ざかっていった。

 自然、リンドル自警団の統率は日増しに失われていったのである。


「エイクさん、ごめんさない。みんなは勝手に帰ってしまいました……」


「そうか」


「それから、実は――」


 その先は言われずとも容易に想像がついた。

 無理もない。今まで何度だって聞いてきた言葉だ。


「お前も今日は帰りたいって言うつもりだろ? いいよ、好きにしてくれ。どうせ二人じゃ何も出来ない」


「はい、それでは失礼します」


 厳格なリーダーの手前、卑屈なまでに腰を低くして去っていく彼は申し訳なさそうに体裁を取り繕ってはいるが、内心では嬉しがっているに違いない。

 見えていないつもりで最後には小走りになって立ち去った彼だけに限らず、この村に暮らす大抵の人間は何かに対する熱意どころか緊張感さえまるでなく、歴史ある自警団の存在意義さえも長い伝統に反比例するように薄れていた。


 ――自分たちはのどかに暮らせればそれでいい。


 ――何かあったら街の騎士団が駆けつけてきてくれる。


 村に生きる老若男女は例外なくそう考えていた。

 高い目標や野心を持つ若者は成人する前にベアマークや帝都へと旅立って、生まれ故郷である村のことなど忘れてしまうばかりだ。

 魔物や山賊の被害、自然災害、事件や事故に、予期せぬ魔法攻撃。

 ベアマークのような都市と違って騎士の巡回が乏しい農村では、かけがえのない平和と自然を維持するためにも、村に常駐して活動する自警団の必要性は高いはずなのだ。

 魔法という不安定な法則が支配する世界において、平穏や安寧といったものは本当の意味では存在し得ないのだから。

 たった一人のたった一つの過ちで、簡単に崩壊の引き金を引いてしまえるのだ。


「ああ、もしも僕に完璧な魔法が使えれば……」


 そうであれば、自然に囲まれた村で暮らす心優しき青年たちに向かって、自分と同じような精神性を求める必要もない。

 根本的に争いを嫌う彼らに対して、自警団の責務を強要することもない。

 もしも完璧な魔法が使えたなら、そのときにはエイクは自分一人の力で悪に立ち向かい、この村をあらゆる脅威から守り抜くことが出来るのだろう。


「……いや、そうやって仮定の話をうじうじと考えていても仕方のないことだ。いい機会だから、ちょっと試してみるか」


 一人きりとなったことで自警団の訓練を中止したエイクは、今日の予定を立て直すためにも家に戻ることにした。

 人口減少とともに、今では村に唯一となった薬屋である。

 日常生活を送る自宅でもある店の扉を開くと、中に客がいないことを確認してから店番をしていた祖母に声をかけた。


「おばあちゃん、倉庫の鍵を借りていくよ」


「はいはい、どうぞどうぞ」


 借りたのは祖母が管理する倉庫の鍵だ。

 なぜかと言えば、今は亡き祖父が残した様々な資料の山を調べるためである。

 およそ十年前に他界したエイクの祖父は、この村どころか帝国でも名を馳せるほど優秀な魔法使いだったと聞いている。しかも単に優秀だっただけではなく、召喚師と呼ばれる珍しい種類の魔法使いだった。

 長年リンドル自警団のリーダーを務めていた祖父は、子供のころからエイクにとって唯一にして最大の目標である。天才ゆえに孤独であったろうが、村の記録に残っている限り、彼は幾度となく村の危機を救ってきたのだ。

 偉大な祖父への尊敬の念を込めた丁寧な手つきで、倉庫に残された大量の文献を読み進めるエイク。

 古ぼけた書物、かすんだ文字、薄暗い照明。

 けれど見つかるのは何度となく繰り返して熟読した文献ばかりだ。そのほとんどは読み返す必要もなく暗記してしまっていた。


「……やっぱり、ここにはもう目新しいものはないみたいだな。何かあるとすれば、やっぱりあの大空洞か。いや、今は埋められて平原になっているけれど」


 村の外れ、深い森の奥にあったという大空洞。今は跡形もなく埋められて広大な平原となっており、普段は村人でさえ近づかない寂れた場所だ。

 祖父の文献の中に、ただ意味深に「通じた場所」とだけ記されている、なんらかの魔力的な意味があると思われる地点。

 村に残されている古い伝承によれば、数百年前、その大空洞を通って凶悪な魔獣が出現したという。

 そして、十年前のあの時も……。

 エイクは村の自警団リーダーにして孤高の守護者であり、優秀だった祖父の血を継いだ魔法使い、それも人外の生命を操る召喚師である。


 ――行くしかない。


 そう思ったエイクは一人、倉庫の鍵を閉めると村を出た。

 もちろん向かう先は森だ。

 村から大空洞があった平原へ続く森の中の道は草木に覆われ、好奇心旺盛なエイクを除けば、今では野生の獣くらいしか通らない。わざわざ足を痛めて行くほどの用事がない村の人間では、この道の存在を知っている者も少ないだろう。

 苦労しつつも道ならぬ道を抜けたエイクは、やがて目当てとする平原の前に到着した。

 とりあえず様子を見に来たものの、魔力的な反応は何も感じられない。

 ここが本当に何か意味のある場所なのか、成長して自警団のリーダーとなった今のエイクにも判断することが出来なかった。


「ただの荒れ果てた平原が広がっているようにしか見えないけど、そんなわけないよな……」


 悔しかった。

 何も理解することができない自分の無力さが情けなくて、悔しくて仕方がなかった。

 優秀な魔法使いである祖父が文献に書き残した大空洞なのだ。たとえ完全に埋められてしまったとはいえ、ここに魔術的な要素が何もないわけがない。

 この場所の魔力的な意味を発見、あるいは感じ取ることができなければ、それはすなわちエイクに魔法の素質がないというだけの話に帰結してしまう。


「大人になった僕は今もなお無力なのか? 実際には成長すら出来ていないのか?」


 ……いや、少し気を改めよう。こんなところまで来て、落ち込んでばかりもいられない。

 気合を入れ直すべくエイクは深呼吸して、自分の頬を思い切り叩いた。

 それはエイクが祖父から受けついだ唯一の魔法、召喚魔法を使うためだ。気持ちで負けていては魔法など使えるわけもない。

 あくまで一般論として述べるなら、現代の魔法使いが魔法を行使するために呪文は必要ない。なぜなら魔法は特別な言葉や儀式じみた動作によって引き起こされる現象ではなく、魔法を使う者の意志によってもたらされる魔力反応であると結論付けられているためだ。

 とはいうものの、古代においては、魔法ごとに決まった呪文や儀式が必要であったらしい。現代において魔法の発動に形式的な呪文や詠唱が必要なくなった経緯については、世界的な使用言語の変化に伴う術者の適応などと言われているが、そんなものは魔法学者が考えた勝手な理屈である。

 魔法を使う際には呪文や動作よりも、術者の作り出すイメージこそが重要であるというだけの話だろう。

 だから修行や経験がものをいう。


「……森に集いし生命の輝きよ、風のように木々を揺らす誇り高きものたちよ!」


 しかし、だからこそ一定の決まりきった言葉や呪文によって、術者の漠然とした魔法イメージを固定化、あるいは細分化しなければならないのだ。

 言葉を使用しない無口な魔法使いは頭の中のイメージばかりが先行してしまい、肝心な場面で魔法が暴発してしまいかねない。


「我が召喚する! さあ、ここに姿を現せ!」


 体の前で右腕を大きく振り払い、術者である自分自身の体を媒介として周囲の魔力を凝縮すると、そのまま投げ飛ばすように前方へと奔流させる。

 ぐるぐると渦を巻いて淡く輝き始める魔力の流れは、やがて収束するように一箇所へと固まり、宣言通りの召喚魔法を実現させる。


「クィック、クィック!」


 召喚魔法が発動した地点で、鳥の鳴き声のような甲高い音が響いた。

 その音を耳にしたエイクは目を閉じて、昔の記憶を思い出す。

 彼の生まれ育った農村リンドルを囲む深い森には、クィックと呼ばれる世界でも珍しい鳥が生息しているとされ、とてもきらびやかな姿をしているという話があった。

 ところがリンドルに暮らす村人たちでさえクィックの姿を見たものは誰一人としておらず、その存在を信じさせるのは森に響く鳴き声ばかりで、ほとんど空想上の存在として語られてきた鳥である。

 というのも、その鳥はとても臆病な性格をしており、しかも目にも留まらぬほど素早く飛ぶことが出来るらしいのだ。

 姿なき鳥、クィック。

 今よりずっと小さかったころ、少年時代のエイクは数人の友人たちと徒党を組んで、まだ薄暗い早朝から森の中へとクィックを探しに出かけたことがある。

 伝説の鳥を見つければ英雄になれる。単純だった彼らはそう信じて疑わなかったのだ。

 けれど、ただの子供が数人で結成した捜索隊。伝説となった鳥の姿を簡単に見つけられるわけがなかった。大人たちから聞いていた通り、クィックと鳴いている声は聞こえてきても、それを発している鳥そのものの姿は見当たらない。

 結局は広い森の中を当てもなく探して一日中ずっと歩き回る羽目となり、すっかりくたびれた仲間たちは一人ずつ捜索を諦めて村へ戻ってしまうのだった。

 それでも諦めの悪いエイクは意地を張っていたのだろう。最終的に一人きりになっても森に残り、最後まで捜索をやめなかった。それが功を奏したのか、すっかり日の暮れたころにエイクはクィックという鳴き声をすぐ耳元で聞くことに成功した。

 一人でいた子供のエイクを心配して寄ってきたのか、手が届くほどの距離。ところが、どんなに目を凝らしてもクィックの姿は見当たらない。声が聞こえるたびに枝や葉が揺れるのは確認できても、そこにクィックの面影は発見できなかった。

 おそらく、その状況から漠然と真実を理解できたのは祖父による教育のおかげだろう。まだまだ幼い少年だった当時のエイクは姿なき鳥の声を聞いているうちに、村に噂されるクィックの伝承すべてを理解した。

 簡単な話である。

 そもそもクィックなんて鳴き声の鳥など最初から存在していない。それは森の木々が鳴らす音だったのだ。

 より正確に言えば、人間の目には見えぬ木々の精が枝で遊んでいる音なのだ。


「クィック、クィックかぁ……。はは、この音も昔から全然変わらないな」


 目を開けて音の発生源へと視線を向けると、そこには枝先で遊ぶ小さな生命の姿があった。

 エイクの発動した召喚魔法が成功して、木々の精霊、クィックを呼び出したのである。

 さて、エイクのような召喚師が発動する召喚魔法には、大まかに分けて二種類あると考えられている。

 一つは、召喚対象となる存在を異界や自分のイメージの中から呼び出して、魔力的に引き寄せて出現させるもの。そしてもう一つは、その場に息づく精霊や妖精など、本来は人の目には見えない存在に対して一時的に物理的な姿を与えるものである。

 後者の魔法は低級魔法であり、エイクのような半端者にも難なく成功させることが出来る。今やったクィックの召喚などもそうだ。

 だが前者、たとえば魔界から魔獣を召喚して使役するような種類の魔法は難易度の高い魔法である。

 ともかく、低級ではあれ召喚魔法が成功して胸をなでおろしたエイクが安堵していたところ、小動物のリスに似た姿をしている木の精霊クィックは枝から飛び降りてきて、そのままエイクの肩に乗ってきた。

 魔法によって召喚された彼らは基本的に術者のことをマスター、つまり親のような存在として慕ってくるのである。とはいえ何事にも例外はあり、あまりに桁違いな魔力を必要とする召喚獣は未熟な術者を敵とみなして襲ってくる場合もある。

 召喚してからしばらく時間が経過すると、術者であるエイクからの魔力の供給が途絶えたのか、肩から頭の上に移動していたクィックの姿が明滅するように消えてしまった。

 なんとも儚いものだが、それも精神果樹園が小さく、行使できる魔力の量が乏しいエイクの限界かもしれない。

 悲しいかな、現状のエイクでは満足に召喚を維持することもできないのだ。


「まあ、いい。成功は成功だ。今は前向きに考えて努力を重ねることが大事なんだ」


 ひとまず低級な精霊であるクィックを召喚できて満足したエイクは、このまま次の段階へ挑戦することにした。

 祖父の文献に記されていた、とある使い魔の召喚である。

 緊張を含みつつ呼吸を整えると、先ほどと同じ要領で召喚魔法を発動させる。


「……召喚、使い魔ヴォルフ!」


 本音を言えばあまり自信はなかったが、発動した召喚魔法によって彼の目の前に一匹の狼が出現した。

 ヴォルフと呼ばれる魔物である。

 心配ではあったものの、どうやら召喚に成功したらしい。ほっとしたエイクはヴォルフをなでようとして右手を伸ばした。

 愛玩動物としてペットにするわけではないけれど、使い魔とのコミュニケーションも大事なことだ。


「ガウガウッ!」


 ところが召喚魔法によって呼び出されたヴォルフの目は鋭くエイクを射抜き、むき出しにされた牙は獲物を求めているようだった。

 吐き出す息は荒く、爪のとがった前足は地面をかき、今にも飛び掛ってきそうな様子である。


「おいおい、嘘だろ」


 一度はヴォルフへ向かって伸ばした右手をすかさず引っ込めると、背筋に冷や汗を垂らしたエイクは足音を立てないようにゆっくりと後ずさる。

 なぜならそこにいたのは従順な使い魔ではなく、術者であるエイクに闘志を見せ付ける魔物、つまり彼の命令が通用しない凶暴な狼だったのだから。


「誰か、助けてくれ!」


 不意を食らったエイクがそう叫ぶしかなかったのも、情けないけれど無理のない話だろう。

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