04 午後のティータイム
その日の午後、気持ちのいい晴天、穏やかな昼下がりのことである。
「いやぁ、遅れてごめんね」
などと、軽い調子で言ってギルドに姿を見せたのはニックだ。
朝から風邪を引いてしまい寝込んでいたアレスタよりも、はるかに寝坊してきたらしいニック。いつもより遅れてというか、すっかり正午過ぎになっている。時計を確認せずとも明らかな遅刻だ。
客がいないからとギルドの一階にある談話スペースで午後のティータイムを満喫していたアレスタとイリシアだったが、かちりと音を鳴らせてカップを置いた。
「来たばかりで悪いけど、今日はもう帰っていいよ」
こんなに遅く来られても、と言いたいアレスタである。
いっそ本当に帰ってもらっても本日のギルド運営に支障はない。
「そう? でもせっかく来たんだから少しくらいは仕事を手伝っていくよ」
遅れてきた言い訳の言葉を口にするわけでもなく、ちっとも悪びれていないところを見ると、どうやらニックには遅刻しているという自覚がないらしい。
それどころか、意外なことに彼は満面の笑顔を見せた。
これにはイリシアも頭を抱えたくなる気分だ。
「ニック……。すでに半日も遅刻しているのだから、少しくらい申し訳なさそうにしたらどうですか」
「少しくらい申し訳なさそうにしたらって……ああ、なるほど。案ずるなかれ、実は僕もティーカップを用意してきた」
ほら、これだよと高らかに右手を掲げ、まるで二人に向かって乾杯するように、わざわざ自宅から持ってきたらしい愛用のティーカップを見せ付けてくるニック。
まさかとは思うが、あえて午後のティータイムの時間を狙ってきたのだろうか。
最初は怒る気でいたアレスタとイリシアも唖然とするしかない。
「まったくさ、本当にニックって憎めないというか、いちいち怒ったり憎んだりするのが馬鹿らしくなりますよね。まともに相手をしたら負けのような気がして」
「同感です。……仕方ないですね、私がニックに紅茶を淹れてあげましょう」
遅刻してきたことを反省しないどころか能天気に笑えるニックを見てしまうと、いくら真面目で厳しい部分のあるイリシアにしても真剣に怒る気力が失せてしまったのだろう。
どうせ響かないであろう説教をするのはやめて、遅れてきたニックに紅茶を用意するため席を立った。
しかし、それも仕方のない反応かもしれない。いつも失敗してばかりいるニックに対して怒ったり悲しんだりするのは感情の浪費であり、毎朝地平線から日が昇ることに対して腹を立てるようなものだから。
無駄なストレスをためないよう、適当にあしらうくらいがちょうどいい。
悟りを開いた気分でアレスタがそう思っていると、近づいてきたイリシアに自分のティーカップを渡したニックが愉快そうに目を細めた。左手で自分の口を押さえて、右手ではイリシアの服装を指差しながら、くすくすと笑いをこらえている。
どうやら見慣れない彼女のワンピース姿が気になったらしい。
「うぷぷ、それよりイリシアったら急にどうしたの? 着慣れない服じゃ動きにくいでしょ? 我慢しないで着替えたら? くふふ、ギルドの船出だからって無理して着飾っちゃって!」
「……そーですか」
「ちょ、ちょっとイリシア! それは紅茶じゃなくて釘だよね! 僕になんてものを飲ませようとするつもりなのさ!」
「あなたの血よ」
「確かに色は赤いけど、人間の血は紅茶の代わりにはならないよ! あんまりおいしくなさそうだから誰のだろうと血は飲みたくないな! 僕のならなおさらだ!」
物騒な発言に肝を冷やしたニックだが、ふざけているわけでもない他人の服装に対して茶々を入れるなんて非常識だ。良識ある紳士の風上にも置けない。たとえ血を飲む羽目になっても同情できるものじゃない。
だからイリシアが怒るのも無理はないのだが、彼女を怒らせたニックには悪気もなく自覚もないのだから、なぜイリシアの機嫌が悪くなったのか理解していないのかもしれない。
とすると、このまま険悪な雰囲気を放置するわけにもいかない。今後のギルドの運営を円滑にする目的もあり、ひとまずアレスタは二人の間に入って仲裁することにした。
「イリシアさんが怒る気持ちはわかりますけど、ニックのことだし大目に見て許してあげてくれませんか。たぶんその服を着たイリシアさんがあんまり綺麗だったから、素直に褒めることができなかったんだと思います。馬鹿にして笑っちゃったのはニックなりの照れ隠しですよ」
好きになった相手の興味や関心を引きたくてイタズラや嫌がらせをしてしまうのが子供心というものであり、残念なことにニックは精神年齢が低そうだ。
だからこそ、いつもより綺麗になったイリシアを素直に褒めることができなかったのだろう。
「イリシアへの照れ隠しだって? ううん、違うよアレスタ。僕が隠したのは照れなんかじゃなくて、こぼれそうになった笑いだけさ」
クスクスと笑っていたのはバレているから隠せていない。
あまりに失礼なニックの発言に、さすがのイリシアも感情的に反応する。
「そんなにおかしいですか。着飾った私の姿がそんなに滑稽ですか」
気が付くとティーカップの中の釘が山盛りになっていた。彼女の怒り具合をよく表現しているような気がしてならない。
こんなものを飲めと言われれば誰だって首を横に振り、まずは涙を呑むだろう。
ニックもすでに涙目だ。
「ちょっとアレスタ、僕を助けて。あんなのを飲まされたら死んじゃう」
「自業自得だよ。反省するためにも少しは痛い目を見ようよ」
悲しいかな、人間という生き物はきちんと反省しなければ成長も出来ない。
いい機会だと思ってイリシアからきつく絞られればいい、と考えるアレスタである。
さすがに少しは反省したらしく、とっさに真面目な顔を作ったニックは自分の頬を右手でつねり、それなりの誠意を込めてイリシアに頭を下げる。
「ほら、自分で痛い目を見ました。これで許してよイリシア」
アホなのだろうか。けれど冗談を言っている様子もない。
自分のことを自分で痛めつけたところで、彼女の気が済んで許せるような話でもないのだ。たまりにたまった日ごろの鬱憤をまとめて解消したくなったイリシアは、おびえているニックの顔へと指を突きつけた。
「わかりました。ニック、あなたにはこの依頼をお願いしましょう」
「え、依頼? 僕が?」
「そうです、それで今までの失態はすべて帳消しです。……というよりニック、あなたも少しは役に立ちなさい」
「え、いつも役に立っているよね?」
そんなわけないでしょうと否定するつもりでイリシアは鼻で笑い、彼女の同意を欲しがっているニックのうぬぼれた発言を聞き流した。
そして彼に任せる依頼の説明が始まる。
「あなたに任せたいのは先ほど雑貨屋のホリディさんから受けた依頼で、顧客である各家庭への商品配達です。本当はアレスタさんに行ってもらおうと思っていましたが、今日一日、街を走り回って心身ともに鍛えなさい」
「うへぇ。配達か。重い荷物もありそうだし、僕の体力じゃ無理かも」
大変なのは事実にしても、ただの配達でそこまで落胆しないでほしい。
やる気や情熱が感じられないニックの反応に不満をためつつも、品がないからとイリシアは苛立ちを飲み込んで冷静に言葉を続ける。
「詳しい依頼の内容は先方でしていただけるそうなので、あなたは四の五の言わず早く行きなさい。仮にも街の治安を守るべき騎士の一人だったのです。地図がなくても場所は把握していますよね?」
「わかるよ。でもさ、僕のティータイムは?」
「ふふ、必要だったら淹れていますよ」
――ジャラジャラジャラ。
「ちょっとイリシアさっ! それは明からに釘を盛っている音だよね!」
「飲みますか? それとも今すぐ行きますか?」
「もちろん飲まずに行ってきます!」
きらりと輝く釘の山を見せ付けられてしまえば効果は歴然なのか、自分の命を大切に思うなら、彼女の質問に対して深く考えるまでもない。冗談じゃないと言わんばかりにピンと背筋を伸ばしたニックは敬礼とともに即答すると、逃げるように背を向けて外へ飛び出した。
いつもそれくらいやる気と行動力があればいいのにな……とは、心の中で思うだけにして口にはしないアレスタだ。
ニックという騒ぎの元凶がいなくなったからであろうか、アレスタとイリシアの二人だけになったギルドには静けさが戻る。少しだけ室内にふわふわとほこりが舞っていたが、極度の潔癖症でもなければ気にするほどではない。穏やかで優雅な午後のティータイムを再開するにはちょうどいいだろう。
アレスタはすっかり冷めてしまった紅茶をすすりつつ、苦笑して言った。
「あんまりニックをいじめるのはかわいそうですよ」
「そんなことよりアレスタさん、お世辞を抜きにして正直に教えてください。私の服装はそんなにおかしいですか?」
今さらになって自分が着ているワンピースドレスが恥ずかしく思えてきたのか、お湯を多めに薄く淹れた紅茶のように赤く頬を染めたイリシア。
「そんなことないですけれど、もしかして気にしているんですか? ニックですよ?」
「あんなふうに笑われてしまったんです。私としては当たり前にショックですよ」
馬鹿にしてきた相手が普通の人に比べて審美眼のなさそうなニックとはいえ、ああまで堂々と笑われたからには本当にショックなのだろう。
うつむいたイリシアは悲しげに肩を落とした。
下手なことを言うと逆効果になりかねないと思いつつ、黙って見ていられなくなったアレスタはなんとか彼女を励まそうと思った。
「大丈夫です、すごく似合ってますよ。それに俺の目にはイリシアさんがどんな服を着ていても、いつだって素敵に映っているんです。というか、そもそもニックの言葉を真に受けちゃ駄目ですよ。あいつ馬鹿だから」
「……それもそうですね」
いくらなんでもニックに対してひどいことを言ってしまったとアレスタは思ったけれど、その甲斐あって、イリシアも一応は納得してくれたようだ。落ち込んでいた表情を持ち上げると、照れくさそうに微笑んだ。
万全とはいえないけれど、どうやら少しは自信を取り戻してくれたらしい。
ついでだから、念のために友人の評価も取り戻してあげようとアレスタは考えた。ここにはいないけれど、誰に対しても配慮は大事だ。
「まあ、ニックだって悪い奴じゃないのは確かなんですけどね」
むしろ本音を言えば、あきれて馬鹿にすることが多くとも、アレスタは心から感謝しているのだ。いつも賑やかなニックのおかげで寂しい思いをせずにいられるのだから、何かと孤独を感じがちなアレスタは助かっている。
もっとしっかりしてほしいと思うのは否定できない事実だが、あまり強く言いすぎると、じゃあお前はどうなんだと自分にも返ってきかねない。
「……でね、イリシアさんは文句なしに良い人だよ。いくら感謝したって足りないくらい感謝してるんですから」
そう言ってアレスタはイリシアに向かって深々と頭を下げた。
なにしろ彼女には何度も危ないところを助けてもらっている。命を救われただけではなく、こうしてギルドの運営も手伝ってくれているのだ。
もしも彼女と出会えていなければ、どこかのタイミングで確実にアレスタは死んでいたことだろう。仮に自分一人の力で生きながらえていたとして、今のようにのんきな顔をして笑っていられた可能性は低い。
ところがイリシアはアレスタの感謝を笑顔で受け取ってはくれなかった。
静かに口を閉ざして申し訳なさそうに唇を噛み締め、視線をそらすように目を伏せてしまったのだ。
ただならぬ様子にも見え、かろうじてうかがえる表情は何かに苦しんでいるようにも見えた。物憂げな彼女の姿を見ていると心がチクチクと痛み、無視するわけにもいかずアレスタは心配して尋ねる。
「どうしたんですか? もしかして俺の風邪が移っちゃったとか?」
「いえ――」
イリシアが続けて何かを言おうとしたそのとき、遠慮がちではあったが、彼女の言葉を制するようにギルドの扉が開いた。
驚いたアレスタたちは会話を中断し、そろってギルドの入口へと顔を向ける。
ニックにしては帰りが早すぎる。おそらく別の客だろう。
「失礼します」
「あ、サラさん」
ギルドに足を踏み入れるなり丁寧に頭を下げた人物はニックの妹、ベアマークの騎士であるサラだった。
事前に連絡はなかったはずだから、騎士団を代表してギルドの運営に関する重要な話があるとか、そういう用件じゃないのかもしれない。
「いらっしゃい。紅茶を用意するから座って」
すっかり気を取り直したらしいイリシアが立ち上がり、来客であるサラに紅茶を淹れるため席を外した。身にまとったワンピースドレスの長い裾が風にたなびいている。奥へと向かうイリシアの背中を無意識に目で追っていると、いつの間にかサラがソファに座るアレスタのそばに立っていた。
ふと顔を上げ、どこか困ったような顔で笑う彼女にアレスタは声を掛ける。
「とりあえず座ったらどうですか?」
「ありがとうございます」
ぺこりと小さく一礼して、少し緊張した動作で彼女は向かいの席に腰を下ろした。どうやら座るためにアレスタの許可を待っていたらしい。律儀なものである。
思えばこうしてサラと二人きりになるのは初めてのことだ。おしゃべりな性格でないらしい彼女もアレスタと何を話せばいいかわからず、すっかり恐縮して固くなっている。
聞いたところによるとサラはアレスタよりも年下だそうだから、ここは年長者らしく、緊張を隠しきれない彼女のためにも会話をリードしてあげたいものである。
「あはは、さっきまでニックがいたんですけどね」
だが悲しいかな、サラと打ち解けるために考えた共通の話題としてアレスタの頭に思い浮かんだのはニックの存在だった。
楽しく盛り上がれるかどうかは難しい。
「あの、兄は今どちらに?」
「ついさっき依頼の件で出かけましたよ」
「そうですか。依頼で……。ううん、やはり不安ですね」
頼りない兄の身を案じる妹というと聞こえはいいが、この状況で彼女が心配しているのは依頼人のほうである。
なにしろニックが何も問題を起こさず無事に依頼を解決するとは思えないからであり、十中八九の確率で大切な依頼人に迷惑をかけるだろうと予想できたからだ。
「……俺も不安になってきた」
もしもニックが依頼先で失敗でもしようものなら、たちどころにギルドの評判まで落ちてしまう。それは今後もギルドの運営で生計を立てる予定であるアレスタには死活問題だ。
無事を祈ったところでニックには効果がなさそうなので、もはや頭を抱えるしかない。
「ふふ、お互い苦労しますね」
「それでもサラさんほどじゃないですよ。なにしろニックの妹ですもんね。俺たちよりも付き合いが長いからいっぱい迷惑をかけられてそうで、なんだか可哀想なくらいだ」
「あはは……」
返答に困って苦笑したサラは、ぴたりと合わせた両手を閉じた両足の間に突っ込むと、そのまま丸くなるように小さくなってしまう。兄であるニックの話題になって恥ずかしがっているというよりも、返す言葉が見つからない様子で気まずそうにしている。
詳しく彼女とニックの関係を知りもしないのに可哀想だとか言ってしまったのは、無神経だったかもしれない。
彼女の冴えない反応に己の失態を気がつかされたアレスタは、慌てて言葉を継ぎ足した。
「すみません、可哀想だっていうのは変な意味で言ったんじゃなくて、その……」
「あ、いえ。わかります」
うつむくようにあごを下げると、垂れた前髪でサラの表情が隠れてしまう。
「実を言えば、何をするにも失敗続きで落ち込んでばかりいた兄のことが私はずっと心配でした。ですが最近はなにやら楽しそうにしていたので、とても安心していたんです。まず間違いなく皆さんに迷惑をかけてしまっているのが妹としては気がかりですが……」
ちらりと覗き見るように、いかにも申し訳なさそうにアレスタの顔を確認する彼女。
そんなことはないと、彼女を安心させる目的でアレスタは答えようとした。
ところが口を開く前に横から割り込まれてしまう。
「その点は安心しても大丈夫よ」
「イ、イリシア先輩!」
突然二人の会話に口を挟んできたイリシアに驚いたのだろう。
沈みがちだったサラはその場で飛び上がるように姿勢を正した。
「はい、紅茶どうぞ。……ねぇサラ、いくら私が先輩だったからって、そんなに気を張る必要はないんじゃない? 私はもう騎士じゃないのだし」
「あ、ありがとうございます! おいしく頂かせていただきます、イリシア先輩っ!」
「だからほら、もう少し気楽にね……」
紅茶をテーブルの上に置いたイリシアは一度ソファの後ろに回り、かしこまった姿勢を保っているサラの肩に手を乗せると、もみもみと揉むようにして彼女の心を落ち着かせる。
おそらく、根っからの生真面目な性格であるサラにしてみれば、元とはいえ騎士の先輩だったイリシアを相手にすると緊張してしまうのだろう。
ただの先輩というだけでなく、個人的に尊敬もしていたのか、イリシアに肩を揉まれた彼女は落ち着くどころか、逆に緊張してカチコチに固まっている。
なんだか見ていられない。
「いつまでも立っていないでイリシアさんも隣に座ったら? そのほうがサラさんも気が休まると思いますけど」
「肩が凝っているようだけど、大丈夫?」
「お、お気遣いなく!」
必要以上に格式ばった返答に対して小さく肩を揺らすと、イリシアはそれ以上サラの肩を揉み続けることを諦めたらしく、しおらしく優雅な動作でソファに腰を下ろした。もちろん座るのはサラの隣である。
それでも肩を揉まれ続けることがないと安心したのか、ほっと息を吐き出したサラは年相応に可愛く見えた。
とりあえず彼女には気を落ち着かせてもらおうと、アレスタはサラに紅茶を飲むようにと右手で促した。大通りにある店で買った安物だけど、庶民的な味でおいしいはずだ。緊張をほぐして心を休ませるためには、特別感のある高級すぎるものよりも、気軽に飲めるこれくらいの紅茶がふさわしいだろう。
イリシアはアレスタの分まで紅茶を用意してくれたので、それからしばらく三人でティータイム。
まったりと穏やかな時間が過ぎた。
「サラ、最近の調子はどう? 問題はない?」
「あ、はい! 気になる情報はいくつかありますが、大きな問題は特にありません」
「それはよかった。ふふ、どうやらサラも隊長の責務に慣れてきたみたいね」
「いえいえ、イリシア先輩にはとてもかないません」
この前までは騎士として日々を過ごしていたのだ。辞めたといっても自分の古巣であるから、ギルドの所属になった後も騎士団のことが気がかりなのだろう。
しかし兄とは比べ物にならないくらい優秀なサラのことだ。わざわざアレスタたちが心配する必要もないに違いない。
などと考えていたところで、アレスタはある点が気になった。
「隊長? サラさんが隊長なんですか?」
確か彼女の年齢はアレスタよりも一つか二つ下だったはず。
その若さで何人かの部下を従える隊長だとは驚きだ。
「そうなんですよ、アレスタさん。サラは私が抜けた後で再編された部隊の隊長になったのよね?」
「はい、領主様の命令です。もっとも、若手を集めた数人規模の小さな部隊を率いているだけですけどね。隊長といっても大部隊をまとめているわけではありません」
自分よりも幼い彼女の昇進にアレスタが驚いていると、おずおずと恐縮したサラに代わってイリシアが説明する。
「この街の領主様は独自の考え方を持つ人で、試験なんかの成績や実績よりも、性格や信念を重要な評価基準としているらしいのです。だから帝国にある騎士団の中では一番、採用基準や昇進の条件が不明であるとか言われていて……。ベアマークの騎士になるのは成績や能力的には簡単だが人間的に難しいって、騎士の間じゃ有名なんですよ」
「そうなんですか……」
ベアマーク騎士団の入団試験は領主の意向により、実技試験や筆記試験の成績だけではなく、数字では計りにくい面接試験などの結果を重視しているらしい。
帝国でも有数の高度魔法化都市であるベアマークを組織的に守っていく騎士団の一員になる以上、騎士個人としての魔法適性や身体能力より、それらを決して悪用しない強い精神性を求めているからなのだろう。
他にも深い考えがありそうなものではあるが、より詳しい事情は今度機会があれば領主に直接聞いたほうがいいかもしれない。まともに答えてくれるかどうかわからないけれど。
「だからこそ失敗ばかりの兄さんも、ここでは騎士になれたのですが……」
サラが言うように、何をやらせても失敗ばかりのニックが騎士になれたのも、全ては領主の特殊な採用基準のおかげである。
一般的な入団試験であれば、明らかに力量不足であろうニックは不合格に決まっている。
帝都にある騎士学校をなんとか卒業したというニックは、年少のころから目標としていた帝都の騎士団試験に落ち、最後の可能性として受けた故郷ベアマークの騎士団試験に運よく合格したらしい。
そんなニックも今では騎士ではなくギルドの一員なのだけれど。しかも領主から特別に与えられた任務がアレスタの護衛と監視だというのだから泣けてくる。
アレスタが目を伏せたのを意味深に受け取ってしまったのか、真面目な雰囲気になっていた話題を切り替えるように、イリシアが隣のサラに視線を投げかける。
「そうだ、サラなら知っているんじゃない?」
「知っているって、何をですか?」
「肩代わり妖精のこと」
「ああ、それなら」
お役に立てるでしょうと、少しだけ得意げにサラは頷いた。
「巡回先のリンドルで聞いたことがあります。ちょうど村には妖精などに詳しい友人もいますので、よかったら私が詳しい話を尋ねてきましょうか?」
リンドルといえば、ベアマークに近い場所に位置する穏やかな農村だったはずだ。
山賊や魔物に襲われたのであまりいい思い出がないけれど、ベアマークからリンドルへと帰る村人を護衛する関係でサツキやニックと一緒にアレスタも行ったことがある。
村にいる友人に詳しい話を尋ねておこうかと申し出てくれた彼女だったが、個人的に思うところもあり、アレスタはサラに頭を下げた。
「いや、出来れば俺も一緒に村まで行かせてくれませんか?」
「アレスタさんもですか?」
「はい。もう一度あの妖精に会って、ちゃんとお礼を伝えたいんです。そのためには、できるだけ自分の足で情報を集めておきたくって」
自分の身を犠牲にしてアレスタの風邪を治してくれた、あの妖精。
このまま自分の口からお礼も言えないままでいるなんて、やっぱりアレスタには我慢ならなかったのである。




