02 ギルド
ベアマークで開業することになった帝国初のギルドは街の大通りとは別区画、どちらかといえば閑静な住宅街の片隅にある。
都合のいい空き家がそこにしかなかったといえばそれまでだが、もともとは大衆向けの食堂として使われていた建物は目立った老朽化もしておらず、十分な広さと大きさがある二階建ての木造建築だ。食堂の雰囲気を残している一階部分は内装を少しだけ改装してあり、カウンターのあるギルドの受付と掲示板、来客向けに複数の椅子やテーブルが設置された談話スペースなどがある。
階段を上った二階は宿屋として使われていたらしく、六つあった客室の二つをアレスタやイリシアの寝室として利用することになった。
ちなみにニックの自宅はギルドとは別にあり、ギルドの手伝いとは別にアレスタの護衛と監視を領主に命じられている彼も、夜になったら就寝のため自分の家に帰ってくれる。監視役の務めはどうしたと言いたくもなるが、一日中ニックに付きまとわれずにすんでアレスタは一安心だ。
「お待たせ!」
二人とも手がふさがっていたのでアレスタが足を使って扉を開けて入ったギルドでは、イリシアと依頼主の少女が待っていた。
行方不明になった飼い猫を心配して不安そうに顔を曇らせる少女を安心させるためか、椅子に座ったイリシアの膝の上に少女がちょこんと座っており、そんな彼女をイリシアが後ろから抱きしめている。
大変に仲がよろしい姿だ。
「あっ、見つけてくれたんですね!」
アレスタとニック、そのどちらかというよりも、アレスタの腕に抱きかかえられたケイトの姿を見つけた瞬間、小さな飼い主である彼女は目を輝かせてイリシアの膝から飛び降りた。
そして元気よく駆け寄ってくる。
イリシアは少しだけ寂しそうな目で遠ざかっていく彼女の動きを追っていたが、その視線の先でアレスタと目が合うと苦笑して顔を横にそむけた。
今までずっと彼女をかわいがっていたことを知られた気がして、恥ずかしがって照れたのかもしれない。いつも凛々しい彼女には珍しい反応だ。
駆け寄ってきた少女は嬉しそうな笑顔を浮かべて、上目遣いにアレスタとケイトの両方を見つめる。
「アレスタ先生、ありがとうございます!」
「どういたしまして、チークちゃん」
うんと背伸びしたって頭がアレスタの腰くらいまでしかない五歳の少女はチークという。どうやら彼女はギルドの近所に住んでいるらしく、開業した初日から遊びに来てくれていて、その関係でアレスタやイリシアになついているのだ。
何を勘違いしたのかアレスタのことを先生と呼んでくるが、怖がられてしまうよりはいいだろうと訂正しなかった。
「あの、僕は?」
「えっ、あの、探していただけたことに感謝はしてますけど、あまり不必要に近づかないでください……」
このようにチークから警戒されているニックだが、それも無理はない。何もないところで転んで紅茶を彼女の服にかけたり、隣を歩いていて悪気なく足を引っかけたり、呼ぶときに何度か名前を間違えたり……と、とにかく彼女に迷惑をかけてばかりなので距離を置かれるようになってしまったのだ。
たぶん嫌われてまではいないと思いたいが、五歳の女の子から礼儀正しく拒絶されたニックは涙した。
だが失敗ばかりで運もないニックが落ち込んでしまうのは日常茶飯事であって、いちいち構っているのは時間の無駄だということは説明済みである。ゆえにアレスタもイリシアも彼を無視する。
自分より背の低いチークに顔を向けたせいでアレスタは抱えていたケイトを落としてしまいそうになったが、尻尾を立てたケイトはアレスタの腕を抜け出して頭の上に飛び乗った。
それを両手で捕まえると、はいどうぞと猫をチークに差し出す。
飼い猫と飼い主、数日ぶりの再会である。どちらも泣きはしないが、やはり嬉しそうだ。
おとなしくチークの腕の中へと収まったケイトの頭をなでつつ、アレスタは微笑む。
「もう逃げ出したりするんじゃないぞ、ケイト」
「……ン」
偉そうに頷くのはどういうわけか。猫なんだからニャンくらい鳴いてほしい。
「チークちゃんも気をつけてね。またケイトが逃げ出したりしないように」
「はい、わかりました。アレスタ先生、本当にありがとうございます」
小さくお辞儀するチーク。彼女の胸に抱きかかえられているためか、猫のケイトも一緒に頭を下げる。
どっちも可愛いなと思いつつアレスタがほんわか見守っていると、顔を上げたチークが申し訳なさそうに表情を曇らせた。
無事にケイトが見つかったのに、まだ何か問題でもあるのだろうか。
「あのう、ですが、私、お金とか持ってないんです……」
ギルドとは職業組合のことであり、仕事であるからには慈善事業ではない。依頼を解決してもらえば、それに見合った料金を支払わねばならないのが依頼人の責務である。
だがそこは五歳の少女、世間の常識など当てはめる必要もない。
「ねぇチークちゃん、知ってる? 困っている子供からの依頼はね、どんなに難しいことだろうと、わざわざ頼まれなくたって解決しようと努力するものなんだ。だからお金なんていらないよ。俺たちは当たり前のことをやっただけだから」
「で、でも……」
おそらく五歳なりに思うところがあるのだろう。お金なんていらないと言われたチークは不服そうに唇を噛み締めた。
アレスタとしては依頼料を取らないのは特に深い意味もない単純な優しさのつもりだが、背伸びしてでも大人になりたがっている彼女にしてみれば、あるいは自分が見下されているように感じたのかもしれない。
年長者から守られるだけ、気を遣われるだけという一方的な関係は往々として、子供の自尊心をひどく傷つけてしまいかねないものだ。可愛い子には旅をさせろ、とは少々違うものだが、相手が子供だからといって軽く扱ってはならない。
そこに思い至ったアレスタが自分の言動を 反省していると、何かいいことを思いついたらしく、チークはその場で嬉しそうに飛び跳ねた。
いや、腕の中のケイトが困っているから少し落ち着いて……と思いつつ、どうしたんだろうと疑問に感じたアレスタが待っていると、屈託のない笑顔を浮かべたチークが腕の中で困惑するケイトを抱きかかえたまま、くるっと一回転。
「あ、そうだ! だったらキスしてあげますよ!」
「えっ?」
「ほらほら、こっちに来てください!」
天真爛漫に、まるで踊るように近づいてくるチーク。
そんな無邪気な彼女にアレスタは年甲斐もなく赤面して、逃げるように顔を上向きにしていると、右手になにやら柔らかな感触があった。
いったい何をされたのかと思って確認してみると、小さな両手でアレスタの右手を握ったチークは手の甲へと可愛らしい口付けをしていたのだ。
いかにも世間ずれしていない少女らしい、純真無垢なお礼である。
「あ、ありがとう……」
五歳の子供を相手に何を照れているんだと呆れられてしまうかもしれないが、意表をつかれたお礼にアレスタはすっかり恥ずかしくなった。
お金では得られることの出来ない幸福感というものは、こういうことを言うのだろう。
人助けはいいものだ。
「ふふっ、それでは!」
自分に娘や妹ができたらこんな気分なんだろうかと考えながら呆然としているアレスタに手を振ると、にっこりと満面の笑顔を残したチークは元気よくギルドの外へ飛び出した。
まだ雨は音を立てて降っており、濡れたくない彼女は右手で傘を差す。
しかし傘のせいで右手が使えなくなり、残った左手だけで抱きかかえられることになったケイトは彼女の腕から落っこちそうになって、猫らしからぬ必死の形相でチークの肩にしがみつく。
がんばれよ。そうアレスタは心の中で猫を励ました。
「そうだ、ニック。もしも暇なら念のためにチークちゃんを家まで送ってあげてよ。こんな雨の日に彼女を一人で歩かせるのは危険かもしれない」
「そうだね、そうしよう」
雨が降る今日は街も薄暗い。五歳の女の子を一人で歩かせるのは不安だというアレスタの意見に同意したニックは傘を片手に外へ飛び出し、先を行くチークを追いかけた。
冷静になって考えると、ニックに頼むより自分で追いかけたほうがよかったかもしれないと思うアレスタだ。もっとも、さすがのニックも近所に住んでいるチークを家まで送るだけなら失敗しないだろう。
むしろチークから邪魔者扱いされて追い返されなければいいが。
「逃げ出したケイトも無事だったし、チークちゃんの笑顔も守れたし、不安だったけれど仕事がうまくいってよかった。まだまだ始めたばかりだけど街の役に立てているようで嬉しいな」
依頼を達成することができた感慨にしんみり浸っていたアレスタだったが、遠い目をする彼に聞こえるようにイリシアがわざとらしくため息を漏らした。
「けど、私たちの判断で依頼料を受け取らなかったなんて知ったらギルド長が怒るかもしれませんね。もともと、猫探しは金にならないからと、チークちゃんからの依頼に乗り気ではなかったですし」
「マフティスさんか……」
新しくギルドを開くにあたって、責任あるギルド長として領主に任命されたのがマフティスである。知らない人だったのでアレスタはギルドを始めてから初めて顔を合わせたが、四十代の男性で落ち着いた風格もある彼はイリシアの上官であった元騎士だ。
実のところ傲慢で頭ごなしな性格なので部下である騎士たちからの評判は悪かったものの、カーターの暗示魔法に操られていた際に地下牢でイリシアと戦って負けて以来、少しは改心した様子である。
人格はともかく仕事はできる男なので、その点については領主からの信頼も厚く、あっけなくイリシアに負けたと知れ渡ってから騎士団に居づらくなった本人の意向もあって、ギルドへの移籍が決まったのだろう。
依頼の対処だけではなく、各種の会合、手続き、あいさつ回りなど、帝国初というギルドの代表者というだけあって様々な用事で出かけることが多く、今日も朝から留守にしている。
なので、アレスタたちが黙っていれば今回の件は彼にばれない……と思いたいが、人手の足りない今は依頼の管理をはじめとする事務仕事や会計処理も行うマフティスなので、気づかれるのは時間の問題だろう。
特に用事のない暇な時間は自ら受付に立つほど仕事熱心なマフティス。長年勤めてきた騎士団を辞めることになって意気消沈するどころか、自分が代表者となったギルドを大きくするという野心に燃えているらしいのだ。
「それよりアレスタさん、先ほどから気になっていたんですが、雨のせいで全身びしょ濡れじゃないですか。ぼんやりしてないで早く着替えてください。そのままでは風邪を引いてしまいますよ」
ほらほらと言いつつ呆れた目をするイリシアの手には一枚のタオルがあり、雨に濡れてしまったアレスタのことを気遣ってくれているらしい。
優しい彼女を無闇に心配させてはならない。気を遣ってくれるイリシアを安心させるためにもアレスタは胸を張って答えた。
「大丈夫ですよ。治癒魔法があるからってわけじゃないけど、昔から俺は人よりも丈夫なことだけが取り柄ですからね」
「ならいいですが……」
口では納得しながらも、心配性なのか不安そうな顔をするイリシアからタオルを手渡され、ありがとうと軽く礼をしながらアレスタは受け取る。
実は他にも取り柄があると言ってほしかったのは彼だけの秘密である。
「今日は着替えて早めに休むことにします。わざわざ心配してくれてありがとうございます。いや、ごめんなさいと言っておくべきかな?」
「ふふ、お礼も謝罪も必要ないですよ。たぶんケイトを探すために街中を走り回って疲れたのでしょう? ちゃんと休んでくださいね」
「俺だけじゃなくって、イリシアさんもね」
というわけで、本日はギルドを早めに閉めて十分な休息を取ることになった。




