18 終わりと、これから
カーターとの決着から数日後、アレスタとサツキは街の領主が待つベアマーク城の応接室に呼び出された。
すでに公務が終わった後なのか、ゆったりとした私服姿のヴェイルードはくたびれた様子でため息を漏らす。
「カーターの暗示魔法にはかからなかったんだけど、まさか騎士のみんなが操られて地下牢の最下層に閉じ込められるなんてね。おかげで君たちにも迷惑をかけてしまった。本来ならもっと早く話がしたかったんだけど、いろいろと必要な後処理があって遅くなってしまったんだ」
すまない、と頭を下げる領主。社交辞令も含まれているだろうが、ある程度は本気で申し訳なく思っているようだ。
「いえいえ、大丈夫です。そう急ぐような用事もないので……」
これについては社交辞令などではなく、一から十まで本当のことだ。
現状、急いでやるべきことは特に何もない。
ここ数日の滞在費も出してもらっているので、どれだけ待たされようと不満は何もないアレスタである。
「急ぐような用事どころか、帰る場所さえないくらいで……」
これまで暮らしていた故郷の村にある八重の塔はすでに焼け落ちており、カーター以外に身寄りのないアレスタには頼るべき人もいない。
一応は今もサツキがそばにいて面倒を見てくれているが、それもいつまで続くかわからない。
可能なら、自分の力で維持できる生活の拠点を手に入れたいところだ。
「俺の家には空き部屋があるから泊めてやってもいいが、この街からは遠いから、何かと不便だろうな。お前が自分の過去や治癒魔法についての情報を集めたいのなら、当面の間はこの街に居を構えたほうがいいと思うぜ」
「そうですよね……」
隣同士で話すアレスタとサツキの声が聞こえていたのか、会話が途切れたタイミングを見計らって領主が指を鳴らす。
「そのことだけど、君さえよければ、こちらで住む場所を用意しようじゃないか」
「え、いいんですか?」
「もちろんだとも。ただし、一つだけ条件というか、提案があるんだ。ね、イリシアちゃん?」
急に話を振られたイリシアは座ったまま背筋を伸ばす。
「あ、はい。領主様とも話をして考えたのですが、この街でギルドを始めてみてはどうかと思いまして」
「……ギルドを?」
「そうです、ギルドです。一般的には職業者組合として知られるギルドにも数々の種類がありますが、ひとまずは依頼請負ギルドなどいかがでしょう。人々の依頼を受けて仕事をする、いわゆる何でも屋のことですね。それならお金を稼ぐだけではなく、あなたの治癒魔法の力を確かめる機会にも恵まれるでしょうし、なにより人々の役に立てますよ」
「なるほど」
と、わかった風な相槌を打ってはみるものの、それ以上の言葉がすぐには出てこない。
彼女の提案に乗ってギルドを開けば、住む場所を提供してもらえて、当面の仕事も見つかる。そう考えると実にいい話のように聞こえるが、そう簡単なことでもないだろう。
街の人々から依頼を受けて仕事をするとなると、魔物退治や護衛任務など、危険度の高い依頼も出てくるはずだ。軽い気持ちで即答してよいものではない。
どうしたものかと迷っていると、しばらくアレスタのことを見守っていた領主が口を開いた。
「もし引き受けてくれるなら、ギルドの運営については私のほうからも援助させてもらうよ」
「それはありがたい話ですね。ですが、どうしてです?」
「いきなりの提案に聞こえたかもしれないけれど、実を言うと私としては前々から考えていたんだよ。高度魔法化都市計画を進めるにあたって、街の騎士団だけで様々な問題に対処するのは限度があるとね。彼らはみんな優秀だけど、もっと市民の側に立った民間の組織が必要なんじゃないかって」
街の政府から直々に援助してもらえるとなると聞こえはいいが、ひょっとすると現状の騎士団とは別に、領主が自由に動かせる小規模な治安維持組織が欲しい思惑があるのかもしれない。であれば、どんな面倒ごとを押し付けられるかわかったものではない。
だが、今のところ他に当てのないアレスタにとってみれば、領主やイリシアからの提案はありがたい話なのも事実である。
メリットとデメリットを天秤にかけてみれば、ひとまずはメリットが上回る気がする。
サツキも同じように考えているようだ。
「いいんじゃないか? 向こうの意図が何であるにせよ、この街で暮らしていくつもりなら領主を味方につけておく利点はある。雑貨屋のあいつにも手伝ってもらえば依頼にも困らないだろ」
「そうですね、どのみち生活のためには仕事をして稼がないといけませんから、ちょうどいいのかもしれません」
「そうか、それはよかった。期待していた返事が聞けて満足だよ」
ほっとした様子で肩をおろす領主。その姿から判断すると、もしもアレスタが断った場合には別の提案が用意されていたのかもしれない。
「ではアレスタさん、事務的な手続きなどは私が準備しておきましょう。誤解のないように今のうちに言っておきますが、私もギルドの運営を手伝わせていただきますので」
「え、イリシアさんが?」
「そうですけど、何か問題が?」
「いや、でも……」
騎士の仕事で忙しいんじゃないだろうか。
そう思いつつも口には出せずアレスタが返答に窮していると、領主が苦笑した。
「まさか君一人にギルドの運営を任せるわけにはいかないからね。こちらからも何人かギルドを任せられる人員を探していたんだけど、イリシアちゃんが名乗り出てくれたんだ」
「ですが、そうなると騎士団は……」
「当然、辞めることになるね」
領主がそう言って口を閉ざすと、彼を含む全員の視線がイリシアに向けられる。
本当にそれでいいのかという無言の問いかけだ。
黙っているわけにもいかず、やや居心地の悪さを感じたイリシアは毅然と答える。
「騎士である私が責任逃れをするわけにはいきません。いくら緊急事態であったとはいえ、私は自分の独断で命令に逆らってしまったのですから。結果的に今回はカーターの計画を阻止することができましたが、もしカーターの言う通りあなたがたのほうが悪巧みをしていた場合、私はとんでもない過ちを犯してしまうところだったのです。だからこそ、私は騎士の職を辞する覚悟でカーターに立ち向かいました。ですから、騎士団を抜けてギルドの経営を手伝うのは私なりのけじめです」
「イリシアちゃんは優秀な騎士だったから、私としても一応は引き留めたんだけどね。だけど彼女は頑固なところもあって、一度言い出したことはなかなか曲げてくれないから。それに、どうやらイリシアちゃんは君に関心があるようなんだ」
「俺に?」
どうして俺なんかに関心があるのかと疑問に思ったアレスタだったが、おそらくアレスタそのものに関心があるのではない。アレスタの力に関心があるのだ。
上級治癒魔法。
それが世界に与えるであろう影響を考えれば、彼女が興味を持つのも無理はない話だ。
ちらりとイリシアのほうを見てみると、余計なことを言った領主を不服そうな表情で眺めている。
それに気づいたのか、気まずさを覚えたらしい領主はコホンと咳払いをした。
「何かあったときはいつでも騎士団に戻れるようにしておくから、イリシアちゃんの心配はしてくれなくても大丈夫だよ。ああ、それからもう一人、ニックにも手伝ってもらうことにしたからね」
「ニックがですか?」
「ああ、そうだとも。彼には数日の休暇を与えているから今日は来ていないけど、騎士団を辞めるにあたってニックには特別な任務を与えていてね。ギルドに行っても引き続き君の護衛と監視をやってもらうことにしたんだ。お目付け役というには少しばかり頼りないけどね」
「ははは……」
確かに、と思ったのは口に出さないでおくアレスタである。
ともかく、そういうわけでアレスタはベアマークでギルドを始めることとなった。正式に依頼を受け付けるようになるのはしばらく後のことだろうが、それまでは街の観光でもしながら様々な知識を身に着けることにしたアレスタである。
結局、アレスタの出自や治癒魔法のことなどわからないことも多いけれど、不思議と今のアレスタには不安がなく、かえって希望や決意にあふれていた。それはきっと、これから始めるギルドの活動を通して何かできるはずだと、そんな気がしたからかもしれない。
治癒魔法を使えるからという理由だけじゃなく、そんな魔法に頼らなくても、これからのアレスタは人々の役に立つ行動をしていきたいのだ。
ちなみに、暗示魔法を用いて騒動を起こしたカーターの一件がベアマークの高度魔法化都市計画に悪い影響を与えるのではないかと心配されたが、領主は有能で敏腕な人物だったようで、今回のような魔法攻撃に対する防衛力を高めるためにも、都市の構造的な魔法化は必要不可欠だと主張して反対派を屈服させた。
魔法それ自体には物理法則と同様に罪がない。
善悪を定めるのは、それを使う人間次第だということだろう。
噂によれば街の人々も領主の決定に好意的だそうで、来年の記念祭は今年以上の賑わいになりそうだ。
領主たちとの話が終わってから二人で城を出て、周囲に人がいなくなった場所でサツキがアレスタに声をかけた。
「アレスタ、お前、あまり悲しんでいないだろ」
「……何のことですか?」
「カーターのことだよ。カーターが死んでから、お前は一度も悲しそうなそぶりを見せていない。心配をかけまいと俺たちの前では虚勢を張っているのかもしれないが、それにしたって平常心すぎる。かといって、すでに立ち直ったにしては早すぎるだろ」
「それは……」
「答えにくい質問だったか?」
「いえ……」
申し訳なさそうな顔をしたサツキに気を遣ってそう答えたアレスタだったが、正直に言えば答えにくい質問だったのは事実だ。
……カーターが死んで、あまり悲しんでいない。
実際のところ自分がどう感じているのかはともかく、少なくともサツキにはそう見えていたのだろう。
変に誤解を与えてしまわないよう、慎重に言葉を選びながら答える。
「俺にとってカーターは大切な育ての親です。だから悲しいのは事実です。でも、反魔法連盟の幹部で、魔法使いを殺すための活動をしてきて、街を危険な目に合わせていた悪人であったとも知って、うまく感情が整理できていないんです」
「お前を殺そうとまでした人間だから、死んだところで悲しんで泣くのが自然だ、とは言わないが、あれでも十年は一緒に暮らしてきた育ての親だったんだろ? たとえ本性が悪人だったとしても、死に別れて寂しく思うとか、悲しむくらいはいいんじゃないか?」
「それが、よくわからないんです。本当に、自分でもよくわからないので。まったく悲しくないわけでもないんですけど、俺にカーターの死を悲しむ資格があるのでしょうか……」
「言いたいことはわからんでもないが、感情を抱くのに資格なんかが必要か? いちいち理論立てて難しく考えるのはおかしいだろ。人の死を悲しめなくなるのは危険だ。赤の他人ならともかく、身内ならな」
サツキの言っていることはもっともだ。
サツキやイリシアたちにとっては他人でしかないが、アレスタにとってカーターは父親同然の存在である。
一緒に暮らしてきた相手と戦う羽目になっただけでなく、その相手と言葉が通じず、最後には目の前で死なれてしまったのだ。悲しむでもなく、普段と同じ平気な顔でいるように見えるのは不自然かもしれない。
「これはお前に言うべきかどうか、ずっと迷っていたんだが」
ふと歩みを止めたサツキ。
なにやら言いにくそうにしながらも、同じ場所でアレスタが立ち止まったのを見て問いかける。
「……お前さ、ひょっとすると、いつかまた会えるとでも思っているんじゃないか?」
「え?」
「いつか自分が治癒魔法を極めた先に蘇生魔法を使えるようになると思っていて、その時になれば、一度は死んじまったはずのカーターとも再会できると期待しているんじゃないのか? だから今のお前は真剣にカーターの死を受け止められていないんだ」
「それは……」
本来なら、もっと大きな衝撃を受けていてもおかしくはない。
十年間、ずっと一緒に過ごしてきた二人。身寄りのないアレスタにとっては実の親代わりで、たった数日でカーターの死を乗り越えられる程度の関係ではないはずだ。
でも、どこか、本気で悲しめていない。
永遠の別れだということを、心の底からは信じ切れていない。
まるで他人事のように感じている部分があるというか、あらゆるものを後回しにしている感覚がある。
それは、アレスタが使える治癒魔法が原因なのだろうか。
それとも、魔法を否定したカーターの思想や言葉を真剣には受け止め切れていないからなのだろうか。
「……いや、言い過ぎたな。今のは忘れてくれ」
「サツキさん……」
アレスタは何も答えられない自分が情けなく感じた。
厳しいことを言っているにしても、サツキは批判だけをしているのではない。アレスタが自分では気づいていないことを含めて忠告してくれているのだ。
それはアレスタのことを本気で心配しているからこそである。
感傷的すぎるのも問題だが、傍若無人な態度で傲慢になっても、自暴自棄に等しいレベルで無感情になってもいけない。魔法使いは人間らしい感覚と価値観を失ってはいけないのだ。
「だがな、アレスタ。本当に気をつけろよ? 治癒魔法に限った話じゃないが、上級魔法を自在に扱えるようになった魔法使いは魔王にさえなれるんだ。世界を自分好みの形に変えてしまえる力。それが魔法だ。たとえ自分では英雄のつもりでも、意見を異にする誰かにとっては敵でしかない」
「敵……。敵か……」
まさしくそれが原因でカーターとも対立したばかりだ。
人の生死を左右し得る治癒魔法。運命を変えてしまえる力。
それほどの力なら、世界に対して必ずしもいい影響ばかりを与えるとは限らない。
「そう考えれば、反魔法連盟が強引な手段に出たがるのも理解はできる。魔法は危険だ。あまりにも危険だ。なくせるなら、ひとつ残らずなくしてしまったほうがいいのかもしれない。……もちろん擁護はしないがな」
己の理念のために過激な手段を用いる行為には、当然ながら共感することが出来ない。
情熱、悲愴な覚悟、憐憫、いかなる思いを胸に秘めていようが、その実現のために誰かを傷つけては駄目だ。
その点に関しては、十年前に帝都を襲撃したというサツキにも言いたいことが何もなかったと言えば嘘になるが、まだ切り出すタイミングを見つけられないアレスタである。機密事項を口にすることを禁じている魔法封じの刻印があったとしても、いつかサツキから何かを話してくれるようになったとき、その話を最後まで聞き届けることにしようと考えるにとどめている。
今はまだ、何を聞くにも自分の覚悟が足りない。
世間知らずのアレスタは何もかもを知らなすぎるのだ。
善悪を判断するのも、自分の生き方を決めるのも、それはこれからの課題だ。
英雄になるも、魔王になるも、すべては自分の魔法を完璧に扱えるようになってからの話だ。
あるいは、ただの凡人で終わるのが一番幸せな結末なのかもしれないが……。
不安がっているアレスタを励ますかのようにサツキは優しく語り掛ける。
「安心しろ、アレスタ。お前がギルドを始めるっていうなら俺も少しくらいは手伝ってやるつもりだ。責任までは持ちたくないのが本音だが、お前が新しい生き方を見つけるまでは一緒にいてやるよ」
「本当ですか、サツキさん? それはありがたいです。お世話になります」
「礼はしなくていい。お前が思うほど俺は善人じゃないからな」
そう言って、再び歩き始めたサツキの表情は見えない。
それでもアレスタは追いかけた。
自分こそ非の打ち所がない完璧な善人であると主張する人間よりも、そうでない部分を自覚しているサツキのような人間のほうが、今のアレスタには必要な存在である気がして。
迷いながら、悩みながら、それでも自分の進むべき道を歩いていくために。
第一章 治癒の英雄、あるいは不死者の王 <完>




