17 不老不死の完成者
意識を失って仰向けに倒れたカーターをためらいもなく踏みつけ、ゆっくりと立ち上がった老人。
それは灰色のローブに身を包んだ魔法使いだ。
出現した瞬間に魔力の風が周囲に吹き荒れ、カーターの体を背後から羽交い絞めにしていたアレスタは全身に傷を負って吹き飛ばされた。即死は免れたが、出血の量から見ても普通なら瀕死の重体だ。
それでもアレスタには治癒魔法がある。逆に言えば、アレスタ以外のイリシアたちが無事だったのは幸運だったろう。
「とはいえ、この者の身体はもう使い物にならぬようだな。他者を操る強力な魔法を使わせてやっていたのに、たかだか騎士の一人に苦戦するとは軟弱な男だ。あきれ果てる。さて……」
おもむろに顔を上げた老人の目は暗い。
顔色を一つも変えることなくピクリと指先が動き、何かしらの魔法が発動される兆候を感じ取ったイリシアが踏み込んで切りかかる。
しかし彼女の剣は空を切った。
攻撃が外れたのではなく、老人には実体がないのだ。ゆらゆらと揺らめいた姿は煙のように透き通っている。
年老いた見た目に反することなくしわがれてはいるものの、不思議と活力に満ちた声で魔法使いが答える。
「魔法以外で攻撃しても無駄だ。見てわかるように私はすでに肉体を失っている。精神の内側へと潜り込み、貴様ら人間を操るためにな」
「あなたは……」
「わざわざ教えると思うか? だとすれば甘えているな。知りたければ自分の頭を働かせることだ。あるいは私を追い詰めて尋問しろ。私の生きていた時代には個人主義の勇敢な騎士が多かったが、時代も変わったということか」
感慨深げに言いながら、目線の高さまで右腕を上げる老人。
やはり何かしようとしている魔法使いの危険な気配を察して、横合いからサツキが語り掛ける。
「その口ぶり、もしかして古代の魔法使いか? 今の時代の人間ではなさそうだな」
「ふむ……?」
「お前の正体はわからんが、どうせ不老不死の秘術を求めたんだろう。何らかの手段によって魂だけの精神体になって、長い年月を人から人へ移り変わることで生き延び、今まではカーターの精神にとりついていたと見える。違うか?」
「やけに察しがいいな。その通りだとも。……貴様、どうにも小柄な体格は頼りないが、次の宿主にちょうどよいと見える」
「やめておけ。俺の精神果樹園には鍵がかけられている。この体に入った瞬間、思うように魔法が使えなくなるぞ」
「精神果樹園に鍵が? いや、なるほど。それで合点がいった。貴様に暗示が効かぬ理由がな」
高く上げていた右腕を腰の位置まで下げた老人は代わりに左手を口元まで上げ、考え事をしながら顎をさする。
「しかし、この場にいる他の三人にも暗示の効果がないのは不思議だ。私よりも魔法適性が高いようには見えぬが……いや、見た目で判断するのはやめておこう。今まで宿主にしていたこの人間もそうだが、相手を格下だと侮って死んだ魔法使いを何人も見てきた。……つまり、相手が誰であれ手を抜いてはいけない」
イリシアたちを明確な敵と認識しているらしい魔法使い。
何をしでかすかはわからないが、おそらく魔法だ。それも強烈な魔法に違いない。
騎士としての覚悟がそうさせるのか、いつでも対処できるようにとイリシアが動く。
二本の剣を構え、相手が動くより前に先んじて切りかかってもおかしくはない。
それを制したのはサツキだ。
「待て、イリシア。お前の魔法では太刀打ちできない。どんなに素早くなったところで肝心の剣が通用しないんだ」
「わかっています。ですが……」
「まあ、ここはいったん俺に任せておけ。得体の知れない古代の魔法使いを相手にして、勝ち目のない戦いを挑む必要はない。根本的な価値観が違うから仲良くはできんだろうが、しばらくは話し合いで時間を稼ぐ。様子を見ながら、いつでも逃げ出せる準備をしておくんだ」
そう言ってサツキは魔法使いの注目を自分に集めるため、一歩前に踏み出す。
あまりにも不用心に見えるのは彼なりの演出で、攻撃する意思がないことを老人に示すためだ。
「俺たちの間で刃を交える前に一つ質問がある。今までカーターにとりついていたってことは、お前は反魔法連盟の関係者か?」
特に根拠もなく問いかけると、話に興味を持ったのか老人は首をかしげる。
「反魔法連盟? なんだそれは……いや、覚えているぞ。この者が幹部の一人として率いていた組織だったか」
「さっきから記憶がおぼろげだな、魔法使い。人間を操るなんて言っていたが、とりついていたカーターのことさえ満足に知らないんじゃ、本当は操れていないんだろ。しかも、お前自身は時とともに消えかかっている。不老不死の成功者かと思ったが、どうやら違うようだ」
「否定はせんよ。本当に成功していたら私は肉体を捨てていなかった。軟弱な人間どもの身体を依り代にしなければ精神を維持できぬのだからな。……かつて本物の不老不死を可能にした唯一の成功例がいたはずだが、私が目覚めたときには封印されていた。人間はよくわからんな。あれほどの魔法を簡単に手放せるとは」
「ネスティアスか……」
嘆くような老人の言葉に反応して、ぼそりと呟いたのはアレスタだ。
不老不死を可能にした唯一の成功例。
それが領主の言っていたネスティアスのことかは知らないが、蘇生魔法まで使えたという上級の治癒魔法使いとされる英雄の名を思い出さずにはいられなかった。
小さいながらもアレスタの声が聞こえたらしく、振り返った老人は顔を向ける。
「ん? 貴様……。身動きするのに邪魔だからと、すぐには立てぬようにしたはずだが? 不思議だな、もう無事になっておる。私の攻撃を避けていたのではない。私が幻覚を見ていたのでもない。とすれば……」
格好の獲物を見つけた獰猛な獣のように、目を鋭く細める老人。
「貴様、治癒魔法使いだな?」
「おい、魔法使い。だったらどうだって言うんだ」
すかさず二人の間に入ったサツキの問いかけには答えず、なおも老人はアレスタに語り掛ける。
「いかなる事情があれ、魔法は少数の優秀なる魔法使いが管理するべきだ。強力な魔法であれば、なおさらにな」
「だからお前は何が言いたい?」
「……貴様に答える必要があるのか? いや、精神果樹園に鍵の掛けられた貴様には暗示魔法が通じないのだったな。だったら教えてやろう」
「ああ教えろ。もったいぶらずに今すぐだ」
「くっくっく……。よいか? この者は私が制御する」
「えっ……」
不穏な言葉が耳に入り、警戒して後ずさるアレスタ。
制御する――つまり、アレスタを強烈な暗示にかけると言っているのだろう。
どういう方法かはわからないが、おそらく魔法だ。
どこから襲ってきてもいいようにと身構えるアレスタ。どのように対処するのがいいのかもわからず緊張していると、焦るでもなくサツキは余裕を見せていた。
「やれるものならやってみろよ」
「ふっ、愚か者め。言われなくともそのつもりだ!」
叫んだ魔法使いの全身は人間としての輪郭を失って白い煙となり、吸い込まれるようにアレスタの体に入っていく。
彼が目指したのは肉体の内側ではない。精神の内部、すなわち精神果樹園だ。
精神果樹園とは魔力を蓄える保管庫であり、人間の身体にとっての心臓、意識にとっての脳と同じく、魔法使いにとっての中枢である。ここを他者に支配されれば、魔法使いとしての全権を手放したに等しい。
様々に制限があったカーターの暗示魔法とは違い、術者そのものが入り込んで行われる精神操作。
早急に手を打たなければ危険だ。
「ア、アレスタさん! 大丈夫ですか!」
驚いたイリシアは慌てて駆け寄ってアレスタの肩を揺するが、白い煙となった魔法使いに入り込まれたアレスタは目を閉じてしまっている。
もう制御されているのか……いや、今はまだ気を失っているだけだ。しかし放置していれば操られるのも時間の問題かもしれない。だが、助けるにも一体どうすればいいのか。
何一つとして名案が思い浮かばない彼女が困惑していると、やはり余裕を浮かべた表情のサツキがその肩を叩いた。
「落ち着け、イリシア。どのみち俺たちに奴を止める手段はなかったんだ」
「どうしてそう落ち着いていられるんです!」
「焦ったところで事態は変わらないからさ。お前は何も知らないだろうから無理もないが、アレスタは普通の少年じゃないんだよ。他人の身体を借りなければ戦えもしない、年老いた魂の魔法使いに敗れるような奴じゃない」
「普通の少年じゃない……?」
治癒魔法が使えるとすれば、確かに普通の少年ではない。だが、サツキが言っているのはそれだけではない気がした。
ならば何か他に特別な事情でもあるのか。それも、疑似的に不老不死の力を手に入れた古代の魔法使いにさえ及ばない事情が。
なんにせよ手の出しようがないイリシアは彼を見守ることしかできなかった。
一方、魔力を使って強引に扉を開いた魔法使いはアレスタの精神果樹園に侵入した。
精神の内側に陣取り、新しい主となってアレスタの身体を支配するためだ。
「おかしい。どこまでも続くように思える。精神領域の中心はどこだ?」
自分がどこにいて、どこを目指しているのかもわからぬまま、何かに引き寄せられるように歩みを進める魔法使い。
彼はその先で、あるものを見た。
「な、なんだこれは」
そこにあったのは、まばゆいほどの輝きを放つ一本の大樹。
魔力をため込んだ果実を育てる、精神果樹園に生えた果樹ではない。
もっと大きな、言ってしまえば魔力そのものを生み出すような大樹だ。
すでに肉体を捨て、疑似的な不老不死で命をつないできたにすぎない古代の魔法使いは驚愕とともに見上げる。
「生きていたころの私にとって、世界中の魔力を操り制御するため、魔法使いの意思の集合体である『疑似的な神』を生み出すことが悲願だった。だが、これは、人間に運命付けられた『死』に対抗する治癒の力などではなく、命を創造する神性そのものでは……?」
新しく命を創造する神性。
何もなかった空間に世界を造り、人間を生み出したとされる神が持つ力だ。
もはや治癒魔法などという次元ではない。
本物の奇跡だ。
「これほどの力が普通の人間に宿っているはずがない。だとすればこの少年は普通ではない。考えられるとすれば、神の降臨を目的として発動されたという第四世界魔法……それは失敗したとされるが、あの時、極秘裏に帝国だけは手に入れたか。それも、このような少年の形で……」
彼は確信した。ある種の神性が大樹の形で精神果樹園の奥地に顕現しているのだ。
ならば、それを手に入れることが彼の悲願である。
そう思って大樹に触れた瞬間、魔力が爆発して治癒魔法が発動した。
「な、なんだ! 何が起こっている!」
実体のない精神体だった魔法使いは強制的に受肉した。
数百年間生きてきた年月にふさわしい年老いた肉体を手に入れると、次の瞬間にはアレスタの精神果樹園から弾き飛ばされたのだ。
「こ、こんなはずでは……」
突風のような見えない力で吹き飛ばされ、アレスタから離れた中庭の地面の上に倒れた魔法使い。ぜえぜえと息をするのもやっとの状態で、その場で立ち上がることさえままならない。
肉体のない精神体だったころとは違い、強制的に発動した治癒魔法によって与えられた年老いた身体では満足に動くことさえできず、意識の中にある彼の精神果樹園も枯れていた。
自由に扱える魔力がなければ魔法は使えず、しばらくあがいた果てに老人は息を引き取った。
老衰だ。
「死んだか」
つぶやいたサツキの目の前には干からびた死体が転がっている。
先ほどまでの健康的な精神体ではなく、やせこけた肉体を得たに過ぎない百歳以上に見える老人の、あまりにもみすぼらしい遺体だ。
今まで精神果樹園に侵入していた魔法使いが外に出されたからか、ほどなくアレスタも目を覚ました。
周囲の状況を伺いながらゆっくりと立ち上がると、後ろから問いかけられる。
「ア、アレスタ君? き、君は一体、何をしたんだい……?」
四人から離れた場所に立っていたニックの声は震えていた。
結果として老人は死んでしまったものの、ある種の蘇生魔法により、人間だったころの肉体を取り戻したように見えた。
アレスタの意思で使いこなせているようではないが、もし本物の蘇生を可能としたのならば上級の治癒魔法だ。
それが事実だとすれば、放ってはおけない。領主に報告する義務がある。
自分でも自分が何をやったのかよくわかっていないアレスタの代わりにサツキが口を開く。
「イリシア、ニック。もしもお前たちがアレスタに感謝しているのなら……」
状況を整理できずにいる二人の顔を見比べながら、あえて感情を見せないサツキが真剣な目を向ける。
「ここでは何も見なかった。いいな?」
「で、ですが……」
「勘違いするなよ、俺はお願いしているんじゃない。辺境地域における治安維持を条件に帝国政府と密約を交わした辺境魔法師として命令しているんだ。古代から無駄に生き永らえてきた馬鹿な魔法使いは死に、反魔法連盟の幹部として悪事を企てていたカーターも倒れて街は救われた。だから次はアレスタを守る。それが今の俺の役目だ」
邪魔をするつもりなら容赦はしない、そう言いたげな表情をするサツキ。冗談を言っている様子はない。
アレスタの身の安全を守ろうとする彼と敵対する理由はあるのか。そもそも勝算はあるのか。
そこまでを考えて、先に折れたのはイリシアだ。
「……わかりました。今ここで見たことは誰にも言いません」
「え、ちょっと、イリシア! でも、だって、今のは普通じゃないよ! そりゃあ、完璧ではないにせよ蘇生じみた魔法を使えたアレスタ君のことを考えれば言いふらすのは危険かもしれないけど……」
「ニック、私たちは彼に救われたんです。あの古代の魔法使いに私の剣は通用しなかった。他の騎士は一人残らず操られ、領主様も行方が知れない。彼がいなければ、今頃どうなっていたか」
「そりゃそうだけどさ……」
「不満があるのはわかりますが、すべての責任は私が取ります。何か考えがあるのでなければ私に従いなさい」
「う、うん……」
何から何まで納得できたわけではないものの、自分でも迷いがあるため強く言い返すこともできず、結局はおとなしく引き下がるニック。
「カーター!」
和やかとは言えない雰囲気で彼らが話していたころ、話題の中心にいたはずのアレスタはカーターのもとへ駆け寄っていた。
あれこれと難しいことを考えるよりも前に精神果樹園を開き、治癒魔法を試す。
しかし、やはり自分以外の人間には治癒魔法の効果がないらしく、いつまでたってもカーターの傷は治らなかった。
ただ、いつの間にか彼は意識を取り戻していた。
「アレスタか……」
「カーター、ごめん、この傷は治せない」
「いい、わかっている。もう長くはもつまい」
実際、すでに大量の血を失っている。治癒魔法が使えず傷が治らないとなれば、いつ死んでも不思議ではない状態だ。
それを理解しているカーターはこれがアレスタとの最後の会話だと覚悟した。
「よいか、アレスタ。敗北は認めたが、お前たちに謝りはせんぞ。暗示魔法は私の力ではなかったが、信念は私のものだ」
「信念って、もしかして反魔法連盟のこと? どうして、そこまで……」
「もちろん理由はある。私が反魔法連盟に入ったのは復讐と世直しのためだ。私の両親はとある魔法使いによって無残な姿となって殺された。犯人は逃亡したまま今も捕まっていない。政府の連中は口先ばかりで、魔法使い相手に何もできなかった。だから私が自分の手で……」
「そうだったのか……」
けれど、だからといってカーターの行動が許されるわけではない。
この世から魔法をなくすためと言って、魔法使いを皆殺しにするなど狂気の沙汰だ。
復讐や世直しが間違っているとまでは言えない。魔法をなくしたいという願いが間違っているとは言い切れない。
それでも、それを実現するための手段が魔法使いの根絶やしでは救いようがない。
「ねえ、カーターには本当の意味での仲間がいなかったんじゃない? たくさんの仲間を作って、もっと他の生き方を知るべきだったんだよ。いろんなことを見聞きするたびに、いかに自分が物事を知らないのか思い知らされるよ。どんなに自分が狭い視野で物事を認識しようとしているのか、まずはそれを認めないと駄目だ」
「本物の仲間か……。私には多くの同士がいたが、それは確かに思い当たらないな」
弱々しい声でそう呟いたカーターの目は寂しげに見えた。
それでも結局は迷いを振り切る。
「私は自分の信念が間違っているとは思わない。こんな状況になった今も、自分がやってきたことの全てに誇りと自信を持っているのだ。敗北を喫した今でさえ、後悔の一つもない。もしこれが過ちなら、私は死をもって受け入れよう。それだけの覚悟はこの道を歩むと決めた瞬間から抱いている」
「何を言っているんだよ。死ねばいいってもんじゃないだろうに。邪魔する敵を殺せば何もかも解決するってわけでもない。どうしてカーターは他の方法を見つけられなかったんだ」
声を出すのもつらいのか、カーターは辛そうに顔をしかめた。
「治癒魔法使いか……。あるいはお前なら、すべての敵を殺す以外の方法を見つけられるかもしれないな」
「そうだといいけど……。いや、たぶんそうしなきゃ駄目なんだ。俺の治癒魔法は未熟で自分以外には使えないけれど、それでも俺はさ、いつか誰かのために役立てて見せるよ」
今はまだ自分のことしか救えない未熟な治癒魔法だけど、いつかきっと、この力で多くの人々を救えるようになりたい。
結果として育ての父を乗り越えた今、アレスタは心からそう思った。




