16 治癒魔法使い
それでも膝を屈しなかったのは、せめてもの矜持である。
カーターの一振りで切り落とされた右腕とともに希望は奪われ、思わず頭をよぎったのは敗北の文字だ。
しかし絶望がアレスタの心を支配したのは一瞬だった。
歯を食いしばって再び奮い立ったアレスタは毅然とした態度で顔を上げると、両足で力強く大地を踏みしめて、カーターに立ち向かう決意を取り戻した。
できるという確信はない。
けれど失われた右腕の代わりに左腕がうずく。
「そうだ。たかが右腕を失ったくらいで諦められるわけがない」
倒れそうになっていた意識を総動員して精神果樹園を開き、実体のない右手で魔力の塊である淡緑色のブドウをもぎ取る。
これで魔法が使えればいいが、今まで実際に魔法を使っていた現実の右手は失われている。
だから今回は熱を持った左手をゆっくりと右肩へと動かした。
すると強力な魔力の奔流があり、発動したそれは間違いなく治癒魔法だった。
「……よし」
安堵とともに精神果樹園を閉じたアレスタは感覚の宿った右腕を振り上げて確認する。
右手ではなく、左手で使った初めての治癒魔法。
夢や幻ではない。今まで使用していた治癒魔法と遜色はなかった。
カーターは剣先をアレスタの顔に向けると若干の感嘆を見せ、それから無感情に一つの結論を下す。
「やはり、首か」
言った意味はわかる。言いたいことも理解した。
だからアレスタは苦笑しつつも答える。
「らしいね、助かったよ」
いつも右手を傷口に当てていたので気づかなかったけれど、どうやら治癒魔法を使うために右腕が必須だったわけではないらしい。
もしかすると、左腕さえも。
意識の中に存在する精神果樹園の果実をもぎ取ることさえできるなら、いつまでも魔法を使うことができるのだろう。
問答無用に首を切り落とされるまでは、すなわち己の意識が続く限りは。
ならばアレスタは諦めない。いつまでもどこまでも、カーターに食らいつく。
「こうなったら私も引き下がれないな。再びこの世に魔王を生み出さぬためにも、お前を倒すまで先へは進まぬ」
「それはありがたいね。こんな俺でもカーターの足止めをできるんだから」
とはいえ油断はできない。
この場でアレスタを倒すと宣言したとおり、相手は強硬手段に出るだろう。
治癒魔法を使いながら辛抱強く待っていたところで、サツキやニックなどといった仲間が助けに来てくれる保証もないのだ。いつまでも時間稼ぎばかりしているわけにはいかない。
ここでカーターの野望を終わらせなければ、何も終わることはない。
「足止めに何の意味がある? 私の計画が少し遅れるだけだろう。いい加減、無駄な抵抗を諦めて逃げ回ることをやめたらどうだ?」
「残念だけどそれはできないよ。情けないかもしれないけど、逃げ回ることをやめはしない。治癒魔法を使う暇もなく連続で攻撃を受けたら死んじゃうからね」
「ふむ……。あえて力を抜くことで魔法の正体を見抜き、今後の参考にしようかとも思っていたが、あまり意味はなさそうだ。もう遊びはやめよう」
すっと目を細め、アレスタをにらみつけたカーターは低い声で続ける。
「アレスタ、ここですべてにけりをつける」
やはり今までは手を抜いていたらしい。
厳しい口調とは裏腹にアレスタを本気で殺そうとしているようには見えなかったが、それはアレスタの言葉に影響されて攻撃を思いとどまっていたわけではなく、憎むべき治癒魔法の力を確認するためだったようだ。
つまりアレスタの治癒魔法をじっくりと観察するほどの余裕があったということであり、本気を出すような相手ではなかったということでもある。
「子供だと思って馬鹿にして……。やれるものならやってみろよ、カーター」
それでもアレスタは精一杯の虚勢を張る。
その方法では、決してすべてにけりをつけることなどできないと確信して。
「ああ、やらせてもらう」
おそらく、その一言でカーターも意識を切り替えたのだろう。
一切のためらいなく、生命線であるアレスタの首を狙って剣がなぎ払われる。
大粒の冷や汗をかきながら、アレスタはかろうじて上半身を後ろにそらすことで剣を避けた。
あと一瞬でも反応が遅れていたら首は切断され、治癒魔法を使う余裕もなく死んでいただろう。
気合を入れるためとはいえ、今更ながらアレスタはカーターを煽ったことを後悔する。
背筋が凍ったような気がした。
「やっぱり考え直そう! 人殺しはよくない!」
相手の戦意を高揚させては駄目だ。命を奪い合うような殺し合いではなく、平和的な話し合いで解決を試みなければ。
使えるのは治癒魔法だけで、攻撃手段を持たないアレスタにカーターを止める手段はないのだから。
「はあっ!」
聞く耳を持たないカーターは攻撃の手を止めなかった。
さすがは反魔法連盟の元幹部、本気を出した剣の一振りは目で追うことすらできず、自分の胸から腰にかけて斜めに一直線な痛みが走って初めて、アレスタは自分が傷を負ったことに気が付かされた。
傷は深く、真っ赤な鮮血があふれ出る。
あまりの激痛に全身が痺れたような錯覚を抱き、唸り声を上げながらアレスタは地面に倒れこんだ。
いよいよ死ぬかと思ったが、まだ生きている。
命が続いているのならば、ここで諦めるわけにはいかない。
自身が生存するために治癒魔法を操るアレスタの無意識は、彼の理性が命令を出すよりも早く動いていた。
もはや視界は完全に白み始めており、周囲の音も遠ざかって聞こえ、意識すら痛みに支配されて情けなく地面の上でのたうっていたアレスタだったが、無自覚なまま精神果樹園を開き、半ば勝手に発動した治癒魔法に助けられる。
「――か、はぁ!」
必死の思いで治癒魔法を使いながら、荒れた動悸を抑えるように、右手を強く胸に押し当てる。
激しく呼吸を繰り返しつつ、遠ざかっていた意識を引き戻す。
たちまち傷が治癒され、暗闇の中に沈んでいた意識が我に返ったと同時、依然として窮地にあったアレスタは慌ててカーターの姿を見上げるが、目が合った瞬間、カーターは地面に倒れるアレスタの頭部めがけて剣をつき立てた。
「うわっ!」
寸前のところで九死に一生を得たアレスタは身をひねって串刺しを逃れる。
己の全体重を刀身に乗せたカーターの剣先は垂直に地面まで突き抜かれ、倒れつつ顔をそらしたアレスタの目の前で、中庭の芝生へと深々と穴をあけた。
こんなものに頭を貫かれたら即死だ。改めてアレスタは恐怖を胸に抱く。
「情けない声を出して! 逃げ回って! あまりに無様だな、アレスタ! 憎き帝国の隠し子よ!」
ひとまず生き延びたことに安心したアレスタに対して、カーターは地面に突き立てていた剣を顔めがけて振り上げた。
「くそっ!」
切り上げられた剣筋に対しては反射的に顔をそらすことで回避するものの、ほとんど前兆もなく襲ってきた攻撃への対処は不完全だった。鋭い剣先に頬を切り裂かれ、またしても大量の血を放出してしまう。
周囲に飛び散った血のうちの数滴が目に入り、アレスタの視界が赤く染まった。
頬を伝う血のツンとした鉄の匂いが鼻先からきつく漂ってくる。
みっともなく地面を這ってカーターから距離をとりつつ、愛撫するように自分の頬へ右手を当てるアレスタ。
深い傷口に手が触れる瞬間、染みるような痛さが針をつきたてたようにジンジンと広がる。同時に治癒魔法も効果を発揮するため、瞬く間に痛みは消えていく。
とはいえ、何度も繰り返して負傷していれば治癒魔法があっても疲労は蓄積する。精神果樹園の果実はまだまだ残っているが、当然ながら魔力も無限ではない。
精神的にも集中力が切れ始め、魔法の使用に乱れが見られるようになってきた。
一度でも治癒魔法を失敗することは、他に頼るべき力のないアレスタにとって死を意味する。
少しでも気を緩めたら死ぬ。
決して油断してはならぬと、決意を改めたアレスタは立ち上がろうとして地面に手を付いた。だがそこをカーターに狙われ、驚いたアレスタは後ろへと転がるように倒れ込む。
そしてアレスタは無様に尻餅をつき、すぐ目の前に立ったカーターを震えつつ見上げた。
恐怖に怯えるアレスタを愉快そうに見下すと、剣をゆっくりと振りかぶりながらカーターは勝ち誇ったように宣言する。
「さあ、これでお前も終わりだ。おとなしく諦めることだな」
ああ、ついにこれで何もかも終わってしまうのかと、絶望的な窮地に追い込まれたアレスタは観念した。
すっかり殺人者の目をしたカーターを前にして、もうどんな言葉も届かないだろうと思った。
……しかし、突如として雲の切れ間から光が差し込み、心を洗うような風が吹き抜けた。
そして耳に届いてきたのは頼もしい声だ。
「ご無事ですか!」
その声は一瞬、救いを求めるアレスタの願望が生み出した幻聴ではないかと思えた。
「まさか、イリシアさん?」
けれど、祈るように振り返ったアレスタの目には彼女の凛々しい姿が映った。
あれは間違いなくイリシアだ。ついでにニックもいてくれる。
「貴様ら、誰かと思えば私の暗示魔法がかかっていない騎士か……」
中庭へと乱入したイリシアへ顔を向けたカーターからは、先ほどまで見せていた余裕が消え失せる。新たに姿を見せた人間が騎士ともなると、戦闘の素人であるアレスタを相手にするのとは事情が異なるのだろう。
「暗示魔法ですか……。なるほど、こうしてアレスタさんに剣を向けている以上、どうやらあなたが城の皆をおかしくした人物で間違いないようですね」
「……城の騎士には領主から待機命令が出ているはずだが? 貴様らが本物の騎士なら、そこをどけ」
そうすることが当たり前のように、カーターはためらうことなく言葉を続ける。
「いいか、私の邪魔をするな」
今まで対峙していたアレスタのことは無視して、敵意を向けてくるイリシアをにらみながら言い放ったカーター。
その様子から察するに、彼女に対して暗示魔法を使おうとしているのだろう。
だが先んじて高速化魔法を自分にかけていたイリシアには不思議と彼の暗示魔法はかからなかった。そうと知ると暗示魔法の使用を諦め、そのまま毅然とした表情でカーターは歩き出した。
立ちはだかるイリシアは退かず、立ち向かうカーターも歩く速度を落とさない。
向かい合った二人の剣がまさしく交差するその直前、横から意外な人物が飛び出した。
「残念だけど、邪魔をするなっていうのは無理だね。今の僕は騎士としての責務じゃなく、この街や仲間を愛する一人の男としてここに来たんだ。領主様の命令ではなく、自分の意志で君を止めさせてもらうよ!」
「ニック……。気持ちは嬉しいけど、無理しなくてもいいよ?」
「き、君はぁっ! せっかくこうして僕が決意して駆けつけたんだから、アレスタ君もこんなときくらい期待しておくれよ!」
「だったらまずはそのへっぴり腰を何とかしてよ!」
言葉だけは威勢よくイリシアの前に出たものの、全く動じることのないカーターの姿に怯えているのか、腰の引けたニックは足がガクガクと震えてしまっている。
凛然とした出で立ちのイリシアと見比べてしまうと雲泥の差があって、同じ騎士として情けないことこの上ない。
「へっぴり腰なんかじゃない! これは僕なりに考え抜かれた剣の構えだよ!」
「そんな自己流、さっさと捨てよう!」
アレスタはそう言いながら、ニックのおかげで、先ほどまで失っていた気力の大部分がわいてきたことを知る。
恥ずかしくて口には出せないが、もちろんニックには感謝していた。
心の奥底ではあったが、ずっと助けに来てくれると信じていたのだ。
「……なんだそれは? 暗示魔法をものともせず立ち向かってくるからには優秀な騎士に違いないと思って身構えたが、戦闘の基礎もなっていないような馬鹿が増えただけか。脅威ではないな」
「一つだけ忠告しておく。油断はしないほうがいいぜ、カーター」
「……サツキか」
騎士である二人に遅れて中庭に姿を見せたのはサツキだ。
信頼を寄せ合える仲間とは呼べないまでも、かつてはともに帝国政府に対して反旗を翻したという二人。
積もる話もあるらしく口を開きかけたカーターだったが、今の状況を思い出したのか首を横に振った。
「言いたいことはたくさんあるが、話をするなら邪魔者を排除してからのほうがいいだろう」
「排除するとは威勢がいいな。だけど大丈夫か? 得意の魔法が通用しないみたいだが」
「案ずるな。私は魔法の力だけに頼って幹部まで上り詰めたのではない。かつての帝都襲撃の際も暗示魔法が通じぬ騎士の相手を何人もしたものだ。こんな街でくすぶっているような、帝都の騎士団よりも弱い連中に負けはせん」
そう言って、剣を握る手に力をこめるカーター。
決して強がりではない。経験と実力に裏付けされた宣言だ。
十年前に肩を並べたこともあり、それを知っているサツキ。使えるのが剣術だけだとしも、並の騎士なら相手にならぬほどの腕前があるのは事実だ。暗示魔法が通用しなくとも、イリシアがカーターを止められるとは限らない。
それでもサツキは心配しなかった。
「その言葉、きっと後悔することになるぜ」
「その通りです!」
サツキの言葉に呼応するように、短く「邪魔です」と言って後方に下がらせたニックの代わりに前へ踏み出したイリシア。右手で鞘から引き抜いた剣の切っ先をカーターに突きつける。
その姿はまさしく人々を守るために戦う騎士だ。勇ましくて頼もしい。
「あなたが何をなそうとしているのかはわかりませんが、城の騎士を操っただけでなく、剣を手にして歯向かってくると言うのならば仕方ありません。ここは私も全力で挑ませていただきます」
「よかろう。こんな街の騎士に負けはせぬとは言ったものの、私の暗示魔法が貴様に通じないとなれば、おそらくただの魔法使いではないだろう。全力を出してくるとなれば、油断だけはしないほうがよさそうだな」
独り言のように宣言したカーターはイリシアに意識を集中させ、先ほどまで争っていたアレスタのことなど視界の外へと追いやってしまう。
治癒魔法しか使えないアレスタは相手にもならないと、優先順位を下げたのだろう。
「ひとまず皆さんは下がっていてください。彼の相手は騎士である私が一人で引き受けます」
そう言いながら、イリシアは左手にも剣を構える。得意の二刀流だ。
「ちょっと待ってよ、イリシア! 僕も協力するよ!」
「ニック、あなたは邪魔だから手出しをしないで! あなたに頼みたいことはアレスタさんの護衛です! 騒ぎを聞きつけた他の騎士が駆けつけてくるかもしれません!」
「わ、わかった!」
イリシアに半ば蹴られる形で、ニックはアレスタのもとへと駆け寄った。
それを見送って、カーターは鼻で笑う。
「他の騎士は駆けつけて来ぬさ。私がそれを命じていないからな。いずれは殺すつもりだが、領主も今はまだ生かしている。暗示魔法を使えるとはいえ、ある程度の準備をしてからではなければ、帝都の騎士団や帝国軍が攻めてきたときに対応できないからな。まずは各地の主義者たちを集め、それから……」
「黙りなさい。あなたの野望もここまでです」
そしてイリシアは左右の剣を構え直す。
柔らかに前傾姿勢をとりつつ、攻撃態勢へと移っていく。
「……まあいいだろう。ふふ、腕が鳴るぞ。この十年、殺したのは村に出てくる魔物ばかりだった。暗示魔法が通用しない人間と真正面から堂々と戦うのは久しぶりだ」
戦意が十分なイリシアを目にして口元をゆがめるカーター。
その姿はまるで血に飢えた猛獣のように見えた。
「ならばその腕、私がへし折ってご覧に入れましょう!」
短く吐き捨てるように言って、瞬時にイリシアは地を蹴ると、真っ直ぐ駆け出した。その直前に彼女の全身を覆っていた魔法的な輝きが強まったことから判断すれば、おそらく身体の速度を上昇させる魔法の効果を強めたのだろう。
おかげでアレスタには彼女の動きがほとんど視認できなかった。
「くっ! なかなかやるものだな!」
これには前口上が立派だったカーターも苦戦せざるを得ない。
予想を上回る機敏な動きを見せたイリシアの猛攻を受け、今までの余裕が一瞬にして消え去った。
ただでさえ二刀流のイリシアは手数が多い。そこに常識を超えるスピードの連続攻撃が加わってくるのだから、いくら剣の腕に自信があるカーターといえど苦戦するのは無理もなく、暗示魔法を使えなければ防戦一方になるのも仕方がないだろう。
「見えたっ!」
だがそこは反魔法連盟の元幹部、さすがのカーターである。
二本以上はあるかのような速度で次々に襲い掛かってくるイリシアの剣を一つとして漏らさず受け切り、わずかに発生した攻撃の隙を見逃さず、反撃の糸口を見出した。
返し刀に剣を素早く振り上げて、イリシアの剣を弾き返すとともに挙動をずらし、自身は華麗に一回転すると、勢いそのままイリシアの胴を狙って切り込んだのだ。
もしイリシアが身を鎧に包んでいなければ、それが致命傷になったことだろう。
「さすが! 敵とはいえ! 大口を叩くだけのことはありますね!」
崩れた体勢を立て直すためか、イリシアは軽やかなステップで後ろへと下がる。
遠目からでもイリシアが顔をしかめたように見えたのは、それだけカーターの反撃が手強かったという証拠なのだろうか。
もしもアレスタが自分以外にも治癒魔法を使えたら、こんなときイリシアの役にも立てただろう。
しかし、悔しいことにアレスタは自分にしか治癒魔法を使えない。
つまり、現状、この場で怪我を恐れずに戦えるのはアレスタだけである。
「ん? だったら俺は怪我を恐れる必要はないんじゃないか?」
とすると、二人の決闘を遠くから見守る以外にも役立てることがあるかもしれない。
「貴様は弱い! 私と違って大口を叩けるほどの力量はない!」
カーターは果敢に地面を蹴って、イリシアの懐に飛び込むように襲い掛かる。
彼女の凄まじい二刀流を肌身に感じながら、それでも一切たじろがないのは、おそらく彼なりの信念や覚悟を胸に秘めているからだろう。
それに比べてアレスタは何を理由にカーターを止めようとしているのだろう?
何を武器にすれば、人を殺すことを厭わぬカーターを止められるのだろう?
「うくっ!」
聞こえてきたのは、ひるんだ声だ。
うつむいていたアレスタが顔を上げて前を見ると、イリシアがカーターに押されていた。
いや、違うだろう。実力がほとんど拮抗しているせいで一進一退となり、攻防がめまぐるしく変わっているのだ。
このままだと、どちらが勝ってもおかしくはない。無意味に決着が長引いてしまうことだって考えられる。
それはイリシアに負担を強いるということだ。
厳しい訓練を積んだ一流の騎士とはいえ、魔法で全身の速度を上昇させているとはいえ、反魔法連盟の幹部として各地で転戦してきたであろうカーターと一対一、本気で斬り合ったら彼女だって命をかけていることに他ならない。
それがどれほど大変なことなのか、先ほどまでカーターと立ち会っていたアレスタがよく知っている。
「その身に刻むがいい! 二兎追う者は、一兎も得ずと! 二刀流など、手数に頼る愚か者の流儀だということを!」
「ぐっ!」
そしてイリシアがカーター相手に致命的な遅れを取り、その片膝を頼りなく地面の上に落としたとき、アレスタは自身に問いかけていた。
――このまま俺は遠くから見守っているだけでいいのか?
これに対する答えは問いかける前から決まっていたはずなのに、アレスタはすぐには動き出せなかった。
迷いや不安が自分の足を止めているのなら、己の足を動かすために、今ここでアレスタは迷いと不安を捨てるしかなかった。
覚悟が足りずに動き出せないのなら、すぐにでも覚悟を決めるしかなかった。
自分がどうしたいのか、どうするべきなのか。本当の意味では今もわからないままだ。
だからいつか、きっとアレスタは何度も考え直して反省することになるだろう。今後ことあるごとに思い出しては、他に方法があったのではないかと後悔することもあるだろう。
でも今は彼女を助けたいという衝動を止めることができなった。
ただひたすら、一心不乱に、アレスタは攻撃の際に生じる一瞬の隙を狙い、カーターに向かって駆け出したのである。
たどり着く直前にカーターから片手間の動作で左足の太ももを斬りつけられるものの、それでもアレスタは速度を落とすことなく突進して、カーターの背後から抱きしめるように密着する。
そしてカーターが振り向いて抵抗してくる前に、脇の下から両腕を通して羽交い絞めにした。
これはアレスタが治癒魔法を使えるからこその、まさに怪我を覚悟した上での捨て身の行動である。文字通り本当に命がけではあるが、それによってカーターの身動きを封じることに成功したのだ。
もちろん、アレスタの目的はカーターを止めておくことだけではない。
「今だよ、イリシアさん!」
後はイリシアがとどめを刺してくれと、アレスタは必死の思いで彼女に伝えた。
「わかっています!」
アレスタと目が合ったイリシアは深く頷き、この隙を逃さず攻撃に移る。後ろからアレスタに羽交い絞めにされているカーターには身構える余裕もなかっただろう。
片膝を落としたイリシアに対して勝利を確信していたカーターは、その油断に負けたのだ。
捨て身で突撃してくるという、思いがけないアレスタの行動に虚をつかれたのである。
「さあ、ここまでです!」
剣を握ったイリシアの左手は大きく外側へ向かって振り上げられ、その軌道上でカーターの右腕を的確に切り裂き、その唯一の武器を弾き飛ばして無力化する。
一方の右手は剣をまっすぐに構えており、その鋭い剣先はカーターの首筋にピタリと張り付く。
無論、アレスタはイリシアに追い詰められたカーターを背後から羽交い絞めにしたままだ。
つまりは、これで終局。
「……その剣を下ろせ」
だが不遜な態度を崩さないカーターは窮地に追い詰められたまま、それでも強気にイリシアを睨みながら命令する。
この期に及んで、最後に自らの暗示魔法に可能性をかけたのだろう。
「拒否します。なんでも自分の思い通りになるとは思わないことです」
「だそうだ。潔く負けを認めろ、カーター。その状況ではもうどうしようもないだろう」
「……ふん。やはり私の暗示魔法が効かない人間ほど厄介で迷惑な存在はないな」
イリシアだけでなくサツキにも迫られて観念したのか、敵意を鎮めたカーターは静かに肩を落とした。
「今すぐ暗示魔法をすべて解きなさい。でなければ、ここであなたを殺すことになりますよ」
「このまま殺せばよかろう。戦いに負けたからといって、私はすべてを捨て去れるような人間ではない。たとえ屈辱的な敗北を認めたとしても、この信念までを否定することなどできぬ」
「……それでは一応、念のために確認しておきます。ここで殺してしまった場合、あなたのかけた暗示魔法はすべて解けるのですか?」
「それは保障しよう。……安心するがいい。私は覚悟も信念も人並み以上にあると自負しているが、それゆえにプライドも十分に持ち合わせている。今さら無意味に嘘を伝えたりしない。生き恥になるような負け惜しみは口にしたくないのだ。見苦しくあがくくらいなら、この命、今ここで、貴様の手で散らしてもらいたい」
「そうですか。あなたがそう望むのでしたら……」
脅しなのか、本気なのか、イリシアは剣を握り締めた右手に力をこめる。
その姿をカーターの背後から目にして、アレスタがイリシアに何か語りかけようとした時だった。
「いいや、許さん。最後まで戦え」
「……えっ?」
膝を屈したカーターの胸を突き破り、内側から新たなる魔法使いが姿を現したのだ。




