表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
治癒魔法使いアレスタ  作者: 一天草莽
第一章 治癒の英雄、あるいは不死者の王
11/85

11 酒場、そして村へ

 社交的なヒゲ面の男性に誘われて参加した記念祭の打ち上げは、大通りから入った脇道にひっそりとたたずむ酒場で行われた。

 そこの店主は魔物騒動のときに酩酊波動という魔法を使っていた陽気な男性で、暴れる魔物から助けてくれたアレスタのことを大歓迎してくれた。部外者として迷惑がられるのではないかと不安だった部分もあるので助かったけれど、問題は別の部分にあった。

 豪快な性格の彼は「歌え、踊れ!」と手当たり次第に自分の魔法を食らわせ、記念祭の打ち上げに参加した客を強引に酔わせて宴会を盛り上げたのだ。

 どんちゃん騒ぎが好きなだけかと思えば、とんでもない。ずる賢い彼は問答無用で客を酔わせて判断能力を失わせ、半ば違法に儲けようと考えていたことが判明したので、これがまずひと悶着。その騒ぎが大喧嘩に発展しそうになった頃、それとは別に酔っ払った客の一人が自制心を失って、勝手に店内で危険な魔法を披露し始めるのだから一大事。

 最後には打ち上げの席を一人で切り盛りしていた看板娘の少女が男性陣に興味を示し、とっかえひっかえ色目を使うものだから収拾がつかない。

 もみくちゃな大宴会の騒動に危うくアレスタも巻き込まれかけたが、護衛かつ監視役として隣に座っていたニックを差し出すことによって難を逃れた。身代わりにしてしまって悪いとは思いつつ、目立たぬ片隅でジュースを飲み続けたアレスタである。

 と、そこへ飛び入りで参加したのがイリシアだ。

 生真面目そうな彼女がこんなところに来るとは意外だったものの、そう思われるのは心外だと答えたのもイリシアである。市民との交流も仕事のうちとか言って水ばかり飲んでいた彼女が退屈そうに見えたので、自分の席に誘って二人きりになったアレスタはイリシアとジュースを酌み交わした。

 お互いに酒は飲めず、アルコールの力で酔いつぶれてストレス発散ともいかなかったが、打ち上げの間は優しく接してもらえたのでアレスタは嬉しかった。疲労困憊となって騒動の中心から抜け出してきたニックのことも励ましていた彼女なので、ひょっとしたら怒ったことを気に病んでいたのかもしれない。

 そのニックは酒も飲めないのに場の空気に酔っているのか、バタンと大げさな音を立てて目の前のテーブルに突っ伏した。


「あーあ、何をやってもうまくいかない。僕も何か人の役に立ちたいな……」


「お、だったらちょうどいい話があるぜ」


 いつの間にかアレスタたちの近くに来て、尋ねてもいないのに強引に会話に割って入ってきたのはヒゲ面の男だ。まるで何年も付き合ってきた旧知の友達のように馴れ馴れしくアレスタの肩に手をかけてきた男はすっかり酒に酔っている。どこまで正気や理性を保てているかは疑問だ。適当なことを言い始めるかもしれない。

 とはいえ、初めて会った時から友好的でいてくれる彼を冷たく追い返すわけにもいかず、べらべらと勝手にしゃべり続ける彼の相手をする羽目になったアレスタ。どうせ酔っているんだからと適当に相槌を打って話を聞いているうちに、あれよあれよという間に村へ帰る彼を護衛するという話になった。

 何でも最近は村へと続く街道に山賊や魔物が出てくることがあるらしい。


「あなたたちだけで大丈夫なんですか?」


 イリシアの心配ももっともだ。

 治癒魔法が使えると言っても、ここに至るまでのアレスタは自分一人の力で危機を切り抜けて来たわけではない。特務部隊に追われたときはサツキに助けられ、誘拐犯のアジトでデッシュに襲われたときはイリシアに助けられ、先ほどの魔物騒ぎではサラに助けられた。

 知る人ぞ知る辺境魔法師だというサツキはともかく、根本的に戦いに不慣れなアレスタやニックでは護衛役として力不足だろう。

 冷静に考えれば考えるほど大丈夫じゃない気がしてきて不安がるアレスタ。

 途中から合流して話を聞いていたサツキが答える。


「俺たち三人だけじゃ大丈夫ではないかもしれないが、生活のため街と村を行き来する庶民が整備された街道を通るだけで危険があるのだとしたら、なおさら誰かが護衛についたほうがいいだろう。同行者が増えれば増えた分だけ、抵抗を恐れて山賊も襲うのをためらうようになる。この打ち上げで好きなだけ飲み食いさせてもらった恩を踏み倒すわけにもいかんし、追加で報酬もくれるってんなら喜んでついていくさ。それとも騎士団から本格的な護衛を出してくれる用意があるっていうのか?」


「それは……」


 痛いところを突かれたイリシアは言いよどむ。

 当然ながら騎士団も定期的に各地の巡回や街道周辺の警戒を行ってはいるものの、騎士団員の人数にも限りはあるので十分とは言えない。街道を通行する旅人や商人を対象にして個別に護衛を付けるのは、金持ちや要人など一部の例外だけだ。

 今度こそ自分が活躍できるチャンスだと思っているのか、アレスタの護衛として同行しているニックが胸を張る。


「忘れてもらっちゃ困るけど僕だって騎士団の一員だよ。立派な鎧を着こんで帯剣している正式な騎士だ。それが護衛につくんだから安心してくれたまえ」


「できん」


「え……」


 一言で切り捨てられて言葉を失うニック。

 あまりの対応に慰めや反論を求めてアレスタやイリシアに目を向けるが、異論がなかった二人も顔をそらした。


「魔物が出てきたときに腰を抜かしていたニックが頼りないというのは俺も同感ですが、だったらやっぱり危険じゃないですか? 本当に魔物や山賊が出てきたらどうするんです?」


「その件だが、少しだけリスクを天秤にかけてみたんだ。本来はしばらく街でおとなしくしているつもりだったが、誘拐犯に魔物騒ぎにと、あまりよくない形でアレスタの存在が反魔法連盟の主義者に目を付けられた可能性がある。少しの間はベアマークを離れたほうがいいかもしれない。誘拐犯の残党も騎士団が調査しているんだろ?」


 最後の問いかけはアレスタではなく、騎士のイリシアに向けられていた。


「そうですね。隠されていたアジトを発見したので、おそらくあと数日もあれば誘拐に関わっていた主義者たちは全員拘束できると思います」


「だそうだ」


 なら、しばらく街を離れるのも策の一つかもしれない。

 席を同じくするイリシアやニックには声が聞こえないよう、サツキがアレスタに顔を寄せて小声で語り掛ける。


「ここだけの話、この街に来て最初に訪れた雑貨屋の店主は掘り出し物の雑貨を集めるためか、昔から妙に情報通でな。無駄に人脈もあるから、街にカーターが来たら連絡をしてくれるように頼んでおいたんだ。あまり口外できないが、奴は雑貨店だけじゃなくてよくない仕事にも手を出しているから、街の出入り口にある魔術式ゲートの通行記録を盗み見ることができる伝手つてを持っていやがるんだよ」


 そうなんですね、と素直に納得しそうになってアレスタは首を傾げた。


「それは犯罪では……?」


「まあ、たとえ犯罪だとしても明確な証拠がない限り逮捕はされんがな。それに、ああいう裏の情報通がいてくれるおかげで助かる部分もある。どうやら街の騎士団も非公式の情報屋として利用しているようだから、あえて泳がせている部分もあるんだろう」


「なるほど」


 どこまで本当かはわからないが一応理屈は通っている。もっと聞きたいことがあるとしても、暗部に踏み込む覚悟もなく裏事情を知ろうとすれば藪蛇になるかもしれないので、あまり詳しく追求するのもやめておいた方がいいかもしれない。

 納得したアレスタから顔を離して椅子に深く座り直したサツキはわざとらしいくらいに大きくため息をついた。


「しかし騎士団も融通が利かないな。本当は誰かが山賊を退治しなくちゃいけないんだが、たまにしか出ない山賊を相手に大事な騎士を無駄遣いも出来ないってことか。山奥にある敵の本拠地に攻め込むのは危険を伴うから、ひとまず街の守りを固めることを優先するのも理解はできるけどな。本当なら、こんなときのためにギルドの一つでも帝国にあれば助かるんだが……」


「ギルド? なんですか、それ?」


「知らないのか? 全体として保守的な傾向が強い帝国とは違って、隣のエフランチェ共和国にはギルドと呼ばれる民間人が主体の職業組合があってだな、そこに依頼することで様々な仕事を頼めるって話だ」


 田舎育ちで交友関係が狭かったせいか、アレスタはギルドの存在を知らなかった。少なくとも彼が暮らしていた村では聞いたことがない。

 いまいちギルドの実態を想像できずに黙り込んでしまったアレスタの代わりに、いじけた様子で水をちびちび飲みながら話を聞いていたニックが二人に顔を寄せた。


「護衛とか情報収集とか物資の運搬とか、長期間に及ぶ巨大なプロジェクトから日常の雑事まで、ちゃんと依頼の対価を払いさえすれば各種ギルドが何でもしてくれるらしいね。すごいよそれ、ベアマークにもあったら僕ら騎士の負担が減るし、すごく助かる」


 それを負担かけている奴が言うな。

 そう思ったサツキだが、ここは同意して話を進める。


「だろ? こんな物騒な時代だからこそ、様々な依頼に応える便利屋ギルドって需要があると思うんだよ。稼げるなら俺も始めたいところだな」


「そうかもしれませんね。だけどニックは騎士として、もっと頑張ったほうがいいんじゃないかな。それにサツキさん、いくら物騒な世の中だからって、恒常的にギルドが必要とされるほど頻繁に山賊から襲撃されるとも思いませんけど」


 利用者にとっては便利なギルドも、職業組合というからにはボランティアではなく仕事である。魔物や山賊の襲撃が怖いのは事実だが、かといって街道を歩くたびに護衛を依頼したのでは積み重なる出費が怖い。

 慢性的に人手が足りないとはいえ、イリシアたちの話を聞くところによると定期的に騎士団も巡回しているというのだから、行き過ぎた不安や心配は取り越し苦労なのかもしれない。


「帝国にもギルドがあればいい、という意見には私も賛成です」


「イリシアさんも?」


「はい。理由はいくつかありますが、まずは何より騎士団にも限界がありますので。ギルドのような民間の組織があって、草の根レベルでの治安維持活動や、市民生活で発生する問題の解決に協力してもらえるとありがたいですね」


「それは……」


 例えばどんなことがあるのだろうと具体的に尋ねて話を広げようとしたところ、ヒゲ面の男が会話を遮った。


「よし、だったら俺の頼みを引き受けてくれるってことでいいな! ガハハ! これで今夜は安心して眠れるぜ!」


 言うが早いか、先ほどのニックよりも勢いをつけてバタンとテーブルに突っ伏すや、すやすやと眠り始める男。やはり相当に酔っているらしい。

 これ以上何かを聞こうとしても頭は働いてくれないだろう。


「仕方ない。村までの護衛か。そういうことで話は決まったらしいな」


「はい、そうみたいですね。決まってしまったからには頑張りましょうか」


「本当に大丈夫でしょうか……」


 イリシアは最後まで心配してくれたが、時間が来たことで打ち上げはお開きとなった。

 村へ帰る彼の護衛は明日の朝、ベアマークの南門から出発することに決まった。





 ベアマークを離れること馬車で半日、周囲を奥深き山々に囲まれた自然豊かな農村がアレスタたちの目の前に現れた。

 その名はリンドル。

 商業都市だというベアマークと比べてしまえば、目立ったものが何もない寂れた村と表現することもできる。だが、その穏やかな静けさにアレスタは懐かしさを感じずにはいられなかった。

 喧騒から離れた田舎に吹く風はどこもよく似ている。きっとアレスタは故郷の風景を思い出していたのだろう。

 将来住むなら、こういう牧歌的なところがいいかもしれない。


「さてと、運よく魔物にも山賊にも襲われず村に着いたな。いやあ、お前らのおかげで助かったぜ」


「平和過ぎて僕が活躍する機会がなかったのは残念だけど、無事でよかったよ」


「はっはっは、やっぱり騎士の格好をした人間が乗っていると山賊に襲われにくくなるんだな。次からは鎧と剣だけでも貸してくれよ」


「……駄目に決まってるじゃないか。そこらの畑に立てられている鳥よけのカカシじゃないんだから、さすがに格好だけを取り繕ったって本物の騎士じゃないとバレるよ」


「ニックでも大丈夫だったんだから意外と平気なんじゃないか?」


「ちょっとサツキ君! それはどういう意味なんだい!」


 まともに取り合わず、ゆったりと馬車の荷台から降りたサツキは大きく伸びをする。


「あー、なんだか平穏すぎて眠くなってきたな」


「同感です。今日はもう疲れましたから、宿があるのならそこに泊まっていきましょう」


「こんな田舎に旅人のための宿があるのかわからんが、そうするか」


 というわけで、本日の予定を決めたアレスタたちはヒゲ面の男性と別れ、あるのかもわからない村の宿を探して歩き始める。

 黙っていると立っていても眠ってしまいそうなのか、あくびをかみ殺すサツキはニックに語りかけた。


「そういえばニック、お前って騎士のくせに剣の扱いが下手で、頼まれた仕事も全部失敗することで有名なんだって?」


「うぐぐ、どこで聞いてきたのかサツキ君は痛いところをつくね。騎士の仕事はいまひとつ上達しないのに、罰として繰り返してきた雑務の腕前だけは確かなものとなりつつあるよ……。最近では書類整理のプロだね」


 自嘲気味に言ってニックは寂しげに肩をすくめる。どうやら本人も少なからず気にしているらしい。

 プロというには書類整理もうまくなそうだけど、それはアレスタも黙っておく。


「まぁ、仕事がうまくいかないからって気にするな。何事も成功するに越したことはないが、失敗も積み重ねていけば成長につながっていくものだ」


「つながっている実感が僕にもあればね……」


「まあまあ、ニックだっていいところはいっぱいあるよ」


 がっくりと落ち込む姿があまりに哀れで、たまらずアレスタはニックを励ます。

 さすがのサツキも同情したらしい。


「そうだぜ。最初に会ったときはなんてむかつく野郎だ! という感じがしたが、今じゃお前も憎めない馬鹿だってことがわかったからな。少なくとも無理に追い返そうとは思わなくなった」


「受け入れてくれたみたいで喜びたいところだけど、結局のところ僕って馬鹿なの?」


「さて、そんなことより宿に行こうぜ」


「そんなことって……」


「そうですねサツキさん、早く行きましょう」


「まあいいけど……」


 それ以上は励ます言葉が見つからず、アレスタとサツキは落ち込むニックを尻目に宿を探しに向かった。

 しばらく道沿いに歩くと、あまり繁盛していなさそうな古びた民宿が一軒、村の広場から少し奥に行った山がちの場所に構えられていた。

 今も経営しているのか不安に思いつつ三人で宿の入り口をくぐると、受付前のちょっとした広間で休んでいた村人がアレスタたちに気付いて話しかけてきた。

 適当な挨拶を交わしていると、その村人が不安げに顔を曇らせる。


「ところで、君たちは知っているかな? ここリンドルの外れ、深い森の中に山賊のアジトがあるという話を」


「ああ、それなら知っている。俺たちにも関係があるというか、実はこの村までは街から戻る馬車を護衛するために来たんだ。聞くところによると大変な被害らしいな」


「知っていたのか、それなら話が早い。旅人は襲われやすいから気を付けるように忠告しておきたかったんだ」


「それはありがたいな。貴重なアドバイスだと思って素直に受け取っておこう。さすがに村の中までは姿を現さないのか?」


「そうだな。村の中は騎士が巡回していることも多いから山賊たちも警戒しているんだろう。村の外は別として、普段は山賊の存在よりも山から下りてくる魔物の方が怖いくらいだ」


「なるほどな。相手が人間か魔物かって違いがあるだけで、どちらにせよ生活は脅かされるってわけか」


「そういうことだ。たぶん宿の中は安全だろうが、何か用事があって村を出るときは気を付けるんだな」


 そう言い残した村人は宿を出ていった。初めて見かけるよそ者を心配してくれたのだろう。なんとも親切な人だ。

 その後、街での時と同じように三人で一つの部屋を借りたアレスタたち。思い思いの自由時間を過ごした後で手短に夕食を終えて、それぞれが自分で敷いた布団の上に胡坐をかいて話し合うことにした。


「時間があったんで散歩がてら村長の家まで確認に行ってみたが、近くの山のどこかに山賊のアジトがあるって話は本当らしいな」


「これは提案というわけでもないんですけど、俺たちの力で何とかするというわけには……」


「いかないだろうな。山賊と言っても相手は一人前に武装をしていて、ある程度の魔法も使える荒くれ者の集団だ。最近やけに騒がしくなった反魔法連盟とつながりを持っているかもしれないし、略奪した財を蓄えて、騎士団や軍にも匹敵する戦力を有しているかもしれない」


「やっぱりそうですよね」


 わかっていたことだけれど、改めて己の無力さを実感したアレスタは無念そうに目を伏せる。

 深刻に悩んでいるというわけでもなさそうだが、放っておくと思い詰める可能性はある。そう考えたサツキが心配して声をかけた。


「まさかアレスタ、ここ最近の出来事が積み重なって義務感や正義感にでも目覚めたか? それとも人々の役に立つ英雄になりたいと憧れたか」


「英雄に憧れたというのとは違うと思います。ただ、もしも俺が使える治癒魔法の力が本物だとしたら、他人事だと放っておくのも……」


「やめておけ。たった三人ぽっちで山賊のアジトを滅ぼしたとなれば、さすがに領主たちからも放ってはおかれまい。山賊の集団よりも俺たちのほうが強い、となれば、ある意味では危険な魔法使いの仲間入りだ。これからの俺たちが何をしでかすのかと必要以上に警戒されて、監視の目は厳しくなるだろう」


「はい」


「その人間が英雄であるか、魔王であるか。同じ行動をしていても、世間の評判は印象一つで簡単にひっくり返る。何をするにしても、結果的に悪目立ちするのは着実に地盤を固めた後でないと、自らの首を絞めることになるぞ」


「はい……」


 言いたいことはわかる。

 現状、どこまで領主がアレスタのことを警戒しているのかはともかくとして、本物の治癒魔法が使えるかもしれないというだけで護衛を口実に監視役が付くくらいだ。そんな状態で今まで騎士団が手を出せずにいた山賊のアジトを少人数で攻略したとなれば、単なる英雄ではなく、危険分子としても注目されてしまいかねない。

 運よく歓迎されたとしても、治癒魔法使いとして有名になってしまえば、今までのように平穏に暮らすことは難しくなるだろう。

 それに、もし本当に人々の力になりたいと考えるなら、あらゆる面で義務や権利が制限されている庶民のままでいるよりも、街の騎士団に入ることを目指したほうがいいかもしれない。

 現実問題として、たった三人で山賊たちを相手にするのは危険すぎるからだ。

 話は終わりとサツキが立ち上がった。


「アレスタ、難しい話はこれくらいにして風呂に入ろう。……聞いたか? この宿には大きな露天風呂があるんだってよ。旅行なんてものに縁がなかったんで俺は知らなかったんだが、この辺りは温泉で有名らしい」


「へえ、この宿には露天風呂があるのかい。それはいいなぁ。なんだかんだで僕らも打ち解けてきたからね。そろそろ裸の付き合いもいいかもしれない」


「勘違いするなよ、ニック。俺はアレスタに言ったんだ」


「……いいじゃないか、ここまで来たんだから僕も一緒に入る」


「あはは、だったらみんなで入りましょう」


 じゃれ合うように仲良く言い争いを始めた二人を前にすると、アレスタはうじうじと悩んでいるのが馬鹿馬鹿しく思えてきた。

 疲れと汚れをきれいに洗い流すだけでなく、様々な効能があるという温泉に浸かれば精神を癒す意味もあるだろう。そう思って着替えを手に取ったアレスタたちは三人一緒に露天風呂へ向かった。

 狭い浴槽ではなく大きな露天風呂だというのが本当なら、お互いに気を遣って一人ずつで入る必要はない。ニックが望んだ裸の付き合いだ。

 離れにあるという露天風呂は三人で入るには十分すぎるほど広く、周囲を深い森に囲まれており、屋根がないおかげもあって、夜空から降り注ぐ満天の星明りが美しかった。壁や柱にはぼんやりと輝きを放つ魔術灯が備え付けられているが、星の光だけでも十分なくらいだ。

 最初に露天風呂を堪能することになったのはアレスタとニックの二人である。

 これから一緒に入ろうと提案したサツキであるが、着替えに手間取っているのか少し遅れてくるようだ。


「ふんふん、ふーん。やあやあ、アレスタ。いい機会だから僕が君の体を洗ってあげようか?」


「いいよ。体くらい自分で洗えるから。……というか裸で踊らないでくれるかな!」


「冗談はやめなよ、アレスタ。さすがに服を着て温泉には入らないよ。だってそれじゃ体が洗えないじゃないか」


「裸はいいけど踊らないでって言ってるんだよ!」


 ちょうどいい湯加減で、夜の森の澄んだ香りを運びながら吹いてくる風が心地よく、美しい星空がよく見える露天風呂。

 これでニックさえ静かにしてくれていれば文句などなかったが、鼻歌を歌いながら体を洗っている彼は間違いなく旅行気分で浮かれている。まじめに取り合っていると、せっかくの温泉なのに疲れがたまってしまいかねない。騒がしいばかりで何か悪さをしているわけでもないので、適度に無視したほうがいいだろう。

 しばらく温泉につかっていると、遅ればせながらサツキがやって来た。


「気持ちよさそうだな」


 もうもうと湯気が立ち上っている露天風呂を眺めたサツキは満足そうに顔をほころばせ、大きく伸びをした。

 まずは洗い場に向かって体を洗うと、汚れを流し落としてから湯船まで足を進めた。しかし全身を沈めるには少し熱かったのか、顔をしかめたサツキは足だけを湯につけて縁石に腰掛けた。

 そんなサツキを見上げたアレスタはとある疑問に首を傾げた。


「あの、サツキさん。尋ねるのは失礼かもしれませんが、それは?」


 胸からお腹のあたり、そして反対側の背中に至るまで、サツキの身体には不思議な刻印があった。

 まがまがしく刻み込まれた赤い線が複雑に交差して、腕や足の先まで、ほとんど全身に走っていたのである。

 その赤く染まった線の一本を指でなぞりながら、あまり気にしていないらしいサツキは愉快げに答える。


「ああ、これか? これは魔法封じの刻印だよ」


「魔法封じ?」


 聞きなれない言葉だが、おそらく魔法を封じるためのものだと想像はつく。そこまで考えたところでアレスタは思い出す。

 そういえば、帝国軍の特務部隊を追い返した際、サツキは魔法らしきものを使った後に腕が赤く光って苦しんでいた。

 だとすれば、あれが封じられた結果なのだろうか。


「この刻印が機能しているせいで、街や村なんかの人が多く暮らしている場所では存分に魔法を使うことができないのさ。辺境魔法師と呼ばれるようになった原因でもあるんだが、人の少ない辺境に行くほど自由に魔法を使えるようになるんだよ。それでも制限はあるがな」


「なるほど。人が少ない場所でなら、ですか」


 話は理解できた。

 それが事実であるとすれば、ベアマークで発生した魔物騒ぎの際に魔法が使えないと言っていたのも理解できる。

 だが、それにしても不思議だ。他の人にはない刻印がなぜサツキにはあるのだろうか。

 何か理由があって誰かに施されたのか、あるいは自分で制限をかけたのか。

 ひとまず自分の中で推論を出したアレスタは直接尋ねることにした。


「制限が必要なくらいに強力すぎる魔法だから、ですか?」


「間違ってはないが、十分ではないな」


「というと?」


 答えにくいことなのか、この問いかけに一瞬ためらったサツキ。

 だが、なにがなんでも隠しておきたいことでもないのか、次の瞬間にはあっさりと口を割った。


「実を言うと俺は過去にとある罪を犯してしまってな。その代償として魔法を封じられたのさ」


「罪ですって? サツキさんが?」


 それも普通の罪ではない。魔法が封じられるほどの罪だ。

 あまりに予想外の言葉が出てきたせいで、上手く呑み込めずに驚いたアレスタは目を見開く。辺境魔法師というからには普通の人間でないとは思っていたものの、まさか過去に罪を犯して魔法が制限されていたとは。

 ただ、ここ数日一緒に過ごしてきた限り、サツキが危険視されるほどの大罪人には見えない。

 おそらく事情がある。罪を犯さねばならなかったほどの深い事情が。

 しかし事情をうかがわせぬサツキは軽い口調のまま、あっけらかんとした様子で答えた。


「悪いな、アレスタ。俺が犯した罪についてだが、これは魔法の使用と一緒で、むやみに発言することを刻印によって封じられている。だから俺の口からは直接に過去のこと、そしてカーターのことについて詳しく教えてやることはできない」


「え? それってつまり、まさかカーターもサツキさんの罪に関係があるということですか?」


 悪い予感を肯定するように、サツキはどこか遠い目をして忠告した。


「気をつけろよ、アレスタ。お前にとっては大切な育ての親かもしれないが、あいつの本性は悪人だぜ」


 ――それは一体どういうことですか?


 そう尋ねたかったが、それを口にすることはできなかった。

 それ以上何かを知ってしまうことが、それ以上足を踏み入れてしまうことが、今のアレスタには少しだけ怖かった。

 それにサツキの言っていることが本当なら、魔法封じの刻印によってカーターに関する発言も制限されているらしい。勇気を出してアレスタが尋ねたところで、おそらく明確な答えが返ってくることはないのだろう。

 アレスタはカーターについて尋ねるのを諦め、気晴らしに何か明るい話題でも振ろうと思ったが……。


「ふぇっくしょん!」


 開放的な露天風呂に響いた突然のくしゃみに驚いて、びくりと肩を揺らしたアレスタとサツキは音の発生源へと視線を向けた。


「やばいな、寒いな」


 そこには裸一貫、濡れた足場に滑って転んだのか、踊り疲れて床に倒れ伏すニックの姿があった。

 これは本当に手の施しようがない馬鹿なのかもしれない。

 そう思ったアレスタとサツキは顔を見合わせて苦笑を漏らした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ