01 アレスタとカーター
人間の考える理屈や常識が完全には通用せず、不条理の代名詞でもある魔法。
そんな「魔法」に対して実験や検証などの科学的な手法を用いることで、その裏にあるであろう真理を解明すべく創設された新しい分野として知られる「魔科学」であるが、とある研究の副産物でありながら、急速に世界中へと普及したものに魔術灯がある。
魔力の消費を小規模に抑え、穏やかで安定的な明かりを長期間にわたって提供する魔道具の一つだ。
今や一家に一台、いや、それぞれの部屋や廊下に一つや二つ、複数設置してあるのが一般的。
だが、その生活必需品ともなりつつある便利な道具をあえて使用せず、昔ながらに使われてきた数本のロウソクの火だけをともした薄暗い部屋があった。
そこは森の奥地にひっそりと存在する辺境の農村。
生半可なことでは「折れず、腐らず、燃えることもない」とされる希少なティタント木材によって作られた八重の塔の隠された階段から続く、最上階にある秘密の部屋だ。
やけに天井が低く、人間が住むには窮屈な印象を持つ一室となっているが、ヒトの目を惑わせる霧が自然発生している集落を見下ろす窓際の席には、材質がわかりにくい長方形のテーブルを挟んで向き合っている二人の人間がいた。
一人は四十代くらいの少しばかり白髪が目立ち始めた大人の男。
そしてもう一人は、まだまだ成長途上にある十代のうら若き少年だ。
「……ふうむ」
わざと重く漏らしたのは、自分へと注意をひくための溜息であろう。
動いたのは大人のほうの男だ。
くたびれた気配をたっぷりと漂わせた彼は年長者らしく尊大そうに口を開き、肩のすぐ上までぼさぼさに伸びた黒髪を持つ少年に語り掛ける。
「いいか、アレスタ。まずは子供じみた感情論を抜きにして、客観的な事実から正しく判断し、大人の気持ちになって冷静に考えてみることだ。たとえばここに人を殺すことに躊躇しない五人の悪党がいる場合、これを討伐するために何人の騎士が必要だと思うか?」
「……人を殺すことに躊躇しない五人の悪党を討伐するために、いったい何人の騎士が必要か、だって?」
――おいおい、なんてことを聞くんだ。
アレスタと呼ばれた彼、その名もアレスタ・シンドライトは口に出さずとも、質問に対する答えを考える前にそう感じて眉をひそめた。
時間は夜。
一日が終わり、寝付く前にかわす談笑には似つかわしくない。世間話にしては面白くなく、あまりに物騒な問題だ。
とはいえ絶対的な不快感を抱いたというよりも、どちらかといえば単純にびっくりして言葉を繰り返したに過ぎないアレスタだったが、ひとまずは冷静になる。
目の前に座っている大人が偉そうなのはいつものことで、実際に命の危険が迫っているような深刻な様子は見られないから、これは一種のたとえ話にすぎないのだろう、と彼は思う。
それでも完全に油断はできない。
なぜかといえば、先ほどからこの場に満ちた重苦しい雰囲気がそうさせている。
本当に部屋の外には五人の悪党がいるんじゃないかとも思えてきて、周囲の様子を窺うように首をすくめると、おそるおそる答える。
「うーん、どうだろう。敵として待ち構えている相手が五人いるんだから、たぶん五人以上は必要だよね?」
「なぜだ?」
「なぜって……。まあ、理由ってほどの理由はないけどさ。ほら、いくら腕のいい優秀な騎士を集めたってさ、こちらの命を取ろうと本気で襲い掛かってくる敵よりも人数が少ないと、何があるかわからないじゃない?」
――きっと、たぶん。おそらくそうだろう。
自分なりに考えて導き出した答えを口にしつつも、あまり自信がなく、ロウソクの火を消さないように気を付けているのかと思えるほどアレスタは声が小さかった。
今の回答に根拠はない。
しかしながら、極端に間違ったことを言ったつもりもない。
騎士団に余裕がなくて投入できる人員が限られているとか、敵のアジトが狭くて大勢では入れない場所だとか、よほどの事情がない限り、わざわざ敵よりも少ない人数で討伐に向かったりはしないはずだ。
けれどアレスタの答えを聞いた男、アレスタと同じ姓を持つカーター・シンドライトは静かに首を横に振った。
「今の問いに対する答えは単純だ。人数など関係ない。相手が何十人だろうと、あるいは自分に加勢する味方が何百人いようと、結局は優れた魔法使いがいる方が勝つ」
「えっ……」
「たった一人の優れた魔法使いは百万人もの人間が暮らす都市を単独で落とし得るし、優秀な魔法使いをそろえた騎士団は何者にも負けない。『勝ち負け』や『生き死に』は、そうやって決まる。問題は人数ではないのだ」
「そ、そりゃそうだろうけど……。それは間違いないと思うけどさ……」
人数を尋ねておきながら、人数など関係ないという。
まさしく誤答することが前提の意地悪な問題を出された気分になったアレスタが納得できずにいると、その不服さを見抜いたのか、苦言を呈するべく眼光を鋭くしたカーターが目を細めた。
「いいか、アレスタ。魔法は世界が生み出した『悪』であり、魔科学は人間が生み出した『罪』なのだ。魔法の力によって人は簡単に殺され、社会は簡単に転覆させられる」
日が落ちて暗くなってからは窓も扉もしっかりと閉めていたのに、どこかにある小さな隙間を通ってきた風が吹いたのか、今にも消えてしまいそうな勢いでロウソクの火が揺らめいた。
――またその話か。
――もう何遍も聞いた。
――飽きるくらい、あきれるくらいに何回も。
もっと明るくなるんだから、つまらない意地を張っていないで魔術灯をつければいいのに、と視線を向けたアレスタの動きを見て、暗い目を浮かべたカーターは肩をすくめる。
「……魔法は危険だ。使用するのは罪だ。存在そのものが悪なのだ。……と、どれほど熱心に言い聞かせたところで、どこまでお前が素直に受け取ってくれるかはわからんがな」
これには答えず、固く口を閉ざしたアレスタは顔をそむける。
苦々しく顔をそらしたカーターが危惧する通り、普通の人よりも極端に魔法を危険視している彼の忠告を素直に受け取れてはいない。
――魔法を使いたい。
いつのころからか、そう考えているアレスタである。
小さくため息を漏らしたカーターがアレスタに顔を戻すと、その表情を見て、今度は聞こえよがしに深々とため息を洩らした。
「よくない顔をしているな。小言ばかり口にする私への不満か、それとも魔法への憧れか」
「よくない顔だなんて。……ちょっと眠いだけだよ。この村には学校がなくて勉強も自分でしなくちゃいけないから、本ばかり読む羽目になって疲れているんだ」
よくない顔をしていたのは事実だ。
ただし、それは不満や憧れだけが理由ではない。
カーターがアレスタに何かを語り掛けるとき、言い知れぬ威圧感や、名状しがたい不安にも似た違和感を覚えさせることがある。
まるで、ノックもせずに、強盗が玄関の扉を無理にこじ開けようとするような。
不快感か、恐怖か、あるいはもっと別の何かなのか……。
「私のことが嫌いか?」
「私のことが嫌いか、だって? 俺が? ……あのさ、急に何を言っているのさ? そんなわけないじゃないか」
「……ふむ、それはそれで問題があるようだな。お前のような年頃の少年にとって、目上の者に対する漠然とした反抗期は精神的な成長に必要なものだ。血のつながった親ではないが、これでも父親代わりのつもりではいる。変に気を遣われているのなら……」
少しだけ姿勢を変えたカーターの動きに反応して、キシキシと木の椅子がきしむ音がした。
不思議な緊張感が走ったような気がしたアレスタは場の空気を和ませるため、わざとらしく苦笑する。
気を遣っているわけではない、そう思いながら。
「そんなことはないから安心してよ。厳しいことを言いつつも、今日まで俺のことを育ててくれたカーターのことは本当の父親だと思っているんだから。……というか、昔はお父さんと呼んでいたのに、いつのころからか自分のことは名前で呼べと言ったのはカーターのほうじゃないか」
「そうだったか。お前が勝手に私を名前で呼び始めたのかと思っていたが……」
「前々から思っていたけれど、俺のことに興味がないのはカーターのほうなんじゃないの?」
何が面白いのか、そう問われたカーターは鼻で笑った。
「興味がないわけはなかろう。子供とはいえ、人間を一人育てるのがどれほど大変なことか。興味がなければすでに見捨てている」
それもそうか、と思ったアレスタ。
厳しくて冷たいところもあるカーターだが、この十年間アレスタを育ててくれたのは事実だ。興味がなければ、愛情がなければ、血のつながっていない子供の面倒を見ようとは思わないだろう。
あるいは、そのように信じたいだけなのかもしれないが……。
最後の最後に激しく燃え上がったロウソクの火が一本消えて、一段と暗くなった部屋に孤独感を燃え上がらせたアレスタは不安げにつぶやく。
「なんだか、うまく言えないけどさ、村のみんなが俺に冷たい気がするんだ。嫌われているというか、いつまでたってもよそ者として扱われているような……」
新しいロウソクに火をつけようと立ち上がったカーターだったが、その場にとどまったまま、歩き出すことをやめてテーブルの上に手をついた。今の気分なら暗いままのほうがいいと思ったのかもしれない。
目の前に座っているアレスタの顔も見ず、古びた安物のタペストリーが飾られている壁を見つめながら口を開く。
「不慮の事故で親を亡くし、生まれてからの記憶も失っていたお前を引き取ってから、今日でおよそ十年。新しい家族と過ごす新しい生活のため、お前を連れて移住してきてからというもの、よそ者である私は村の人間とは必要以上にかかわらないように生きてきた。それがいいと思って、お前にもそうさせてきたのかもしれんな」
「いや、別に俺は……」
友達という友達はいないけれど、それでも元気に生きてきたアレスタだ。
もちろん寂しさを感じないわけではない。育ての親であるカーターを除けば、この十年、事実上は一人で生きてきたようなものだ。それで困るような不自由を感じたことはないが、胸に抱いている孤独を隠すことは難しく、自分の生きている世界の狭さを感じる瞬間も多々ある。
だからアレスタはいつの日か、この山々に囲まれた田舎の村を出て、たくさんの人々が暮らしている世界を見て回りたいと考えていた。
それを知ってか知らずか、猫をも殺す「好奇心」という病に侵されつつあるアレスタへと、カーターは何度目ともなる忠告を繰り返す。
「ともかく、無理に魔法を使おうとは考えないことだ。もっとも、果実の形で魔力を育てる精神果樹園の開き方を知らないお前が魔法を使えるとも思えんがな」
「…………」
精神果樹園。
それが一体どんなものなのか、一度も魔法を使えた試しのないアレスタには想像することもできない。
ただ、とにかく、魔法使いが魔法を使う際、精神果樹園に実っている不思議な果実を必要とするという知識があるだけだ。
リンゴだとか、ブドウだとか、具体的な果物の種類は魔法使いによってイメージするものが違うようだけれど、精神果樹園の広さや果実の豊富さが、その魔法使いの扱える魔力を左右するという。
つまり、今に至るまで精神果樹園を開くことさえできていないアレスタには魔法を使うことができないということだ。
練習しようにも、その方法さえわからなければどうしようもない。
「気に病むことはなかろう。お前だけでなく、魔法を使えない人間は世界にいくらでもいる。たとえ魔法を使えたとして、魔力をうまく蓄えられずに高度な魔法を使えない者も多いのだ」
「だけど……」
何か言い返そうとしたアレスタだったが、その声が聞こえなかったのか、独り言のようにカーターがつぶやく。
「いや、私からすればお前が魔法を使えなくてよかった、とも言えるがな」
それはどういう意味だろう。
けれど、その真意を確かめようとして口を開くより前にカーターが動き始めた。
今夜の話はこれで終わりだとテーブルに並べていたロウソクをすべて消し、代わりに魔術灯をつけてから部屋を出たのだ。
扉が閉まり、足音が遠ざかって、古びた椅子の背もたれに体重を預けたアレスタは静かにため息を漏らす。
「俺には魔法、本当に使えないのかな……」
その夜、自室に戻って布団に入ったアレスタは眠ることができなかった。
寝付くまで読もうと思って手に取った、古今東西の魔法を記した本に対して夢中になってしまったことも原因にあるが、それだけではない。
武装した複数の男たちが家に火を放ち、アレスタとカーターの寝込みを襲ったからだ。