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なぜ元気が出ないのか? 目の前の問題に振り回されるのはなぜか?

目の前の問題に振り回されるのはなぜか?

「色々な問題があるが、失ったのは志ではないのか?」


あなたは今、何かに向かって進む方向性を見失っていませんか?

日々のトラブル、人間関係の摩擦、将来への不安。目の前にはたくさんの問題が山積みになっているように感じます。

しかし、本当に深刻なのは、これらの問題そのものではなく、私たちが「何のために生きるのか」という志を失ってしまったことではないでしょうか。


かつて、この国を導く立場の「頭のいい人たち」は、個人の幸福よりも国家や公共の理想を語っていました。明治維新では「富国強兵」、戦後は「国をどう再建するか」という大きな物語を共有し、人々はその理想に自分を重ねて生きていました。


しかし、時代は変わり、価値観は「国家」から「個人」へと大きくシフトしました。


建前が消えた時代の虚しさ

この変化は、個人の自由と多様性を手に入れる大きな進歩でした。

「自分らしく生きる」「自分だけの幸せを追求する」ことが、新しい理想となったのです。


しかし、私たちはこの過程で何か大切なものを失ってしまいました。

それは、昔の人が当たり前のように持っていた**「建前」**です。


「建前」というと、嘘や偽善のように聞こえるかもしれません。

でも、そうではありません。


かつて、人々は心の中で自分の利益を追求しながらも、「皆のため」「未来のため」という大義名分を恥ずかしがらずに語っていました。この「建前」は、単なる口先だけの言葉ではなく、社会を成り立たせるための共通の倫理観であり、私たちが「こうありたい」と願う理想の姿でした。


ところが、現代はどうでしょう。


「自分の幸せが一番」「勝ったもん勝ち」という露骨な自己利益の追求が、当たり前のように肯定される時代になりました。SNSでは、効率よく利益を得る方法や、損をしないための立ち回りばかりがもてはやされます。


そして、「志」や「理想」を語る人は「偽善者」として見られがちになりました。

こうして、私たちは共有できる物語や目標を失い、バラバラになり、深い孤独感や虚しさに苛まれています。


志は、あなたの人生に「意味」をもたらす

建前が消えた現代で、私たちはもう一度「志」という言葉を正面から捉え直す必要があるのかもしれません。

「国家のため」といった大げさなものでなくてもいい。


「自分はどんな仕事を通じて、誰かの役に立ちたいのか?」

「どんな困難に直面しても、このために頑張れると言えるものは何か?」

「自分だけでなく、大切な人や地域社会にどう貢献できるのか?」


「個人の幸福」だけを追求して得られる満足感には限界があります。

自分のためだけでなく、「誰かのため」「何かのため」という大きな志に自分を重ねたとき、私たちは本当の意味での充足感と生きる活力を取り戻せるのではないでしょうか。


建前は偽善ではなく、文化の礎


「建前」は嘘じゃない。

「こうありたい」と願う理想の姿を共有する、人間社会の重要な要素です。


今こそもう一度、「志」や「理想」や「公共性」といった言葉が、恥ずかしげもなく語れる社会に戻っていく必要があるのかもしれません。

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