「戦争」を生存戦略として考えると見えてくるもの
歴史を振り返ると、私たちの世界は常に争いの歴史でした。私たちはしばしば戦争を「正義と悪」という単純な二元論で語りがちです。しかし、そこから一歩踏み込んで、**「生存戦略」**という視点で戦争を捉え直してみると、これまで見えなかった本質が見えてきます。
それは、戦争が「正義」や「思想」のためだけではなく、もっと根源的な二つの目的、つまり「生存率の確保」と「人口圧の調整」のために行われてきたという側面です。
1. 外部への攻撃:生存率の確保
最初の目的は、外部の資源を奪い、自集団の生存率を高めることです。
資源の獲得:
歴史上の多くの戦争は、食料、水、土地、鉱物といった生存に不可欠な資源を巡って起こりました。たとえば、モンゴル帝国の遠征は、気候変動による乾燥化で家畜の草地が減少し、新たな土地を求めて行われたという側面があります。これは、自らの集団を生かすために、他集団から資源を奪うという究極の生存競争だったのです。
生存圏の拡大:
古代ギリシアの都市国家は、人口増加に伴う食料不足を解決するために、海外に植民地を築き、生存圏を拡大しました。これは、単なる領土拡大ではなく、自国民を飢えさせないための戦略でした。
2. 内部への作用:人口圧の調整
もう一つの目的は、増えすぎた人口を調整し、社会の安定を図ることです。
余剰人口の処理:
人口が急増すると、食料や雇用の不足から社会不安が高まります。特に若い男性の「余剰人口」は、社会にとって大きな負担となり、不満のはけ口を必要とします。中世ヨーロッパの十字軍は、経済的に困窮した騎士や若者を外部に送り出すことで、国内の不満を解消する役割も果たしました。
間引きという側面:
日本の戦国時代においても、飢饉や困窮に苦しむ農民が合戦に参加することで、結果的に人口が「間引き」されたという側面がありました。これは冷酷な事実ですが、増えすぎた人口がもたらす社会の崩壊を防ぐための無意識的な調整機能として機能していた可能性も指摘されています。
なぜ「善悪」だけで語れないのか?
この二つの視点を組み合わせると、戦争の構造がより深く理解できます。
「奪って生き延び、減らして安定させる」
戦争は、外部から資源を奪うことで集団の長期的な生存環境を維持し、内部の人口を調整することで社会の安定を図る装置だったと言えます。
「生きるため」という視点で見ると、戦争を仕掛ける側も、抵抗する側も、どちらも生きるために必死です。どちらにも「正しい」理由があり、どちらも「間違っている」とは言えません。
だからこそ、戦争は単純な「正義 vs 悪」の物語ではなく、人類の根源的な生存本能が引き起こす「生きるための衝突」だったのかもしれません。
この視点は、過去の歴史を読み解くだけでなく、現代の紛争を理解するためにも役立つのではないでしょうか。