(漆)
「なかなか過激なことを言うんだな。成宮くんは」
サラダを食べながら、姉さんがまるでひとりごとのように言う。椅子の上にあぐらをかいて、ミニトマトに遠慮無くフォークを突き刺している姉さんを見ていると、自分がとてもくだらないことで悩んでいるように思えて、笑えてくる。いや、笑えないんだけれど。
姉さんはミニトマトを口に運ぶと、顔を顰めて、「不味い」とため息をつく。
「そういうこといわないでよ」
「だって不味いから仕方ない」
「じゃあサラダじゃ無くて、他の物を食べれば良いじゃない」
「肉は嫌いだ」
「魚は?」
「好きじゃない。知ってるだろう」
「それにしても……最近、食が細くない?」
「ダイエットしてるからな」
ダイエット、なんて姉さんから一番遠い言葉だ。姉さんの四肢は肉が無く、むしろもう少し食べた方が良いんじゃないかな、と個人的には思っている。元々姉さんは食べても体型があまり変わらないタイプだし、気にする必要は無いのに。もちろん、姉さんの体のことだから姉さんが決めることではあるのだけれど。
姉さんはまだサラダが半分くらい残ったボウルを僕の手元におくと、「あげる」といって、リビングを出て行こうとする。
「いらないよ。……どこいくの?」
「散歩」
まただ、と僕は思う。姉さんの真夜中の散歩は、ずっと続いていた。雨が降っても、風が強い日も、どんな日だって姉さんは出かけていく。僕は良い加減辟易していた。けれど、僕がいくら渋っても姉さんは意志を曲げない。だから――。
「じゃあ、一緒に行く」
僕は空っぽになった自分のサラダボウルを見る。投げ出されたフォークの先を、イタリアンドレッシングが汚していた。張り付いた黒こしょうの粒を横目で見て、立ち上がる。姉さんは驚いたように僕を見つめていた。長さもハリも変わらないスカートのひだが揺れる。僕を失った椅子だけがそのまま、フローリングに座っていた。
春の終わりの匂いがする。姉さんは漂うように道路を歩いていた。いや、踊るようにといったほうが正しいかも知れない。ローファーが鳴らす不規則な高い音は音楽を奏でているようだった。僕は自分のスニーカーのこすれるような雑音を呪う。
「眠くないか」
「眠くないよ。幾つだと思ってるの」
「幾つだったかな」
姉さんが後ろを歩く僕を見る。その目は酷く懐かしげに揺れていて、驚く。僕を見ているはずなのに、僕を見ていない――なんとなく、そう思った。
「ねえ、姉さん」
「なに?」
「前に言っていた、"いつか"って、いつ?」
姉さんが立ち止まる。いつの間にか、僕の大嫌いな川の近くまで来ていた。弓なりにかかった橋が、月のひかりに照らされて青白く光っている。人影は無かった。世界に、僕と姉さんしか居ない。そんなありきたりで、ロマンチックな発想が浮かぶ。場違いだった。
「君は、生きていたいと思うか」
姉さんが呟く。
「どうしたの、急に」
「わからないんだ。ずっと」
――死ぬってことが、いったいどういうことなのか。
橋に埋め込まれた小さなガラスの欠片がきらきらと光っている。色とりどりのそれは、夜のヴェールに包まれて、どれも暗く揺れていた。
「死んだこと、ないから、僕にも分かんないよ」
「でも、よく知ってるでしょう。どういうことか」
姉さんのスカートが揺れる。僕は、目を細めてそれをみている。
「死んだときにしか知り得ないじゃない」
「でも、お前たち――"人間"は、よく知ってるでしょう」
「……姉さんは、自分がまるで人間じゃないみたいな言い方、するね」
「だって――」
姉さんが振り向く。言葉を飲み込んで、少しだけ俯くと、僕に微笑みかけた。
「なあ、いつか、桜を見に行こう。あの日みたいに」
そう言って、姉さんは僕の手を引いて、元来た道に戻っていく。僕は”いつか”この橋を渡る日を想いながら、帰路についた。
姉さんは、未来を信じないくせに、未来の話をする。




