殺人中毒
この度は「殺人中毒」を御覧いただきありがとうございます。
よろしければあとがきも御一読いただければと思います。
「彼は、殺人鬼だったのではないかと考えていました」
外では夏の最後、仲間より遅れをとった台風がこれでもかと風を操り、灰色の空にいくつもの渦を作っている。傘やカッパが宙に舞うほどの最中、彼の葬儀は自宅でひっそりと行われていた。
葬儀といっても親戚や近所の人が来ることもなく、僕ともう1人の友人が式に呼ばれただけだった。
しかし、またこの友人というのが約束の時間になっても一向に現れなかったため、私だけが参列した形になってしまった。
葬儀の為か、椅子も本棚も一切ないこの無機質な部屋で今私は彼の母親と二人きりで話をしている。疲れているだろうに息子の友人に笑顔を見せる彼の母親の前で私は残酷にも今まで隠してきた胸の内を明かしたのだ。
私の言葉に彼女は少しの間目を伏せていた。私には彼女のその表情がとても大事な決心をしたかのように見えた。
私が彼と出会ったのは中学2年の時、同じクラスに入ったのをきっかけに仲良くなった。
初めは暗いタイプの人間だと思っていたが仲良くなると案外喋る方で、彼の巧みな会話が耳に嬉しかった。
話すことは色々あったが、大抵は彼の好きなミステリー小説の話だった。1週間に何冊読むのか、毎日違う話を聞かせてくれた。
私は本を読む習慣がないので、彼の話を聞けると人生が少しでも潤った気がしたものだ。
しかし、そんな私が違和感を感じてきたのは、高校も3年になった時だ。
同じ高校に入って、お互い部活動に精を出す事もなく、中学の時と同じように毎日彼のミステリー話を聞いていた。すると、ある時ふと、最近話のオチがない事に気がついた。
ミステリー作品の多くは犯人が警察や探偵に捕まるか、もしくは死を選んだり逃亡するだろう。しかし、彼の話には被害者がどうやって死んだかしか出てこないのだ。
『そして、どうなった?』と聞いても上手く誤魔化されたり邪魔が入ったりして聞けなくなる。
さて、私の妄想はドンドン膨らんでいく。もしかしたら彼が実際に殺人を犯しているのではないか、そしてその光景を私に詳細に語っているのではないだろうか? 小説の話だと安心して聞いていたのが、もしかしたら犯行の生々しい情景描写だったのでは……と、私は背筋に水が伝うようなゾクゾクとした感覚を覚えた。
その私を襲っていた不安を彼に伝える事は最後まで出来なかったのだが……
実はもっと確信的な事があった。
アレは大学に入ったすぐの7月、台風10号が関東に接近した日だったと記憶している。彼とは別々の大学に入った私は、勉強よりもサークル活動に勤しんでいた。その日は大型の台風が来るからと活動もそこそこにみんな家路に向かった。駅を降りると生暖かい風が身体を抑え込もうとする、それに逆らって歩くが次第に風の中に冷たい粒を感じてきた。もうすぐに横に打ち付けるような大雨になるだろうと歩くスピードを速める。
道の端にあるいつもは流れる水もない川も水位が上がり茶色く怒り狂った龍のように溢れ暴れているではないか。上流はすでに大雨が降っているのだろう。
こうなると、この道を折れた先にあるダムが心もとなく感じてしまうのは、それが日本政府に認められていない未完成のダムだからだ。
この街にダムが作られるという話が持ち上がったのは5年前だった。住民の反対運動も虚しく、着工されたものの、途中から予算が足りないという理由で話が頓挫してしまったと、何年か前町内の回覧板に書かれていた。
今ではダムというより汚水と粗大ゴミの溜まり場、危ないモノや見つかりたくないものを捨てるにはこれ以上ない所ではないだろうか、特に死体などは……
ふと、そんな事を考えていた時だ。彼が山の奥のダムに続く階段からひょっこりと出てきたのである。黒いカッパを被り、やけに周りを気にしている素ぶりだった。
今考えると彼の手はひどく汚れていた気がする。
私に気付くことなく彼は自宅の方に帰っていった。きっとその時何人目かの殺人が行われた後だったのだろう。
2週間後も台風だった。日本に住んでいると1年に何回も台風の被害に遭う。この島国に住んでいる限り農家の方の心配は尽きないものだ。
しかし、彼にとって台風は神風と呼ぶべきものだったのかもしれない。
昼間なのに薄暗く、多くの家が雨戸を閉め、風の音がひどい。秘密裏に動くには最高のタイミングだ。
その日も私は駅から自宅に帰るところだった。そしてまた彼はダムの道から出てきた。汗なのか、涙なのか、雨なのか彼の顔はいろんな雫で濡れていた。
この日も声をかける事ができなかった。声をかけられていたら彼を救う事が出来たかもしれないのに。
ある日、私は彼と同じ大学に行った共通の友人に会った。まぁ、友人は今日約束の場所に来なかったあの友人なのだが、その時に彼の心の不安と自分自身への恐怖を私は悟ったのだ。
彼はその友人に『殺人衝動というのは止められるものか』と相談していたらしい。
『どうしても人を殺したいと感じてしまうのは病気なのか、その病気は治るのか』と仕切りに聞いていたという。友人は彼のミステリー好きを知っていたため、もしかしたら彼は自ら小説を書くために自分に意見を求めているのだと感じたらしく、友人はその彼の質問に『治らないだろう』と答えた。
その時の彼の打ち付けられた顔を私は想像してしまう。どんなに自分に恐怖しただろうか。どんなに自分の未来に幻滅しただろうか。
私は彼と話し合おうと思った。ずっと友人だった私は彼の心に寄り添いたい、一緒に苦しんで彼を少しでも救いたいと考えるようになった。
連絡をしようとしていた矢先、彼は自殺をしてしまった。
自分の家の居間で首を吊って……
そして、私はその部屋で彼の母親に今の話を語っている。
「あなたは、息子の事を本当に好いてくださっていたんですね。あの子もあなたが居てくれるなら喜ぶでしょう」
「こちらにもお花を添えさせて頂きます」
私は彼が命を絶った鴨居の真下に花束を置いた。
木製の鴨居は彼の体重を支えたためにいくらかボコんとくぼんで、ロープの跡が付いていた。そこから彼の苦しみが感じられ、異様な存在感を漂わせている。
「こんな殺風景な部屋でごめんなさいね。私、片付けや掃除が苦手なの。だから出来るだけ物をなくしてたら断捨離し過ぎてしまったわ」
彼の母親はふふふと恥ずかしそうに笑った。
その笑顔に彼の面影がフワリと重なる。
「そうなんですね、僕も片付けは苦手ですよ。そういえば彼はとても掃除が上手でした。中学の時も掃除係で……」
「……そうね。あの子は掃除が上手だったわ、私が散らかしたモノもよく片付けてくれてたの。それでもこの部屋はやり過ぎだよなんて怒られたりもしたわ」
思い出話に浸っていると出されたお茶も底をつき、彼の母親はヨイショと膝をついて立ちあがり隣にあるキッチンへと歩いて行った。
私は頭上にある窪みを見ながら彼の孤独と不安に寄り添えなかった事を後悔した。
彼が私に語りかけてくれた情景が頭に浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返す。
歯を出して笑っていた頃、その時も彼は自分自身への恐怖で押し潰されそうになっていたのかもしれない。
ふと、ある話が頭を過ぎった。彼が前に私に話した事だ。
『家で首吊り自殺をしているドラマとかよくあるけど、あれは本来頚椎を脱臼させて即死させるやり方なんだ。家では高さが足りなくて無理だし、相当苦しいみたいだからやっちゃダメだよ。
実際はドアノブにタオルを輪っかにしてそこに頭を入れてから体重を掛けるのが楽なんだってさ』
『やっちゃダメって絶対にやらねーよ!怖ぇヤツだなぁ』
そう笑い合ったある日を思い出したのだ。
そんな知識があった彼が、いちいちロープを買ってきて、高さの足りないであろう鴨居で自殺をしようとするだろうか?
ひょっとして、彼は自殺ではなく殺されたのではないか?
すると、彼が殺してきた人間は実は彼ではなく別の人間の犯行で、彼はソイツを庇って隠蔽工作をしていたのではないか?
彼が庇いたい人間は……
そうだ。今日ここに来るはずだった友人は何故約束の時間になっても現れないのか?
もしかしたら、彼は私より先にここに来て、そして……
私は恐ろしくなった。手足の震えが止まらない。走って逃げる事は出来るだろうか? 玄関はキッチンを通り過ぎなければならない。他に逃げ道は窓だが、季節外れの台風を防ぐ雨戸がガッチリと私が逃げ出さないための屈強な檻となっていた。ゆっくりと震える膝を押さえつけて立ち上がる。
背後にゾクゾクするような視線が絡みつく。
「あら? もうお帰りかしら? もう少しゆっくりしていって」
そう言った彼女の姿を私は振り返って見る事ができなかった。
この小説を友人に見てもらって一番怖い登場人物が誰だったか感想を聞くと答えが分かれました。
私がイメージしていた通りの答えが帰ってくることもあれば、そう読むかぁという答えも……
あなたが一番怖いと思った登場人物は誰だったでしょうか?
私としては「人というのは自分が一番見えないもの」だと思います。