92 グレイブ討伐戦 ③ ―黒の破壊者―
対クァール戦
舞い踊る【分銅型】のペンデュラムが頭部を打ち、【汎用型】で目を狙うと、幻獣クァールは苛立ったように刃を躱して、ようやく私を“敵”と認識した。
『グァオォ……』
低く唸りをあげて鋭い視線を向けてくるクァールに、私も挑発するようにペンデュラムを構える。
「アリアッ!」
クァールを単独で相手にしようとする私を見てヴィーロが飛び出そうとするが、それをグレイブが割り込んで邪魔をする。
「そんなことをする余裕があると思っているのか?」
「グレイブッ!!」
「坊主っ、気を逸らすなっ!!」
サマンサが即座に【石礫】を使ってグレイブを牽制しながら、クァールと独り対峙する私に一瞬だけ視線を向けた。
「小娘が獣を引きつけているうちにグレイブを倒すのじゃっ!! 気を逸らしてせっかくの時間を無駄にするなっ!!」
「くそっ!」
今までのボケが嘘のようなサマンサの叱咤を受けて、落ち着きを取り戻したヴィーロが言葉を吐き捨てるように短剣を構え、そんなヴィーロをグレイブが嘲笑うように煽り立てる。
「意気込みは分かるが、現実的ではないな」
「うるせぇよっ!!」
ヴィーロとサマンサなら、本気になればグレイブにも負けない。私はそれを信じて、二人がグレイブを倒すまでこの幻獣を引きつける。
『グァオオオオオオオオオオオオッ!!』
ヒュンッ!!
踏み込んできたクァールが、二本の触角を鞭のように使って襲ってきた。
速い…が、目で追いきれないほどじゃない。
気を張り詰めろ。一瞬でも目を逸らすな。筋肉の動きから攻撃を予測しろっ!
レベル4になった【身体強化】の“目”を使って鞭を見切り、仰け反るように躱した私はそのまま後ろに転がるように距離をとる。
オークジェネラルを倒した時から、普段の状態でも少しずつ余計な魔力属性を省いていた身体強化は、まだ全力だと安定しないが徐々に精度は上がっていた。
それでも数%速度が上がる程度だが、このレベルだとそのわずかな差が運命を分けることになる。
クァールが力任せに突っ込んでこないのは、最初の攻撃が効いていたからだ。
非力な私では幻獣の毛皮を切り裂けるか分からないが、打撃武器である【分銅型】はそれなりに効いたようで、クァールはあきらかにペンデュラムを警戒していた。
知能が高い……それは一般的には利点であるが“欠点”にもなり得る。
クァールがヴィーロにしたように巨体を活かして突っ込んでこられたら、私は攻撃を受けきれずに引き裂かれていただろう。だけどクァールは、知能が高いために打撃が重大なダメージになると理解して、私に深く踏み込むのを躊躇した。
唯一ダメージが与えられる【分銅型】を警戒されたのは痛手だが、時間を稼ぐ今の状況なら悪くもない。だがそれも、クァールが私の攻撃力自体が高くないと気づいて、ダメージ覚悟で攻撃をしてくるまでの間だけだ。
【―NO NAME―】【種族:クァール】【幻獣種ランク5】
【魔力値:280/324】【体力値:426/510】
【総合戦闘力:2136】
クァールはオークジェネラルよりも戦闘力が高い。ランク5の重戦士ならともかく、私ではまともに攻撃を食らえば即死もあり得る。
だったら“まとも”には戦わない。できるかぎり警戒させて、できるかぎり時間を稼いで、できるかぎりヴィーロたちから引き離す。
「――【影攫い】――」
クァールが動きを見せた瞬間に影攫いの“闇”を二つ放つ。
それに一瞬反応したクァールに向けて、スカートのスリットから引き抜いたナイフを二つの“闇”の隙間に投擲した。
『グァオオオオオオオオオオオオッ!!』
飛来するナイフに気づいて二本の触角で弾くと、“闇”の魔力量を見て問題がないと判断したのか、クァールはそのまま私のほうへ突っ込んでくる。
私はその瞬間に“闇”の一つにクロスボウの矢を撃ち、もう一つの“闇”から転移した矢がクァールに放たれると、一瞬で気づいたクァールは右目目がけて飛んでくる矢をギリギリ躱して、その矢が毛皮で弾かれた。
クロスボウの矢で傷一つ付かないということは、おそらく【斬撃刺突耐性】持ちか。
【斬撃刺突耐性】とは、毛皮や殻などで身を纏った魔物の特有スキルで、スキルレベルごとに、それ以下のスキルレベルで放った斬撃や刺突攻撃は通じなくなると師匠から習った覚えがある。
私の弓術レベルは1しかないので参考にはならないが、ランク5の幻獣であるクァールが【斬撃刺突耐性】を持っているのなら最低でも4レベルはあるはずだ。
生まれながらの強者……そのスキルもステータスも、人間とは根本的に埋められない差が存在する。
おそらく私のナイフではクァールの毛皮は切り裂けない。だけど、私が奇妙な攻撃で目を狙ったせいでクァールはさらに私を警戒している。
「ついてこい」
今の“距離感”を活かすために私は後ろ向きに木の床を蹴って、クァールを湿地帯の森の奥へと誘い込む。
『グァオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』
クァールはそれが挑発と知りつつも躊躇なく追ってきた。
挑発だと分かりながらも追ってくるのは、野生の本能よりも感情を優先してしまう、これも知能が高い故の弊害だ。
地には降りずに木から木へと飛び移り、クァールの攻撃をギリギリで躱しながら奥へと進むと、ここから先は、さっきまでいた沼地以上の“危険地帯”となる。
風化して干涸らびた大地に剥き出しになった岩。無数に点在する巨大な水生林は悉く枯れ果てており、大木が根っこごと風化して消滅した後には、数メートルの巨大な穴が落とし穴のように口を開けていた。
そこも以前は湿地帯であったが、湖の水が流れ込まなくなり涸れ果て、今は人どころか動物すら通ることができず、わずかな小動物と虫だけが存在できる、“涸れ森”と呼ばれる場所だ。
私が“人”であり、クァールが“獣”である以上、“森”という戦場はクァールにとっての優位となる。
だけど、私が“涸れ森”に誘い込んだのには“理由”がある。
地面の穴から伸びる根を足場にして縦横無尽に飛び回っている私に、クァールは木の幹を踏み台にして鋭い爪を振るった。
宙を跳んでいた私にそれを躱す術はない。――普通なら。
極度の集中で針の先のように尖らせた精神は、【探知】だけでなく目と全身で周囲を確認して、その瞬間に“糸”を引いて身体そのものをずらした私は、唸りをあげるクァールの爪をやり過ごす。
髪の毛を数本引き裂くようにしてすれすれを潜り抜けた私に、クァールの触角が唸りをあげて放たれたが、私は宙に浮いたままクァールの肩に蹴りを入れて、それを足場にして回避する。
『ガァアアッ!!!』
まるで曲芸のような私の戦い方に怒りの咆吼をあげ、飛び出そうとしたクァールの足場が崩壊した。
パキィッ!!
『グァオッ!』
木の根が崩れて体勢を崩すクァールの頭部に、再びペンデュラムの分銅が炸裂した。
この辺りの樹木は全て風化するほどに枯れ果てており、体重の軽い私ならともかく、その数十倍はあるクァールの自重を支えるには強度が足りない。
ただ移動するだけなら持つのだろうが、戦うための強靱な足場がなければ、攻撃力も回避力も激減する。
下手に無理をして点在する深い穴に落ちれば、クァールも無事では済まないだろう。
本当ならここは、最悪の場合、私が一人でここまでグレイブを誘い込むつもりの奥の手だった。
「――【幻影】――」
オーク戦でもした【幻影】を二体作って、木々の影を使いながら入れ替わる。
目で判断する相手には効きにくいが、暗視や探知を使う敵ほど一瞬の判別ができなくなる。
脆い足場と幻影にわずかに戸惑うクァールに向けて、私は足下の影にナイフを投げて【影攫い】の“闇”からナイフを投げ放つ。
『グァオオオオオオオオオッ!!』
高速機動を封じられたクァールが触角でナイフを弾き飛ばした。
でもそれでいい。どうせナイフが通じるとは思ってない。
その瞬間に本命である【分銅型】ペンデュラムが、真上から弧を描くように振り下ろされてクァールの側頭部で炸裂する。
またも頭部に打撃を受けたクァールは、涸れ森そのものを震わすような怒りの咆吼を天にあげた。
『グァオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!』
バチッ……とその瞬間、触角から小さな火花が飛び散った。
……これは、“電気”? 私の中にある“知識”がその現象の正体を知らしめ、即座に離脱した私を除いた二体の【幻影】がそれに触れて、一瞬でかき消えた。
「………ッ」
わずかに届いた精神への衝撃に、私は思わず顔を顰める。
この世界にも雷はあるし、風と水の高等複合魔術に【雷撃】も存在するが、クァールが使ったのはそれとは少し違う気がした。
おそらくは強靱な筋肉細胞で電気を発生させて、それを魔力と合わせて触角に集めることで使用しているのだと考察する。
その効果は、電気を使った魔術の阻害……いや精神集中の阻害か。このような使い方をされれば、即時効果以外のほとんどの待機系魔術は無効化されてしまう。
魔術がないと私の戦力は半減する。クァールは私が魔術師系の軽戦士だと気づいて、私の長所を潰しにきた。
『ガァアアアアアアアアアアアアアッ!!!』
クァールがとうとう本気になった。二本の触角から“電気”の火花を散らしながらクァールが襲いかかってくる。
それを見て私も心を奥底に沈めて、覚悟を決めて受けて立つ。
私は幻術系の魔術を封じられて、クァールは攻撃力と回避力が激減している。
クァールは回避することを諦め、わずかに残る狭い岩の上に降りると、漆黒の鞭のようなしなやかな巨体を、弓を引き絞るように限界までたわめた。
「…………」
『…………』
互いに“相手”だけを瞳に映し、全身の力を次の一撃に全て込める。
そのクァールの攻撃を10とするなら、私の全力でも3か4程度しかしないだろう。
それでも私は死ぬつもりはない。今の私にできる“全て”を込めて、強くダガーを握りしめた。
死ぬのは……お前だ。
バチッ、と静電気のようにクァールの触角が帯電して、周囲の地面を激しく飛び散らした。
私は全身の魔力から属性を意図的に排除し、全身に流れる魔力を加速させる。
オークジェネラルを倒したあの一撃を心に思い描き、黒いダガーをクァールの中心に狙いを定めて、猫のように身を伏せた。
私の魔力を感じたクァールの真っ赤な瞳が細められ、全身の筋肉が一気に膨れあがった瞬間、クァールの巨体が砲弾のように飛び出した。
ドォンッ!!!
足場にした風化した岩場が粉砕し、大気が破裂するような音を立てて黒い獣が突っ込んでくる。
私は極限まで集中して加速された思考の中で、取り除いて溜め込んでいた属性魔力の“魔法”を解き放った。
「――【影渡り】――」
クァールと接触する瞬間に私の姿が影に消え、【影渡り】でクァールの背後に回った私は、暴走する身体強化の力でクァールの触角を掴み取る。
「っ!!」
『グァッ!!』
精神集中を阻害する衝撃を直接食らい、さらに暴走しようとする魔力を無理矢理意思の力で抑え込むと、その魔力をそのまま触角越しにクァールに叩き込んだ。
「墜ちろッ!!!」
『グアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!』
暴走する魔力を受けて、私を背に乗せたままで“涸れ森”を暴れ回り、そのまま巨大な大木に衝突したクァールと私は、崩壊しはじめた大木とその根の下に口を開けた大穴に飲み込まれるようにして、深い闇へと落ちていった。
地の底に落ちたアリアとクァール。そこからの脱出はできるのか?
次回、クァール戦決着。
反撃開始です。
次は、土曜か日曜の更新予定です。





