68 暗闇からの誘い ①
暗殺者ギルド編、ラスト3話。
五ヶ月ほどの時間をかけて、私は暗殺者ギルドの北辺境支部を壊滅させた。
師匠の所を出たのは冬だったが、季節は春を通り越してもう初夏になり、あと季節が一つ過ぎると私は九歳になる。
暗殺者ギルドを潰した私は、その日のうちに北辺境支部があったヘーデル伯爵領を離れて、ダンドール辺境伯領の隣にあるノルフ男爵領へ向かった。
その貴族が、私が暗殺した『暁の傭兵』が遺品を奪った依頼主となる。
別に今更、暗殺者としての仕事に目覚めたわけじゃないけれど……
“遺品”……両親を事故で亡くした私にとって、それは何か“特別”のような気がして、できれば家族に返してあげたいと思った。
チャラリ……
「…………」
手の平の【影収納】から無くさないように仕舞っていた遺品のネックレスを取り出して眺める。
『精霊の涙』――倒された精霊からごく稀に得られる精霊の魔石で、宝石としても扱われる。元が純度の高い魔石なので、簡単な魔法陣を仕込むだけで護符としても作動するはずだ。
そのせいで高値となり、呼び出した精霊をわざと狂わせて狩ろうとした者たちが返り討ちになって死ぬ事故が相次ぎ、この世界の理を制御する精霊を狩ること自体を重く見た聖教会…その総本山であるファンドリア法国によって、『精霊の涙』は売買どころか所持をしているだけでも罪になると決められた。
それに強制力があるわけじゃないけど、多くの光属性魔術師を擁する聖教会に、表だって反発する権力者はいない。
これをどうしてノルフ男爵が持っていたかなんて興味はない。
確か当時の金額でも依頼料である大金貨二十枚以上の価値は無かったはずだから、それほどの大金を払ってでも取り戻したい“想い”があったのだろう。
念のために警戒して大きな街には寄らず、森を通り小さな町を経由して、一週間かけてノルフ男爵の住む街へと到着したが、暗殺者ギルドの残党と遭遇することはなかった。
警戒しすぎた? ……いや、私がギルドを潰したことに気付いた者は少ないとは思うけど、警戒するに越したことはない。
ゲルフのお店で買った魔物革の外套は戦闘で消滅したので、普通の店で買った外套を纏っている今なら、外見特徴だけで私を追うことはできないと思う。
銀貨一枚を払って街に入り、屋台で頼んだ汁物を食べながら街の様子や領主のことを尋ねてみると、恰幅の良い屋台の女店主は暇だったのか色々と教えてくれた。
「あそこの丘の上にお屋敷が見えるだろ? あそこがご領主様のお屋敷さ」
「へぇ……」
通りからも見えるその屋敷は、ダンドールに近いせいもあると思うけど、以前メイドとして潜入したセイレス男爵家のお屋敷よりも立派に見えた。
「ダンドールのような大きな街から来たなら小さく見えるかもしれないけど、ここも悪くないよ。ここ数年は少し税金が高くなったけどね」
「何かあったの?」
私が声のトーンを落として尋ねると、噂話が好きそうな女店主はこちらに顔を近づけるようにして、こっそりと教えてくれた。
「確か二年くらい前だったかねぇ……ご領主様の前の奥様が、他領に向かう途中の馬車で、山賊に襲われてお亡くなりになったんだよ」
「……前の? 山賊?」
「おっと、そこら辺も知らないのかい? その後に騎士様やら冒険者やら集めて、大規模な討伐隊を組んで山賊は討ち取ったんだけど、ご領主様はだいぶ無理をなさったみたいで、ちょっと評判の悪い商会に金を借りたそうだ」
「……大変だったんだね」
その時に『暁の傭兵』に遺品を奪われ、暗殺者ギルドへの依頼料を払うために、その商会から金を借りたのだろう。
「どこまで本当か知らないよ? だけど、その後に商会の娘が後妻としてお屋敷に入ってね、それから税金が高くなったから、ご領主様も断れなかったんじゃないかって噂になったのさ」
「なるほど……」
「まぁ、街はそこまで悪くないから、お嬢ちゃんも冒険者なら、頑張って街を潤しておくれってことさっ」
そう言って女店主が豪快に笑う。……でも。
「私が“女”って分かるの?」
「そんな格好してたって、お嬢ちゃんほど綺麗ならわかるよっ」
「…………」
どうやら私の外見は、男に見えなくなっているみたい。
それはともかく、得られた情報としては男爵の評判は悪くない。多少税金が高くなっても誰も悪く言ってないのは、それだけ良い統治をしてきたのだろう。
税金が高くなったのは、その後妻が金を回収するためにやらせたことだと思う。
商会の評判が悪いと言っても、回収が難しい金を貸すにはそれだけの利点を求めるのは商会として当然なので、私としては思うことはない。
評判が悪い商会から金を借りたのも、暗殺者ギルドに依頼をしたのも男爵の判断なのだから、これからどうするかは男爵が決めることだ。
私はただ、ケジメとして“遺品”を返しに来ただけ。
他の情報としては、男爵には一人娘がいるそうだから、男爵本人よりもその娘に渡すほうが簡単かもしれない。
とりあえず、男爵の屋敷とやらを確認しておこう。
一応冒険者として街に入ったのだから、冒険者ギルドに顔を出すのが自然なのかもしれないけど、ギルドに寄れば私が立ち寄った記録が残るかもしれないので、この街ではあまり寄り道しないほうがいいだろう。
遺品を返すとしても夜になるまで待ったほうがいい。
パッと見た感じだと屋敷に魔術的な防御はないようなので、忍び込むのに問題はなさそうだから、不自然にならない程度に距離を取って屋敷のほうを観察していると、不意に後ろから声をかけられた。
「あなた、もしかして冒険者?」
「……うん」
それなりに上等そうだけど、若干着古した感があるワンピースを着た一人の女性。
年の頃は成人したあたりだろうか……彼女が近づいてくることは気付いていたけど、歩き方も気配も一般人と変わらなかったので、気にするほうが不自然かと思って放っておいた。
「ああ、やっぱりっ。そんなに若いのに、雰囲気が違うから、そうじゃないかって思ったの」
私が頷くとその女性はポンと手を叩くようにして朗らかに笑った。
「……誰?」
「あっ、ごめんなさいっ、ぶしつけでしたわね。わたくし、この地の領主の娘でノーラと申します」
「領主の……お嬢様?」
まさか目標とこんなあっさり遭遇するとは思わなかった……。
朗らかな雰囲気から一転して、貴族らしいカーテシーを披露したノーラに思わず呟きを漏らすと、すぐに彼女は雰囲気を戻して慌てたように手を振った。
「気にしないでね、私は貴族と言っても小さな地方領主の娘だから、えっと…」
「それで、“冒険者”に何か用?」
「あ、うん、そうね……女性の冒険者がいたらお話ししてみたいと思っていたの。よかったら、少し時間をいただけますか?」
「……わかった」
本来なら関わるべきじゃない。でも、彼女の『話したい』という言葉に何故か焦燥感のようなものを覚えて、私は承諾してしまった。
けれど私は失念していた。地方の小さな領主の娘で貴族とは思えない気さくな人とは言え、ノーラは万を超える領民を束ねる男爵家のご令嬢なのだ。
貴族のご令嬢が、こんな道端で立ち話をするはずがなかった。
「私が煎れたお茶でごめんなさいね」
「……オカマイナク」
屋敷の中の応接室らしき場所でノーラ自らがお茶をいれてくれた。
屋敷に入ってしまったのは仕方ない。前向きに考えよう。それよりもどうして使用人ではなく彼女がお茶をいれるのか?
王族などに侍女として仕えるのなら男爵の娘でもあり得なくはないが、貴族とは思えない服装で、伴もつけずに一人で外出していたのも関係があるのかもしれない。
「私ね……もうすぐ結婚しなければいけないの。貴族の娘だから親の決めた相手と添い遂げることに異論はないのですが……少し弱気になっているのね。色々な場所に行ける冒険者に話を聞きたかったの」
「……何を聞きたいの?」
私が請われるまま当たり障りのない『冒険者』の話をしてあげると、ノーラも少しずつ自分の話をしてくれた。
彼女には幼い頃から一人の婚約者がいたそうだ。婿に入る予定の男爵家の三男とは互いに憎からず思っていたそうだが、昨年、あることが原因で婚約者が変わってしまったらしい。
「彼もご両親に話をしてくれているみたいだけど……ダメよね。私も彼も貴族だもの。家には逆らえないわ……」
ノーラは明るくそう言って……寂しげに笑う。
「そうか……」
私には恋愛の機微は分からない。けれど、ノーラがまだ以前の婚約者のことを想っていることは、なんとなく分かった。
「ノーラさん、何をしてらっしゃるの?」
その時、扉がノックもされず開かれ、派手な感じの二十代後半の女が応接室に入ってきた。
「お、お義母さま……」
「あら、誰か来ていたのね」
その女……多分、噂に聞いた商会から来た後妻だろう。
ノーラとは違う仕立ての良いドレスを着たその女は、外套を脱いでソファに腰掛ける私を見て、一目で冒険者だと理解すると、「ふん」と鼻で息を吐き、私を無視してノーラとの話を続けた。
「商会へのお使いは終わったのかしら? あなたは私の弟と結婚するのだから、ちゃんと挨拶はしてきたのでしょうね? ライナスが次の男爵となるのだから、今のうちに媚びを売っておかないと後悔することになるわよ」
「はい……」
「こんなところで、そんなガキと……」
言葉の途中で後妻の声が止まる。
私は何もしてない。会話どころか威圧さえしてない。
「…………」
けれど、私に目を向けたその女は、無言のままジッと見つめる私の“瞳”に何を見たのか、わずかに足が下がり、その顔にわずかに怯えが奔る。
「ふ、ふんっ、躾のなってないガキねっ!!」
バンッ! と叩きつけるように扉を閉めて女が早足で部屋を出ていった。
「……ご、ごめんなさい」
「気にしてない」
後妻の態度に驚きながらも、申し訳なさそうに謝るノーラに私は軽く首を振る。
本当に気にしなくていい。私も気付けたことがあったから。
*
ノーラと別れ、男爵の屋敷から出ると、しばらくして私の後をつけてくる数人の気配に気付いた。
二人か……タイミング的にあの後妻が手を回したにしては短絡的すぎる。でも、少ししてその数が一人減ると、しばらくして四人になり、最終的には十人になった。
「出てきたら?」
わざと裏路地に足を踏み入れ、人気のなくなったところで声をかけると、少し驚いた気配がして男たちが姿を現した。
「いやいや、さすがだね。君が“灰かぶり”だね?」
「……何者?」
現れた男たちは、どこにでも居るような目立たない平民のような服装をしていた。
私の正体を知り、私を“灰かぶり”と呼ぶ人間は限られている。けれど、こんな子供一人にこれだけの手勢を集めたのだから“穏便”な話し合いではないだろう。
その中で声をかけてきた、一人だけマシな格好をした二十代前半の男は、気取った仕草で貴族のマネ事のように頭を下げて、は虫類のような笑みを見せた。
「盗賊ギルドから、君を迎えに来たよ」
現れた盗賊ギルドの男たち。
彼らがアリアに求めるものとは?
そしてアリアは決断する。
次回、暗闇からの誘い ②
これによりアリアの「裏社会での立ち位置」が決まります。