60 ダンジョンの罠 ③
対『暁の傭兵』戦
「えっ、どうしましたか?」
即死して声をあげることなく崩れ落ちるグリンダを、とっさに受け止めて声をかける私に、『暁の傭兵』の三人の男たちが意識を向けた。
「なんだ、どうした?」
「おいおい、グリンダ、興奮しすぎじゃ…」
まだ油断をしているのか、気の抜けた呆れたような顔をしながら斥候のダンカンが近づいてくる。
「――っ!?」
その瞬間、目を合わせた私の瞳に何を見たのか、一瞬で緊張感を見せたダンカンに私はグリンダの死体を突き飛ばした。
「なっ!?」
この時点ではグリンダが死んでいるとは誰も思っていない。突き飛ばされたグリンダをとっさに受け止めるダンカンに、私はすかさず黒いナイフを抜き放ち、大きく後ろに振りかぶる。
「――【二段突き】――」
「ぐおっ!?」
私が繰り出す短剣の【戦技】を、ダンカンはまだ温かなグリンダを抱えたまま身を捻るように回避した。
だが、二連撃の一撃は躱されたが、無意識にグリンダを庇おうとしたのか、二撃目を受けた右腕が大きく斬り裂かれた。
……仕留め損なったか。本当に彼らは優秀だな。
私の目を見て気づかれたのだろうが、たかがターゲットの一人を殺した程度で戦闘状態に入ってしまうとは、私もまだまだ修行が足りない。
「なんだっ! どうなってるっ!?」
「ダンカンッ! グリンダはっ!?」
「グリンダが動かねぇっ! そのガキは敵だっ!」
暁の傭兵の面々は混乱しつつもダンカンの言葉を聞いて戦闘態勢を整える。
その瞬間に私がダンカンにナイフを投げつけると、すかさず割り込んだリーダーのダガートが大剣を使ってナイフを弾き飛ばした。
「ダンカン、お前はポーションでグリンダと自分の治療をしろっ!」
二人を庇うように剣を構えたダガートが声をあげる。
でも私は知っている。このパーティーの回復役は魔術師のグリンダだ。
盾役のランディも多少の光魔術を使えるようだが、一般的な冒険者と同様に【回復】しか使えないはずだ。
そして一般的に売られている治癒ポーションの大部分は、治癒の効果が薄い回復寄りのポーションなので、それでは傷を塞ぐことはできても深い傷を受けた腕の機能は完全には戻らない。
予定ではダンカンを倒して、ポーションが仕舞われているであろう拡張カバンを奪取するつもりだったが、ままならないものだ。
私は軽く溜息を漏らしながら軽い一振りでナイフの血糊を飛ばし、挑発するように手の平を上に向けて指先で手招いた。
「……貴様っ!!!」
そんな私の分かりやすい挑発にランディが激高する。
「止めろランディッ! そいつは“何か”おかしいっ!」
深手を負った右腕を押さえながらダンカンがランディを止める。
ダンカンは攻撃を受けて私を警戒した。ダガートはパーティーのリーダーとして、冷静に態勢を整えるべく負傷者を護る選択をした。
だけどランディは、仲間を傷つけられたことで我を忘れ、仲間の制止を無視して剣を抜いて私に向かってきた。
ここが私が考える『パーティー』の弊害だ。
冒険者ギルドがソロではなくパーティーを推奨するのは、仲間たちが力を合わせることで短所をカバーし、長所を生かし、生存率を高めるためだ。
けれど、そこで冒険者は大きく二種類に分かれる。パーティー全体の利益を考え、場合によっては冷酷な判断が出来る『経営者』タイプと、自分の役割をこなすことだけに割り切る『職人』タイプだ。
職人が悪いとは言わない。だが最初からパーティーで『盾役』という作業のみに従事してきたランディは、『役割』を離れると実力の発揮が難しくなる。
「逃がすかっ!!」
そのままダンジョンの奥へと走り出した私をランディが追ってくる。
「ランディッ!!」
それを止めるダガートの声も届かない。この場合なら、負傷者の治療をしてから全員で後を追うか、撤退を選ぶのが上策だ。
普段ならランディもそれを選んだはずだった。でも、ランディはそれを選ばない。そこに私の仕掛けた最初の『罠』が効いてくる。
「戦闘力200程度で逃げられると思うなっ!!」
このダンジョンに入った時の私の戦闘力は、最大で240ほどだった。
鑑定によって見える戦闘力は、個人の探知能力によって若干の差違が生じるため、正確な数値を口にすることはない。そのせいでグリンダは私の戦闘力を『200程度』と称し、戦闘力が440のランディは、自分の半分の強さしかないと思い込んだ。
でも、闇魔法のレベルが上がり、全身を流れる魔力経路が増大したことで身体強化と体術も上昇した今の私の戦闘力は、ダンカンやランディにも引けは取らない。
それでも油断はしない。
私の【短剣術】はまだ体格のせいかレベル2のままで、そもそも肌と肉を斬り裂くことに特化した短剣では、ランディのような盾持ちの全身鎧にダメージを与えることは難しくなる。
追ってくるランディの気配を感じながら手甲のギミックに矢を装填する。
このギミックは、師匠から貰った極小クロスボウの部品を、ゲルフに頼んで仕込んでもらったものだ。
魔術師である師匠が接近戦での牽制に使用していたクロスボウは、トレントの木材にミスリルの芯を通して飛竜の腱を弦に使うことで、矢を装填したままでも使用者の魔力で再生し、弦が伸びることはない。
片手でも装填できるギミックもあり、接近戦では投擲ナイフよりも使いやすい。
「追いついたぞっ!」
あまり時間をかけるとダガートが追ってくる。この距離が最善だと判断して、30メートルほど移動して速度を落とした私に、鋼の塊であるランディが突っ込んできた。
「――【幻痛】――」
「ぐぎゃっ!!!?」
私が仕掛けた幻術の激痛に、ランディが潰された毒ガエルのような呻きを上げて動きを止めた。
ランクが同じなら確実に幻術は通るが、それでも盾役をこなしてきたランディに痛みの効果は薄いはず。でも、私が格下だと考えていたランディはこんな激痛を受けるとは想像もしていなかっただろう。
「ごっ!?」
その瞬間を逃さず、レベル3になった【体術】と【身体強化】を駆使して懐に飛び込み、繰り出した掌底でランディの顎を真下から打ち上げ、私はがら空きになった剥き出しの咽から頭頂に向けて深々とナイフを突き刺した。
盾役は仲間の支援があってこそ実力を発揮する。その重い鎧と盾は重い一撃を受けるのには適していても、単独で戦うにはデメリットが多すぎる。
「――っ」
ぐりんとランディの眼球が白目を剥いて、筋肉が硬直する前にナイフを引き抜いた私は、仰向けに倒れていくランディを飛び越えるように乗り越えて、そのままダガートとダンカンの所へ駆け出した。
残り二人。
「あいつが戻ってきたぞっ!」
「ランディは!?」
「倒れたのが見えたがわからねぇっ!」
元の場所に戻るとグリンダの死体は通路に寝かされ、私の接近を見つけたダンカンが傷ついた右腕をだらりと下げたまま、左手で短剣を構えていた。
そんなダンカンを護るようにダガートが大剣を構えていたが、そこに接近しようとする私に彼が手の平を向ける。
「待てっ! 貴様、貴族の追っ手だろうっ! あいつらが何を持っていたのか分かってるのかっ」
「…………」
ダガートが戻ってきた私に声を張り上げた。どちらにしろ戦闘態勢を整えさせてしまったので足を止めた私に、ダガートがわずかに口の端を上げた。
「聞く耳は持っているようだな……。あいつらはご禁制の『精霊の涙』を持っていた。あれは精霊の魔石で、ファンドリア法国の聖教会で所持を禁止されているものだ」
「……それが何の関係がある?」
私が倒した水精霊は落とさなかったが、精神生命体である精霊でも長く存在した精霊はごく稀に魔石を落とすらしい。
魔石として強い属性を持つが、それよりもその宝石のような美しさのため、一時期、わざと召喚した精霊を殺して魔石を得ようとした時期があったと師匠が言っていた。
精霊はこの世界の自然を維持する重要な存在だ。その精霊を欲望で狩るような品物を聖教会は許さなかった。
「わからないか? お前が何を聞いて俺たちを襲ってきたのか知らないが、犯罪者はあの貴族のほうだっ! お前の行動に正義があるというのなら俺の手を取れっ!」
「ダガートっ!?」
突然敵である私を引き込もうとしたダガートにダンカンが非難の視線を向ける。
「あいつはグリンダを殺した奴だぞっ! ランディだって…」
「現実を見ろ、ダンカンっ。元々グリンダの我が儘で『精霊の涙』を持ってきたから、貴族と敵対する羽目になったんだろっ。俺たちには強い仲間がいるんだ」
「……ちっ、わかったよ」
精霊の涙を盗ったのは、あくまでグリンダの我が儘。そう諭されて渋々頷いたダンカンは、私に目を向けると動かない右腕を庇うようにしながら私に近づいてきた。
「……鑑定水晶を使わなくてもお前の実力は分かるつもりだ。お前がただ貴族に騙されただけなら、俺たちの話を聞いてほしい」
「……わかった」
私が小さく頷くと、ダンカンはわずかに笑みを浮かべ、握手を求めるように武器を納めて左手を私に向ける。
「それじゃ、まずは――」
ガキンッ!!
その瞬間、ダンカンが右手に隠し持っていたナイフと、私の黒いナイフの刃がぶつかり火花を散らす。
「ちっ!」
その瞬間に突っ込んできたダガートの攻撃を躱すようにダンカンを盾にしながら、傷ついて本調子ではない右手のナイフを私のナイフで押さえ、身が触れる程まで接近したダンカンの口内にクロスボウの矢を撃ち込んだ。
「ダンカンッ!」
振り下ろされる大剣を転がるように躱して距離を取ると、崩れ落ちて痙攣するダンカンを受けとめたダガートが怒りに歪んだ顔を向ける。
「お前……なぜ、気づいた?」
「何故、気づかないと思ったの?」
そもそも依頼人の貴族がその遺品が表に出せない品なので、暗殺者ギルドに依頼したと聞いている。
それに依頼されたのは遺品の回収と盗人の始末なので、彼らにどんな理屈があろうと盗人の戯言に耳を貸すつもりなど最初からなかった。
そして芝居などをあまり見る機会がない一般の平民なら騙されたのかもしれないが、あの女の“知識”を持つ私からすれば、三文芝居の茶番にしか見えなかった。
ダンカンにしてもあの手応えの傷で、上級の治癒ポーションを使ったのなら、あそこまで右腕が使えない状態にはならないと、私は知っていた。
「お前に庇われたままではダンカンの始末は難しかった。戦闘力が下がった状態で近づかせてくれて感謝する」
「き、貴様ぁあああああああああっ!!」
素直に礼を言う私に嘲笑されたと感じたのか、ダガートは事切れたダンカンの死体を投げ捨てるようにして、怒りの叫びを上げた。
あと一人。
次回、ランク4の戦士、ダガートとの戦闘。
ヴィーロやセラクラスの相手に、アリアはどう戦うのか?