55 影使いラーダ
「お前はガイに何をした?」
【影使いラーダ】【種族:獣人族(猫種)♀】
【魔力値:233/235】【体力値:240/240】
【総合戦闘力:855(身体強化中:1017)】
……かなり強いな。おそらくはコイツが『影使いラーダ』だ。
私は、あの暗殺者ギルド北辺境支部にいた人間は、たとえ隠れていても大まかな気配や“癖”は、だいたい覚えている。
隠密というものは、隠れるためのものではなく見つからないためのものだ。
たとえ完璧に隠れていようとも、そこに『必ず在る』と分かっていればそれは違和感となり、完璧すぎればそこに“癖”が生まれる。その癖さえ覚えてしまえば隠密を見破ることも可能になる。
あの中で、存在が分かっていながら気配を見つけられなかったのは、影使いラーダだけだった。
それらの情報と異名からの特徴から推測すると、コイツが影使いラーダと言うことになる。
ジッと見つめるラーダの問いに、私は微かに首を傾げた。
「ガイ? ディーノにも聞かれたけど、仕事でギルドを離れていた私が知るはずないでしょう?」
ガイは初心者狩りと一緒に死体も残さず処分した。ガイを始末した証拠は何もないはずだが、何故ラーダは私を疑うのか。
「キーラが、お前を襲うように依頼したと言っていた。ガイはお前の所に現れたのではないのか?」
猫獣人特有の鋭い眼光と威圧が私を射貫く。それでも私は顔色一つ変えずに、目を細めてラーダを見つめ返した。
まさか、あんなギルドで、メンバー同士の横の繋がりがあるとは思わなかった。
あのキーラが自分が不利になりそうな情報を誰かに話すとは思えなかったが、ラーダが脅したのか、それともラーダになら話してもいい“理由”があったのかもしれない。
「妙な言い掛かりは止めてもらおう。もし来たとしても、ダンジョンで魔物に倒されたのではないのか?」
「……ガイが低層の魔物程度に後れを取るものかっ。あの子は単純な真正面からの戦闘なら、私と互角に戦える力を持っていた。ガイが負けるはずがない……薄汚い“罠”にでも嵌められないかぎり」
ラーダの全身から殺気と闇色の魔力が滲み出し、私も全身に魔力を漲らせ、手の平の中に生みだした“闇”を媒介に、投擲用の暗器を取り出した。
私たちの無言の殺気がぶつかり合い、周囲にいた小さな生き物たちの気配が逃げるように消える。
こんな昼間の街の中で戦うつもり? 戦闘が始まった時を想定して幾つかのパターンを私が構築していると、不意にラーダは殺気を消し去り、私の足下に投げ捨てるように紙の束を投げつけた。
「……話は仕事が終わってからだ。それには先に王都に入っていたもう一人の連絡員の情報が記してある。お前程度がランク4の冒険者相手にどれだけ健闘できるか見せてもらおう」
吐き捨てるようにそう言ったラーダは、私に背を見せないように下がりはじめた。
「……ガイはあなたの“何”?」
その姿が消える前に私がそう問うと、ラーダは一瞬だけ怒りに満ちた瞳を私に向け、路地の闇に消えながら最後に呟きを残した。
「――“弟”だ」
***
ラーダとガイは、北方にある小さな町の孤児院で育った。
ラーダの両親は共に獣人の冒険者で、一山当てようと獣人国から出てきた二人は何度もダンジョンに潜り、ある日、幼いラーダを残して帰らぬ人となった。
人族の国であるクレイデール王国にも亜人はそれなりにいるが、やはり微妙な偏見はあり、正規の職業に就いている者は多くない。
残されたラーダを孤児院に入れたのは両親の知り合いだった冒険者だったが、正規の国民でもない獣人であるラーダが孤児院に入れただけ幸運だった。
それでも人族の孤児たちと馴染めず孤独だったラーダが五歳の時、クルス人の赤子が孤児院に送られてきた。
肌の色が違うクルス人でも差別されることは稀だったが、それはあくまで大人同士の話で、子供の場合、自分たちと違うものを残酷なまでに排除する。
赤ん坊の世話は、年上の孤児たちが交代で見ることになっていたが、孤児たちはそのガイと名付けられた赤ん坊の世話をすることを嫌がり、まだ五歳だったラーダに押し付けた。
『黒い赤ん坊の世話は、黒髪で黒い目のお前がやればいい』
そんな心ない言葉で押し付けられたラーダだったが、何の力もなく手を伸ばす赤ん坊を見て、この子は自分が守ると決意する。
互いに孤独を癒すように求め合い、ガイはラーダを姉として慕い、ラーダは姉としてガイを慈しんだ。
そしてラーダが12歳、ガイが8歳になった時、二人は“異物”に冷たい孤児院から、金を盗んで逃げ出した。
『ガイ、この国の人間が私たちを“黒”と言うのなら、私たちは“影”に生きよう』
『うん、ラーダ。俺たちの力を見せてやろう』
ラーダは冒険者であった両親から戦闘と闇魔術の手ほどきを受けており、ガイもクルス人特有の身体能力の高さで、瞬く間に実力を付けていった。
二人はスラム街に身を隠し、月のない夜中に酔っぱらいを襲っては殺し、その命と金品を奪った。
その行為は当地を管理する盗賊ギルドの怒りを買うことになったが、その二人を最初に見つけて声をかけたのは、暗殺者ギルドの人間だった。
ラーダは猫獣人特有の隠密系能力と闇魔術の才能により、『影使い』と呼ばれるまでの使い手になり、ガイは評価こそランク3程度に収まったが、対人戦ではギルド内でも一目置かれるような戦士となった。
そんなガイが、ある日、新人の子供を追って出て行ったまま帰ってこなかった。
暗殺者ギルドでは任務に数ヶ月かかることも珍しくなく、ラーダも多少の心配はしても気にしてはいなかったが、キーラ自らがガイに子供を痛めつける依頼をしたとラーダに打ち明けた。
『ねぇ、ラーダ。そんな簡単な仕事で、ガイがこんなに時間をかけるなんて、おかしいとは思わない?』
キーラはラーダとガイの関係を知って、ラーダの害意をその子供に向けさせようとしているのだろう。
その子供とキーラが諍いを起こしたことは知っている。そんなくだらないことに巻き込んだキーラにも怒りを感じたが、ラーダはガイのことを優先し、ギルド内で問題を起こすのを避けて王都の連絡員を買って出た。
今回の連絡員は、その新人が逃げ出したり捕まるようなヘマをするなら、その時に始末をする役目の『監視員』を兼ねている。
そして実際に王都でその新人と会い、その子供とは思えない異様な胆力と戦闘力……そしてなにより、その氷のような冷たい瞳にコイツならガイを殺せる――いや、コイツが殺したのだと確信した。
「灰かぶりっ、お前は私の手で無惨に殺してやる」
***
「…………」
弟か……何かの比喩的な表現だろうか? 私はラーダが消えた『影』からその存在が完全に消えたと感じて、微かに息を吐く。
まぁいい。あの短いやり取りで、ラーダは大量の情報を私にもたらしてくれた。
義理の姉弟にしろ、私を王都にまで追ってきて殺そうと考えるほど、ラーダがガイを大切に思っているのなら、それは重要な情報になる。
ラーダは強い。それでも怒りに我を忘れれば、どれだけ強くても隙が生じる。
情報があればさらに怒らせることも出来るだろう。弱い奴は怯えさせる。強い奴は怒らせるのが、隙を作る常套手段だ。
何気ない言葉だが、『ランク4の冒険者』とラーダが強調したのは、ラーダのランクが4だからだと考えた。
鑑定で見たラーダの魔力と戦闘力、そしてランク4でありながら、ランク3のガイと近接戦は互角だという言葉が本当なら、ラーダのランク4相当の実力は、【闇魔術】によるものだろう。
しかもラーダは失敗をした。私が子供だと油断をしたのか、冷静を装っていても怒りに我を忘れていたのか、影から現れて影に消えるという闇魔術の発動を、魔素が色で視える私の前で見せてしまった。
その感覚からすると、影の中から他の影へ移動できるみたいだが、レベル的に短距離でも空間転移ではあり得ないので、おそらくは私の身体の闇を媒介とする空間収納に近い技術だと推測する。
全身を闇の魔素で包み込み、影から繋がった影か、魔力で繋げた影にのみ『移動』を可能とする。
闇の魔素で隔離した空間は真空のようなもので生物は生存できないが、数秒ならばそれが可能なのだろう。だから、それ以上隠れている場合は、必ず闇の隔離空間に穴を開けているはずだ。
しかもこの『影渡り』には、欠点がある。
そして今回の邂逅で一番重要な情報は、ラーダの姿を見たことだ。
ラーダの隠密技術は私を超えているので、その気配を完璧に把握することは出来なかったが、少なくとも影に出入りするときの“違和感”を感じ取ることができた。
私が気配でその人物を特定できるようになったように、格好が変わって髪の灰を消した私をラーダが特定できたのは、彼女も私の気配を覚えているのだろう。
ラーダは私を特定できて、私はラーダの違和感しか感じられないのは、私が不利なように思えるが、私がそれを知っていることが“強み”となる。
闇魔術師同士の戦いは、『騙しあい』と『化かしあい』だ。
その戦闘に於いて戦闘力はさほど重要ではなく、重要なのは相手の心理状態と手の内の情報を把握することだ。
私にとって『影使いラーダ』は相性的に最悪の相手だと思う。暗殺者ギルドに裏切りがバレて敵対した場合、気配の読めないラーダが残っているだけで、私の生存確率は激減する。
だからこそ、ここに来た連絡員がラーダで本当に良かった。
……ラーダ。同じ闇魔術使いとして、お前を倒して私は強くなる。
「ラーダ。お前は死んで、私の糧になれ」
互いに敵と認識し、表面上は味方でありながら、二人は相手を殺すために動き始めました。
次回、ダンジョンのある街。