288 ズルいひと
「……分かった」
そんな声が流れて、一瞬その意味を理解できずに静まる室内で、その意味に最初に気づいた私は思わず声が漏れた。
「何を言っているのかしら? アリア」
その一瞬後に発言者がアリアだと理解した人たちがざわめき始め、その中でフェルドが咎めるように声をあげる。
「アリア、お前っ」
「おおっ、それでは決まりですね、アリアさん。ご理解いただけて幸いです」
フェルドが言葉を続ける前に、それを遮るように勇者クラインが〝承諾〟と決めてしまった。
「それでは詳しいことを――」
「――ただし」
さらに続けようとするクラインの言葉を今度はアリアが遮る。
「属性竜には意思がある。その意思を確かめてからだ」
「ほぉ……」
アリアの言葉にクラインが薄い笑みを浮かべた。
確かに属性竜は暴れる魔物を駆除するのとは訳が違うわね……。
冒険者が魔物と戦うのは素材のため、生活のため、生きるため……広義に意味で言えば〝生存競争〟だから。
生きるために邪魔だから倒す。その肉が必要だから倒す。襲われてきたから倒す。必要だから殺すのであって、殺したいから殺すわけじゃない。
火竜は自分の領域に入り込んできた害虫を駆除しただけ。
この大陸では千年以上も棲み分けができてきたわ。もしその場所を欲して火竜が邪魔だと言うのなら、その人なり国家なりが戦うことで、そこに正義はなく、そこにあるのはただの隣人同士の喧嘩なのよね。それはつまり……。
「……よいのかしら?」
再び口を開いた私に視線が集まる。
「火竜が邪魔だというのはゼントール王国の都合でしょ? まさか一国の利益のために聖教会の勇者サマが戦うの? よいの? そんなに……」
――勇者の存在が安くて――
口を挟んだ私の言葉は、最後に神殿騎士隊長のヴィンセントへ向けられた。
その意味を理解したヴィンセントは、勇者や枢機卿が口を開く前に踵をぶつけるように大きく音を鳴らす。
「もちろん! 勇者とあろう者が一国の利益で動くことはありません!」
その言葉に枢機卿は困惑して黙り続け、勇者はヴィンセントと私へ視線を向ける。
「なるほど。それはあなたの意見ですか? もしそれで火竜が人の街を襲ったら、誰が責任を取るのですか?」
「そんなものが……」
いきなりの責任論にヴィンセントが困惑する。
「襲われるかもしれない。ここにはちょうど勇者がいる。人々のために必要ではありませんか?」
そんな弁論にヴィンセントが押され始めたとき……。
「だから、火竜の意思を確認すると言っている」
そこにもう一度アリアが意見を言う。皆の視線が再びアリアに戻り、クラインがやれやれと肩を竦めた。
「その結果、見逃して後日襲われたら、責任が取れるので?」
「戦った結果、火竜が街を襲ったら、あなたが責任を取るの?」
「倒せば解決しますよ」
「それなら聖教会で、勇者が確実に勝てると保証してくれるの? 被害が出たら聖教会が責任を取るの?」
「それはもちろん――」
「――そんな莫迦な話があるか!」
話が聖教会の責任問題になってようやく、空気になりかけていた枢機卿が声を張り上げた。
「こんな責任問題などただの水掛け論だろうが! クライン! その者と火竜の意思を確かめてこい! ヴィンセント! お前も同行しろ!」
血管が切れそうなその剣幕にクラインが肩を竦める。
「やれやれ、仕方ありませんね。私はお嬢さん方の実力が知りたかっただけですが、火竜に意思を確認するのは倒すよりも面倒ですよ?」
相変わらず嫌みのように文句を言うクライン。せっかくだから私も口を挟もうかしら?
「勇者なのでしょ? もしかしたら私の勘違いかしら?」
勇者ならばその程度はできるでしょう? と、私が煽るようにそう言うとクラインは嫌な笑みを浮かべて、慇懃な態度で貴族のような礼を取る。
「あなたの力も見せていただけることを願いますよ、可愛らしいお嬢さん」
会談はここで終わりとなった。アリアがアレの仲間になるという話はさておき、なし崩し的に火竜退治に行くことになっちゃった。
竜の意思を確かめるのは別に良いのだけど、どうしてアリアはそれをわざわざ受けるようなことをしたのかしらね? まぁ、予想はつくけれど。
「アリア……いるかしら?」
「スノー?」
その夜、聖教会から割り当てられたアリアの個室へ向かうと、彼女は武器を整備していた手を止めて顔を上げる。
「相変わらず禁欲的ね。ミラなんて怒りが治まらなくて、ジェーシャを誘って街まで飲みに行っているわよ?」
私は部屋に勝手に入るとテーブルで作業をしていたアリアの正面に座る。
「どうして、アレの言うことに付きあうの?」
あんな戯れ言に付きあう必要はないわ。仮にも勇者なのだから、実力的にも政治的にも簡単には殺せないけど、アリアなら暗殺できるのではなくて?
「エレーナに迷惑がかかる」
「だと思ったわ」
私にとってアリアは命を懸ける対象なのだけど、二人はお友達だものね。
アリアの言葉に私は呆れるように溜息を吐くと、アリアは微かに笑って備え付けの水差しからカップに水を注いでくれた。
二つ差し出されたカップを私は冷気で冷やして、片方をアリアに押し返す。
「エレーナなら気にしなくてもいいと言ってくれる。でも、聖教会の面子を潰すのは得策じゃない」
「そうね」
あの偽物ちゃんと悪魔の件で、聖教会はクレイデール王国に借りがある。
私が疑問だったのは、エレーナならさほど聖教会との関係も悪くならずに断ることくらい出来ると思ったから。
けれど聖教会にも面子がある。そして聖教会内部でも派閥がある。
この大陸の聖教会の基になった、他の大陸の聖教会。そこから派遣された勇者の要請をこちらの聖教会は断れないし、あの枢機卿は向こうの聖教会と繋がりがあるのか勇者にもの申せるけど、彼はクレイデール王国に忖度しない。
でも、それ以上に……。
「あの勇者が、エレーナに直接手を出すと思っているのかしら?」
「……可能性はなくもない」
本当に面倒ね……。どうもあの勇者はこの大陸のことなんて、どうでもいいと思っている節がある。
好きに動いて問題になったら帰ればいいし、腹いせに誰かを傷つけるかもしれない。……アリアが裏で動いているときの敵対派閥はこんな思いをしていたのかしら? まぁ勇者はもっと質が悪いけど。
「ああいう精神構造の人間には覚えがある。私は火竜の件でそれを見極めようと思っている。その上でエレーナの許可を取ってやり方を変える」
「……仕方ないわね」
私はまた小さく息を吐くと、カップの冷たい水を飲み干した。
「私には迷惑を掛けてもいいの?」
少し意趣返しに意地悪を言うとアリアはキョトンとした顔をして、小さく微笑んだ。
「今更でしょ?」
ええ本当に……アリアはズルいわ。
大事だから守りたい人
大事だけれど頼れる人





