287 勇者の理由
「どうか私のものとなってほしい」
そう言って勇者クラインがアリアの手の甲に唇を落とした瞬間――
ドゴォオン!!
ソファーに腰掛けたままのアリアが虫を払うように手を振って、室内の空気が弾けるように衝撃波を響かせた。
私たち〝虹色の剣〟の面々は顔を顰めて足を踏ん張り、聖教会の連中は耐えることもできずに尻餅をつく。
それでも――
「……なかなか過激だね。それでこそ私の仲間に相応しい」
勇者クラインは穏やかな笑みを浮かべて、仄かに銀の光を放つアリアの手刀を受け止めていた。
アリアはあの瞬間に鉄の薔薇さえ使わず〝拒絶世界〟を一瞬使っていた。極度に純化した魔素とレベル5の魔術に慣れてきたことで、ほんの一瞬だけ戦闘力で3000以上の攻撃を繰り出している。
あんなものオーガでも即死するわ。また強くなったのね。……でも、それを受けても平然とする勇者の力はどれほどのものかしら……?
「……スノー、抑えろ」
「……どうして?」
隣から私を止めようとするドルトンに視線を向けることなく、私は魔力を漲らせながら口元だけで微笑んだ。
勇者の〝もの〟になる? どこの誰が? なんの権利で?
私は自分でまともではない自覚はあるのだけど、それでもアリアが幸せならそれを祝福するつもりはあるのよ? でも、あれはダメね。どう見てもアリアが幸せになれないもの。それなら身の程を分かってもらうのがよろしくなくて? それをどうして私が止まらなくてはいけないの? ミランダやジェーシャだって不快そうな顔をしているでしょ? ねぇ、私が自重する理由があるの――?
「アリアが武器を抜いていないからだ」
その答えはドルトンではなく仏頂面をしたフェルドから聞こえた。
「…………」
なるほど? そういう説もあるのね?
「スノー」
アリアの微かな声が届く。私がそちらに視線を向けると、アリアも不機嫌そうに睨んではいたけど、勇者を殺そうとまではしていなかったわ。
随分と大人になったのね……少し寂しいわ。行きずりのゴミを一緒にお掃除していた幼い頃が懐かしいわ。それはどうでもいいけれど。
私が威圧と魔力を抑えると、ようやく聖教会の面々が息をし始めた。
その中で一人涼しい顔をしていた勇者クラインが晴れやかな笑みを浮かべて、歓迎するように両腕を広げる。
「素晴らしい……っ。このような美しい女性たちと出逢えるとは、わざわざこの大陸まで来た甲斐があったよ」
そう言って冷たい視線を向けるアリアにもう一度跪く。
「失礼、お嬢さん。あまりの素晴らしい出会いについ我を忘れてしまったよ。もう一度ご挨拶をさせてもらっても?」
そう言って手を差し出しながら、勇者クラインは私のほうへも意味深長な含み笑いを向けていた。
「く、クライン! こんな野蛮な女が勇者の仲間など、良いわけあるか!」
そのとき、衝撃で言葉を失い尻餅をついていた枢機卿が、クラインではなくアリアに文句を付ける。あらあら、私の威圧までアリアのせいにされてしまったわ。
「良いではありませんか。〝英雄級〟とは普通とは違うのですよ?」
精霊によって選ばれる勇者の、精霊によって認められた勇者の仲間、〝英雄級〟。
お伽噺でよくある勇者の仲間は、物語によっても違うけども、『聖女』『剣聖』『聖戦士』『大賢者』『大魔導師』『大精霊使い』などが一般的ね。精霊に恩恵を受けたアリアはそれに該当するけど、勇者の仲間に『暗殺者』はないのよね。
「だ、だからと言って――」
「私に用があるから、呼んだのでしょ?」
それでも声高に言い募る枢機卿の言葉を遮るようにアリアが声を零すと、大きな声でもないのに枢機卿が言葉に詰まり、聖教会の連中も思わず息を漏らして、勇者クラインが喜色を浮かべる。
「そうなのだよ。私は聖教会の本殿より任務を請け負っていてね」
「クラインっ!」
任務という勇者クラインに枢機卿が止めるように声を荒らげる。でも勇者は壮年の枢機卿を相手に子どもを諭すようにジッと見つめた。
「クロフォード卿……私の〝仲間〟となるのなら、知っておくべき事だよ?」
……なんの話をしているのかしら?
他の大陸から来た勇者……。この大陸で最大派閥を誇る聖教会も、千年ほど前に他の大陸から渡来してきたと言われているわ。もしかして、いまだにそちらの権威のほうが高いのだとしたらお笑いね。
勇者が言う『本殿』もこちらの神殿ではなく向こうの大陸にあるもので、これだけ偉そうにしているこちらのお偉いさんが、支部長扱いなのでしょ?
話はついたのか、そもそもこちらの聖教会に礼儀は尽くしても敬う気はさらさらないのか、勇者は簡単にクロフォードと呼んだ枢機卿との話を切り上げると、アリアに向き直る。
「お察しだとは思うが、私は正式な任務でこの大陸まで来ている。そこで君という存在に出逢えたのは幸運だったね」
勇者クラインはアリアに語る。
数年前、勇者を選んだ〝光の精霊〟が神託をしたという。……向こうの大陸では精霊信仰とかあるのかしら。それはともかく、その内容はこちらの大陸で〝闇竜〟が出現する気配を察知した。
闇の属性竜である闇竜は、成長すればランク8となり〝邪竜〟になる。邪竜は人間を憎む人喰い竜となり、即座に討伐する必要性を感じた向こうの聖教会は、勇者を送り込むことに決めたけど、その闇竜は出現したと同時に倒されたと、勇者は船上で光の精霊から伝えられた。
「「「…………」」」
その話で〝虹色の剣〟全員の視線が一瞬アリアに向いたけど、本人はみんなで倒したと思っているから顔色一つ変えていなかったわ。
それはともかく勇者クラインはせっかく来たのに無駄骨ね。さっさと帰られたらよくなくて? でも彼の話にはまだ続きがあった。
「邪竜は悪兆だと言われていてね。邪竜顕れるとき、〝魔王〟が顕れるとも言われている。実際、光の精霊はレベル8の火魔術が行使される気配を察していてね。その調査をすることになっているんだ」
「「「…………」」」
その話で〝虹色の剣〟の視線が一瞬私へ向けられる。
前に話していた冗談だったのに、本当に失礼しちゃうわ。そんな力があるのなら私も苦労はしていないわよ。
「私は、この地に来るまでそれらしき兆候は見ていない。闇竜が滅んだというのなら問題はないと考えているが、そうだな……アリア嬢。君には私の火竜退治に参加してもらおう」
…………はぁ?
一瞬勇者が何を言っているのか分からなくて、私たちだけでなくて全員が押し黙る。あら、珍しくアリアも目を丸くしているわっ。
「ま、待て、クライン、なぜそうなる?」
意外なことに混乱から最初に回復した枢機卿クロフォードが彼に問うと、クラインは慌てることなく朗らかに笑う。
「あなたも言っていたでしょう? 聖山の向こう側にいる火竜には手を焼いていると」
聖山キュリオスを取り囲む三つの国。南側にここファンドーラ法国、西側に森エルフの住む森があり、東側にゼントール王国がある。
そして北側には広大な草原が広がっているけれど、そこは竜の狩り場と呼ばれ、ここ数十年は火竜が狩り場としているそうね。過去にそこを領土にしようとしたゼントール王国は、竜の手酷い歓迎を受けて数千人の死傷者を出したらしいわ。
空を飛ぶ属性竜を人の軍隊では倒せない。矢や魔術の届かない高みから炎を吐き、隙を見せれば瞬く間に襲いかかり、多くの兵を殺していく。
「勇者よ……火竜は邪悪な存在ではない」
そこに私たちをここまで案内した神殿騎士のヴィンセントが、彼を諫めるように睨みつける。
「それでも被害はあるのでしょう?」
勇者クラインは、睨まれたことなど気にもせず涼しげな顔で切り返す。
「冒険者や入り込みすぎた者が年に数十人程度だ」
「聖教会としては、数十人程度だと看過すると?」
「下手に手を出せば、被害が増えると言っているっ」
被害が年に数十人。そのほとんどは事故や自業自得なのだけど、見過ごすほど少なくもない。でも下手に手を出して、火竜が人間に恨みを抱いたら、街が焼かれて数万規模で死ぬことになるのかしら? でも……。
「だからこそ、〝勇者〟である私がいるこのときに倒してしまえばいいじゃないか」
必要な犠牲として割り切る必要があるというヴィンセントに、勇者クラインは当たり前のことを話すようにそう言い切った。
「待て。勝手に話を始めるな。話は俺を通してもらうと言ったはずだ」
そのときドルトンが威圧を放つように前に出る。
ドルトンは強い。でも、勇者を相手取れる強さではないけど、彼はそれでも前に踏み出した。
「……私はアリアさんと話しているのですよ?」
連続して話の腰を折られた勇者クラインが溜息を吐く。
「成人したばかりの若い娘は大人として守るべきだろう? 火竜退治はそちらの政治的な事情で、それにアリアを巻き込むな。そもそもアリアを勧誘するのにどうして火竜を退治する必要がある?」
ドルトンも勝手なことを言う勇者に結構怒っていたのかしら?
フェルドやジェーシャも不快そうに少しだけ威圧を滲ませると、勇者クラインはヤレヤレとでも言うように肩を竦めた。
「アリアさんが闇竜を倒せたのかどうか確認するためですよ。それが虚偽だというのなら、クレイデール王国にも責任を取ってもらう必要がありますからね」
その瞬間――
まるで国家……今回の責任者であるエレーナを人質にするような言い回しに、アリアの眉が微かに顰められた。
アリアは何を思うのか?
もしかして虎の尾を踏んだのかしら?





