283 国境を越えて
勇者の勧誘……というよりも聖教会の要請で、私たちは国を越えて、北にあるファンドーラ法国にある聖都ファーンへ向かうことになった。
本当に面倒ね……。まぁ、距離的にはメルローズからダンドールに向かう程度でしかないのだけど、国境を二つ越えて慣習の違う土地へ行くことは思っていたよりストレスに感じそうね。
「それじゃ、お願いね、フェルド」
「了解だ」
王都から出発して一週間……私たちはまだクレイデール王国から出られていない。
アリアも私も、まだ闇魔法がレベル6になっていないから、空間転移を気軽に使えていた頃のありがたみを実感するわ。
そんなことを考えていると御者席から戻ってきたアリアが、据えた目で私を見る。
「命と引き換えの気軽さを求めないで」
「……あなたも、普通に私の心を読まないでくれる?」
本当に私のお目付役は優秀ね。
アリアやフェルドが御者をしていたのは、前回の旅とは勝手が違うからだとドルトンが話していた。
なんでも普段は、ドルトンのお屋敷にいる執事が御者や宿の手配をしてくれているらしいのだけど、今回は何があるか分からないので、彼はお留守番になっている。
だから交代で御者をするのだけど、リーダーのドルトンはともかく、私も普通に除外されてしまったのは仕方ないわ。私は馬にも乗れないもの。
〝前回〟というのは離島の大規模ダンジョンに潜ったときのことみたい。そのときと違うのは、ヴィーロという斥候の男が暗部の騎士になったことで〝虹色の剣〟を引退し、その代わりのメンバーとして戦士のジェーシャと魔術師の私が加入した。
ドルトンが所有する〝虹色の剣〟の高速馬車は、貴族の馬車に比べても内部はかなりの余裕があるのだけど、筋肉だるまのフェルドとジェーシャが同時にいると圧迫感を覚えるわ。室温も少し上がっているのではないかしら?
それでも普通の馬車よりかなり速く移動できる。
魔導具らしく魔石を使ってある程度の自走もできるし、頑丈さや巨大な空間収納など王家の馬車よりお金がかかっているかもね。
これから何があるのか分からない場所へ向かうのに、御者の執事は置いていくとしてもこんな高価な馬車を使うなんて、下手をしたら廃車になるかもしれないわよ?
そんな私の素朴な疑問にミランダが答えてくれた。
「それなら属性竜の報酬で新しい物を作るそうよ。ねぇ、ドルトン」
「まぁな。金を持っているなら貯め込むより使ったほうがいい。それに人員も増えたから余裕は持っておきたい」
ミラの言葉にドルトンが補足をくれる。
属性竜ねぇ……。私はあまり興味はないけど大変だったみたいね。エレーナを発見したことも含めて、遊んで暮らせるほどの褒賞金が出たらしいわ。
「作り直すのなら、洗面台でも付けてくれない?」
「……家にでもするつもりか」
それでもいいわね。ついでにお手洗いもあると嬉しいけど、それは贅沢かしら?
「スノー」
「何かしら、アリア」
「【影収納】の応用でなんとかできない?」
「無茶を言うわね、あなた」
私にそれを研究しろというの? 確かに魔術は専門分野だけど、そんなとんでもない無茶を言われるとは思わなかったわ。
それと、普通に心を読むのは止めてちょうだい。
それから二週間ほどで私たちは隣国ゴードル公国との国境に到着した。
王都から二十日ほどかしら? 通常なら一ヶ月以上はかかるはずだからやっぱり早いのだけど、もう飽きてきたわ。
国境目前で馬車が遅々として進まない。直前の宿場町で聞いた話だと冒険者は国境を越えるのに時間がかかるそうよ。
一般人からすれば、市民権を持たない自由民の冒険者なんて荒くれ者と変わらない。簡単に国を離れてそこで金銭を稼ごうとする連中なんて、国民でもないわ。
つまりは怪しいから国境を越える審査に時間がかかる。
「通行証だ」
「聖教会!?」
でも、聖教会の要請であることを示すと、不機嫌そうだった兵士が慌てて道を空けて通してくれた。
聖教会。千年以上前にメルセニア人と共に他の大陸から来た、この大陸最大の宗派。
その名の持つ権威は絶大ではあるのだけど、これからその本拠地に行くのだから溜息が出るわ。
「なぁ、この〝ゴードル公国〟ってどんな国なんだ?」
私と同じで暇を持て余したのか、ジェーシャがそんなことを話すと、その隣にいたフェルドが同じく暇だったのか、元貴族らしい知識を思い出すように話してくれた。
「そうだな……国土は小さいが多くの職人を抱えている国家だ」
彼の話を要約すると、ファンドーラ法国の隣にあるから、大国に吸収されずに残されている国家という印象かしら。
国土も人口も、大国であるクレイデール王国の十分の一もない小国だけど、クレイデールがメルローズやダンドールと併合した時代でも、クレイデールや近くにあるセルレース王国に狙われなかったのは、法国に特産品を納めていたから。
畜産と農業。質のよい羊毛から作られる絨毯と、質のよい葡萄から作られる薫り高い果実酒は、聖教会の儀式に使われる最高級品として扱われている。
つまりは、この国が他国と戦争になって職人がいなくなることに、聖教会が難色を示したからこそ生き残ってきたのね。
聖教会は国家の動きを牽制できるほどの〝力〟がある。それだけ信者の数が多いということなのだけど、最大母数が大きくなれば、善いことも悪いことも大きくなる。
雑な喩えになるけど、人の数が百人しかいなければ、善も悪もその振り幅は百でしかない。でも、それが千人もいれば、その振り幅も千になる。
聖教会も信者や司祭にどれだけ清らかな人が多くても、その清らかさと同じ分だけの闇を抱えている。
……勇者サマはどちら側かしら? 楽しみね。
ゴードル公国には特に用はないので、ほぼ素通りとなる。やる事と言えば、名物の果実酒と羊肉のリブを焼いた屋台を堪能するくらいかしら。
北に三週間ほど進むと首都があり、そこから西に向かうとセルレース王国があって、北東に向かうとファンドーラ法国になるから、この国はクレイデールを含めた三国の交易点でもあるわ。
だから、いくら牧歌的な国だとしても、人の流れが多くなればその純朴さを食い物にする輩が現れる。
「ドルトン、野盗よ」
首都から法国に向かう途中、御者をしていたミランダが馬車を止めて小窓から声をかけてくる。
「若い奴で片付けてこい」
その内容にドルトンが座席から腰を浮かすことなくそう言って、動き出そうとしたジェーシャとアリアを私が止める。
「私が行くわ。暇なのよ」
ニコリと微笑む私に、アリアは溜息を吐くように座り直したけど、ジェーシャは不満を顔に出した。
「オレも暇なんだけど?」
「あら、一緒に行く? でも、うっかり殺しちゃったらごめんなさいね」
悪びれもなくそう言うと、ジェーシャは苦虫を噛みつぶしたような顔をして、アリアをジロリと睨んだ。
「アリア……」
「諦めろ」
分かってもらえて嬉しいわ♪
「スノーが出るの?」
私が一人で馬車の外に出ると、弓を構えて周囲を警戒していたミランダが若干引いたような顔をした。
「森を燃やさないでね」
「雷だと滅多に燃えないから平気よ」
……たぶん。
少しだけ集中して敵を探ると、確かにそれらしき気配を感じた。
ミラはそれを〝野盗〟だと判断した。でも……。
「〝変〟なのがいるわ」
「え……」
私の呟きにミラが眉間に皺を寄せてさらに遠くの〝気配〟を探ると、彼女も奇妙な存在を捉えたのか、少しだけ表情を変えた。
「減っている……」
そう……。最初に捉えた〝野盗〟らしき気配がいきなり減り始めた。
遠くから聞こえる微かな悲鳴。
「へぇ……」
退屈しのぎにはなりそうね。
現れた存在は敵か味方か?
そこでスノーが見たものは……





