282 心の在り方
「勇者はあなたに聖教会の本殿まで来ることを望んでいます。勝手に来ておいて呼び出すなんて、何様かと思いますが……。アリア、まだ〝約束〟は有効ですよ?」
エレーナは〝約束〟という言葉を使い、じっとアリアを見る。
二人の間で何があったのか分からないけど、それを使えば勇者の招集を回避できるということ?
二人だけの秘密……なのかしら? 少し面白くないけど仕方ないわね。だってアリアだもの。私とのあんな〝約束〟を守ってくれたのは、本当にアリアらしいわ。
でも、エレーナの言うとおり、アリアを仲間にすると勝手に決めておきながら、さらに呼び出すとか、ふざけているわね。
「ううん、必要ない」
でもアリアは、エレーナの申し出にそっと首を振る。
「まだそこまで切羽詰まってはいない。それに、勇者がクレイデール王国に来るほうがたぶん面倒なことになる」
「それは……たぶん、そうね」
エレーナはアリアの言葉に困ったような顔をする。
確かにその可能性は高いわね。勇者が来るとなれば、おそらく聖王国の偉い人も来るのでしょうから、そうなったら国として断ることは難しくなるかもしれないわ。
もし二人の約束が、王族としてアリアを守るというものなら、エレーナは相当な危険を冒すことになる。
「いっそ無視しちゃったら?」
私が揶揄するようにそう言うと、エレーナも少しだけ笑う。
「そうしたいところね。この話を持ってきた使者がファンドーラ法国の者でしたら、人知れずに〝行方知れず〟となってもおかしくはないけど、その使者はこの王都にある新しい神殿長なのですもの」
前神殿長である法衣貴族は、孫が色々やらかした責任を取って引退している。
実際は責任云々よりも孫が悪魔に憑り殺された心労でしょう。大変ね。
新しい神殿長に会ったことはないけど、遠話の魔導具による本殿からの指示で、かなり重要な案件の使者を任されたのなら、必要以上に張り切って喧伝しているかもしれないわ。
それではさすがに、『最初から使者なんていなかった』ことにはできないわね。平気な顔して本気で使者を亡き者にしようかと話し合っている私たちに、生真面目なドルトンなんか、顰めっ面で目をつむって聞かなかったことにしているわ。
「冗談はさておき、実際のところ〝勇者〟の人柄次第ね。本人にその気はなくても、聖教会の意見に流されているだけ……という可能性もあるの。結局は会ってみなければ分からないのですけど」
そう言ったエレーナが一瞬だけ私をその碧い瞳に映す。
勇者の中身が『力を持っただけのただの人』か、それとも『力に呑み込まれたただの愚か者』かで、私たちの対応も変わってくる。
もしかしたら『勇者に相応しい清廉潔白な人物が、世界の平和を願って、本気でアリアを誘ってくる』場合もあるのだけど、これが一番厄介かもね。
それでも〝私〟の対応は変わらないのだけど。
「とにかく一度、私自身でその人物を見てみる。赴くにしても、迎えるにしても面倒なことになるのなら、向こうで会ったほうがマシだ」
「アリア……」
聖教会の人間が権威でくるのならまだマシね。勇者が本気で暴力に訴える気があるのなら、どれだけ被害が出るのかわからないもの。
「――まさか、お前一人で行くつもりか?」
そこに、今まで黙って話を聞いていたドルトンが低い声で呟き、アリアが表情も変えずに振り返る。
「そのつもりだけど」
「私とネコちゃんはついていくわよ」
アリアの言葉に続けるように私がそう言うと、アリアの影からそれを肯定するように微かに唸り声が聞こえた。
でも――
「いや、お前たちだけでも駄目だ」
私たちの意思表明にドルトンは頑とした異議を唱える。
「でも、最悪の場合は……」
「それがいかんと言っている。お前たちなら勇者と決裂しても、逃げるなり姿を眩ますなり、なんとかするのだろう。勇者と戦っても、なんとかできると思っているのだろうが、聖教会を甘く見るな」
「それならどうするの?」
勇者と敵対することになってしまったら、この大陸でお尋ね者ね。
ドルトンの言葉の途切れに、私が薄く笑いながら割り込むと、ドルトンは眉間に皺を寄せて私とアリアを睨めつける。
「お前たちは幼い頃から人並み外れた努力と経験をして、この大陸でも有数の力を持つ強者だが、成人もしていないまだ〝子ども〟だ。そんなお前たちが大人のしがらみで、また裏の世界に生きるようになることを〝大人〟が黙って見ていられるか。矢面には俺たち大人が立つ。これは決定だ。異論は許さん」
ドルトンはそこまで言い放つと他の意見は聞かないとばかりに、腕を組んでソファーに背を預けた。
私もアリアも、大人を超える力を持って勝手をしてきた自覚がある。
そうしなければ生き残れなかった事情はあるけど、それを選んで生きてきた私たちは大人と関わり、信用しても、心の底から信頼してはいない。
生きるも死ぬも自分が決める。そんな信念を持って生きてきた私たちに、ドルトンは大人だから子どもを守ると言った。
こんな私たちでも……いえ、私でも、光の中で生きていいと言うのかしら?
「……了解」
じっと彼の言葉を聞いていたアリアがドルトンの言葉に頷いた。
彼女の中でどんな〝答え〟が出たのか私には分からないけど、私はあなたについていくわ。
アリア……。あなたは光の中で生きていける。
あなたの手は血にまみれていても、血で汚れてはいないのだから。
私はあなたの〝陰〟でいい。
あなたは私の〝光〟なのだから……。
その日のエレーナとの秘密の会談は終了した。
勇者の人となりが……それ以上に聖教会のもくろみが分からない以上、最終的にはアリア個人の判断に任せるということになった。
〝虹色の剣〟としてはアリアの意見を尊重し、決裂した場合はドルトンたち大人が矢面に立つと私たちに言い聞かせた。
「スノーはどう思う?」
それでもアリアはまだ悩んでいるのか、王都で遠出のための買い出しをしている途中で、珍しくそんなことを呟いた。
これまでずっと大人に頼らず、誰かといたとしても基本は一人で行動して一人で決めてきたアリアにとって、誰かの庇護にいることに慣れていないのでしょうね。
「好きにしたら?」
それに対して軽く突き放したような私の言い方に、アリアが微かに不満げな顔を見せた。……ちょっと可愛いわね。
「だいたい、あなた以上に好き放題に生きてきた私に、誰かに頼る生き方なんて分かるはずがないじゃない」
「……まぁ、そうだね」
そこで素直に頷かれるのも少し傷つくわ。
「アリアは本当に好きにしたらいいわ。それで問題が起きたら、いつものようにすればいいのだから、何も変わらないでしょ?」
今までそうして生きてきた。ただちょっと問題の範囲が大きいだけ。
それで迷惑を掛けるかもしれないけど、問題をすべて排除すれば問題はなくなるわ。
「そうか……」
私の暴論に、アリアも思い当たるところがあったのか、少しだけ笑みを見せた。
あなたは好きにすればいい。大丈夫よ。そのために〝陰〟がいるのだから。





