275 旅路
「サマンサ……って、確か〝砂塵の魔女〟よね?」
装備を調えた私たちはドルトンの指示に従い、前任の魔術師の所へ会いに行くことになった。魔術師の冒険者としての立ち回りや、〝虹色の剣〟での役割などを教えてもらえるそうだけど……。
「どんな人なのかしら?」
人族でありながら百歳まで現役だったという伝説の冒険者……サマンサ・サマンサ。まぁ、自分の名前を姓にして家族に名乗らせているところから、かなりアレな人物だと思うけど、アリアに聞いてみると彼女には珍しく首を傾げる。
「……〝ボケ〟?」
「……どういう意味?」
『ガァ……』
思わず足を止めて問い返した私の呟きに、アリアの肩にいた黒猫の幻影も合いの手を入れる。ネコちゃんも会ったことがあるのかしら?
高齢ならそういう事もあるかもしれないけど、アリアの言い方は何かニュアンスが違って聞こえるのよね。
「まあ、会えば分かるわね」
そのサマンサがいるのはダンス侯爵領らしい。王都からだと馬車で二週間程度の距離だけど、私たちは徒歩で向かっている。
徒歩よ徒歩。自分の脚で歩くの。ダンス侯爵領までは人が住む場所が多いから、ネコちゃんに乗って移動はできないの。
加護が自由に使えた頃なら空間転移も出来たけど、私は今以上に闇魔術と光魔術のレベルを上げるつもりはない。
それを上げるのなら氷魔法と雷魔法の研鑽と研究に費やしたほうが素敵だし、それに〝光〟と〝闇〟は……アリアにこそ似合うわ。
「けれど、乗合馬車じゃなくても、馬車を雇えばいいのではないの?」
お金ならあるのだし。私のではないけど。
「スノーは歩いて体力をつけたほうがいい」
「その通りだから何も言えないわ」
まあいいわ。歩くのはそれほど嫌いではないから。
でも、食事の度に食べきれないほどの量を用意するのはやめてくれる? 奇妙な薬草を使った独特の味付けは我慢できるけど、今まで生きるのに必要な分しか食べてこなかった私の胃は大きくないのよ?
「そうだね。だったら食材を変えてみる」
「できれば調理方法を変えてほしいのだけど」
森が続く街道で野営をしながら旅をする私たち。そんな中で楽しみと言えば食事だと思うのだけど、アリアはその次の食事から、きっちり食材どころか食事かどうかさえ分からない食べ物を用意してきた。
「……これは何かしら?」
「蜂の子のチーズ和えの蜂蜜がけ」
栄養はありそうね……。
アリアが森で狩ってきた……取ってきたではなくて、数回刺されたら人でも死んでしまう大型蜂をすべてナイフで斬り殺して、その巣にあった蜂の幼虫と、女王蜂を育てる乳白色の液体を丸ごと持ってきたみたい。
それをアリア特製の薬草で煮た後にチーズを和えて器に盛ったあとに、たっぷりの蜂蜜をかけた物を出された。
これは料理? 錬金術じゃないの? 薬にしては成分が強すぎるし、お菓子として食べるには見た目の衝撃が強すぎるのではないかしら。
まあ、食べるけど……。
「ドルトンには話してあるけど、スノーにも情報を共有しておく」
なんとか完食して食後の薬草茶をいただいていると、焚火の反対側にいたアリアが幻影のネコちゃんを膝の上で撫でながら、そんなことを言い出した。
「お仕事の話?」
「いや、エレーナに聞いた噂程度の話なのだけど、スノーの意見も聞きたい」
噂程度の話。あの夢見がちな兄のせいで現実主義のお姫さまがアリアに話して、そのアリアもドルトンと共有するような話なら、ただの噂じゃないってことね。
「〝勇者〟の話だ」
勇者……勇気ある者。人々に絶望が訪れたとき現れ、勇気を与える者。
この国の住人なら子どもでも知っているお伽噺。
その多くは悪い魔法使いや魔王などに人々が襲われ、それを勇者と聖女が倒して幸せになりました、とかそんなお話だった。
けれど、この国に現れた〝聖女〟はただのアレな女だったし、〝魔王〟と呼ばれた存在も実際はただの魔族国の王様で、魔族自体は人族の敵ではあったけど、彼一人で国を滅ぼせる力はなかった。
でも、勇者も聖女も、ただの伝説じゃない。
レスター家の禁書ではないけれど、聖教会の神殿で見つけた禁書にはそれが記されていた。もちろん無許可で読んだのだけど、神殿を燃やす前に持ち出せて良かったわ。
「まさか、勇者が現れたなんて言わないわよね」
「その〝まさか〟らしい」
「……冗談でしょ?」
お姫さまがアリアにした噂話では数ヶ月前、大陸の北方にあるメールン国家連合にその〝勇者〟が船で辿り着いた。
「なるほど、そうなると信憑性が少し上がるのが嫌なところね」
「歴史を考えるとそうなるね」
このサース大陸には元々私たち肌の白いメルセニア人は住んでいなくて、北にある別の大陸から聖教会と共に船で辿り着いたと言われている。
メールン国家連合は七つの小国の連合体で、それぞれがこの大陸に辿り着いて興された、メルセニア人最初の国家を主張したせいで結局一つにならなかった。でも後から興された大国が力を持ち始め、それに対抗するために渋々連合体を形成している国がメールン国家連合だ。
そこに辿り着いたということは、勇者はその別の大陸から来たことになる。
元々メールン国家連合はその大陸と貿易を続けていたらしいので、その交易船で来たのかもしれないわ。
そして、聖教会の禁書にはこう記してあった。
勇者は世界に邪悪が現れたとき、精霊によって選ばれ世界を救う。
聖女は人類に危機が訪れたとき、精霊によって愛され人々を救う。
これは伝説やお伽噺ではなく、聖教会の歴史に記されていた事実らしい。
どちらも危機には違いないので、勇者が現れるときは聖女も選ばれることが多くて、お伽噺では二人一緒に描かれることが多いのよね。
それがどうして〝禁書〟になって一般の目に触れることがないのか。
それは、勇者が戦ってきた〝敵〟の存在にある。
それは魔族王など比較にならない『魔王級』の存在……伝説の邪竜や、上級悪魔よりもさらに高位の悪魔など、それに対抗するため〝勇者〟は精霊に選ばれた。
そんな人類の脅威が過去に実在していたことを聖教会は隠している。もし本当に脅威が現れたとき、聖教会を中心に民の不安を払拭するため、聖女や勇者のお伽噺を広めていたのかもね。
「でも現状では、この大陸に勇者が現れるような〝邪悪〟がいるとは思えないけど?」
もしそんな国家を破壊するような邪悪が本当にいるのなら、すでに兆候は現れていると思うわ。少なくとも勇者がこの大陸にそれを感じて渡ってきたのなら、最低でも一年くらいは経っているはずなので、暗部の情報網に掛かるのではないかしら?
そんな私の考察にアリアは一瞬呆れるように目を細くして、何故か私をじっと見る。
「……そうだね」
『ガァ……』
「なにが言いたいのかしら」
結局、勇者のことは保留……というより何をしに来たか不明なので、考察しても分からないとしか言えなかった。そもそもクレイデール王国に関わらない限りはお姫様は動けないし、アリアも動かない。
まあ、勝手に何か倒して勝手に帰ってくれたらいいわ。私も興味がないもの。
「それよりも……それ、邪魔」
『ガア』
「まあ、ネコちゃんはもうすっかり〝猫〟になってしまったのかしら?」
基本アリアの影から出ずに、幻影のままアリアの膝の上で欠伸をしているネコちゃんに思わずジト目を向ける。
その私の背後では、若い女二人と舐めきって襲ってきた山賊たちが武器を構えたまま氷像と化していた。
炎なら跡形もなく消せたのだけど、雷だと死体が綺麗じゃないから凍らせるしかないじゃない。
「ね?」
「片付けて」
仕方ないわね……。私は【影渡り】の応用で氷像を森の影に沈め、どこか見えない場所に捨てておいた。
そうして私たちは単調な旅を続け、二週間後にダンス侯爵領まで到着した。……とは言っても肝心のサマンサはどこに住んでいるのかしら?
「確かダンス侯爵の領都にある郊外の屋敷だと聞いている。事前に書簡は送っているはずだから……」
アリアがそう言いかけたとき、遠くに街が見える街道の向こうから砂塵を巻き上げて迫り来るものが見えた。
……魔物かしら?
「――【氷槍】――」
とりあえず確認もせずに攻撃をする。アリアも特に止めなかった。
でも、私の放った数発の【氷槍】は、砂塵から放たれた同数の【氷槍】に迎撃され、その隙を突くように私たちを飛び越えたそれは、私たちの背後で砂塵から小柄な老婆の姿を見せる。
「よく来たな、小娘ども! サマンサ・サマンサじゃっ!! 誰じゃおぬしら!?」
なるほど……〝ボケ〟なのね。
お待たせしました、サマンサです。
旅も三人でダンジョン攻略できるようなスノーたちだと緊張感はありませんねぇ。





