260 最終話――『私の物語』――
本編の最終話となります。
クレイデール王国の王都に未曾有の災厄が降りかかった。その復興が進む王都では複数の商会が私費を投じてすばやく店舗を再開し、王都に住む人々の生活を支えていた。
もちろん彼らも商人であるからすべての者が善意で行っているわけはなく、この機に乗じて他の商会を出し抜き、王都での販路を広げようとする者や、王家や上級貴族家と繋がりを得ようとする者など多岐に渡るが、それらの事情もあり生活必需品や食料品などを比較的安価で販売することで、王都の民にも受け入れられていた。
だが、すべての店舗が元からあった商会とは限らない。犠牲者が聖教会の熱狂的な信徒など、被害の割に犠牲者の数は少なかったが、それでも家財を持ち出そうと火に巻かれた商人も存在し、それらの商会の跡地に同じ名前でありながら、誰も見たこともない親戚を名乗る人間が店を開いている場合があった。
「……こんな面倒なことをしなくても、直接やりゃあいいんだよ」
そんな素性の知れない新たに建てられた商会の地下にて、木箱の上に腰を下ろした男の粗野な言葉遣いに、商会長を名乗る壮年の男は顔を顰める。
「まだ同じことを言っているのですか……ヴォルフ」
「ちっ」
この場にいた十数名の男女も同じような目付きで彼を見るが、ヴォルフはそんな視線を気にも留めず、面倒くさそうに舌打ちをする。そんな彼の態度に商会長は吐きそうになる溜息を呑み込み、再び口を開いた。
「何度も言っていますが、この王国には〝彼女〟がいます」
王都を襲った災厄――上級悪魔の襲来。
いずこからか現れた三体の上級悪魔は王国におぞましい傷跡を残し、その悪魔を倒したのは、年若い二人の少女だったと言われている。
「そのうちの一人は死んだんだろ? 厄介なのはもう一人しかいねぇじゃねぇか」
悪魔を倒した二人の少女のうち、黒髪の少女は死亡したと調べがついている。
その黒髪の少女を含め、筆頭宮廷魔術師も悪魔との戦闘により死亡したことで、クレイデール王国が保有する【ランク5】は数を減らしていた。
ソルホース王国の暗部組織である彼らの目的は、クレイデール王国の情勢を探ることと……そして新たな王太女となった第一王女の暗殺であった。
事前に潜入していた間者が調べたかぎり、第一王女の実力は幼少期の評価を覆すほど高く、兄である第一王子の実力を基準にしていたソルホース王国の上層部は慌てることになった。
実力と政治的手腕で兄を蹴落として王太女となった王女は、以前の間諜組織壊滅にも関わっており、王女を危険視した上層部は、王都が悪魔によって破壊されたこの混乱に乗じて排除することを決定した。
だが、クレイデール王国には王女の懐刀と言われる、悪魔を倒した少女がいる。そのためにソルホース王国でも有数のランク5であるヴォルフが徴兵され、この作戦に参加することになった。
それでも、ヴォルフのような者が武力によって王女を暗殺するのは最終手段だ。この時期に王女があからさまな形で暗殺されれば、全員生きて王都を脱出することさえ困難になり、国家間の緊張を高めることになる。
「……ちっ」
元より暗部の人間でなく武力のみでのし上がってきたヴォルフは、それが気にくわなかった。
彼は元冒険者であったが、素行の悪さが目立ち、一般人を殺したことで処刑されそうになったが、彼の実力を惜しんだソルホースの暗部組織によって救われた。それに対して文句はないが、自尊心が高いヴォルフは自分の実力が発揮されない現状に不満を感じている。
(俺が一番強いんだ……)
ヴォルフの実力は総合戦闘力で2000を超え、ソルホース王国内のランク5の中でも自分が最強であるという自負があった。
それが上級悪魔を倒したとはいえ、二人掛かりで倒したという〝少女〟が最強だという〝噂〟はヴォルフを苛立たせ、そのことが彼の感情の枷を外してしまう。
「全部、俺に任せりゃいいんだよ! そうしたら王女の首をソルホースの王城に飾ってやるぜ!」
「ヴォルフ!」
これまで仲間内でも直接的な内容には触れずに会話をしていたが、それをあからさまに破ったヴォルフに商会長が声を荒らげた、その時――
「――言質は取れた」
仲間しかいないはずの地下で、涼やかな少女の声が流れた。
「――っ!」
その瞬間、仲間の一人である斥候職である女性が、瞬時に〝声〟の位置を割り出し、暗器を取り出して襲いかかる。
ランク4である彼女の戦闘力は1000を超える。ヴォルフほどでないとしても並の間諜なら即座に始末できるはずだった。
ボキンッ……。
濡れた布巾に包んだ枯れ枝を折るような音がして、感覚を狂わせるように滑るように前に出た黒い外套の人物はその女性の首を掴み、一瞬で命を刈り取るようにその首をへし折った。
ソルホース王国の暗部たちに緊張が奔る。
「うがぁああああああああ!!」
その中でヴォルフは一瞬も躊躇することなく、雄叫びを放ちながら双剣を構えて飛び出した。
(こいつだっ!)
ヴォルフは見た瞬間にこれこそ自分の敵である〝強者〟だと理解した。
強者と戦える高揚感と暴力に身を委ねる快感に酔いしれ、双剣の柄を握るヴォルフの手に力がこもる。
「殺ったっ!!」
最高のタイミングと最高の速度で振り下ろされた双剣が侵入者を襲う。躱せない、受け止めることもできない。だが――
「なっ!?」
外套から伸びたたおやかな両手が素手のまま押し出すように双剣を逸らす。
ヴォルフは知らなかった。いや、知っていても理解できなかった。
戦闘力は目安でしかない。どれだけステータスが高くても、どれだけ鍛えた技が魂に刻まれようとも、生死の狭間で得た経験値は心にしか貯まらない。
次の瞬間、しなやかに伸びた少女の脚がヴォルフの顎を蹴り上げ、顎下から爪先の刃を突き刺されたヴォルフは、その本領を発揮するどころか、自分が死んだことさえ気づけずに崩れ落ちた。
最期に剣を落としたヴォルフの手が侵入者の外套を掴む。そして顕わになった闇に煌めく〝桃色がかった金髪〟を目撃した商会長は、信じられないものを見たように目を見開き、周辺諸国の間諜が恐れる〝最強〟の名を震える声で呟いた。
「――鉄の薔薇姫――」
***
王都での戦いと破壊から半年が経った。
王都の被害は相当なものになったが、国家だけでなく複数の貴族家からの支援もあって、驚くような早さで復興が進んでいた。
これは聖教会の本殿があるファンドーラ法国の協力を取りつけた、新たな王太女となったエレーナの主導によるもので、まだ正式に告知はされていないが、その存在感を貴族と民に知らしめた。
正直に言えば、法国と聖教会は信じられない部分もある。でもそれを呑み込みどこまで手を握るか。それは政治的な判断によって変わってくる。
聖教会が認めた〝聖女〟が悪魔と通じ、王族をも危険に晒した。その部分は聖教会としても被害者である部分も多いが、自発的にエレーナの要求を飲んで協力体制を構築しなくては、聖教会としてもクレイデール王国内での求心力を失いかねない事態となっていた。
エレーナと聖教会は和解した。聖教会の思惑もあるが、クレイデール王国としても、復興の支援と称して国内に基盤を作ろうとする周辺諸国の諜報組織を排除するために、聖教会との協力が必要だったからだ。
これによってエレーナはサース大陸最大宗教団体の後ろ盾を得ると同時に、聖教会の影響力を抑えることにも成功し、王太女としての基盤を盤石とした。
隣国であるコンドール王国、イルス公国、ソルホース王国、ゴードル公国から支援の申し出があった。
以前私が潰した組織を送り込んできたソルホース王国は、また間諜組織を王都内に作ろうとしていたが、それはエレーナから依頼を受けた私が潰すことになった。
初めから無かったことにするという乱暴な解決方法だったが、聖教会の協力があれば難しいことはなく、王国としても証拠を揃えて合法的に排除できるほど余裕があるわけではなかったからだ。
「アーリシア殿。あなたに〝聖女〟となっていただきたいのですが……」
法国から来ていた聖教会の賓客であるハイラムがそんなことを言う。
彼はリシアの聖女認定をするために本殿からこちらに来ていたが、王都の神殿が壊滅し、リシアに魅惑されて多くが死亡した上層部の代わりに、王国に残ってこちら側の関係者を纏めてくれている。
ナサニタルの祖父である神殿長は生き残っていたが、悪魔の夢から覚めた彼は、悪魔に騙されて孫を見殺しにしたことを悔いて、神殿長の座から降りていた。
「以前にも、その気はないと言ったはずですが?」
威圧もせずただ視線を向けた私に、ハイラムは一瞬息を呑んで頭を垂れる。
「できればご再考を……。精霊に認められたあなたは、聖教会が認める『英雄』となるお方です」
聖教会がエレーナの要求をすべて飲んででも協力をしているのは、王国における国教の座を守りたいだけでなく、私のこともあった。
それは政治的な話ではなく宗教としての教義の問題だ。
聖教会の古い言い伝えによれば、聖女とは元々ただ認定されるのではなく、危機に際して現れるという『勇者』と共に戦う『英雄』の一人なのだという。
英雄とは精霊に認められた者たちで、あの戦いを目撃し、悪魔を討ち倒した私を彼はそうだと考えた。
ヒロインの次は〝英雄〟か……。
私は小さく溜息を吐いて、ソルホース王国暗部組織の資料を受け取ると、聖教会の仮施設を後にする。
「アーリシア殿っ」
呼び止めるようにハイラムの声が掛けられ、私は少しだけ振り返る。
「私は〝アリア〟――ただの冒険者だ」
***
カルラとの戦いを終えて私は再び冒険者に戻った。
ただ、アーリシア・メルローズとして表舞台に出た私は自由民に戻ることはできず、その籍はメルローズ家にある。
要するに、貴族籍がありながら後継者争いを回避するため冒険者をしているフェルドと同じ立場だ。
でも私は、フェルド以上に自由を認められていながら、彼以上に貴族社会から逃れられない微妙な立場にいる。
その原因が、私が貴族のしがらみから逃げるために鍛えた〝強さ〟だ。
あの戦いを目撃した者たちと、メルローズ家の騎士たちから『鉄の薔薇姫』などという二つ名で呼ばれ始めた私は、どの貴族家も手を出せない恐れられる存在になったと同時に、もし国外へ出奔されたら、最大の敵となる可能性の恐怖を貴族に植え付けてしまった。
私は困らない。でも、お祖父様やお祖母様……エレーナが困る。
故に私は、学園に通う代わりに〝勉強期間〟と称した時間を与えられ、五年間の自由を得ることになった。
その五年が終わっても貴族令嬢に戻ることはないが、冒険者と兼業で新たな就職先を決められた。
今もエレーナから依頼があれば、ソルホース王国間諜組織の件のように冒険者として動くこともあるが、五年後にはセラの後継となる暗部の引き継ぎを始め、十年後を目安に女王の側近兼戦闘侍女となる。
でもこれは、私が忌避した誰かに決められた運命じゃない。
エレーナと共にいたいと願った私の意思だ。
あの誓いはまだ私たちの中で活きている。
「おーい、アリアぁ! 早く来いよ!」
「うん、いま行く」
先に進んでいたジェーシャが私を呼び、遠くを見つめていた私の視界を、影の中にいるネロが、黒猫の幻影を使って私の肩から尻尾を揺らして教えてくれた。
このところ街の中での仕事が多く、久しぶりに冒険者らしい冒険に出ることになったジェーシャは多少浮かれているようだ。
今回は北にある魔物生息域に出没するという飛竜数体の討伐だ。飛竜は地竜ほどではないが財宝を溜め込む習性があるので、彼女も期待しているのだろう。
意気込むジェーシャに、彼女と面識があるエレーナも苦笑しながらも快く送り出してくれた。
そのエレーナだが正式に王太女となり、すでに他国から王配となる婚約の申し込みも来ているらしい。それがカルファーン帝国からなので、おそらくは私も知る彼がようやく動いたのだろう。
ミハイルの話ではロークウェルもエレーナに懸想していたみたいだが、彼はダンドール家の嫡男であり、かなりこじれているらしい。
ロークウェルの妹であるクララが家督を継げればいいのだが、彼女は自分の罪を認めて同じく罪を認めて王太子の座から退いたエルヴァンと共に、ダンドール所有の領地を子爵として治めることが決まっていた。
おそらく彼らの代では表舞台に上がることはなく、これまでのきらびやかな世界とは無縁の生活を送ることになるだろう。
その決定を甘いという者も厳しいという者もいるが、彼らは中級貴族になることに安堵さえしているように私には思えた。
エレーナの側近となるミハイルは、そのままお祖父様の下で宰相と暗部の室長となる勉強を始め、彼の補佐としてセオも暗部の上級騎士となるために日々精進している。
最後に私と会った彼らはどちらも『まだ諦めない』と言っていた……。
そして――
カルラは正式に死亡が認められ、後継のいなくなったレスター伯爵家は、あのダンジョン攻略にも参加していた宮廷魔術師の一人が、レスター家の遠縁であったことから、彼が継ぐことになったと聞いている。
カルラの墓標はない。それは彼女が望んでいないからだ。
「よし、出発するぞ!」
これ以上馬車では危険な位置に差し掛かったところで、私たち新生〝虹色の剣〟は、ドルトンの号令で行動を始める。
新生というのは、斥候であったヴィーロが正式に冒険者を引退して暗部の騎士となったからだ。年齢的にはもう少し余裕はあったが、隣国の間諜が多く入り込んでいることと、彼の婚約者である元受付嬢のメアリーが焦れたからだと聞いている。
たぶん、いま暗部で働くのは凄く大変だと思うけど、ヴィーロなら上手くやれそうな気がした。
重戦士の盾役ドルトン、剣士のフェルド、戦士のジェーシャ、精霊使いのミラ、斥候の私……そして新たに仲間となったランク5の魔術師を含めた六人が、新たな虹色の剣となる。
「飛竜の鱗は地竜みたいに高く売れるのか?」
「素材としてはそこそこよ。金と銀くらいの違いはあるけど」
「肉は食えるかなぁ」
「あんなのただのトカゲ肉だ」
あまり緊張感はない……。
そんな仲間たちの会話を聴きながら空を見上げる。
果てしなく広がる青い空。
力がなくずっと逃げていた幼い頃――それから力をつけても、ずっと何かと戦い続けてきた。
追って追われて、傷つき傷付けるだけの日々はもう終わった。
これからは〝自由〟だ。自由も不自由も、すべて私の意思で決める。
タンッ――
「お、おい」
なんとなく浮かれていたのは私も同じみたい。フェルドの後ろから両肩に手を置いて彼の上に登った私にフェルドが戸惑うような声を出す。
「やっぱり、フェルドの見る景色は広いね」
「そうか?」
私が笑って彼を見下ろすと、フェルドはニヤリと笑って、私を乗せたまま走り出した。
後ろから聞こえてくる、呆れたような声。
視界の端で、白いローブのフードを被った魔術師の少女が、波打つ真っ白な髪を揺らしてクスクスと笑っていた。
どこまでも果てしなく広がる青い空……。
もう私の心は迷わない。
これから私の『物語』が始まる。
これにて本編は完結となります。長らくお付き合いありがとうございました!
もう少し短めに終わるはずでしたが、気付けばこんな長丁場になりました。
カルラとの決着や最終話は最初から決めていたもので、アリアのペンデュラムやブーツの刃、フェルドの肩に乗る仕草など、このための準備でした。
最初は同じ趣味の方がいれば程度で、このような形態が受け入れてもらえるか実験的な小説でしたが、思ったよりも応援をいただき、書籍化まで行きました。
皆様、本当にありがとうございました。書き下ろしたっぷりの書籍4巻は七月に発売されますので、そちらもよろしくお願いします。
本編は終わりましたがアリアの冒険は続きます。閑話のような後日譚ですが、これまでのような週1連載ではなく、少しお休みをいただき、その後に月一連載でのんびり続けたいと思っています。
アリア視点ではなく、魔術師の少女から見たアリアでもいいかな……と考えています。
あの少女は誰なんだ……
実を言いますと、複数の書籍化作業でほとんど新作を余裕がなかったんです!
アイデアばっかり貯まって、フォルダには1話だけの話がゴロゴロしています(笑)
新作候補として……
1 ほのぼの(狂気系)
2 愉悦(狂気系)
3 シリアスバイオレンス(激甘)
この三つが連載に向いていそうな感じですね。どれもまともじゃありませんw あとは短編向きですかね。
それでは皆様、次はこの続きか新作でお会いしましょう。
 





